表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

105/108

第105話 どうやら俺は悪い夢を見ているようだな



 あの奇妙な夢を見てからしばらく経ったある日。

 村に一台の金色に輝く飛行船がやってきた。


 その巨大な影が村役場をすっぽりと覆いつくし、まるで昼に穴をあけたように村中を闇に包む。六大貴族【錬金術師】マルチウェイスター家の家紋を掲げたその船は、まるで重力の影響を受けていないかのようにピタリと集会場の真上に停泊した。


 お貴族様のいきなりの訪来に村人全員が唖然として空を見上げる中、空飛ぶ船からはツタのような触手が生えて錨のように村長の家の煙突に絡みついた。



 船から降りて来たのはリネージュの元パーティである『死手の槍衾』の面々と、彼らに守られるように囲われている黒いヴェールで顔を隠した少女。おそらく彼女がマルチウェイスター家の人間なのだろう、リネージュは少女の姿を見るなり跪いて頭を深々と下げた。


「ようこそ、いらっしゃいました。フリカリルト様」

「お初にお目にかかります。ガンダルシア第25開拓村の皆さま。私は【錬金術師】フリカリルト・ソラシド・マルチウェイスターと申します」

「フリカリルト・ド・レミ・ファ・ソラシド・マルチウェイスター……」


 耳馴染みのある名前に背筋が凍り付く。貴族様を一目見ようと騒めく村人の中で、俺は石のように固まった後、後ろにあとずさりしながら尻もちをついた。


「フリカリルト……なぜ。お前が存在する? あれは全部夢のはず」

「ナ、ナイク?! 君、なにいってるの!?」


 貴族様に対してあまりにも無礼な発言に、リネージュが慌てて俺の口を抑える……が、つぶやきが聞こえたのか、フリカリルトはヴェールの隙間から金色の瞳を輝かせ、こちらをジッと見つめた。



「あなたが【槍聖】ナイク」

「フリカリルト様、申し訳ございません。私の方からよく言いつけておきますのでどうかご容赦ください。一つ訂正させていただきますと彼は【槍聖】ではなく【彫刻家】です」


 村の全員が俺とフリカリルト、そして何とか俺の失言を誤魔化そうとあたふたしているリネージュを見守る。貴族様の、それも六大貴族であるマルチウェイスター家に向かって特大の無礼を働いた俺がどうなるのか誰にも分からず、ただ気まずい沈黙だけが辺りを埋め尽くす。


 まさか処刑?!


 村の皆の心に浮かぶそんな不安を吹き飛ばすようにフリカリルトはニッコリと優しく微笑んだ。



「【彫刻家】ナイク。あなたに依頼があります」



 フリカリルトはそれだけ言い残し手招きするように飛行船の中に戻っていった。そして俺とリネージュのふたりは『死手の槍衾』に指示されるまま、飛行船に連れられ、その『依頼』の内容を聞くこととなった。


「香?」


 飛行船の最上階、薄暗い冒険者ギルドの応接室のようなその部屋は澄んだ香りがして、まるで夢から醒める直前のまどろみのようなそんな独特な心地よさがする。



「香? 逆です」

「逆?」


 フリカリルトの意味深な発言に混乱するも、彼女は俺の質問には答えず一つの大きな箱を取り出した。フリカリルトのツタと鎖が幾重も巻きつけられ、まるで封印されているように厳重に仕舞い込まれている。


「【精霊使い】さん外してもらえるかな」

「フリカリルト様……」

「大丈夫ですよ。女神様に誓って悪いようには致しません」


 ピタッとくっついていたリネージュが少し名残り惜しそうに俺から離れる。心配そうにこちらを見つめながらリネージュが部屋を出ていく。扉が締め切るのを待って、フリカリルトがゆっくりと口を開いた。


