託された想いに、精一杯の頑張りを
それは、突然の出来事だった。
いきなり、強く俺の手を握りしめたかと思ったら、彼女___ヨネルは、突然涙をボロボロと流し始めた。
「えっ…?いや、その、どうして?」
「えぐっ、えぐっ!ネルさん……いかないでぇ!うわぁーーーーーん!」
え、なんで。俺、もしかして手握るの強かったとか?そんなこと言われても、俺大して握ってないし、泣かれるほどのことじゃないと思うんだ。
「ちょっと、一体どうしたのよ!?」
他のシスターさんたちがなだめようとするも、ヨネルは一向に俺を離さずに泣きわめいていた。
彼女は、ずっとうわごとのように俺に半ば抱き着きながら
「離れない、一人にさせない、もう二度と離れ離れにならない……」
といったようなことを呟いていた。
「ちょ、ちょっと!?ヨネル、あんたの仕事場はここであって勇者様のもとじゃないんだよ!」
「そうだよ!まだまだ仕事もあるんだし、あんただって根っからのシスターなんじゃないの!?」
「うるさい!失うことが何よりも辛いってことを、あんたたちが知らないだけだ!」
他のシスターの声も払いのけ、尚も彼女は俺にしがみついていた。
まるで、大切な人と別れるときの子供のようで。その姿が、ただならぬ事情が生まれたのではと思わせた。
「ヨネルさん、ちょっと落ち着いて!」
「行かないで!ねぇ……お願い……」
「わかった。行かない。行かないから、落ち着いて聞いて」
「やだ……あなたは、何にも悪くないのに……」
そう呟いた瞬間。彼女は、糸が切れたようにパタリと倒れ、気を失ってしまった。
「……あの、勇者様?」
「……」
「えっと……お茶。ここに置いておきますからね」
「……」
あれから1時間。彼女は未だぐったりと寝ていた。
あの必死さ。一体何があって、彼女がああなったのかはわからないし、そもそも、俺のせいなのかもわかりはしない。もしかしたら、俺じゃなくってムカゼかモモイと離れるのが嫌だったのかもしれない。
でも少なくとも。俺は彼女を心配しているし、その気持ちに背くことはできなかった。
「……ヨネルさん、大丈夫かな……」
「……んぅ……」
俺が彼女を心配していると、彼女は目を覚ました。
「ヨネルさん!大丈夫ですか?」
「……今は……ネルさんは、今頃……」
「え?ヨネルさん、大丈夫。俺はここにいますよ」
そういうと、彼女ははっとした目をして。次いでまた、目から涙を流した。
「ネルさん……?どうして、ここに……?」
「ヨネルさん。君はさっき気を失って、今は教会のベッドで眠らせていた最中だよ」
「そう……だったんですね……」
彼女はそういうと、うつむき、申し訳ないといった顔をしていた。
きっと彼女のことだ。大方、俺らの出発を邪魔して足止めさせたことに後ろめたさを感じでもしているんだろう。
「……その、すみませんでした。あなたの足止めをしてしまって……ただのシスターってだけなのに、皆様に迷惑をおかけして……」
「いや、いいよ。それに、迷惑だとは……」
「いえ。わたしは、ダメダメです。他のシスターの子にいっぱい迷惑をかけて、ネルさんたちにだって迷惑をかけて。あなたたちの旅に、私は口出す権利なんてないのに……」
肩を震わせ。拳を握って。でも、涙をこらえて。彼女は、自分を卑下していた。
正直、やめてほしかった。もうしゃべらないでほしかった。
だって、卑下なんてそんなこと、俺は……。
「……あのヨネルさん俺……!」
「大変だぁぁぁぁぁぁ!ま、街にゴブリンの大群が押し寄せてきたぞー!」
俺が彼女に言いたいことを伝えようとした瞬間。そんな一報が教会を震わせた。
「いやぁぁぁぁ!」
「来るな、来るなぁ!」
「ゴルルルルル……」
すでに奥まで来ていたゴブリンの群れは、街を好き勝手に蹂躙していた。
血しぶきが飛び散り、物陰には、見たくもない生々しい行為が行われていたりしていた。
「ゴブリン…!好き勝手させるか!」
既に前線ではモモイとムカゼが戦っていた。そこに飛びいるように、俺は戦闘に身を投じた。
私は、怖かった。
彼から伝わったあの記憶。それは、とても膨大で。とても辛くて。それを彼に話すのが怖くって。
だからこそ、彼の邪魔をしてはいけないって思った。彼なら、そんな困難乗り越えると思った。
でも……。
「モモイ!指一本ゴブリンに触れさせるな!ムカゼ!魔法で一般人を隔離しろ!他の冒険者と傭兵たちも無理のない範囲で善戦しろ!穴は俺たちで埋める!!!」
自分だって、守るのに必死なのに。ああして周りに指示を出して。さりげなく、他の人のアシストもして。まるで、私のその心配は杞憂だったみたいに。
「くっそ、敵が全く減ってる気がしねぇ……」
「ネル!避難は完了した!いつでも吹き飛ばせる!」
「わかった。準備しててくれ!時間は俺らで稼ぐ!」
……もしかしたら。
あれは、彼が私に伝えた記憶で。そしてその意図は、あの悲劇の未来を変えるために。私に教えてくれたものなのかもしれない。
ずっと、弱虫で、臆病で、誰にも必要とされなかった私に。彼は、託してくれたのかもしれない。
「……応えなきゃ」
そう、思った。
応えなきゃ。彼の期待に。何より、私自身の心に。応えなきゃいけない。
「っらぁ!くっそほんと次から次へと……勝機がまるで見えてこねぇ!」
「あとちょっと……ムカゼの魔法が完成するまで、私たちで……あっ!」
モモイの声につられ、思わず振り向くと、ゴブリンの投げた斧が詠唱をしているムカゼの頭上へと飛んで入ってしまった。
「ま、ずい!」
俺も手いっぱいで、間に合いそうにねぇ!
