後悔のない、選択を
この世界は、簡単な善悪に仕切られている。
世界を脅かす種族「魔族」と、それを統べる「魔王」がいる。
そしてそれに対抗するように、人間は人類の一人を選定し「勇者」として定める。
魔王という悪と、勇者という善。二つに仕切られたこの世界は、何とも単純で、難しいことがない楽な世界だった。
そうして均衡を保った世界は、今日もまた、これまで通り潤滑に進んだ。
「王政より伝達。主文、ネル・レルキナーゼは、今世紀の勇者として選出されたので、直ちに王宮へ赴くこと」
そう。勇者はもう選ばれた。
この男、ネル・レルキナーゼに。
「ああ……旅立ってしまうのですね、ネル様」
「思えば、3カ月もあっという間だったな。ありがとうな、ヨネル」
「そんな、お礼を申し上げるのはむしろこっちのほうで…!」
勇者に抜擢されて1カ月。僕はこの町で依頼を受け、順調に戦う経験を積んでいった。
その伝手で、パーティメンバーの2人に出会った。
戦士モモイ。一般市民から生まれた戦士で、この町で一の戦士と名高い女戦士だ。冴える頭に素早い反射神経。勇猛果敢な性格が相まって、彼女はこの町では無敗を謡われる最強の戦士だ。
魔導士ムカゼ。貴族育ちで、おぼっちゃま。かなりふくよかな体系をしているが、勤勉で、魔法に関わらずすべての分野で博識な彼は、戦闘以外でもかなり手助けをしてくれる。
そして、俺。ネル・レルキナーゼ。今世紀の勇者に抜擢された一般市民だ。特段剣術がいいわけでもなく、博識でもなければ勇気も人並み。勇者に選ばれるほどの器を持ち合わせてはいない男。
そして、パーティメンバーのほかに、ある人物にも出会った。
それが、教会のシスターのヨネル。明るく、けれども控えめで、それでいて、底抜けにやさしい。まさに、聖人というべき子で、それで、俺の、想い人だ。
「その……ネル様」
「な、なんだ?」
彼女は、俺の手を握って、胸の高さで祈るように握りしめ、俺の目を真っすぐ見た。
「……どうか、ご無事で……」
「っ!?」
そのうるんだ眼が。希望を託すような眼が。どうしようもなく、守らねばと思った。
「……任せろ」
その一言を残し、俺は旅立った。
そうだ。俺は託されたんだ。
世界から。仲間から。
そして、彼女から。
「……だ、から…………負けるわけには……!」
「ふぅむ……志は結構。だが、もう遅い。すでに我が魔族の侵攻は大陸の9割を進んだ。お前の故郷は、とうに侵略されているそれに……すでに目に見える範囲の希望は、みな等しく死んだだろう?」
魔王は、そう言いながら、仲間の亡骸を指さした。
心の底から湧き上がるゲロに似た悲痛さを、必死に飲み込んだ。そして、心の奥底の希望を代わりに吐きだした。
「い、や……まだだ……俺が、生きて居る限り……俺が諦めない限り!人類の希望は潰えない!たとえお前に踏みにじられても!お前に壊されても!絶対だ!」
約束したんだ。俺はあの日、彼女に明日を心配しなくてもいい今日をいつか絶対と。俺らは二人で、そんな日々を愛し、老いていくのだと誓った!
「だから……だから!俺はまだ、負けられないんだぁぁぁ!」
「小賢しい人ごときが!その希望ごと消して炭にしてやるわ!」
「………」
終わった。何もかもすべてが終わった。
戦いも、世界も、絶望も、希望も。
仲間も、故郷も、愛しさも。
「これが……これが、明日を心配しなくてもいい……今日?」
更地に化したこの大地は。砂埃舞うこの地は。歩いても歩いても、生き物一ついないこの地は、本当に、希望なのか?
「……俺が…希望?」
不意に思い出した。俺がいる限り、希望は潰えない?
バカが。すでに、すべて潰えていた。俺が、勝手にこの戦いの先のハッピーエンドを期待しただけだった。
「…うぅ……ぅあぁ……やだ……いやだ………ヨネル……ヨネルヨネルヨネル!会いたい……抱きしめたい………君にはまだ……好きだと伝えることが出来ていないっていうのに……君と一緒にいたいと伝えていないのに!どうして……どうしてこの世界は、僕からこんなにも奪ったんだ!」
空虚な空は嘲笑うように、僕を日で照らした。
願わくば。僕はたった一つの願いを叫んだ。
どうか聞こえろ過去の君。
目の前のポンコツは、どうしようもなく君が好きだ。
目の前のアホは、君をどうしようもなく守れなかった。
頼む。俺が愛した君が。どうか俺の過去で、俺の未来を変えてくれ。
君と一緒に望んだ、明日を心配しなくてもいい今日を、叶えさせてくれ。