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ダンジョンに咲く一輪の花の名は

腕が上がらない。でも…もういいか。と僕は力を抜いた。くぐもった声とともに僕の背中越しに獣がひれ伏している。首から致死量を超える血が流れ落ちていた。


地下洞窟型ダンジョンBF10 フロアボス ガゼル


四つ脚で走るそれは鹿と似てる。目から鼻にかけ白で縁取られ、黒い瞳は宝石に似た輝きを放っていた。ガゼルと名が付けられたその獣の体躯は鹿とは比べものにならぬほど大きく10メートルを超えている。人の体長を超えるほどの角を武器にガゼルは広々とした空間が広がるボスフロアを所狭しと飛び回るように駆けていた。


やめろ。と言っていたんだ、僕は。それでも言うことを聞かなかった復讐者の執行者ヴェンジェンス・リーパーズと名乗る男どもに連れられ、彼女はこのフロアへと足を運び入れた。後をつける形になって、ボスフロアで窮地に陥った彼女らのパーティを転移石で逃し、僕はガゼルと対峙した。


ボスフロアでの脱出条件は至極単純。ボスの撃破である。それ以外での脱出は転移石と呼ばれる街に瞬間的に移動が可能な石を砕く他ない。


しかし後者にはデメリットがある。ボスフロアからの転移石で脱出するには、1人必ずそのフロアに残らなければならないのだ。しかも任意で。


ガゼルに吹き飛ばされ、彼女を除くすべてのパーティメンバーが大怪我を負い、気絶していた。無論彼女も無事ではなく、大怪我を負っていたのだが後方支援職であったため、気を失うことはなかった。僕は残る意思を明示し、彼女たちを強制的に街へと送った。


僕の両手から滑り落ちた二振りの短剣と地面が接触し、カラン…と乾いた金属音が鳴った。


無理をしすぎた。と、悔いるように僕は思った。

身体の至る所からあふれ出る血はおそらくもう間もなく致死量を上回るだろう。


(あの時はパンと何を交換したんだっけ。彼女は無事に帰れた…だろうか)


膝が折れ、僕は崩れ落ちるようにびちゃりと粘着質な音を鳴らして、地面に這いつくばった。




「…なんだよ」

「パンをくれないかしら」


彼女はそう言ってスカートの裾を強く握った。スカートと言ってもボロ衣とほぼ変わらないそれに身を包んだ彼女の物乞いに僕は眉を顰めた。ボロ布に似合わぬ髪留めが少しだけ輝きを放つ。


「嫌だね。これは僕が盗ってきたんだ」


僕は彼女を突っぱね、自らそのパンをかじる。貧困街…スラムでは人から奪うことが常識であった。そんな場所で馬鹿正直に物をねだる彼女を変な奴だと僕は訝しんだ。


ぐきゅるるるるる、と彼女は目の前でお腹を鳴らす。照れたように目を伏せ、耳まで顔を赤くする彼女に少しだけ同情した僕はため息を漏らして、かじったパンの半分をちぎって彼女に渡す。


