忙しすぎる公爵様は契約結婚の苺姫だけを愛する。「君だけを愛すると誓う」「はい、喜んでー」
「苺姫ユーリア、君だけを愛すると誓う。結婚してください」
「はい喜んでー」
金の光を集めたような髪と美しい濃い紫の目の彫刻のような完璧な顔の公爵様が、乙女には夢のような台詞を私に囁いた。
そんな言葉で夢を見られるほど、私は少女でもない。
これはお金持ちの道楽なんだから。私はそれを利用させてもらうだけ。
えっ、でも、ちょっと待って『苺姫』って何?
私が苺を栽培してるから?
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私はユーリア・タージ・ノクリス。
貴族令嬢としてはそろそろ婚約者が居なくては危ない18歳だ。
友人たちの中には貴族学校を18歳で卒業と同時に結婚した子もいる。
ノクリス伯爵家の長女。
貴族学校をなんとか奨学金を借りて卒業し、特に美しい所もないちょっと桃色が入った金髪か銀髪なのか判断に苦しい髪と淡い桃色の瞳。
上にはお兄様が居て、私は嫁に行く要員だ。
と言っても、ノクリス伯爵家はとてもとても貧乏で、領民たちと支え支えられしつつ暮らしている。
私から見て曾祖父に当たる人が、貴族用の高級カジノで伯爵家の財産をつぎ込んで、財政をすっからかんどころかマイナスにしたのがずっと後を引いている。
私のおじいさまも、お父様もなんとか真面目に伯爵家を運営して、そこそこ財政は持ち直してきたもののまだまだ莫大な借金は返済中だ。
そんな中、私はノクリス伯爵家に生まれた久しぶりの女子だった。
幼いころから資金繰りに四苦八苦している家族たちを見て、年頃になった私は、金持ちの貴族か商人の後妻にでも出してくれと自主的に言った。
だけれども、お父様とお母様(お母様は男爵家の次女でお父様と恋に落ちて嫁に来てお父様と財政を立て直すべく頑張ってるし、自分の実家にも頭を下げて援助してもらっている)は、自分たちがほぼ恋愛結婚だったものだから、私のそういう提案を良しとしなかった。
「良いのよ。お父様とお母様が頑張るから良い人を見つけて結婚しなさいね」
とはお母様の言葉だ。
それに、私が後妻になりたいとは言っても、貴族学校をギリギリで卒業して、特にこれと言った才能もなく、美しい所もない令嬢ともなると、なかなかそういう縁はなかった。
社交にはお金がかかるから、15歳の時にお母様のお古の白いドレスを着て、王宮の夜会に出たっきりである。
それは誰の目にも止まらないだろう。
そんな訳で、私は領地で何もすることもなく、暇つぶしに我がノクリス伯爵家の資金の足しになればと園芸をしていた。
『なぜそうなるんだ』とは言って欲しくない。
歴史だけはとても古い伯爵家である。
家財道具やドレスやアクセサリーなどはギリギリ伯爵家の体面を保てるか保てないか、というところまで借金の返済の為に売ってしまったり金貸しにとられてしまったりした。
けれど、どうにも利用が難しい植物の種は残っていた。
それを私はこれまた古い歴史だけはあって、貴族なだけに国に断りもなく勝手に領地を売ることは禁じられているので広大すぎる領地の隅、我がノクリス伯爵家の敷地の片隅で色々育てている。
幸い、私は貴族なので、魔法を使えた。
と言っても、これまた特に才能があるわけでもなく、戦争に役立つわけでもない。
威力の弱い水魔法と風魔法が使えるだけである。
その魔法でもって色々珍しい植物を育てている。
これがまあまあうまくいっていた。
高級木材になり魔法の杖とかにも使われる白金色した杉の木、丈夫な布地の素材になり燃えにくい鋼鉄綿、美味しい砂糖の原料になる砂糖林檎(さらさらとした砂糖にほのかにフルーティーな味がする。生で食べても美味しい、不思議)。
そして一番私が栽培しているものの中でウケが良かったのは宝石苺だった。
宝石苺は、私が魔法で出した浄化魔法もかかっている水魔法の水と、風魔法で受粉し、風魔法で虫や鳥よけをしている。
