馬に蹴られても愛し合いたい(タイトル回収部分のエピソードはありません)
種族を越えた恋愛は可能だろうか。
生物は同じ種族で愛を育む。例えば犬、例えば猫、犬は犬に恋し、猫は猫に恋をする。
違う種族が求愛行動をすることも実例はあるが、果たして本当に心が通っていると証明できるだろうか。
言葉では表せない想いはあるかもしれない。けれど、言葉に表してみると思い違いが発覚することもあるかもしれない。ペットとどれほど仲良くしていようとも、ペットは飼い主を「エサをくれる生物」程度にしか思っていないかもしれない。
だから、まずは言葉にしなければ始まらない。
気持ちが通じ合っているかどうか、言葉で確認してみるのはとても大切なことなのだ。
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鎌倉時代、見るも無残な戦場を駆ける1組の騎馬兵がいた。人の血肉で埋め尽くされた平野を歩く雌馬と、息も絶え絶えに跨がる男。
幾度の死線を越えてきたこの1組は、連戦により身も心も疲弊していた。雌馬は歩を進めるだけでも、男は手綱を握るだけでも精一杯。
それでも、後には引けない。引いたところで、帰る村は焼け朽ちている。終わらぬ戦を生き延びるために、前へと進まなければならなかった。
出血で意識も霞む中、男は雌馬へと視線を落とす。
(文句も言わず、ずっと力になってくれるなんて、お前は最高のパートナーだよ。もしお前が人間だったら、俺は惚れてたかもな)
行くも地獄、引くも地獄。立ち止まっても地獄の道のりを共に生きてきた。男が雌馬へと感謝を思い浮かべるのは当然と言えた。
だからこそ、男には心残りもある。
種族が違うから、言葉が通じない。どれほど感謝を思い浮かべていても、行動でしか示せない。
男は雌馬の背中を優しく撫でる。言葉は通じなくとも、せめて想いだけは通じてほしいと。願わくば、人間の争いに巻き込んでしまったことを謝罪したいと。
人間同士が始めた争いに、関係の無い種族を駆り出してしまうなど身勝手もいいところ。そうとは理解しつつ、頼っている男も結局は身勝手。
だからこそ男は、戦が終わればパートナーを最大限労ろうと決めていた。
そんな彼達の元に再び敵が現れる。
敵方は3人。乗馬はしていないが、長い槍を構えてジリジリと歩み寄る。
男は逃げられないと悟り、何度目かも分からない覚悟を決める。
ここを勝たなければ、未来は無い。
1度の敗北で全てを失う戦場。その最中で、男と雌馬は敵へと駆けて行く。
自由に動かない体を酷使し、応戦し、命を奪い合う。
そして、男と雌馬は敗北した。
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男が目を覚ますと、草葉の匂いがふわと鼻腔を掠めた。
(またあの夢だ。何故か俺は戦場にいて、愛馬と共に殺される……。どうして、そんな夢を何度も見るんだろう)
中学校の裏庭で居眠りをしていた男子学生の彼は、脳裏に焼き付くほどに繰り返し見ている夢について考える。
(殺される感覚もなんかリアルなんだよな。まるで、本当に殺されたみたいに……)
味わったことの無いはずの痛みに体を震わせる。すると風下から、1人の女性が歩み寄ってきた。
「冬矢君、もうすぐ授業が始まるわ。教室に戻りなさい」
女性は学生ではなく、大人。若くしてこの中学をまとめる、学校長だ。
腰下まで伸びる長い茶髪を後頭部で括り縛り、ポニーテールをふぁさと風になびかせる。
そんな学校長がただの男子学生──冬矢──のもとまで歩み寄るなど、普通とは言えない。しかし男は慌てるでもなく冷静に言葉を返す。
「なぁ、またあの夢を見たんだよ。戦場で愛馬と殺されるあの夢を。やっぱり俺、なんかただごとじゃない気がするんだよな」
敬語も使わずに夢の話を伝えた。
対する学校長は、言葉遣いを指摘せずに返答をする。
「はいはい気のせい気のせい。あんまり突拍子もない話をしても、女の子にはモテないわよ」
「嘘じゃねぇんだって。だいたい、べつにたくさんのやつからモテなくたっていいんだよ。愛だの恋だのってのは、1人の相手とするからいいんだろ」
「おっ、ずいぶんとマセたことを言うじゃない。でも、好きな人がいなかったらかなり寂しい発言になっちゃうわよ」
「好きな人くらい、いるし」
「へー、誰なのかな? 同じクラスの娘?」
「そ、それは……」
男は羞恥に顔を赤らめながら口をモゴモゴと動かす。
明かしたい。でも踏ん切りがつかない。そんなもどかしさに口を縛られる。
時間をかければ言えたかもしれない。けれどあいにく、今はその時間が無かった。
授業開始を知らせる予鈴が鳴り、休憩時間の終わりを知らせる。
「あら、本当に授業に間に合わなくなっちゃうわよ」
「うぐっ……」
今日こそは言えると思ったのに。そんな後悔が苦鳴となった。
「私も仕事に戻るわ。それじゃあね」
たたみかけるように女性も別れを告げて去って行く。男はその場を動けずに立ち尽くす。
(あなたが好きです。と、たった8文字の想いを伝えるのが、どうしてこんなに難しいのだろう)
幾度も告白しようとして、幾度も失敗してきた。今日もまた、失敗の歴史を積み重ねるだけに終わった。
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中学校の設立も携わったとされる学校長、白春。冬矢と白春は立場の差こそあれど、古くから長い付き合いがあった。
冬矢が産まれた頃から面倒もみてきた白春にとって、彼とは通常の学生と学園長という間柄でない。
