第106話 生き残り
「生き残りは【歴史学者】【言語聴覚士】【死霊術師】」
メメちゃん曰く、一次隊の中で彼女の呼びかけに反応し、夢から脱出したのは俺を含めわずか3人だけらしい。
「ナイちゃん、二人は見つけられないのだ?」
無人の街にメメちゃんの元気な騒ぎ声がこだまする。ときおり魔物が空を飛んでいることを除けば物音ひとつしない色違いの街に、人形の甲高い無邪気な声は虚ろに響いた。
「ダメだな。外とも連絡も取れないし、時間も狂ってる」
魔界、女神の領域から外れたこのダンジョンでは、物理法則自体がおかしくなっているようだ。しばらく周囲を歩き回ってみたがどこを探しても外への出口はなく、〈メトロノーム〉で感じる時間も行ったり来たり。3秒経ったと思えば15秒戻り90秒飛んで1分戻る。落したはずの硬貨が上にいったり下にいったりするのを眺めながら、俺はもはや諦念に近い感情でその場に腰を下ろした。
「ここじゃ死霊も出せないからな」
ここでは剥き出しの死霊がいること自体が危険だった。女神に還ることもできず、いくらマナを与えても徐々に存在ごと食われていく。放っておくわけにもいかないのでボロボロと崩れていく彼ら全員を㞔槍の中に引っこめて、さらに槍ごと丸ごと呑み込んで左腕の骨の中にしまいこんで隠すことにしたのだった。
「全員置いてくればよかったな」
そうつぶやいた瞬間に左腕に鋭い痛みが走り、ぱっくり裂けた傷口から㞔槍が飛び出した。父の形見である真っ黒な槍の穂先に夥しい数の小さな右手が巻き付いたその槍は、まるで生きているように捩じり上がりながら一斉に俺の眼球を指さした。
「ナイ坊、そういういい方はよくないぜよ」
「せっかくみんな心配で憑いてきてくれたのに」
「そうだ」
「そうだ」
「ひどいぞ」
死霊たちが操る手の一本一本が、怒ったように顔面をつついてくる。
「わかったから中にいろって、俺にも痛覚はあるんだぞ」
張り裂けた骨髄からどばぼだと流れる血液の一滴一滴が小さな自分自身に変える。数百数千の俺たちはつまらない仕事で生み出されたことにぶーぶーと文句をいいながらも㞔槍を掴むと一瞬で左腕の骨の中に引きずりこんだ。
「こういうわけで俺は使い物にならない。メメ様の不思議パワーに頼るしかないんだが」
「メメちゃんも一緒なのだ!! ここは悪戯な女神の存在領域じゃない……本尊とつながってないからパワー10億分の1なのだ。それもさっき使いつくしたのだ」
メメちゃんがぷりぷり怒りながら俺の髪を引っ張る。メメちゃん曰く、あくまで女神の分霊である彼女には人間一人分の力しかないそうだ。普段の、女神の領域内にいる時なら悪戯な女神本体と繋がって無限に近いマナと能力を引き出せるがここではただの人形でしかないらしい。
「ナイちゃんが情けないせいだぞ。史上最恐がだらしない。きびきび歩いて皆を探すのだ」
「そんなこと言われてもこの有様じゃなぁ。その二人も隠れてるだろう」
上を見上げれば魔物の一匹すらいない地上とは対極的に空に浮かぶ浮遊街らしきものには幾百もの竜が列をなして群がっている。〈隠匿〉で身を隠しているから気づかれていないがひとたび〈隠匿〉を解いたら俺もたかられてしまうだろう。
もし魔王に全面戦争を挑むならそれも手だが、俺の目的はあくまで捜索と救助。やみくもに騒ぎを起こしても意味がない。
よく目を凝らしてみれば空を舞う竜の多くが人間の死体を咥えているようにみえた。
外での戦死者を集めてるのだろうか。
非常食のつもりなのかもしれない。
「腸なんて食えたものじゃないんだがな。それとも魔道具にでも加工するのか」
さきほど〈死体修復〉した肉餌たちの骨肉を齧りながら、彼らの死体で〈哲学ゾンビ〉を作る。【縊鬼】の顔と、【爆弾魔】と【取立人】の身体の美しい部分を合わせて、その中に【露出魔】から抜いた筋肉を重ねた。
