呪いの中から生まれたモノたち
――私たちは、どこで間違えたのだろうか?
くノ一しか存在しない特殊な忍者集団五元忍軍頭領「クレナイ・シノエ」は後悔を血とともに噛み締めながら膝をついた。
私を戦場で拾い、育ててくれた前頭領は自分が殺してしまった。燃え上がる屍の山から飛び立った炎の鷹は地を這う蛙を捕食し力に変え、自由を得たはずだった。
だが現実は違った。普通の暮らしを夢見ていた仲間たちと自分を、世界が見過ごすはずがなかったのだ。生き残るために仕方がなかった。そうしなければ間違いなく死んでいた。
生存競争を抜けた先にあるさらなる戦いの嵐。私たちは夢に向かって飛び立ちながらも、目の前にある嵐に飛び込むことを余儀なくされた。
命を質に取られた自分たちにとって、自由になるためにはそれ以外の道はない。たとえその先にあるのが行き止まりだとしても。抗うことは許されない。
――だから……!
シノエは燃えたぎる憎悪を瞳に宿して目の前の人物を見返す。彼女を見下ろしていたのは二〇代前半くらいの年齢の平凡な顔立ちをした男で、彼は口を真一文字に結んでこちらに視線を落としている。その表情は、何かをこらえているようにもみえた。
(ふざけるな……なぜそんな顔をする……ッ!)
三〇人の敵を二〇分足らずですべて無効化し、曲がりなりにも天才と評され並ぶもののなかった自分をあっさりと地に這いつくばらせているのに。なんでそんな顔になるのか。男はあろうことか手に持っていた鉄製の剣を地面に下ろす。その姿を見て、ついに堪忍袋の緒が切れる。
「なにをしているのですか……早く私たちを……」
周囲から聞こえる仲間たちのうめき声。入念な準備を行い、偽装した人質を使って魔術の使えない結界を張った古城に誘い出し、集団で叩き潰す。そのはずだったのに。たった一人にすべて突破された。こんな人間がいるなんて聞いていない。息も絶え絶えのシノエは、朽ち果てた古城の広間で額から汗を垂らしながらも続ける。
『自分たちの命が強制的に絶えさせられる前に、伝えなければならなかった』
「斬りなさい……ッ! さもないと……っ!」
瞬間、全身の血液が沸騰したような感覚に襲われる。それを感じ取り、シノエは表情を強張らせる。胸を満たす焦燥。早く。
「戦いに負けた私たちは――」
地に倒れた仲間たちの口から苦悶の声が響き、広間を満たす。私達が負けたことを理解した『彼ら』が、私達の命を使って目的を達成しようとしている。
自分たちの体に刻まれた奴隷の刻印。それが強く輝き、この体を文字通り燃え上がらせようとしていた。シノエは内側からの熱でひび割れ始めた顔を苦悶で彩りながら言う。
「貴方たちを巻き込んで――」
この会話も聞かれているが、どうでもいい。完璧な発動には時間がかかる。その間少しでも足掻く。そう決めたから。だが、目の前の男は微動だにしなかった。まるで何かを待っているかのように、痛む傷を押さえているときのような重苦しい表情のままシノエを見下ろしている。
体内で暴走する気の力が熱を生み出し、蓄積されていく。彼のスピードなら今からでも十分間に合う。古城そのものを消滅させるほどの威力を持つ自爆技から、今なら逃げ切ることができる。
苛立ちとともに熱で歪んだ声を吐き出す。
「もうすぐ……じば……くっ!」
ひび割れ始めた手を動かしてわからずやを後ろに押そうとするが、それを青年はすっと避けこちらを観察する。彼はなにをしているのだろう? そして古城のどこかに隠れているターゲットの夫婦は今何をしているのだろう? 不可解なことばかりが頭の中に踊る。そして――
「あ、あぁあああぁああああぁあっ!!!」
体に刻まれた刻印が完璧に効果を発揮する瞬間がやってきた。肉体に充満した炎が全身のひび割れから吹き出し始める。灼熱地獄の顕現。身につけていた忍装束が燃え落ちはじめるとともに、少女たちは人からただの死体に変わり始める。
一瞬が永遠に感じられるこの世のものとは思えない苦痛。