私の魔力で出している水が良いのか、それとも貴族らしく虫害がないのが良いのか、裕福な商人や近隣の貴族たちにウケが非常に良かった。
嘘か本当か分からないけれど、宝石苺を食べると若さと美しさが保たれるとの噂も流れているそうだ。
……いや、その噂が本当ならまず頻繁に味見している私が美しくないといけないのではないでしょうかねぇ。
宝石苺一本に絞るのはリスクがあるのでやらないけれど、なるべく多め作ってジュースにしたりジャムにしたり、生の苺のまませっせと高級そうな木箱に並べたりして出荷する毎日だ(安いパッケージにすると高く売れない)。
そんな貴族令嬢としてはどうなんだろう? という毎日に希望の光(?)が差した。
私が苺畑でせっせせっせと働いている時だ。
「ねえ、すごく良い人が結婚相手を探しているの。条件としては、出しゃばらないで貴族としてのパートナーの仕事さえきちんとこなしたら、一生添い遂げるそうよ。もちろん、結婚相手の家への資金援助も欠かさないって」
親戚のおばさまが苺畑の向こうから声をかけてきた。
「私みたいな貴族として失格の女はお望みの貴族男性なんていないと思います」
「それが強い人間をお望みだそうよ」
おばさまが苺畑に入ってきたので、良さげな苺を何個か摘み取り、浄化の水魔法で洗って渡す。
「強い? 女性の騎士様と結婚でもすればいいのではないでしょうか?」
「物理もそうだけど、精神が強い人をお望みだそうよ。並みの貴族令嬢ではダメという事なの」
私もおばさまに付き合って何個か苺を口に運んだ。
瑞々しくて甘酸っぱい。
……出しゃばらないのに精神が強い人とはこれ如何に。
「私は自分が精神は強いとは思わないけれど、応募してみるだけタダですね」
世の中、タダにはリスクがある。
うまい話には罠がある。
だけれど、貴族ならある程度は信用はあるだろう。
「ユーリアちゃんならそう言うと思ったわ。善は急げよ。そう言うと思って、ユーリアちゃんの釣り書送っておいたわ。先方に」
「ちなみに、どんなお方なんですか?」
「アラン・フラガリア・アナナッサ様よ。次期アナナッサ公爵家当主の22歳、美形で、仕事もできる方なの」
「あっ、それって大丈夫ですか? 本当に」
「平気平気~」
アラン・フラガリア・アナナッサ公爵子息様と聞いて、背にじっとりとした汗が浮かぶ。
ちょっと無理ではないか。
こんな田舎にも響くほど、アナナッサ公爵子息様の噂は轟いている。
金の光を集めたような髪。神秘的な濃い紫の目の美貌。
父上について既に公爵家の仕事はしているけれども、その能力はアナナッサ家が始まって以来の天才で手掛けた仕事はどれもこれも更にアナナッサ家を発展させること間違いなしだと言う。
もうじきに家督が譲られるとかなんとか。
彼が少しほほ笑むだけで、既婚も未婚の貴族女子たちは揃って心のときめきで気絶すると言う(それは言いすぎだと思う)。
え? うまくいく気がしない。
---
…………と、そんな風に思っていた時もありました。
「君しかいない。よろしく頼む」
「はい、よろしくお願いします」
とあっさり当の本人との顔合わせは終わった。
親戚のおばさまがよっぽどうまく言ったのか、アラン・フラガリア・アナナッサ公爵子息様との顔合わせはあっさりと終わった。
とても豪華な公爵家に出向いて、とても豪華な部屋で、簡単な自己紹介を交わして、簡単に婚姻に関する契約の確認をしただけだ。
話としてはおばさまが言っていた通りだった。
話はとんとん拍子に進んで、半年ほどの婚約の後、王都の大聖堂で結婚式だ。
その後はアナナッサ家の領地で披露宴。
私はその式の段取りも何もしなくていいらしい。
とにかくアラン様は出しゃばられたくないらしい。
様々なパーティーにパートナーとして出る以外は基本私は領地に居るだけで、チャリンチャリンとお金が我が貧乏ノクリス伯爵家に振り込まれる。
それだから、とにかく大事に領地に居てくれと言われた。
