勇者候補の悩み①
「聖剣が抜けないぃ?」
「はい! そうなんです!」
意識を失った(どうやら魔法で短い時間眠らされているらしい)ラプラを寝床に横たえたあと、歩はオーラの言葉に顔をしかめた。
彼女は歩が渡したハンカチでどろどろになった顔を拭きながら言う。
「持てはするんですけど、鞘から引き抜けないみたいで……」
「……まぁーじぃーでぇー?」
「私だってこんなこと、今まで聞いたことないですよ! ……ちーん!」
洗って返せよ?
いろんな意味で怪訝な表情をした歩は、床にめり込んだままの聖剣に手を伸ばした。
「別におかしい感じはないけどなぁ」
試しに鞘から引き抜いてみる。しゃきんという背筋が伸びるような音とともに、黄金の刃がちらりと顔をのぞかせた。
「ほら」
「そうですねぇ……聖剣がおかしくなったってわけではないみたいですけど……」
「持てるのに使えないってのもおかしい話だもんな」
二人して床に座り込んで考えていると、部屋に顔を洗い終えたアリスがやってきた。
「あ、アリスさん」
「おふたりさん、なにしちょる?」
「じつはかくかくしかじかで……」
「ちゃんと説明しろ」
今日あったことを説明すると、彼女も顎に手を当てて考え出した。
「そんなんもあるんじゃのぉ」
「困ってるんですよ〜。どうすればいいですかアユムさん」
「なぜ見る」
聖剣のことを一番よく知ってるのはお前なんじゃないのか。そう言いかけたとき、ベッドに横たわっていたラプラからうめき声が聞こえた。
「う、うーん……だめだみんな……そっちには大きなクマが……クマ……ハッ!?」
「ひえぇええっ!!!」
「ナチュラルに僕を盾にするな」
脱兎の如き勢いでこちらの後ろに隠れたオーラに呆れてから、歩は悪夢から勢いよく目覚めたラプラをみる。彼女は顔を真っ青にしながらあたりを見回すと、歩たちを見つけて、まるでこの世の終わりかと思うような悲壮な呼吸音を上げた。
「あ、アユム……オーラ……! アリス様――!」
「お、目を覚ましたんじゃのぉ」
「ドントタッチミー! ドントタッチミー!」
「Please be quiet」
「まさかのネイティブ!?」
ラプラは起き上がったときと同じくらいの速さでベッドから降りると、綺麗な土下座をしてみせた。
「も、申し訳ございません!」
歩とアリスは、微妙な表情でお互いをみる。オーラだけはまるで子鹿のように震え、歩の背中に縋りついていた。
色々解決しなければならない問題はあるが、まずはなぜそんなに錯乱したのかの理由を聞かなければならない。
歩は自分のそばにおいておいたあの手紙を持ち上げると、ラプラに尋ねた
「とりあえず、この手紙について聞いていいかな?」
彼女は、まさしくこの世の終わりかと思うような顔をして頷いた。
■■■■
「私は孤児院で育ったんだ」
あれから数度深呼吸したラプラは、ぽつぽつと話しはじめた。
「幼いころ戦争で両親を亡くした私は、サンクヴィーラの郊外にある小さな孤児院に引き取られた」
自分の生い立ちを説明するラプラの顔は、暗いけれど悲壮ではない。自分を憐れむことなく、淡々と進んでいった者特有の乾いた雰囲気が漂っていた。
それをみた三人は、自然と表情を引き締めた。緊張した空気を感じ取ったラプラは、沈黙を是として話を続ける。
「この国は、うちが生まれる少し前まじゃごい戦争をしとった」
「そうだったんですか……」
「ああ。そこでの生活は貧しかったが、とても楽しかった。たくさんの仲間に囲まれて、私は成長した。心まで貧しくならなかったのは、あそこにいたおかげだ」
そう言うと彼女は、ここではないどこかを眺めるように遠い目をした。孤児院に思いを馳せているのだろう。ラプラは美しい思い出を瞳に宿し、微笑んだ。
「そして、孤児院の子どもたちが最も憧れる職業が冒険者だった」
「だから、貴女も冒険者に?」
オーラが真剣な表情で尋ねると、ラプラはふっと乾いた笑みをこぼす。