美しい女性達から余った肉ががどろどろに崩れてゴミに変わっていくのをすこし残念に思いながらも、4人の体を丁寧に張り合わせて、できたのは存在を四重に重ねた疑似人間。こめかみからマナの疑似血液を流し込み、心臓を動かすと、それはまるで生きた人間のように頬に血が通った。
「なかなか上手くできたな。ほら、探しにいってこい。探すのは【歴史学者】【言語聴覚士】……」
無表情のまま〈哲学ゾンビ〉が歩み去ろうとした瞬間、ぴょんとメメちゃんがそれに飛び乗った。
「これ可愛いのだ。メメちゃんが貰うのだ」
ぽてんと人形が落ちて、糸が切れたように動かなくなる。そして同時に無表情だった疑似人間は感情を得たように無邪気に微笑んだ。
生まれたばかりの少女は、まるで玉簾のようにくるりとまわった。指先が艶やかな円を描き、花のような香りと共に、彼女の淡い青の瞳が俺を射抜いた。
婀娜婀娜しく、妖艶で、無邪気に。
魂ごと吸い寄せられるような魅力に眩暈がする。
「メルメローメメントモリ」
名前を呼んだ瞬間、メメちゃんは我に返ったようにぴくんと震え、恥ずかしがってその美しい肢体を隠した。
「そんな見ないでよ……ナイちゃんのえっち」
「いや、俺が造形師だし。いいから探しにいってこい。そのためにつくったんだぞ。わざわざ4人分の身体重ねて高機動高出力にしたのに」
「えー、メメちゃん働きたくないのだ。ナイちゃんが……」
手を挙げてメメちゃんの言葉を止める。
「いや、探さなくて良さそうだ」
背後から歩み寄ってくる二つの影。
中年ちょび髭のオジサンと、気の弱そうな痩せぎすな青年。間違いない。【歴史学者】と【言語聴覚士】だ。
「ナ、ナイクさん! どういうことなんですか? いまのは? あなたは本当に」
「あっトマ君」
「ひっ!!」
【歴史学者】の姿を見るなりメメちゃんはおもむろに彼に抱きついた。
「あ、あったかい?! に、にんげん? い、いきてる? さっきまで死んでたのに?」
「いや、それは人形」
見た目だけは豊満な美少女になったメメちゃんに抱きつかれて【歴史学者】のちょび髭がピンと伸びる。メメちゃんは俺の頭の上にいた時とは違い、とても満足そうにちょび髭のおっさんの首を優しく撫でている。俺の頭の上で、半ギレで髪をぶちぶち抜いていたのとはあまりにも違う態度に顔をしかめていると【言語聴覚士】も呆れたように俺の横でため息をついた。
「メメ様も女神様と同じなんでしょうね」
「なんだこいつ。神は平等に人を愛するんじゃなかったのかよ」
「りゆうは、えーと」
【言語聴覚士】が少し言いずらそうに言葉を濁す。訳が分からずさっさというように促すと彼は観念した様に口を開いた。
「たぶん【歴史学者】さんが童貞だから、だとおもいます。女神様は童貞と可愛い女の子が好きなので」
「そっか」
俺は教義については詳しくはないが、女神教において女神様は聖女とよばれる可愛い女の子の体に顕現し、汚れなき男性を近くにおくとされている。嫉妬深く、独占欲が強い彼女は、一度でも他の女に靡いた男には決して真の寵愛を与えることがないとのことだった。
故郷のガンダルシアや、教会の支配の弱いマルチウェイスターではあまりなじみのない話だが、女神教総本山の聖都ではよっぽど好き勝手やっているらしく、『悪戯な女神様の本質は、可愛い女の子の体で童貞を食い荒らす女神様である。』と女神をお言葉を記した戯典にすら書かれている始末である。
「分霊のメメ様も好みは同じなのでしょうね」
メメちゃんに愛でられてカチコチに固まってしまっている【歴史学者】を見て俺も彼と一緒にため息をついた。