モモイも、他の冒険者たちも。助けに迎えるようなタイミングではなかった。
ぶんぶんと回りながら、斧はムカゼの下へと迫っていく。
「くっ……!まずい、避けろムカゼ!」
「“大自然の力を”……っ!やっば!」
もうだめだ。放物線が、ムカゼの額へと……!
「あ、ああああああああ!」
そう思った瞬間。大声を上げ、盾のようなものを持ったヨネルさんが、ムカゼの前に立ちふさがり、斧の軌道をずらした。
「えっ!?よ、ヨネルさん!くそっ、どけ!」
迫ってきていたゴブリンを斬り捨て、俺は座り込んでいるヨネルさんに駆け寄った。
持っていた盾は木っ端みじん。壊れる瞬間、盾を斜めに弾いたことで斧が当たらずに済んだんだろう。
「ヨネルさん!あんた、もう少しで……!」
「ネルさん!」
俺の言葉をさえぎって、ヨネルさんは俺の名前を呼んだ。
次いで、ヨネルさんは俺の目を真っすぐ見て。決意を固めて声で
「私も……私も、戦います!」
といった。
「戦っ……なんて言っても、ヨネルさんを危険にさらすわけには……」
「……託されたんです、私」
「え?」
託された……?一体、何を、誰に……?
「託されたんです。あなたを、これ以上一人にはさせないって。もう二度とあんな悲劇を起こさせちゃいけないんだって!託されたんです。だから……」
彼女は、そこに落ちていた棍棒を拾って、その先でゴブリンの行進の方向を指した。
「観ててください!私は、あなたたちを助けて。この世界を救って。そして、あなたがもう泣かないでいいような未来を!私が!助けるんです!」
その言葉をしゃべる彼女の顔に。あのおどおどしていた態度はなく。ただひたすらに、自身の理想を押し通さんとする気概が見えた。
「だから……あなたたちは邪魔です!目障りです!今すぐに、消えてください!」
彼女がそう叫んだ瞬間。手に持っていた棍棒は、光に包まれ、やがてそれは、街を軽々と潰せるほどのデカい棍棒になった。
「な、んだこれ!」
「ちょ、僕の魔法……!」
「消え去れええええええええええええええええええええええ!」
大きく振りかぶってフルスイングをした。その光は、ゴブリン達のみを吹き飛ばし、俺らには一切の害がなかった。
……いや、訂正しよう。
「…………え?」
「うっそ……」
「なんだこヴっ!」
「ゴスッ!」という鈍い音の後に続いて、「あ」と細い声でヨネルさんが呟いた。
振り向けば、その短い棍棒の実体は、運悪く真後ろにいたムカゼの脇腹を振りぬいていた。
「っヴっ……オエっ……」
「ムカゼさん……あれ?なんか、い、しきが……」
その言葉を最後に、糸が切れたように倒れたヨネルさんと、脇腹を抑え悶絶するムカゼ。
そこにいたみんなは、これが本当に街を救ったのかと迷いながら、勝利の雄叫びを上げているように見えた。
暦560年 王都ファステムで起こったゴブリン襲撃事件。
死者 49人 内一般人 49人
重軽傷者 78人 内一般人 39人
この出来事は後に、第十代目勇者 ネル・レルキナーゼの武勇伝の序章として語り継がれることとなる。