はい、幸いですー。
家族にも、おばさまの紹介でアナナッサ公爵家のアラン様との縁談がまとまったと言うと、海に住んでいる蟹のように口から泡を吹いて喜んでいた。(うまくいくとは思っていなかったので、おばさまとだけ話をつけに行ったから家族はよく詳しい事情を知らなかった)
「アランと呼んでくれ」
「はい、分かりました。私の事はユーリアと呼んでください」
「君だけを愛すると誓う。結婚してください」
「はい、私も愛すると誓います。幸いですー」
アラン様とのコールアンドレスポンスな会話を続ける。
頭いい人の会話は楽だ。
金の光を集めたような髪と美しい濃い紫の目の彫刻のような完璧な顔の公爵様が、乙女には夢のような台詞を私に囁いた。
そんな言葉で夢を見られるほど、私は少女でもない。
これはお金持ちの道楽なんだから。私はそれを利用させてもらうだけ。
「ユーリアは珍しい。調査でも当たりを付けてはいたが想像以上だ」
「はーい、ご期待以上でしたら嬉しいです」
アラン様が私を物珍しい新種の畑にいるネズミを見るみたいな目で眺めた。
アラン様の噂の美貌も実際に見てみたら自然界に存在する色なので特に緊張はしなかった。
アラン様の髪は、本当に太陽の光の煌めきを集めたみたいなので、太陽の光を眺めていると思えばいいし(まあ太陽は直接見ると目を傷める。同じようなもんだ)、深い紫の目は良い感じにぶどう酒になりそうなふさふさしている(誤用ではない私のイメージワードだ)葡萄だと思えばいい(ちょうど球体)。
早速、私はアラン様と婚約が結ばれたのちは特にこれと言ってすることもなく(アラン様の社交についていくためのドレスは寸法通り出来上がるから心配するなと言われた。仕事ができすぎの婚約者を持つと嬉しいね)、次の夜会の社交に付き合う約束をしてノクリス伯爵家領地に帰った。
最上位の貴族の方の考えることはよく分からなくて本当にありがたい。
…………しばらく領地の隅で、今度は潤沢な資金を元に、(ノクリス伯爵家の倉庫を漁って)色々な植物を栽培していると、宝石苺に加えて世界樹の枝(癒しの力があるという伝説の植物)も光魔法で保存されて倉庫にあったので、接ぎ木で増えないかやってみてリンゴに接ぎ木したら(そこにいくまでに色々失敗はした。が、お金はある)うまくいって、すごい早さで成長した世界樹の葉ではなく世界樹のリンゴが取れた(自分でも何言っているのか分からない)。
大変なものを作り出してしまったので、リンゴはすり下ろして小瓶に詰めて内緒にしておくことにした。
試しに植物栽培のとき怪我した擦り傷にちょびっとかけたら、気味悪いぐらい何事もなかったかのように治った。
え? こわぁ…………。
………まあ、何かの時の為にいつも持っておきましょう。
農作業してると結構傷を作ることも多いから。
ーーー
………そして、やってまいりました。
契約婚約の一環である夜会、いわゆる社交パーティー。
私は色々な人に紹介されて、色々な人に愛想笑いをした。
もちろん王族の方にも挨拶はしたけれど、美しい出来の植物と思ったら緊張はしなかった。
…………そして、
「では、この辺にいなさい」
「はい、分かりました」
「何かあったら私を呼ぶように」
「はい、分かりました」
アラン様は、いつもどおり(まだいつも通りというほどにはあっていないけれど)仕事に忙しいらしく、早口で誰かと言葉を交わしながら夜会会場に消えていった(いや、本当に比喩表現じゃなく仕事の話をする人ごみに呑まれて見えなくなった)。
…………それで、早速待っていた令嬢たちに、私は絡まれた。
栽培している木に巻き付いてくる蔦も真っ青の絡みようだ。
前世は蔦だったのかもしれない。
「何よ、あなたなんか『苺姫』なんて呼ばれていい気になっちゃって」
「…………」
『苺姫』? 誰も呼んでないと思うけれど。
いや、ちょっと待って?
確か、婚約の契約の時にアラン様が『苺姫』とか言ったような……?