「【精霊使い】様に外してもらった理由は他でもないこの御方のことをできるだけ広めたくなかったからです」


 封印されるように厳重に包まれていた箱を開くと、箱の周りの何十もの鎖とツタがはらはらと外れて、そのまま勢いよくひとりでに開いた。

 中から転げ出る小さな影。

 それはどこかで見たような小汚い人形だった。


「これは?」

「この御方はメメ様。悪戯な女神様の【分け御霊】メルメローメメントモリ様です」


 人形はぴょこっと机の上に立ち上がると両手をあげて飛び跳ねた。


「メメちゃんだよ! ナイちゃん、久しぶり!」

「ひ、ひさしぶり?」

「ナイちゃん、メメちゃんのこと忘れたの? ひど!」


 忘れるわけがない、この人形は夢の中で俺に【死霊術師】を与え直し、そのまま一緒にダンジョンに潜ったあの人形だ。だがそれはあくまで夢の話……


「【彫刻家】ナイク。あなたへの依頼はこのメメ様の新しい体を作ることです」

「新規一転にゅーぼでぃ!!」


 メメちゃんがぐりぐりと腰を振って自分のスタイルをアピールすると糸がほつれてポロポロと腹の綿が飛びだした。



「フリフリとアラちゃんに作ってもらった体だけど、そろそろボロボロなのだ! 次はナイちゃんに作って欲しいのだ!!」

「な、なにを言っているんだ? そんな……恐れ多い……どうして俺なんですか?」



 いきなりの提案の意図が理解できずに困惑する俺を前にフリカリルトとメメちゃんは意味ありげにジッとこちらを見つめた。

 


 あまりにも唐突で現実離れした光景。

 昨日まで普通の日常を歩んでいた俺に対して六大貴族と神の分霊が訪ねてくるなんてもはや夢物語のようで、それだけに悪い予感がした。



「賢いナイちゃんならもう気が付いてるはずなのだ。ナイちゃんの正体は【死霊術師】。ここは幻の中で、ナイちゃんが夢だと思っている世界こそ本当の現実。ナイちゃんはダンジョンの幻術に囚われてるの」


 幻術……

 メメちゃんの言葉の真偽を確かめるべくフリカリルトの方を見つめると彼女はその言葉を証明するように不自然なほど静かにこちらをみつめているだけだった。


「フリカリルト。これはいったいどうなっているんだ?」


 フリカリルトの前で手で振るも彼女は目の前のメメちゃんより人形のような生気のない顔のまま微動だすることはなかった。


「何とか言えよフリカリルト!」

「違うよナイちゃん。これは本物のフリフリじゃない。メメちゃんはひとりでここに来たんだよ。どれだけ精巧に作ってもここは妄想の世界。ナイちゃんがナイちゃんのために生み出した、ナイちゃんに都合のいいだけの夢ぞ。このフリフリは、フリフリ顔をしたただのハリボテなのだ」



 メメちゃんがコツンとフリカリルトの頭を蹴ると、フリカリルトはまるで魂を失った死体のようにその場に崩れ落ちた。


「現実に戻ろうよ。ナイちゃん。いや【死霊術師】ナイク」


 メメちゃんがまるで誘うようにこちらに手を伸ばす。その手を取ればきっと今の現実がすべて書き換わってしまうそんな予感のする神の手のひら。ここが幻術ならおそらく完璧に抜け出すことができるであろう。


 その手を、

 俺は弾き飛ばした。


「うるさい!! ここが幻術だとしても俺は今幸せなんだ!! その……カスみたいな現実よりずっと! 俺は、俺の、この幸せに浸らせてくれよ!」

「ナイちゃん……これがナイちゃんの望んだ未来なの?」


 メメちゃんが顔の糸を歪ませ、見たことがない顔をした。

 人形の表情など分からないが悲しい顔をしているのだけは伝わった。

 


「見ろ俺を。欲に堕ち、怠惰にまみれ、自己愛に満ちた俺を。仮に俺が【死霊術師】だったとして、今の俺より満足できるのか? ここは最高だ。困ったら頼ってくる弱い村人、児戯のように簡単に殺せる脆弱な敵。毎日抱いても飽きることがない美しい妻までいる。俺はまさに小さな村の村一番の戦士。夢も未来も甲斐性もないどこに出しても恥ずかしくないしょうもない男だ。夢はここにあった。ここにいれば俺は『普通になる』なんて永遠に満たされることのない夢を追う必要もないんだ」

「でも……現実の方が楽しいよ。なにが起きるか分からなくて、不思議でいっぱいな現実の方が……」

「ないな。たとえ妄想でも、俺は俺の幸せのために生きる。凡人なんだ」


 メメちゃん、そして糸が切れたように動かないフリカリルトのハリボテから背を向け走って逃げだす。


「ナイちゃん……まって」



 メメちゃんの制止を振り切って飛行船を飛び降り、無様に村を駆けた。



「違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う」



 違和感。

 この世界の何もかもが矛盾しているような気持ち悪さ。

 

 なぜ夢で出会っただけの人たちが現実に存在する?