「…あ、ありがとう!」


嬉しそうにパンに噛り付き、満面の笑みを浮かべ感謝の言葉を述べる彼女に僕は思わず息を呑んだ。


「た…タダじゃないぞ」

「え?でももう食べちゃった」


オロオロと表情を曇らし、お金もないしと呟く彼女に僕はふっと息を吐き出し、彼女の頭を撫でた。


「新入りだろ、お前。僕がここの生き方教えてやるから…いつか返せ」


…何故、あんなことを口走ったか未だに謎だ。


手始めに僕は彼女の髪を切った。もちろん了承を得た上で、だ。彼女は表情を青ざめながらも渋々といった形で…だが。


スラムは人身売買が盛んだ。特に年端もいかない少女はすぐに攫われた後、奴隷に落とされ、一生を奴隷として暮らすことになる。


それは…許せなかった。スラムでは常識だったのに、彼女がそうなると考えると僕の心がざわめいた。


男用の服を掻っ攫い、彼女に着せ、髪留めは外してポケットに入れるように指示し、言葉遣いも男の子のように振るまうことを強制した。


「ねぇ、ジャック。どうしてそこまでしてくれるの?」


ある日、僕が盗みをドジってボコボコにされながらもなんとかパンを2つ持ち帰った時に彼女は悲しそうに目を潤ませ僕に聞いた。


「…パンのお代返してもらってないからだ」


ぶっきらぼうに言い放つ僕に彼女は困ったように眉をハの字に曲げた。


「それにここでは僕のが先輩で…お前の面倒を見てるからな。一人前になるまでは僕がなんとかする義務がある」


少しだけカッコつけてみた。目は青く痣になっているし、口元からは血が出てる。おまけに鼻血だって垂らしていることに気づき、自分の情けなさを再認識して少しだけ笑ってしまった。


「ねぇ、ジャック」


彼女は出会ったときのようにスカートを…いやTシャツの裾を固く握り締め、意を決したように口を開いた。


「私ね、ずっとお兄ちゃんが欲しかったんだ、ずっと…ずーっと。ジャックのことお兄ちゃんって呼んでもいいかな?」

「…好きにすれば?」


その日から彼女は僕をお兄ちゃんと呼び始めた。



どうしてこんな昔のことを思い出しているんだろう。走馬灯…という奴か?


それにしても思い出すのは彼女のことばかりだった。僕を兄と慕う彼女といろんな事をした。草原にピクニック気分で遊びに行って獣に襲われたり、盗った肉を焼いて食べたり、金貨を盗んで…。

はたとここで思い出す。彼女と別れたあの日のことを。


そういえば送り返す時に彼女は悲痛な声でお兄ちゃんと叫んでいたな。再会した時もお兄ちゃんと呼んでくれていた。盗むことでしか彼女に何かを与えてあげれなかったこの僕を。