「でも結構頼りになる人ですよ。僕もあの人のおかげでここまで生き残れました」
「無事でよかった。よく見つけられたな」
「メメ様に『こっちくるのだ』って呼ばれていましたので……」
「そうなのか? 俺には探せ探せってうるさかったのに。いまひとつ分からないな。女神の考えてることは……どうした?」
【言語聴覚士】が怯えたような目で俺を見上げた。
「メメ様は『こっちくるのだ。メメちゃんと【死霊術師】はここにいるのだ』と……」
即座に【言語聴覚士】を斬り殺そうとした自分の右腕を左腕が抑える。鋭い骨を束ねて槍のように変形した右腕が彼の顔を掠めて、左腕から飛び出した㞔槍に突き刺されてもぎ取れた。上腕動脈から噴き出た血が【言語聴覚士】に振りかかり、そしてその血は一瞬で俺の中に戻った。
「え? 僕死んだ?」
何が起きたのか見えなかったのか、【言語聴覚士】がぺたぺたと自分の顔を摩りながら彼はその場でぺたんと尻もちをついた。
「あー、生きてる。生きてる。殺しちゃダメだ。減らしてどうする。こいつらは可能性だ。俺が奥に行くための可能性。約束してくれ。誰にも言わないと」
自分で減らすなんて愚の骨頂。俺がやるべきことは一つ。
死の恐怖で脅して、心を縛る。〈絆の縁〉を発動させながら、彼の魂を鷲掴みにした。
フリカリルトのように頭のいい人なら何かもっといい方法を思いつくのかもしれない。そもそも俺に人を脅せるほどの恐怖を与えられるのかすら分からないが、俺にはそれしかできない。
いつでも殺せるようにしながら彼を睨むと、意外にも【言語聴覚士】は嬉しそうに顔をほころばせた。
「も、もちろんです。僕の思いは【死霊術師】様と同じです!! 助けたい人がいるんです。僕はナイクさんが【死霊術師】と知って嬉しかったんです。【槍聖】じゃない、もっともっとヤバい人が僕と同じ目的で動いてるって」
彼はそう熱く語りながら懐から腕輪を二つ取り出した。
「これ拾いました!!」
邪神の腕輪、それは六禁【死霊術師】の贄の証。
それを持っているのは泥濘と、あとはもう死んでるが【死霊魔術師】たち。確かに随伴組織が腕輪をオークションに出すという話が出ていたが、まさかそれを拾ったのだろうか。
彼は躊躇いなくひとつをカチャリと自らの腕にはめた。そしてもう一つをいまだにメメちゃんとイチャイチャしている【歴史学者】の腕にはめる。二人が腕輪をはめた瞬間、俺の腕輪が熱くなって何かがつながった瞬間がした。
「ちょーとー!! バシャバシャ君?! 私はつけるなんていってな……あ、つけます」
振り返った【歴史学者】は一瞬だけ口よどんだあと、熱くなった自らの腕輪に触れて、急に素直になってこくこくと頷いた。ふたりが急いで俺の前に跪く。
そしてまるで何かに縋るようにこちらに目を向けた。
「僕は【言語聴覚士】バシャトゥラミエシャス」
「私、【歴史学者】トマハル・モバハル」
「「私たちふたりは【死霊術師】様の忠実な骨、赭色の死の淵までお供いたします」」
二人に乞われるままに俺は彼らの前に立ち、そのままぺこりと頭を下げた。
「【死霊術師】ナイクです……はじめまして。よろしくお願いいたします」
ぱちぱちと無人の街にメメちゃんの拍手がこだまする。ときおり魔物が空を飛んでいることを除けば物音ひとつしない色違いの街に、甲高い破裂音が虚ろに響いた。
あとがき設定資料集
【言語聴覚士】
※HP 7 MP 4 ATK 4 DEF 5 SPD 2 MG 8
〜僕は魚。泳ぐことを忘れた回遊魚。溺れることも気づかず、揺蕩う今に沈む。苦しさを覚えど水面は遠く、朽ちて底降る雪となる〜
簡易解説:魔術系統の役職。〈読心〉や〈腹話術〉〈万物翻訳〉など言語や心理、医療に関するスキルを多く覚える。