なんて言ったら良いか分からないので黙っていたら、勝手に令嬢がヒートアップしていく。
「アラン様にふさわしくないわ。私の方がアナナッサ公爵夫人としてアラン様の横に立つのにふさわしいのよ」
「そう思います。あなたの方が美人ですし、若いですし、実家もお金を持っていらっしゃるでしょうし、教養もあるでしょうね。でも、本当に残念な事にアラン様は私が良いそうです。残念過ぎます」
私は本当に心の底から『世の中、こんなに可愛い令嬢の思い通りにならないなんて残念過ぎる』と思った。
特にアラン様が残念仕事人間すぎるのだ。
私がそう心から同意したにも関わらず、私に話しかけてきた可憐な令嬢は目を吊り上げて頬を赤く染めた。
「このっ! 私があなたに負けてるって言うの!」
貴族令嬢らしくなく、激高して畳んだ扇を私に向かって大きく振りかぶってきた。
「えっ? 本心です。残念ですねって心からそう思って…………っと、危ない」
深窓の令嬢と畑仕事で汗かきながら働いていた私では、当然ながら素早さに差があり、予備動作も大きすぎる扇での攻撃を私はなんなく避けれた。
「このっ、金目当ての貧乏伯爵がっ」
「恐れ入ります」
全くもって本当にその通りなので、謝れはしないが貴族令嬢の作法に従って謝っているような言葉を投げかけると、更に狂ったように扇を私に向かって振り下ろし続ける。
そして私は避け続ける。
扇の風圧でなびく髪が目に入ったけれど、見えなくても畑に侵入した小動物がどこにいるのかは私には分かる。
小動物と貴族令嬢は似たようなものだ。
……なるほど、これはアラン様の婚約者は私しか務まらなさそうだ。
本当に。
愛じゃなくて、金目当てじゃなければ、深窓の令嬢なんて心が折れそうになるだろう。
「何をしているっ!」
アラン様が私と令嬢の間に割って入った。
ああ、美貌の人が怒るとこれは怖いな。
私に絡んできた令嬢は口の中で何事かをもごもご言いながらすぐに退散していった。
半泣きだった。
そうだよね、こんな美貌に嫌われると思うと怖いよね。
「助けてくれてありがとうございました」
ホッとしてアラン様にお礼を言うと、
「ユーリア、君を愛すると誓ったはずだ。礼には及ばない」
とアラン様はその澄んだ目でこちらをジッと見詰めてくる。
なるほど、そして私も愛すると誓ったな。
契約結婚を円滑に進めるためのリップサービスね。
「じゃあ、婚約者として言いますね。ありがとう、アラン様」
にっこり笑って仕切りなおすと、アラン様もほほ笑んでくれる。
「こちらこそ、今日の夜会に付き合ってくれてありがとう。もう私の方は用事が済んだから、君に何か用がないならそろそろ帰ろうか」
ーーー
……と、そんなロマンチックな夜会もあった気はしたけれど、今日も今日とてお金を稼がないといけない。
実家にはいくらお金があっても足りないはずだ。
「公爵家の庭でも栽培してはどうだろうか? とアラン様が仰っておりました」
「え、いいのですか?」
「はい」
アナナッサ公爵夫人になるために、ある程度の最低限のマナーを身に着けるという事で通っていた公爵邸。(時々泊りがけ。もう私の部屋もある)
そこで、執事に声をかけられた。
庭を整えるのは女主人の役目だと思っていたが、もう前当主とその奥様は領地の田舎の方の屋敷に引っ越して楽しく暮らしているらしい。(公爵夫人としてのマナーや知識はアラン様が手配した教師に教わっている)
「まだ、婚約者の内からそのような事をしていいのでしょうか……」
実家の貧乏伯爵家の敷地では好き勝手に植物の種を植えていたけれど、さすがにアナナッサ家の敷地では未来の公爵夫人がそのような事をしていても良くないのは分かる。
「契約でそのようになっております」
とは執事の言葉だ。
「自分の好きな事に没頭していた方が助かる、と旦那様が」
「なるほど」
私は思いっきり公爵家の庭に畑を作った。
苺に色々。
もちろん、公爵家の庭師さんと相談して、畑を作って良いと許可されたところだけれど。
結構広大な畑ができた。
庭師さんの、
「こっちには木を」「こっちには赤系の農作物を」「こっちには白」「こっちには春に花が咲くものを」「こっちには葉物を」