 しかも彼らがこんな俺のことを知っている?


 夢が現実に侵食してくる。


「俺は【彫刻家】だ。そうだろ?」


 思わず話しかけた小石たちはフルフルと首を横に振った。


『しれいじゅつし』

『さいきょうさいあく』

『六禁』

『【死霊術師】ナイク』


「黙れ! 黙れ! 黙れ! 黙れ! 石ころども!」


 メメちゃんの言う通り、目に映るすべてのものがハリボテで、まるであの夢が現実で、この現実の方が夢のほうだと囁いているような気がした。



 ボロボロの聖堂を駆け抜け、、

 血でべったりの井戸を通り過ぎる。



 懐かしの我が家に飛び込む。バタンと大きな音を立てて勢いよく扉が閉まり、中にいたリネージュがビクンと跳ねた。


「あれ? フリカリルト様の依頼どうなったの?」

「リネージュ……違うんだ。アレは受けなくていい。受けなくていい仕事だった」

「そう」



 リネージュは優しく俺を抱きしめ、そして千切れるほど本気で腕をつねった。


「そんなわけないだろ。フリカリルト様の依頼じゃん。なにがあったの?」


 つねられた腕は赤くはれて、ここが夢ではないと証明してくれているようであった。


「夢じゃない。夢じゃないよな」

「頭どうかしたの?」

「リネージュ……俺は普通だよな。普通の、この村の誰よりも平凡でしょうもない男」



 縋るような問いに対し、意外にもリネージュは呆れたように大きく首を横に振り酷く大きなため息をついた。


「はぁ? 平凡でつまらない男をこの私が好きになるわけないでしょ。お兄ちゃん」

「泥濘……お前まで」



 嘘だ。

 こんなのあり得ない。



「駄目だ」


 どれほど言葉で自分を納得させようとしても違和感が消えない。

 生まれた疑念が頭を支配して甘い妄想に浸ることができない。


「俺は普通なんだ」


 明日も平凡でつまらない人生に歩むためにはこの違和感は否定しないといけない。

 俺が納得して幸せに浸るために!!



「証明してやる。この世界が現実だと」

「どうやって?」

「リネージュ見てろ」

 


 もしこの現実が幻覚なら、

 夢から醒める一番簡単で確実な方法は、死の実感!


 落下死、溺死、爆死、轢死、圧死、病死、餓死、衰弱死、焼死、凍死、感電死、転落死、窒息死、饗死、狂死、過労死、切断死、枯死、老衰死、感染死、安楽死などなど。不思議なもので夢の中で死を実感した瞬間、人の脳は夢想をやめ必ず現実に返ってくる。

 

 

 生物としての本能が幻覚を吹き飛ばすのだろう。

 幸せも、痛みも、快楽もかなぐり捨てて、ただ死を拒絶するために。



「俺は普通の【彫刻家】ナイクだ」



 俺は〈彫刻〉用の短槍を自分の胸に指を突き立て、胸肉を剥ぎ取った。刺し殺されるような鋭痛と共にバキバキと音を立てて肋骨が折れて胸の中身が露出する。痛く冷たい空気がへし折れた肋骨の断面を削り、しぼんで二度と空気の入らなくなった肺の外側を撫でる。

 

 ざらつく死の実感。

 生の俺の剥き出しの命。

 


 俺はそのまま脈打つ自らの心臓を握りつぶした。













 夢から覚醒した俺の目の前に小型の竜がいた。

 ぱっくり横に開いた鰐口と魚の鰭のような巨大な翼。






「あ゛!!」





 喉に〈歌唱力強化〉を重ねがけして、頭痛がするほどの大声をあげて竜を威嚇する。微かに開いた鰐口の中に、引き千切った自らの右手を投げ込んだ。



 〈纏骸〉雅殖孤蟲



 竜の口の中で右手が溶けて、無数の俺がその体を喰らいつくす。


「驕輔≧、蜉ゥ縺代※」


 断末に悶える竜の絶叫が、次第にかすれていく。最期にはその声は穴だらけになった喉から漏れる腑抜けた風となり、それから数秒もしないうちの竜の体は完全に腐り落ち、ドロドロの溶解液の塊となって死んだ。