ありがちな話だが、弟のような存在。……という訳でも無かった。
白春にとっても、冬矢はとても特別な存在だ。
(いつまでも誤魔化し続けるのは、無理があるのかしら)
冬矢が夢の話をするたびに頭を悩まされる。彼女には、明かしていない秘密があった。
(転生前の記憶は、少し曖昧なのが問題ね)
白春は、普遍的な人間ではない。前世の記憶が明確に残っている、転生者だ。
(いっそ、明かしてしまったほうがいいのかしら)
ただでさえ特異的な人間なのに、さらに異様の事実が存在する。
(でも私が、元愛馬だって言っても信じてもらえないないわよね……)
白春の前世は、馬。人の血肉で埋め尽くされた平野を歩いていた、雌馬だ。
それに加え、冬矢も同じく転生者である。前世の白春に跨がって戦い続けた、主人たる男。
2人──1人と1頭──は、記憶を保持したまま現代日本に転生した。白春が先に人間に生まれ変わり、20年近くの時間差があった後に冬矢も生まれてきた。
しかし冬矢は、前世での記憶が曖昧にしか受け継がれなかった。思い出そうとしても思い出せない。たまにふっと湧き上がる記憶を、テレビの映像を見るようにしか思い出せないのだ。
白春は転生の事実を打ち明けようとするも、冬矢の状態が不安定なため思い止まった。転生者だと自覚できていないところへ突拍子も無い話をされても、信じてはもらえないと考えたからだ。
(いつか、明かせる日が来るといいな)
一方的に抱いている悩みを胸の奥にしまい込み、かつての主人への気持ちをひた隠した。
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謎の夢が気にかかって仕方がない冬矢は、授業中に頬杖をついて内容を反芻する。
(べつに、戦とか社会科の授業が好きとか、そんなことは全然無いんだよなぁ。なのにどうして、戦場を雌馬と一緒に走る夢を何度も見るんだろう)
自覚が無いながらも、転生前の記憶は特別なものだと感じ取っていた。理屈ではない、心に訴える情念として。
(そういや、なんで愛馬が雌だって分かってるんだろう。夢の映像は曖昧だし、見た目での判別はできないのに)
たとえ曖昧でも、魂に刻まれた感情は決して消えない。
(そういやあの馬は、なんとなく白春に似てるんだよな。こんなことを言ったら怒られそうだけど)
馬を蔑んでいる訳じゃないけどな。と、心中で注釈を付け加えておく。
(蔑むどころか、かなり好きだ。正確には、あの馬を好きなんだ。人間が馬に恋をするなんておかしいだろうか。てか白春が好きなのに、馬も好きだなんてのは二股なのか? いやでも白春と似ているから好きなのかもだし……)
そんな思考をいつまでも繰り返しながら、午後の授業を聞き流した。
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未完部分です。
あれから紆余曲折あってラストシーンです。
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「白春、お前……」
転生前の記憶を完全に思い出した冬矢は、うつむきがちに瞳を逸らす白春に問いかける。
「馬から転生して人間になってたのか」
「…………ええ」
白春はどう返答するか迷いつつ、嘘はつけないと思い肯定した。
「どうして、今まで黙ってたんだよ。なんで誤魔化してきたんだよ」
「忘れてしまえるなら、そのほうが良かったからよ。人と死闘を続けた凄惨な記憶なんて、あっても苦しむだけ。恋愛は、前世の記憶が無くてもできるもの」
「確かに、人を殺してたなんてロクな記憶じゃないさ。けど、お前と一緒にいた時間まで否定するなよ! 苦しくても、お前と過ごした過去は宝物なんだよ! 今世も前世も関係ねぇ! 白春は白春だ! 馬だろうが人間だろうが、好きだって気持ちに変わりはない!」
互いに一方通行だった恋心を打ち明け合い、2人は時代を超えて結ばれた。
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「どうして、中学校を設立しようなんて思ったんだ?」
「もう2度と戦争なんて起こってほしくなかったからよ。人間を正しく導くには、教育機関で指揮をとるのが最善だと思ったの。中学校を選んだのは、義務教育の最後の砦だからよ」
「転生前後の思いを形にしたのか」
「ええ。とはいえそんな教育機関を、馬が作るなんておかしいかもしれないけどね」
「何言ってんだよ。今は人間そのものだし、転生前だって充分人間じみた思考をしてたんじゃないか。この中学校は、人工物だよ」
「そう言ってくれるとありがたいわね」
「こんなことになるなんて、転生前には考えられなかったな。それこそ殺された時は、ひどく悲しかったもんだ」
「ふふ、私も同じ。ねぇ冬矢、こんなことわざを知ってる? "人間万事塞翁が馬"人生における幸不幸は予測しがたいということ。幸せが不幸に、不幸が幸せにいつ転じるかわからないのだから、安易に喜んだり悲しんだりするべきではないというたとえよ」
「聞いたことはあるけど、意味は知らなかったな」
「なら覚えなさい、中学生君。私はね、このことわざが好きなのよ。人間と馬が使われていて、不幸だと思ったら今は幸せになれて。まるで私達そのものを表してるみたいじゃない?」
「……あぁ、そうかもしれないな」
2人は肩を寄せ合い、いつまでも互いの熱を感じ合っていた。
時代も種族も超えた人間と馬の愛は、ここに実った。