勇者ネルと聖女ヨネル
この世界は、簡単な善悪に仕切られている。
世界を脅かす種族「魔族」と、それを統べる「魔王」がいる。
そしてそれに対抗するように、人間は人類の一人を選定し「勇者」として定める。
魔王という悪と、勇者という善。二つに仕切られたこの世界は、何とも単純で、難しいことがない楽な世界だった。
そうして均衡を保った世界は、今日もまた、これまで通り潤滑に進んだ。
「王政より伝達。主文、ネル・レルキナーゼは、今世紀の勇者として選出されたので、直ちに王宮へ赴くこと」
そう。勇者はもう選ばれた。
この男、ネル・レルキナーゼに。
王政より、勇者任命の一報が入った。
それは、俺がこの世界の英雄になることを示唆していて。だからこそ、両親も家族も友人も全員が喜んだ。
ここ10世紀にわたり、勇者と魔王の戦いは、常に勇者が勝ち続けてきた。
だからこそ。勇者という仕事は、いわば勝ち役職。大金と名声を、たった数年で手に入れられる。それが、この世界における勇者の認識だ。
「ネル!あんたは一族の誇りだよ!本当に……ありがとう……」
「母さん……うん…うん!やった……やったよ!お母さん!!!!」
勇者に選ばれた俺は、今世紀で、一番の英雄になることが出来る。それが、きっと想像できないほど、俺たちは喜んだ。
そこからは、とんとん拍子だった。
王宮で、簡単な創りの片手剣と、木製の盾。そして、資金と称して3万の金を握り占めさせられ、もし魔王を討伐した暁にはと、視界を覆いつくすほどの財を提示された。
そして、まずはこのあたりで魔物退治をすると、戦闘経験と仲間が手に入るだろうと言われたので、そうすることにした。
「勇者様~!」
「勇者様頑張ってくれ~!」
ちょっとした凱旋もしてくれ、周りに住む国民からこのようにもてはやされる。そりゃそうだ。この勇者が生まれる瞬間なんて、一生に一度出会えるかどうかの一大イベントなのだから。
もはや、勇者というのは一種の芸能師のようなものになっている。
とりあえず、最初に向かう場所はこの町にある教会だ。
教会の手続きを行い、サービスの無償化の手続きを済ませるためだ。
ガチャガチャとぶつかる装備を持ちながら、教会への道のりを向かった。
「すみませ~ん。勇者なんですけど、手続きに来ました!」
大声で教会の中に問いかけると、その声は大きく反響して響いた。その声に中の人を驚かせてしまったのか、奥の方から大きな物音と「キャッ!」という悲鳴が聞こえてきた。
「え?あ、あの!大丈夫ですか!?」
「は、はいぃ~……ただいまぁ…」
大丈夫に聞こえねぇ……。
とりあえず、なんか助けが必要そうだから行ってみるか。
音の方へ向かうと、そこにはせっせと割れた皿を片付けているシスターを発見した。
……いや、指めっちゃ切ってる!!?
「ちょっ、君、指血だらけじゃないか!」
「ふぇ?ふわぁぁぁぁ!す、すすすすみませっ!ごめんなさい!お見苦しい姿見せてしまって……」
「見苦しいとかじゃなくて。まず君の怪我をどうにかしないとでしょ!ほら、手貸して!」
俺は彼女の手を取り、切れているところがどこかを確認した。指先を主にして、かなりの箇所が切れていた。
「うわぁ……何したらこんなに……とりあえず、応急処置だけするから」
「えっ……と……」
「えっとじゃない。ほら、じっとしててね」
そう言って俺は、持ち物からすり鉢と真水、薬草と包帯を取り出した。
すり鉢で薬草をすり、真水を入れて即席の回復薬を作ったら、包帯にそれを染み込ませて、手にぐるりと巻き付けた。
「二時間したら、これで傷は治ってるはずだよ。それまでは、ちゃんと着けているように。いいね?」
「あ……はい、わかりました」
「それと、こういう危ないものは、ちゃんと他の人も頼って片付けるように。じゃないと、けがした時に助けられないからね」
彼女にそう忠告しながら、皿の破片を袋に詰め込み、俺は彼女に渡した。
「あ、ありがとうございます……」
「いや、お礼はいいよ。ていうか、そういや君以外のシスターさんは?」
思えば、あれだけ大きな物音がしたのにもかかわらず、他のシスターさんを見かけなかった。なにか、どっかでしているのだろうか。
「あ、大したことじゃなくて……。きっと、今頃勇者様のお迎えに向かっているはずです」