「ああ。仲間たちと夢を語り合うときにも、決まって冒険者が出てきた。ギルドが孤児院の子どもたちを招いてくれたときなんて、それはもうお祭りみたいだったよ……。そして私は決意したんだ。絶対に冒険者になって、子どもたちに夢を与える存在になると」
「立派な夢じゃないですか。凄いですねラプラさん」
「ありがとう。冒険者になるのは、決して楽ではなかった」
オーラの言葉に応えたラプラは拳を握る。
「働いて学費を貯め、街に奉公に出ながら冒険者学校を優秀な成績で卒業。周りが現実的な職業につくのを眺めながら、私はただひたすらに夢を追い続けた――だが!」
「――だが?」
区切り方に違和感を覚えた歩は、彼女の言葉をオウム返しした。だんだん話が妙な方向を向き出した気がする。でももうラプラは止まらなかった。身振り手振りを加えて、まるで演説しているかのように語っていた彼女は、いきなり両手を床につけて、うずくまるようなポーズをとって言った。
「冒険者になってから気づいたんだ。私は――超がつくほどの上がり症なのだと!!!」
「はいぃ!?」
「……あー」
驚くオーラを尻目に隣のアリスをみると、彼女は沈んだ顔で頷いた。視線を戻すと、うずくまっていたラプラはぷるぷる震えていた。
「実習なら大丈夫だったんだ! なのに実際にクエストを受けてみると、体がうまく動かない!」
「ちょっ……えぇ!?」
「気づけば花形であるモンスター討伐から遠ざかり、ソロで薬草を漁る日々! 鳴り物入りで来た割にはあんまり使えないなと広がる評判! 日に日に組めなくなっていくパーティー! 近づく冒険者ギルド見学!」
彼女の声色はもう完全に涙声だった。あのオーラすら呆然としているなか、流石にいたたまれなくなってきた歩は彼女を止めようとした。だが、ラプラの瞳はすでにあっちの世界に飛んでいってしまっていて、
「孤児院から届く激励の手紙! うまく言ってないですと言えるわけもなく! ――ついに……ついに……っ!」
「ついに?」
「真面目なのはいいけど煽るなよオーラ!? ラプラもういい! もういいから! もう黙ろう!?」
結局、歩の声はラプラに届かなかった。
「話を盛ってしまったんだぁああぁぁあぁっ!!!」
肺の中の空気をすべて吐き出す勢いで叫んだ彼女は、言い終わったあと力なく崩れ落ちる。
「最初はそこまで現実とかけ離れてはいなかったんだ。狩った獲物の数を一匹増やしたりとか……でも手紙を書いているうちにどんどんネタがなくなってきて――」
「よくあるやつだ……」
「嘘を塗り固めに固めて……私は一体何をしていたんだろう……」
呆然とした声が床に落ちる。それに対する答えを、誰も持ってはいなかった。部屋に訪れる虚しい静寂のなか、どっと疲れた歩が周りを見ると、他の二人も大体自分と同じような顔をしていた。だが、よりにもよってオーラが止めとばかりにとんでもないことをつぶやいた。
「うわぁ……どん引きだわー……」
「ちょおまっ! やめろ!」
「むぐ!? むぐぐー!」
オーラの言葉が最後のトリガーを引く。慌てて口を塞ぐが、それを聞いたラプラは崩れ落ちたまま、悲壮な声で謝罪してきた。
「ご……ごめんなさいぃぃいっ……!」
「いや、いいから! 気にしなくていいから!?」
悲痛な叫びを上げる少女の行為を責めるなんてできるはずがなかった。
こっちも泣きそうだった。異世界でも変わらない、若者のリアル。クローズアップ現代。
後ろにいたオーラが、手の拘束から抜け出して呆然した顔で言う。
「……ぷはっ! これが……私の世界を救ってくれる勇者様――? これがぁ? 嘘でしょお……」
「やめなさいよ!?」
「うぐっ……うぇえええぇえええん! ごめんなさいぃぃいいいぃっ!」
完全に感情を爆発させて泣き崩れたラプラにゆっくりアリスが近づき、その背中を優しくさすった。
「泣かんで。だあれも怒っとらんけぇ。落ち着きんさい。ね?」
「うわぁあああぁんっ! ア゛リ゛ス゛様゛ァ゛ァ゛ァァァ゛っ!!!」
幼女に抱きついて獣のような泣き声を上げるラプラを呆然と眺めながら、歩はは深い深いため息をつく。早く帰りたいが、まだ帰れなさそうな現状をどう打開するか、それが頭に重くのしかかっていた。