第104話 どうやら俺は悪い夢を見ていたようだ
「もう昼だけど、そろそろ起きたら?」
あからさまに不機嫌な声が耳元で響き、つんのめるように顔面を地面に叩きつけられた。鼻にを潰されたような冷たい痛みに震えながら、寝惚けた眼で振り返ると、深紅の瞳の美しい女が上から俺を見下ろしていた。
陶磁器よりも、大理石よりも白い肌。深井戸の底よりも、新月の夜よりも漆黒の髪。女神が完璧に計算して生み出したような、美しく同時になまめかしくもある完璧なプロモーション。まるで女神が舞い降りたような、人とは思えない異様な美しさのその女はうだるそげに倒れている俺の足を蹴った。
「痛ってぇな、泥濘」
思わず口から洩れた言葉。言葉を発した自分でも意味の分からない戯言だったが、何かを誤解したのかリネージュの顔がまるで【鬼人】の様に歪んだ。
「デイネイ? 誰それ? 女?」
肌をそよ風が流れる感触がして、リネージュの指にマナが集まる。
「君、浮気?」
「違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う、浮気なんてするわけないだろ。こんな気が狂うほど美人な妹がいるのに」
「い……妹? そういうのが趣味なの? うえぇ……キッショ」
リネージュがべぇっと舌を出した一瞬の間。彼女に見惚れてしまった一瞬の虚を突く様に彼女の手から〈バレット〉放たれた。視界を埋め尽くすほどの大量の〈バレット〉を一つずつ丁寧に横手で撫でて逸らす。
それた〈バレット〉たちが我が家の扉を吹き飛ばす。産まれてから今日まで21年間、どんな嵐にも耐えてきた我が家の扉が無残に吹き飛ぶのをみて唖然としながらも、俺は俺の些細な失言にぶち切れている妻の機嫌を取るべく苦笑いした。
「ネージュ。勘違いだ」
「勘違いなわけない。はっきり聞いた。ナイク。今、私を誰と間違えた?」
外れた〈バレット〉に舌打ちして、リネージュが再度手を構える。俺はこれ以上家を破壊されないようリネージュの腕を優しく絡めとり、そして彼女の指にキスをした。
目の前に浮かぶマナの塊。
リネージュにもう一度〈バレット〉を撃たれれば頭が吹き飛ぶ位置。
感じる恐怖を抑えつけてリネージュの美しい瞳を見つめた。
「そうじゃない。他の女と間違えるわけないだろ。俺はお前の虜だ。今のは……寝惚けてたんだ。夢の中でネージュは泥濘って名前で、俺の妹だったんだよ」
「はぁ? そういうつまんない言い訳いいから」
「本当だって! 夢では俺が【死霊術師】で、ネージュが【魔物使い】、場所はここじゃなくてお前の故郷のマルチウェイスター。錬金都市のことなんてお前の話でしか知らないけど……女神様に誓っていい」
リネージュに今まで見ていた不思議な夢の話を伝える。あまりに非現実的な冒険活劇で、口にするのも少しこっぱずかしい夢。
夢の中の俺は六禁【死霊術師】だった。存在することすら許されない最悪最恐の犯罪役職。そして俺は役職の名の通りの死神で、目の前の敵をすべて縊り、時に冷静に、時に命がけで、標的を殺していっていた。すべてはたったひとつの目標のため。ただ普通になるために。
夢の中の俺は真に異常だった。六禁【死霊術師】を捨て、普通になってネージュとふたりで穏やかに生きるというあまりにも似合わない目標のためにどんな敵にも恐れることなく槍を突きたてた。
目的のために手段を選ばない男が、目的のためでも手段を選んでしまう普通の男になるために、手段を選ばず考えなしに突き進む。
すべてがちぐはぐな狂人。
でも……
「夢の俺と現実の俺は全然違うけど、たったひとつの共通点がある。ネージュのため……俺はネージュのためならなんでもする。夢の中の俺も立場もプライドも捨てて命がけでお前のために戦うんだ」
なんとか機嫌を治してもらおうとした俺の告白にもリネージュは顔色一つ変えることなく、逆にあきれたように大きく首を振った。
「まずこの私が【魔物使い】? 馬鹿にしてるの? 私は【精霊使い】!! せ・い・れ・い」
「もちろん知って……」
「それに妹って何? 一応私の方が少しお姉さんだから。神託も早いし」
「それは誤差だろ……」