だが、終わることはないと思われた頭が割れんばかりの狂騒が広間を満たしたとき、絶望をかき消すような強い意志をはらんだ声が、今にも崩れ落ちそうな肉体と魂を揺らした。
「歩! 今だ!」
その声は、罪を犯した少女たちに降り注ぐ希望の光。全身が灰に変わりながらもなんとか声の方向に顔を上げたシノエは、内側に炎の灯った瞳を大きく見開いた。
大きく開いた広間の天井から見える天の階、雲の切れ間から覗く光に照らされて、一組の男女が空中に座していた。まるで神のように優雅な格好で寄り添った夫婦は二人でなにか一つの魔法陣を空中に書き上げていて、それを青年に向けて滑るように投げ渡す。
青年はその魔法陣を剣を掲げて受け止めると、流れるような動作でそれをシノエに向かって突き刺した。
「なに……を……!」
次にシノエは燃え上がる瞳を驚愕に染める。
驚くことに、剣はシノエの体からほとばしる炎を吸い込み、代わりに彼女の傷ついた体を癒やしていく。そしてさらにその効果は周囲の仲間にも適用されていた。
緑の燐光に包まれた少女は、自らの裡で暴れていた悪意が静まっていくのを感じながら目の前の青年を見る。
彼は怒りも憎しみも、欲もない瞳で彼女を見つめ、治癒がある程度完了すると静かに突き立てた剣を少女から引き抜く。
剣は余剰エネルギーを排出するかのように赤く染まり、今にも爆発しそうな勢いで震えていた。
そしてようやく沈黙し続けていた青年の口が開く。
「君たちの体に刻まれていた契約を書き換えた」
自分の顔が信じられないものを見るような表情に歪んだのがわかった。命を対価に結ばれる契約。それは魂に刻まれた絶対的な命令ということだ。普通ならそこに手を加えようものなら対象の魂はバラバラに砕け散ってもおかしくはない。だが――
「あの二人が教えてくれた」
そう言って頭上に視線をやる青年と同じ方向を見る。彼の見つめる先に居たのは、この世で最も神に親しい二人。
彼らは自分たちの視線に気づくと、はちみつみたいに甘くゆっくりとした動作で微笑み、頷いた。
それを見た瞬間、青年が弓を引くように体を反らす。
「この炎の呪いの! 返し方も!」
青年は、まるでやり投げのような動作で赤く染まった剣を放り投げた。
■■■■
「ほへ〜これが……」
「宝物庫か」
宝物庫に入ってすぐ、目の前にある金の枠組みとガラスで作られたケース――古今東西様々な世界のマジックアイテム、呪物が収められている――を見て、歩の隣にいるオーラとラプラが感嘆の声を漏らした。
それを横目に歩はシノエに話しかける。
「少し内装が変わったんですね」
「主様が凝り性なのは、もうずっと変わりませんわ。この世界に来てからも、お屋敷を細かく改装し続けています」
そう言ってから彼女は手元にある宝物庫の目録に視線を落とす。ここには歩や夫婦が持っていたものがカテゴリ分けされて置かれている。触れるだけで害をなす妖刀魔剣、精霊の封印された巻物、そんな物理法則を超越した品を隔離するために作られたのがここだ。
「んで、ここでなにを探すんですか?」
頭に?を三つくらい浮かべたオーラが歩の腕に絡みつく。その答えをすでに持っていた歩は、シノエとアイコンタクトを交わす。すると次の瞬間彼女の手元の目録が輝き、それに呼応するかのように宝物庫内の戸棚が移動を始める。
「うひゃぁ!? ……っていまアユムさん笑いました!? 笑いましたよねぇ!?」
「いや……まぁまぁ」
「ガルルルルル!!!」
そんなこんなで戸棚の移動が終了する。歩はしているオーラにもわかるように、正面を指差した。
「忘れ物を取りに来たんだ」
それを聞いて、一転表情の緊張を解いたオーラが指差した方を向いた。
視線の先にあるのは、歩を余裕で収容できるくらいの大きさのケースに入れられた、中程から折れた鋼鉄の剣。それを見た彼女は再び頭の上に?を大量に生み出す。
まじまじと剣を見つめるオーラの横に居たラプラが疑問を口にする。