「…やっと見つけましたぞ、ラン様」


白い髭を生やした翁が僕と彼女の前に立ち塞がった。


「…?」

「王家の正当後継者である第3王女がこんな姿になって…おいたわしや」


声を震わせ、翁はその瞳を涙で滲ませた。


「…誰だ、お前は」


スッと彼女に手を伸ばそうとした翁との間に僕は思わず割って入った。


「ラン様の世話係をさせていただいておった古村と申します」


小汚い僕に向かって恭しく頭を下げ古村と名乗った翁に僕は一瞬たじろいだ。


「古村殿、そんな下賤なものに頭をさげることはなかろう」


古村の後ろから顔を出したのは、赤い短髪の騎士。白く光る甲冑を纏う其奴の威圧感に僕は彼女を庇うように両手を広げる。


「…優太?優太だ!」


しかし彼女は僕の手を抜け、赤髪の騎士に飛びつく。


「ラン無事だったか?」

「うん。お兄ちゃんが助けてくれた…!」

「…そうか。帰ろうか、ラン。おばさんも待ってる」

「お兄ちゃんも一緒でいい?!」


赤髪の騎士は怪訝そうに眉を顰めた後、その髪よりも赤い瞳で僕を睨みつけた。まるで空気を読めと言わんばかりに。


僕は…息を呑んだ。


「僕は…いかない」

「え、え?どうして」


答えは出なかった、言葉が出なかったから。古村は悲しそうに眉を寄せる。


「どうして?」

「…どうしても、だ」

「私のこと嫌いになった?」


違う…!思わず叫びそうになった。赤髪の騎士は安堵したように、そして少しだけ優しさをその瞳に浮かべた。


「ラン、一旦下ろすぞ」


優太は抱き上げていた彼女を下ろし、僕の元へと歩いてくる。そして腰に携えた短剣を外し、僕に渡してくる。


「これは、礼ではない。投資だ。貴様はスラムで生きるには少しだけ…勿体無い」

「ふぉっふぉっ」


古村は一瞬目を丸めた後、笑い声を上げた。


「古村殿」

「すまんすまん、貴殿が気にいるとは思わなんだ」

「…気に入ってなどいない」


古村は、また笑い声を上げた。


「ならばこれは、ワシからじゃ。紫電を宿す少年よ」


そう言って古村は革ベルトともう一振り短剣を僕に差し出した。


「なに…言ってるの?お兄ちゃんも一緒でしょ?一緒じゃないとやだ…!」

「ラン」

「ラン様」


宥めるように声をかける2人を無視して、彼女は僕に問いかけた。


「ねぇ、お兄ちゃん!迷惑だった?ねぇ、面倒だった?わたし、いい子にするから一緒にきてっ」


そんなことはない、僕は君といて…。


僕は貰った革ベルトを巻いて、その二振りの短剣を腰に携えた後、静かに口を開いた。


「…ラン」


彼女の名を呼んだのは多分これが初めて。ずっとお前とかおいとか、彼女の名を呼ぶことはしなかった。なんとなく気恥ずかしかったから。


「お兄ちゃん…」

「ラン、僕は強くなる」


彼女は息を呑んだ。


「ランの兄貴分として僕は…ランを守れるくらい強くなる。ランも強くなれ。誰よりも強く、優しく」


そしたら。と僕は繋げた。


「またきっと会えるさ」


何かが僕の頬を濡らす。そんなことを無視して僕は彼女を見つめ続けた。困ったように視線を泳がせた後、彼女はその瞳にたくさんの涙を溜め、頷いた。



彼女は去り際、古村にお願いして確か何かの種を僕に寄越した。あぁ、そうだ。花の種だ。


あの日のパンの代わりに。花の種をくれた。


僕は仰向けになって、あの日からずっと胸元に忍ばせていた花の種を取り出し、洞窟の天井を見上げた。


『紫電』のジャック


僕はあれから試験に合格して冒険者になった。血反吐を吐くような修行もしたし、たくさんの修羅場を超え、僕は強くなったと思う。2つ名もつけられるほどに。


再会した時は本当に嬉しかった。紫電の2つ名を聞いて彼女は僕を探してくれていたらしい。僕はスラムの近くで活動していたし、彼女が見つけてくれたのは冒険者になってすぐだった。


「おにいちゃんっ」


再会した時の笑顔は、鮮明に思い出せる。


復讐者の執行者ヴェンジェンス・リーパーズは、いい噂を聞かなかった。そんなギルドに所属してる彼女が心配だった。案の定、何かを勘違いしたパーティに所属していた彼女は効率的なレベル上げというバカな行為の名の下に適正狩場を超える場所で狩りを行っていた。


あの時の僕の言葉がそんな無茶をさせてしまっているのかと思うと胸が痛んだ。


視界が霞む。また無茶な狩りを行って、こんな危険に彼女はまた陥るのだろうか。それは嫌だな。


だけどもう助けてあげることはできない。


傷が深すぎる。意識が保てているのが不思議なくらいで、痛みすらも鈍化している。


悔しい。僕の瞳から涙が溢れた。


「新入りだろ、お前。僕がここの生き方教えてやるから…いつか返せ」


…何故、あんなことを口走ったか未だに謎だ。なんて、嘘だ。彼女の笑顔を一目見たときから僕は…


僕は手の中にある種に魔力…生命力を注ぎ込む。こうすれば、種から根が伸び、花が生えるらしい。育て方がわからなかったから安易に育てることができなかった、この花を。急速な成長がゆえに一瞬で散ったとしても。


彼女がくれたこの花の種が芽吹く、その時を。


最期に見たいと願った。


祈りが通じたように僕の手の平から小さな赤い花が顔を出す。


その花の名は、よく知っている。彼女の髪留めのモチーフになってる花だ。茎の先から5枚の花弁が揺らめくその花の名は…。


僕はかすれた視界を天井に戻し、その花言葉を弱々しい小さな声で呟いた。


「君ありて…幸福しあわせ


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