等の指示に従ってありとあらゆる植物を育てていたら(苺はメインだけど苺はそういえば赤だけでなく白や桃色っぽい色もある)、なんだかすごい庭が出来上がっていった。
まあ、誤算もあって、私の水魔法と風魔法で育てている奴は通常の作物より異常に成長が速いので、庭師さんの計画に一部合わなかったところもあって大変だったみたいだ。
庭師さんは色々別の所から苗や花を植え替えたりして調節していた。
そうしてちょっとずつできた農園みたいな庭が今、貴族の間で流行っているらしい。
さすがは庭師さんだと思う。
私の畑がなんだかすごくオシャレに見える。
前から育てていた白金色した杉の木(小型に改良してある)とか特に見栄えが良いし、宝石苺も可愛く赤に実っていて素晴らしい。
最近はアラン様も仕事の合間に手に入れた珍しい植物の実や種を下さって、ますます公爵家の庭はすごいことになっていった。
---
そんな日々を過ごしたある日……。
「今日は色々質問するがよろしく頼む」
アラン様が園芸用の装備を身に着けた私に向かって頭を下げた。
「は、はい。よろしくお願いします」
今日はアラン様の要望で、私の事をより知りたいとの事で園芸用の装備を付けたアラン様がいる。
公爵家の庭で、一緒に園芸することとなったのだ。
絶世の美男のアラン様が園芸用の装備を付けていると違和感が強い。
仕事は大丈夫なのだろうか。
なんか社交をしていると、私の農園風の庭について質問されたり、宝石苺について質問されることが多いのだとか。
アラン様は忙しいのだから『詳しくは書類にまとめましょうか?』と言ったのだけれど、アラン様は無理やり時間を作ったのか今日のようなことになっている。
いつもの庭師さんがアラン様の後ろで緊張した顔で汗をかいていた。
「えっと、今日はこの育った宝石苺の苗を畑に植え替えていきます。後は世界樹のリンゴをここら辺のを収穫して、後はこのエリアの薔薇の葉っぱに一つ一つ風魔法をかけて虫がつかないようにして」
なかなか節操のない庭だ。私の風魔法で最近は温度調節もある程度はできるから、植物の管理も簡単になってきて私の理性がきかないというかなんというか。
お金になりそうな植物をかたっぱしから育てちゃうのが私の悪い癖よね。
アラン様は、どこに持っていたのかメモ紙に魔法の羽ペンで、一生懸命私の植物のケアのやり方などをメモしている。
そして作業に移るのだけれど、本当に驚くほどアラン様には植え替え用スコップが似合わない。
そしてどうやってついてしまうのか人形のような顔の鼻の頭に土がついている。
「アラン様、顔に土が……」
「む? ありがとう」
私は思わず笑ってしまって、ポケットに入っていたハンカチでアラン様の顔を拭いた。
アラン様はあらぬところを擦ってしまって更に頬にも土がついてしまう。
アラン様は私を見て、柔らかく微笑んだ。
「君は私の顔に土がつくと、そんな風に可愛く笑うのだな」
「え………」
確かに私はアラン様の様子を見て、微笑ましくて笑ったけれど、そんなだっただろうか。
自分ではどんな顔をしているのか分からないし、農作業の時には鏡は持っていない。
その笑顔と言葉に、瞬時に顔が熱くなって胸がキュッとなった。
そんな風に笑ってくれるなんて……。
今まで伯爵令嬢ともあろうものがいくら貧しくても農作業なんてはしたないとか言われても、そんな風に微笑みかけてくれる人なんていなかった。
「好きだよ……」
アラン様が、抑えきれないという風にそう言って私の頬を手ぶくろを外した素手で撫でた。
「そんな……」
「そんな?」
私の口をついて出た言葉にアラン様が首を傾げた。
「そんな……困りますっ!」
私は今まで農作業を途中で放り出したことなんてないのに、植え替え用スコップを放り出して、屋敷の方へ走った。
色々な言葉が荒れ狂っていて私は混乱していた。
どういう事? 理性的な契約結婚のはず。確かに愛するって言われたけれど、そもそも叔母様の話では明らかにビジネスだし。
とにかく契約結婚なんだから。
出しゃばらないで結婚生活を送れば一生安泰で、実家も助かるし、私も園芸してられる。
そういう事でしょう?