「折れた剣……か? ここにあるということは――」
「ひぃっ!?」
「オーラ!?」
巫女の恐怖に染まった声を聞いたラプラがオーラの方に勢いよく顔を向ける。彼女は顔を真っ青にして片手で歩の服の袖を掴んでいた。
オーラは空いている手で口を覆いつつ声を絞り出した。
「あ、アユムさんっ!? なにあれなにあれなにあれなにあれっ!?」
「あれは――」
「焔の呪いが込められた剣でございます」
歩の言葉を奪うようにシノエが続けた。
彼女は剣の前まで進むと、手のひらをケースのガラスパネルに当てる。すると触れた部分のパネルが消失し、同時に凄まじい熱気が辺りに放出された。
熱風を受けて、更にオーラが怯えたような声を上げる。
「ひぃいいぃっ!? アユムさんアユムさん! 早くどうにかしてくださいよぉっ!?」
「あれは一体何なんだアユム!?」
そんな少女たちの様子を見ながら、歩は至極冷静に言った。
「シノエさん、驚かせるのも程々に……」
「申し訳ありません。少しはしゃいでしまいました」
そう言って彼女は指をパチンと鳴らす。するとケースのパネルがもとに戻り、頬を焦がすような熱気が途切れる。
ぺこりと折り目正しい礼をしたシノエを見てから、歩は隣で大きく深呼吸している少女二人に向かって向き直る。
オーラがげっそりした表情で呟いた。
「し、死ぬかと思った……あんな強烈な呪いをみたのは生まれてはじめてです」
「やっぱり分かるんだな――ってラプラ、落ち込まなくていいから。オーラがおかしいだけだから」
「褒めてます? それ」
その会話を聞いてラプラが怒られた犬みたいにしゅんとしたので慌ててフォローに回るが、あっちを立てればこっちが立たない。
その様子を見ていたシノエが、空いている歩の腕にいつの間にか絡みつく。
「歩様に以前のようなジゴロスキルはないのですね。わたくし、とっても悲しいですわ」
「火に油を注ぐのはやめてくれないか」
「火遁・油注ぎの術でございます」
「この場合、私はどこに挟まればいいのだろう……?」
気持ちドヤ顔で放たれた忍法にうんざりしていると、羨ましそうに見ていたラプラの視線に気がつく。羨ましいか? これ?
「楽しそうで羨ましい……」
「そうか……」
なんかごめんと誤りそうになるが、既のところで踏みとどまった。
するとラプラの状態に気づいたオーラが、顎に指を当てて数秒考え、答えを導き出す。
彼女は勢いよくサムズアップしながら言った。
「ラプラさんは……そうだ、アユムさんの首をやる権利をあげましょう!」
「首をかき切るモーションをつけるな」
いい笑顔で死刑宣告してきた巫女にじっとりとした視線を投げかけるが、言われた本人はそれを聞いて頭に電球の明かりを灯らせた。
ぱたぱた揺れる犬のしっぽを幻視するほどに表情を輝かせた彼女は、オーラに向かって満面の笑みで感謝を述べた。その瞳は明らかに正気でなく、ぐるぐる目になっている気がした。
「そうか……そうだな! 首が残っていたな! ありがとうオーラ!」
「納得しないで!?」
「行くぞアユム!」
「死ぬ死ぬ死ぬs――ぐぇえっ……っ」
■■■■
「あの剣は、わたくしたちが歩様に助けられた際に偶然できたマジックアイテムです」
「アユムさんが、助けたぁ?」
「けほっ……フィリップさんたちが助けたって言ったほうが正しいかな」
「アユム、お茶を」
「ありがとう」
シノエがどこからか用意したアフタヌーンティーセットを囲みながら歩たちは会話する。
宝物庫の一角に椅子と机を用意して優雅にお茶しているのはシュール極まりないが、休憩にはちょうどいい。
歩はラプラから差し出された紅茶で喉を潤しながら言った。
「あの剣には対象を死ぬまで燃やす呪いがかかってる」
「わたくしと仲間合わせて三〇名余りにかけられていた呪いが凝縮された結果、あのような――封印されていても気配が漏れ出すほどに力の強い呪物となったのです」
