第一章 学歴目当ての女 第五話
さっきからWordに文字を打っては消し、打ってはまた消しを繰り返し、結局一文字も入力できていない。
怒りで今週末期限の課題に手がつかないことに、ますます怒りが湧き上がってくる。
いくら片鱗はあったとはいえ、あそこまであからさまな発言をされると、人権のない何かだと思われていたのかと気が滅入る。
そういえば、隣の席のカップルが不安そうな目で俺たちを見ていた。
プロポーズの予定でもあったのなら、縁起の悪いもの見せて申し訳なかったな。
いや、あんな庶民的なイタリアンをプロポーズの場所に選ぶことはないかな。
少しでも冷静になりたくて関係ないことを意識的に考えようとするが、一向に怒りは収まらない。
そうこうしているうちに、鞄に入れてあるスマホが鳴り出した。
店を出て以来、あの女から親の危篤でも知らせるかのように大量の着信があったが、ことごとく無視していた。
LINEの無料通話をブロックしたら、次はスマホ本体の番号にかけてきた。
たかだが数十円の電話料金を払えば、会話に応じてもらえるとでも思っているのだろうか。
もう金輪際縁を切るつもりだったので、着信拒否にしてやったのが三十分ほど前。
なので、今スマホから聞こえてくる着信音はあの女以外の誰かからの連絡を知らせるものだろう。
本当に親が危篤だったらどうしよう。
画面を確認すると、発信先はあの女との仲介役を務めてくれた例の友人だった。
「夜にごめん。あの子からお前に謝りたいって連絡がきてさ」
俺に着信拒否されたので、唯一の共通の知り合いのこいつを最後の砦にしたか。
それも無駄だけど。
「悪いけど何も聞くつもりもないし、電話に出るつもりもない。ってか、もうブロックしたし」
「何があったか察しはついたからさ、『アイツは普段は穏やかだけど、いざ怒るときは本気だから、もう諦めたほうがいい』って言ったんだ」
流石は長年の友人である。俺の性質をよく理解している。
「そしたら、『じゃあ伝言お願い。アタシ、院の二年間くらい待てるから!アンタが院卒で就職してもアタシ、まだ23だし!二十代前半の結婚に間に合うから!って伝えて』だってよ。支離滅裂そのものだわ」
全身の力が抜けていくのを感じた。
ここまでの境地に達すると、大したもんだとさえ思ってしまう。
俺が怒って店を出て行った理由を、微塵も理解していない。
こんなに頭の悪い女に、自分が相応しいと思われていたんだろうか。
「厄介な女紹介してくれたよな…」
友人は何も悪くないのだが、あまりの虚無感に悪態の一つでもついてみたくなった。
「まあいいだろ、無料でヤレたんだし♪今日花ミララには劣るとはいえ、見た目はまあまあだし」
何、能天気なこと言ってんだ。人の気も知らないで。
確かにやることはやった。
しかし、その時々の瞬間的な快楽をかき集めても、今俺の中に淀んでいる不快感の元は取れない。
思えば、この友人から「東大生を紹介して欲しいって言ってる女がいるって」言われた時点で不審には思っていたが、あの時はとにかく空いた心の隙間を埋めたいという気持ちの方が強かった。
人を利用しようとしたという点では、ある意味俺も同じだったのかもしれない。
「ただし、不快な思い出作りに加担してしまった責任は取ろう。今から新宿来れるか?」
もう課題は諦めよう。
パソコンを閉じると、定期とスマホだけ持って外に出た。
今夜は大荒れだ。