その夜、夕飯にも顔を出さなかった私の部屋のドアが叩かれた。
「はい」
と小さく返事だけすると、
「ユーリア、突然あんな事を言って驚かせてすまなかった。君を困らせて申し訳ない。もう、そんな事はしないから」
とアラン様が部屋の外から謝ってきた。
そっとドアを細く開けると、いつものように仕事をしている時のような冷静なまなざしのアラン様が居た。
「びっくりしました」
私は短く訴える。
そう、びっくりした。
契約結婚なのに『好き』っていうから。
「悪かった。もうしない………」
「何かの気の迷いですよね?」
私の問いに、『君は………』とアラン様は呟いて少し傷ついたような顔をした後、また冷静な顔に戻った。
「そうだ。私の気の迷いだ。すまなかった」
と言ったので、私は安心してドアを全開した。
貧乏令嬢の私は契約結婚をしてお金をもらう。
アラン様は出しゃばらない貴族令嬢と結婚がしたい。
そういう安心な話。
貧乏令嬢の私は、愛し愛されみたいな幸せな結婚をする権利はないのだから。
「私を驚かせる冗談を言ったお詫びに寒い所でも実を結ぶミカンの種を買ってください」
「……ああ、喜んで」
---
目の前には煌びやかな夜会会場が広がっている。
やってまいりました。
もう私には慣れた光景になった。
ギラギラのシャンデリア、笑いさざめく人たち、アラン様が好きで鋭い嫉妬の目を向ける私より美しいご令嬢達。
……もう、アラン様は婚約者がいるのにね。でも、今なら分かるかもしれない。アラン様、綺麗なのにこちらの話を聞いてくれて優しいものね。
……私も勘違いしそうだったし。
「慣れってこわい……」
「ん? なにか言ったかな?」
隣に立っているアラン様が私の呟きを拾った。
横を見ると、会場のどんな輝きよりも輝いているアラン様が少しほほ笑んでこちらを見ている。
「なんでもないですっ」
ちょっと頬が熱い気がしたけれど、そんなのを無視して前を向く。
――さあ、アラン様の婚約者としてのお仕事だわ。
――そんな風に慣れで『お仕事』をしていたからそんな事になったのかもしれない。
「ユーリア!!! 危ない!!!」
少し離れた所に居たアラン様が貴族らしくない大声を出した。
視界の端で何かがシャンデリアの光を反射してキラッと光った。
でも、そんなわけないと思う。
そんなまさか。
だって、私もやっぱりアラン様に抑えていても惹かれてしまったけど、そんな事をしてもアラン様を幸せにはできないだろうからしないから。
そんな事を考えるなんて、私は弱くなってしまった。
ああ、婚約者にふさわしくない。
私は色々考えて、とっさに動けなかった。
ナイフの光が私に向かってくるのを、ただ見ていた。
…………。
「ユーリア、痛い所はないか?」
気づくと、アラン様が私に覆いかぶさっていた。
目の前には、少しひきつったようなアラン様の笑顔。
私は全てを悟った。
「アラン様、何故私なんかを庇ってしまったのですかっ?」
アラン様の背中に血がにじんでいる。
周りが騒々しかった。
「君だけを愛する、と誓った」
「それはっ………」
それは『契約結婚の建前で』と続けようとしたけれど、アラン様の真剣な顔に続けられなかった。
気づくと、目の前が涙で曇っていた。
周りが騒いでいて、アラン様を引っ張って助け起こそうとするけれど、アラン様が私に覆いかぶさる力が強くて引きはがせないようだ。
でもでも、早くアラン様を連れて行って手当てをしてもらわなければ。
早く手当てを…………!!!
…………あっ!!
私が『ソレ』を思いつくまでに、実際にはそこまで時間はかからなかったのだろう。
「アラン様、これをっ!」
私は淑女にあるまじき大声を出して、ドレスの隠しから小瓶を取り出した。
「世界樹のリンゴです! 大丈夫です。毒ではないです。自分で試しましたから!」
何かあったとき用にいつも持っていた『世界樹のリンゴ』をすり下ろして小瓶に詰めたものを取り出した。
そう、あの時農作業で傷ついた傷があっという間に治った。
これが効くかも!
うるさい喧騒を振り切って、中の物をアラン様の傷口に振りかける。
見る見るうちにかける端から傷が何事もないように治っていった。
やった。良かった!!