この家に施された刻印に気づくことができるほど鋭敏な感覚を持つオーラが呪いに気づくのは予想の範囲内だった。
そしてこれを使えば、あの無限に再生を繰り返す鬼のような化け物を打倒することができる……かもしれない。そういった希望からのチョイスだった。
「三〇人って……」
少女二人はしばらく絶句していたが、オーラが先に気を取り直して訪ねてきた。
「そういえばここにいるメイドさんって――」
「わたくし一人でございます」
「じゃあ、シノエさんのお仲間の方々は……」
「わたくしの……ですか?」
歩はシノエと顔を見合わせた。それをみたオーラとラプラの顔が、少しだけ悲しみに歪む。
「ごめんなさい。し――」
「メイド喫茶で働いてるよ」
「つれい……え?」
それを聞いた二人は、目を丸くして呆けた声を上げた。
歩は安心させるように落ち着いた声色を心がけて言う。
「フィリップさんとこに潜入している間にみんなメイドが好きになっちゃったみたいで」
「メイド喫茶ぁ?」
「大人気メイド喫茶『にんじゃ☆がぁでん』のね」
一人困惑しているラプラを置いて、オーラが疲れの浮き出た顔でシノエを見た。するとシノエは両手を猫の手のようにして頭の上に持って行き、完全に外向けな媚々の笑顔と声で、
「許してにゃん☆」
と言った。
■■■■
「アユムたちは大丈夫じゃろうか……」
「アリス様、少しお休みになられたらいかがですか?」
刈り上げさんの言葉をぼんやりと聞き流しながら、アリスは部屋の中を歩き回る。歩たちが出発してからある程度の時間がたった。森の中で一夜を明かす冒険者は少なくないが、彼らの強さや普段の態度を見ていると、どうにも心配になったのだ。
「彼らは性格はともかく強さは折り紙付きです。そんなに心配なさらずに……」
「じゃがのぉ」
いくら強いとは言っても、万が一もある。引き際を見間違えるような愚かさは彼らからは感じられない。だが不安が拭えない。冒険者は自分の子供のようなもの、そう教えられた彼女にとって、不安はつきものだった。だが今回は質が違う気がする。
なにか徹底的な変化が訪れている。その兆候を見逃しているのではないか。ここ数日で、彼女の常識は破壊された。それに体がついていっていないのかもしれない。
一通り考えてため息をついたアリスは、接待用のソファにぽすんと腰を下ろした。するとすかさず刈り上げさんが膝をついて口を開く。
「明日になっても戻ってこなければ、捜索隊を手配しましょう」
「そうじゃな……」
今現在の森の最深部に行ける冒険者は限られているが、出し惜しみをするつもりはない。今はただ、祈るのみだ。
そしてなにか飲み物でも貰いに行こうかと腰をあげかけたその時、地震が一瞬だけ建物とアリスを揺らした。
「なんじゃ!?」
「アリス様お気をつけて!」
心配する刈り上げの言葉を手で制しながら立ち上がり部屋の外に出ようとしたその時、再び地震が襲いかかってくる。
ソファの縁に手をついて姿勢を維持したアリスの耳に、床板を強く踏みしめる音。程なくして勢いよく扉が開け放たれた。
彼女の視界に現れたのは、依頼の受付をしているギルドの職員だった。彼はアリスを視界に収めるなり、恐怖の滲んだ声で叫んだ。
「アリス様!」
「どうしたんか!?」
「外が……!」
アリスはそれを聞くと、揺れていることなど無視して駆け足でギルドから出た。
外には殆どのギルド職員と暇にしていた冒険者が揃っていて、彼らは揃ってウーヌの森の方角を見ていた。
アリスもつられてそちらを見上げると、表情を驚愕に染める。
「なんじゃ……!? あれは……!」
呆然とつぶやいた彼女の視線の先には、遠くから見てもわかるほどの大きさを持つ赤黒い結晶の塔が、天に向かって禍々しくそびえ立っていた。
その塔が時々震え、地を揺らす。アリスは自分の不安が何故か的中したような気がしていた。
(ラプラ、アユム、オーラ……どうか無事で……!)
その祈りをかき消すような恐ろしい地鳴りが、塔から発せられた。