 腐臭まき散らしながら崩れた竜だったものから手を回収しながら俺はその場に立ち尽くした。



「全部夢か……」

 

 すべて俺の妄想。


 思い出してきた。

 俺はダンジョンに入った途端、紫の霧に飲み込まれたんだ。

 ここはダンジョンの中。魔王ダンジョン、蹄の狭間の第一階層。


 それにも関わらず周囲には先ほどの竜を除いて他の敵はいないようだった。それどころか一緒にいた肉餌たちの姿すらない。



「皆殺されたか? そもそもここは?」


 そこはまるでマルチウェイスターの街の工房のような場所だった。影と光を逆転させたような薄明るい室内で、残された竜の死骸が、酷い腐臭をまき散らす肉染みとなっている。色彩が狂っていることを除けばよくある街の風景。


「目がちかちかする」


 この竜は幻覚の原因ではないのだろう。おそらく幻覚で倒れた俺たちを処理するための雑兵。

 たったひとすいで甘い甘い幻覚に堕ちる信じられないほど凶悪な毒の霧の発生源は……もしかしたら魔王本人かもしれない。


 毒ね……



「あ!! ナイちゃん!!」



 工房の入り口を蹴り破り、這い出た先にいたのは血と臓物でベッタベタになった小汚い人形と、幾人分の人の残骸だった。



「ナイちゃんなら還ってくると思ってた!」

「メメちゃん……世話になったな。肉餌たちは?」


 メメちゃんがそっと転がる残骸を指さす。


「みんな死んじゃった……メメちゃんじゃ幻覚から掬い上げられなかった。みんなおかしくなって……最期はボカン」


 爆発した【爆弾魔】に処理役の魔物もろとも巻き込まれたのだろう、散らばる内臓には人にはない器官もある。ひき肉となった()人分の遺体を〈死体修復〉で元の状態に戻す。


「死霊も……いないようだな」

「ここは女神の地じゃないからね。死んじゃったら還れないよ。ダンジョンにたべられちゃった」

「最悪だ。想像以上に」

「そうだよ。想像以上。それこそが現実の証明だにょ! ここが現実なのだ」

「どうやら俺は随分と悪い夢を見ていたみたいだな」


 メメちゃんがほつれた体でぴょこんとはねた。


「おかえり、ナイちゃん。最高の現実を楽しんでいこー」

「悪い夢を見ているのは今の方か」

「ナイちゃん!! 叶わぬ夢こそ人生を彩る最高のスパイスぞ!!」


 メメちゃんが俺の肩に飛び乗って慰めるようにポンポンと頭を叩いた。


「うるさいな、叶わないって決めつけるなよ。クソ女神」

「ほにょ?! ナイちゃんが言ったんだよ?」

「夢の中で言ったことなんて覚えてないな」

「ナ……ナイちゃん。いいわけ下手」

「行くぞ。他の生き残りと合流しよう」

「にょ!!」




 ダンジョン突入からΣ173時間。第一階層探索開始。






あとがき設定資料集


【露出魔】

※HP 4 MP 3 ATK 8 DEF 8 SPD 7 MG 0

〜裸の鳥は太陽に向かってはばたいた。羽根のない翼をはためかせ、誰よりも高く大空をかけた。裸の鳥は光に焦がれた。肉が焼け、骨が割れてもそれでも彼は高く高く飛んだ。裸の鳥は光に堕ちた。消えカスひとつ残すことなく、ただ歌声だけが空に響いた〜


簡易解説:戦士系統の役職。〈露出度〉という外気に触れる肌面積に応じて様々な身体強化を得る特殊なスキルを持つ。全裸の(または陰部のみを露出した)露出魔は非常に強力。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
爆死の伏線回収早すぎぃ!
ありゃりゃ、魂も食べらちゃうのか…
ヒャッハー!くそったれこそ現実なのだー! 更新本当にありがとうございます!これからも楽しみにしています!!
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