「ほーら認めた! 誤差でもなんでも私がお姉さん!! はい。復唱」
リネージュが手を叩いて俺に復唱を促す。どうやら俺が口走ったデイネイというのが自分のことだと分かって多少は機嫌が治ったようだ。いまだに眉間にしわはよっているが問答無用で扉を吹き飛ばした先ほどまでとは違いスキルを使って攻撃してくるようなことはない。
「復唱! リネーお姉様!」
「り、リネーお姉様」
「よろしい。で? 夢の中の君は妹に毎晩毎晩欲情するド変態ってわけだ。マジでキモチ悪……」
リネージュが心底嫌そうに目を細める。
軽蔑した顔すら美しい彼女に見惚れて返事を忘れていると、リネージュは呆れたようにもう一度俺の足を蹴った。
「あれだ。妹っていっても、墨子だったネージュを俺が買って妹にしただけで実の妹ではないんだ。えーと、分かりやすく説明すると俺は【死霊術師】だけど冒険者で……」
「まだいう? もういいって。それにしても六禁【死霊術師】って……バッカバカし。そういうのは神託前に卒業してよ。聞いてるこっちが恥ずかしくなるから。君はナイク。【彫刻家】ナイク。話し戻すけど村長様に頼まれてた石門番まだできてないでしょ。さっき【庭師】君が取りに来て、それ見て頭抱えてたわよ」
リネージュが庭に置いてある大理石の塊を指さす。扉が吹き飛んだお陰で庭の様子はよく見えた。
「あー、石門番……そんなのあったな。何もしてねぇや。完全に忘れてた。悪い」
「わ、忘れてた?! 君の仕事だろ!! ほんと……なんで私こんなしょうもないやつと結婚することになっちゃったんだろ。私もレビ達と一緒にマルチウェイスターに帰ればよかった」
そう吐き捨てたリネージュがこれ見よがしにため息をついて、買い物にいくとだけいってこの掘っ立て小屋のような家を出ていった。
「俺はナイク。【彫刻家】ナイク……」
そうだ。俺は【彫刻家】、ここガンダルシア直轄領第25開拓村の【彫刻家】ナイクだ。レベルは72。神託からまだ3年経っていないが一応この村で最強の戦士をやらしてもらっている。(戦士系統ではないけど)
両親はすでに女神に還っているので、今は妻とのふたり暮らし。
自分でいうのもなんだが本当に順風満帆な人生を送っていると思う。悩みという悩みもない。強いて言えば最近少し寝不足なことくらいだ。
妻である彼女、【精霊使い】リネージュ・ネクロスとの出会いは丁度1年前、彼女の冒険者パーティ『死手の槍襖』の追っていた獲物を俺が横取りしてしまったのがはじまりだった。
マルチウェイスターの辺境のダンジョンから逃げ出してきた【沼蝦蟇】の竜種。リネージュたちはマルチウェイスター家直々の命を受け、とあるダンジョンのコアだったレベル135の超強力なその竜を追いつづけ、そしてここガンダルシアでついに竜を追い詰めることに成功した。
彼女のパーティメンバーがまさしく竜の心臓を貫こうとしたその瞬間、たまたまそこに仕掛けていた俺の〈彫刻〉が先に竜の頭蓋を叩きつぶし、俺が討伐者になった。はからずも莫大な経験値を得てしまった俺は、そのことを咎めて決闘を申し込んできた【槍聖】を圧倒的なレベル差を持ってして叩きつぶし、勝利の対価として分け前までかすめ取った。
まぁ本当のところはたまたまというのは大嘘で、俺は彼らがかの竜と何度も戦い手傷を負わせ、弱らせてこの土地まで追い詰めたという事実に気が付いた上で偶然を装ってとどめの一撃を奪ったのだが、正直に話してしまうと本当に殺されかねなかったのでたまたまということで押し通し、お詫びに村で歓迎するという条件でその場は許してもらったのだった。
それから色々あったが、結論だけいうとリネージュと俺は恋仲となり、他のパーティメンバーがマルチウェイスターの街に帰る中、リネージュだけがここガンダルシアに残ったのだ。
吹き飛んだ扉の残骸をくぐり、石門番の〈彫刻〉のイメージを確立させるため、ジッと大理石を見つめる。大理石はうにょうにょと形を変えながら幼子のような声で囁いた。
『あっ、ないくこっちみた』
「お前はどんな姿になりたいんだ?」
『ないく! おきて! はやく、おきて!』
「だからもう起きてる」
『おきてない。すやすや。いいゆめみてる』
「なりたい姿を教えてくれ」