「え、お迎え?じゃあ、君は?」
「えっと、お恥ずかしながら、私はシスターの中で一番の新人なんですけど、他の新人の子にお留守番、押し付けられちゃって……」
なんということだ。あ、いや。彼女が残されてるのもそうだが、まさかお迎えなるものがあったとは。
きっと、大勢のシスターさんに囲まれて「勇者様~」などと言われてそのデカいモノを押し付けたりされるのだろうか。想像しただけで、惜しいことをしたものだと思う。
「……それは、その、災難だったな」
「あ、いえ。慣れてるので。それに、私なんかが行っても、どうせ勇者様は他のかわいくて、おっきい子に目移りしますしね……」
「……」
慣れている、ということは多分、前にも似たようなというレベルじゃなく。きっと日常的に、彼女はその同期さんからこういった扱いを受けているのだろう。
「……なら、君はある意味、残って正解だったのかもしれないよ」
「え?な、何言ってるんですか。本当は、私だって勇者様を、直接見たかったですし……」
「なら尚更な」
彼女は、よくわからないという顔をしていたが、俺が見せた待遇申請書を見て、目を見張った。
「えっ!?こ、これ、偽物じゃなくて?」
「本物だよ。本物の、勇者様。俺がな」
「え、えええぇぇぇぇぇ!!?で、でも、勇者様は、シスターさんたちが連れ帰るって…」
「あ、あー……多分、俺が相手にされなかったか、無視してきちゃったかのどっちかだと思う」
そうだ。多分、俺が他のシスターたちに勇者という肩書をもってしても相手にされないような男だと思われたってことだ。
どうしよ。急に泣きたくなってきた。
「ははは。こんなやつが勇者って……君もがっかりしただろうね。うぅ……」
「そ、そんなことないですよ!むしろ、かっこいい、っていうか……」
「ほ、本当?かっこいい!?」
思わずそう聞くと、彼女は顔を赤くして「あ…や、やっぱ今のなしぃ……」と言って伏せてしまった。
彼が、あまりにも自己肯定感が低くなったせいで、思わず
「そ、そんなことないですよ!むしろ、かっこいい、っていうか……」
と言ってしまった。
しまった、と思ったときにはすでに、彼は私に「本当に!?」と聞いてきていた。
あまりにも真っすぐな目で聞くから、まるで意識してるのが私だけのような気がして、顔を伏せて
「今のなしぃ……」
と彼を突っぱねてしまった。
彼が大広間へ行くのを見ながら、私は手に巻かれた包帯を握り占めた。切り傷が痛むけど、それ以上の感情にかき消されていた。
「……教会なんだから、神の御加護で治せるのに……」
しかし、どうしたものか。シスターさんたちがいない以上、ここでこの申請を受理してくれる人がいないのだが……。
一旦戻る……しかないか。
やれやれと思いながら教会を出ると、奥から何やら人波が近付いてくるのが見えた。
よ~く見てみると、慌ててこちらに走ってくるシスターさんたちだった。
大きなメロンやスイカをこれでもかとブルンブルンさせて走ってきていた。
「あ~!勇者様いたぁ~!」
「私たちを置いて来るなんてぇ。ひどいじゃないですかぁ~!」
「勇者様、かわいー!」
俺は、その人波を喜んで受け入れた。すると、これでもかと言わんばかりの乳圧……もとい、人波にあっと言う間に飲まれてしまった。
「勇者様~。勇者様に、神の御加護があらんことを~!」
……思えば、彼女らは信仰職。神よ罪をお許しください、と言いながら穢れさせられる側なような気がするのだが。まあ、それだけここの教会は軽いということだろうか。
とにかく、彼女らが帰ってきたので、教会の自由使用申請の受理証をもらったので、教会を後にすることにした。
出ると、そこには、さっきのシスターがうつむきながら掃除をしていた。
彼女は、俺を見るなり「あ……」といったが、それ以上話そうとせず、掃除に勤しもうとした。
「……君、名前は?」
「えっ…?」
「名前。知りたいなぁって、思って」
彼女は、もじっとして、少し唸ったのち、少し顔を上げて
「……ヨネル」
と呟いた。
「ヨネル、か」
「はい……ヨネル・ヴィルダム、です」
「うん、ヨネル。覚えた。またね!」
そう言って、俺は手を振って彼女と別れた。
心なしか、彼女の頬は紅かったような気がした。
書いてしまった。これでまた一つ連載を抱えます。他の作品もぜひご覧ください。