そして、念のため瓶の中に残ったすり下ろした後の液体をアラン様に飲ませる。
「念のため、飲んでくださいっ」
「ちょ…………ごほっ」
アラン様が私の瓶を口にぶつける勢いにせき込むアクシデントはあったけれども、なんとか飲ませた。
そして、その勢いに乗って、私はアラン様の額に口づけをしてから告げた。
「認めます。私もあなたが好きです!」
---
静まり返った空気を切り裂くように、鐘がひとつまたひとつ鳴った。
カァーン……カァーン……。
続く響きはいつまでも溶けず、あたたかい光となって二人を包み込む。
「苺姫ユーリア、君だけを愛すると誓う。結婚してください」
「はい喜んで」
結婚式場の教会の教皇の前で、そんな風に愛を誓い合った。
出会った時のそのままで二人にお似合いだと思った。
私はアラン様と顔を見合わせて、クス……と笑いあう。
――私たちは無事に愛し合い結婚式を迎えていた。
……夜会会場で私を庇ったアラン様が刺された事件から何か月か経った。
あの事件は私さえいなくなればアラン様と結婚できると思った令嬢の仕業だった。
いつぞや、「このっ、金目当ての貧乏伯爵がっ」って絡んできた令嬢の近くにいた別の令嬢だった。
あの時の令嬢はもちろんアラン様が相手方に抗議をして、対策されていたが、まあアラン様の責任ではなく、令嬢は罪深いことにあの騒動をみて、
『一気にやらないと仕返しされて終わるだけ』
と思ったらしい。
意味不明ではある。
私が死んだところで、高位貴族(一応私は伯爵。そして公爵様の婚約者)の殺人だ。
死刑ではないだろうか。
そして、公爵様という王族の次に偉い貴族様を刺したことで、事件を起こした令嬢は残念ながら死刑になった。
そして私はというと、貴族たちや王族たちの前で、刺されたアラン様を一瞬で治してみせたことで、
「君は『聖女の苺姫』と呼ばれている」
と呼ばれているとはアラン様の言葉だ。
実家にも残してきた宝石苺は他の人に栽培されて売れているし、高値がついて、実家の貧乏もまもなく解消されそうだと、お母様から手紙が届いた。(今日の結婚式にも両親兄弟ともに伯爵としてきちんとした服を着て参列できている)
後、契約結婚についてだが、それについては若干の語弊があった事をアラン様から伝えられた。
「私は公爵なので、どうしても王家よりの仕事が多い。機密事項も多いので、妻と言えども仕事を手伝ってもらう、という事も難しいので、仕事については控えめであることが望ましいと言っていた。その一方で、代々高位貴族は貴族特有の小競り合いが多いから、私の母上もそうだが、芯が強い方が望ましいと伝えた。そうすると、単純に高位貴族の令嬢と政略結婚あるいは恋愛結婚なんてもってのほかだから、それでも大丈夫そうならお願いしたい、と言っていただけだ」
え、じゃあ、おばさまがアナナッサ家の出している条件を拡大解釈しただけって事?
「え、でも会った時ずいぶんビジネスチックだったような…………?」
「貴族の間でも評判の宝石苺を健気に栽培している苺姫が目の前に来て、そんなにビジネスに偏っていたか? 私は『君しかいない』とも『君だけを愛すると誓う』、と結構情熱的に言ったはずだが?」
そう言われるとそうだった。
確かにその後も、『君だけを愛すると誓う』と言ってくれていたのに。
私のビジネスとの思い込み………なのかしらね。
「会った時からユーリアの事は気に入っていた」
「………の割には結構いなかったような?」
「まあ、仕事が忙しかった。最近はようやく調整できたんだ」
等々、私たちは色々話し合って誤解を解いたり、仲が深まったりをして結婚式を迎えていた。
――目の前には優しい美貌の侯爵様。
私たちは教会で皆に祝福されながら、長い口づけを交わした。
-おわり-
※主人公は苺姫のあだ名は宝石苺を栽培しているからと思っていますが、実際には異世界の宝石苺っぽく、本人がストロベリーブロンドの髪に、珍しいストロベリーゴールドの目をしているからです。本人は、「うん、桃色」と思っているのですが。自分の容姿に無頓着です。
読んで下さってありがとうございました。本当に読んでいただけるだけでもとっても感謝してます。
もし良かったら評価やいいねやブクマをよろしくお願いします。
また、私の他の小説も読んでいただけたら嬉しいです。