『おねんねしてるのー』
いつもならすぐになりたい姿を教えてくれるのだが、この大理石は随分と天真爛漫なやつのようで俺がまだ寝ていると勘違いしているようだった。
『ね。みんなもそうおもうでしょ!』
大理石の塊が周りの小石たちに話しかけると、庭に散らばる小石たちは一斉に跳ねて大理石の言葉を肯定した。
『おもう』
『すやすや』
『すやぁ』
『すやすやしてる』
『おきなさい』
『おねんねしてる』
「だいぶ意味わからないな、明日にするか」
石たちが大合唱するように俺のことを『お寝坊さん』と呼ぶのに嫌気がさして俺も庭を後にする。リネージュが行ったであろう村の寄合場に向かうと、リネージュは俺の幼馴染である【予言者】ナシャータと一緒に野菜を選んでいた。
「っていうかー」
リネージュは見たことないほど上機嫌につんつんと【予言者】の脇腹をつついて、ニッコリと微笑んでいる。何の話をしているのか気になって反射的に自分の気配を〈隠匿〉した。
「夢の中でも私のこと必死に囲ってるとか、ナイクって私のこと好きすぎー。ナジャっちもそう思うよねー」
「ナイクのつくる彫刻も【精霊使い】様モチーフにしたものばかりですものね」
「あれ、ほんと恥ずかしいんだけど」
どうやらリネージュは夢の話を【予言者】にも包み隠さず話したようだ。小さい田舎村だ。こうなってしまえば三日もしないうちに全員に知られる。娯楽の少ないこんな村で、自分のことを【死霊術師】と名乗る馬鹿がでたと聞いて飛びつかない村人はいない。しばらくは皆からからかわれるだろう。
からかわれる前からウンザリしてため息をついていると、【予言者】はそんな俺の気持ちを察したのか少しだけ優しく微笑んでリネージュに頭を下げた。
「【死霊術師】ではないですけどナイクはあれでもうちの村で最強なんですよ。ご容赦くださいね。【精霊使い】様」
「ナイクが嫌がる未来でも見えた?」
「そんなところです」
「ふーん。まぁみっともなさすぎてちょっと可愛いからギリ許容かなー。ナジャっちも忘れないでね。あれは私の奴隷だから」
リネージュが不敵で傲慢な笑みを【予言者】に向ける。彼女は一瞬キョトンとしたあと、面白そうに噴き出した。
「そんなに牽制しなくても【精霊使い】様に勝てる女はガンダルシア広しといえど数人もいないと思いますよ」
「そう?」
「準貴族のお嬢様は格が違うねってみんないってるんですから」
満面の笑みでころころと笑うふたりをしばらく眺めた後、俺は仕事せずにぶらついていたのをリネージュにバレないように彼女が帰り支度をする前にそそくさと家に戻った。
今日一日ずっと考えていたがどうやら俺は悪い夢を見ていたようだ。
あまりにリアルな夢で何が夢なのか何が現実なのかよくわからなくなっていたが冷静に考えれば当たり前だ。
俺は【死霊術師】ではなく、【彫刻家】だ。
夢の中の俺と違い、現実の俺は父の望んだ人を愛せる普通の男。
星が巡るような偶然で、信じられないほど美しい妻を手に入れて、毎晩その悦びに拘泥するしょうもない男だ。
六禁【死霊術師】になるなんてこと、百万回生まれ変わってもあり得ない。
「ネージュ……愛してる」
村中が寝静まり、街灯の明りひとつない深夜。まるで果物のように甘いリネージュの純白の肌に舌を這わすと、リネージュ少しくすぐったそうに身悶えした。
「本当にしょうもない男…………」
そうだ。俺はしょうもない男だ。
「う・そ」
リネージュはまるで、雨上がりの泥濘のように濁った瞳で俺を見つめた。深淵の様に昏い闇の中に鮮血のような赫が浮かぶ。
「そろそろ起きたら? お兄ちゃん」
あとがき設定資料集
【取立人】
※HP 7 MP 8 ATK 7 DEF 0 SPD 8 MG 0
〜借りたお金は返すもの。たとえ払えるものがあらずとも、この取立人が責任を持って取り返してみせましょう〜
簡易解説:どの系統にも属さない特殊な役職。貸し借りの関係性を具現化する〈賃貸契約開示〉と、〈賃貸契約開示〉によって具現化した貸し借りを強制的に解消させる〈取立〉というスキルをもつ。〈取立〉のやり方によって様々なことができる非常に強力な役職。教会の定める犯罪役職。




