異世界転移者の決意
部屋から出た歩は、ラプラのために紅茶でも淹れようと下の階のキッチンに向かう。
戸棚から食器を出したところで、背後に気配を感じる。振り向いた歩は、淡く笑いながら気楽そうに尋ねた。
「どうしたんだ? オーラ」
「アユムさん……あの……」
言い迷っているオーラに、歩は椅子を勧めた。
彼女は席にゆっくりと座ると、ポツポツと話し始めた。
「ラプラさんが気を失っていたとき、星界図で能力を調べてみたんです。もしかしたら解決策が見つかるかと思ったので」
「あ、そういえば……」
やってなかったなと思いつつ視線を巫女が持つ星界図に向ける。オーラは金の装飾がきらめくそれを指先でつまみながら、目を伏せていた。
「星界図で調べた結果は、お告げのような形で私に伝わるんです。今回、ラプラさんの力を調べたときに分かったことは――」
オーラは深呼吸してから、まるで深海にたゆたうスノーミストのような物静かさで告げる。
「光を纏いて穢れに触れよ。さすれば痛みとともに患苦を浄化せん――」
随分と抽象的だった。まあお告げと言われるとディテールがぼんやりしているイメージがあるので違和感はなかったけれど。歩は紅茶の準備を進めながら彼女をみる。
「オーラはどう思う?」
「私は……これがラプラさんの気絶に関係あることだと思っています。ラプラさんが光を纏った剣で変異体を無傷で倒したあと、痛みを訴えたことを考えるとそうとしか思えません」
「僕もそう思う。ならラプラの能力は変異体の浄化……って言えばいいのかな」
「おそらくは……」
でも、どうしてかオーラの表情は晴れない。歩はティーカップに紅茶を注いで、彼女の前に置いた。
「どうしたんだよ。君らしくもない」
「アユムさん……」
「なにか困ってることがあるんだろ? 話してくれよ」
そう言うと、彼女は目を左右に泳がせてから緩慢に口を開いた。
「能力を知った――『力の予言』を受けたとき――私の頭にひとつのビジョンみたいなものが見えたんです」
それを聞いて、歩の表情が強ばる。
「ラプラさんが赤黒い炎みたいななにかに立ち向かっていて、私はそれを見ていて……」
彼女が力を使うということは、相手は変異体? なら、ラプラの世界も関係しているのか?
歩の頭に疑問が生まれるが、すぐさま意識を現実に戻す。
説明する彼女の表情は、重苦しくて息苦しい。明らかな恐怖に染まっていた。
「ラプラさんは力を使って戦うんですけど、敵は強くて……倒れて起き上がらなくって……私、なにもできなくて」
そういうオーラの手は震えていて、紅茶を飲もうとしても取り落してしまいそうに見えた。
「星界図のこの力を使ったのはこれで二度目ですけど、こんな事があるなんて……」
一回目は恐らく歩の力を見極めたときだ。あのときは心底がっかりしたような表情をされて地味に傷ついた記憶がある。
トラウマを刺激されながらも歩はオーラを勇気づけるため、少し説得するような口調で言う。
「そんな……ただの想像かもしれないじゃないか。あまり思い詰めるなよ」
が、オーラの心に立ち込めた黒い雲は消せない。
「あれは想像なんかじゃありません。確かにお告げの一端でした。あんなリアルな映像、見たことも体験したこともありません! まるで未来の記憶を見ているような……もし、ラプラさんと世界に危機が迫っているのだとしたら……!」
そこまで言ってから、彼女はうつむく。口をつけたカップを皿に戻すと、消え入るような声でいった。
「私は聖剣の巫女として、常に同期たちの頂点に立ってきました。でも、あの世界では私はなにもできなかった。ただ見ているだけで、はっきりとした意識があるのに、それでも恐怖に支配されて役目を果たせなかったんです……!」
悔しさで歯を噛みしめる彼女を見て、歩はその使命感にカタルシスのようなものを覚える。彼女にとっては勇者の補佐をすることが何よりのプライドなのだ。どこまでおちゃらけていても、彼女は救世の巫女。世界を救う神の使いであることに変わりはない。
だからこそここまで無力感に苛まれている。できるはずなのにできなかった。もっとできるはず。かつて異世界を駆けた少年が抱いていたものととても良く似ている感情、だがそこに慢心はない。自身の実力を把握しているからこそできる態度。
――『世界を駆けた少年』とは違う。
でも、だからこそ自分にはできることがある。すべてを手に入れたつもりですべてを捨て去ってしまった自分にだからこそできる――いや、やるべきことが。
歩は沈むオーラが置いた紅茶の横に、角砂糖を一つ置く。
顔を上げたオーラに、歩は言った。
「そのビジョンに、僕は出てきたのか?」
「い、いえ……アユムさんは……」
なら、言うべきことは一つだ。
「二人でだめなら三人で立ち向かえばいい」
その言葉に、オーラは驚きの表情を浮かべる。
「で、でも……」
「でももだってもない。もしラプラとオーラに危機が迫っているのなら、僕はそれを手助けするために戦うよ。神のお告げだかなんだか知らないけどさ」
それに古今東西、運命を覆すのは勇者ではない一般人であると相場が決まっている……たぶんきっとおそらく。
歩の言葉を聞いたオーラは数秒ぽかんとしてから、しどろもどろになって言った。
「え、あ、あの……そういうことではないというか……!」
「ホワッツ?」
「その光景に至る前にアユムさんの息の根が止まっている可能性が……」
「マジか」
でもそのビジョンに自分は写っていなかったなら生存の可能性も大いにある。オーラの懸念を横においてから歩は続けた。
「例え未来の一端を見たのだとしても、そこから先は誰にもわからない。もしかしたら大逆転ハッピーエンドになるかもしれないだろ?」
「アユムさん……」
少し上向きになった彼女の表情を見て、歩は安堵する。そして、勇気を出して最後の一歩を踏み出すような明るさで告げた。
「だから、僕たちはラプラの手伝いに全力を尽くせばいい。いま大事なのは、わけのわからない絶望にくじかれないようにすることだと、僕は思う」
希望はいつも、絶望のすぐ側にある。そう、『自分の生まれた世界とは違う世界』で生き続けていた歩が、聖剣に出会ったように。
それに、世界を救うために足掻いた物語の結果がバッドエンドなんて、絶対に認めるわけにはいかない。
それも、歩の行動原理の内の一つだった。
――でも、そのためには準備が必要だ。
オーラの懸念を現実にしないためには――そう考えると自然に答えは導き出される
「ら、ラプラさんのところに戻りますね。お茶ありがとうございます」
「後でまた持っていくよ」
珍しく真面目な話をしてシリアスな雰囲気に包まれた二人は、安堵とともにそれぞれの役割を果たそうとする。
歩は部屋に戻っていくオーラに向かって声をかけた。
「オーラ、ちょっといいか?」
「え?」
振り向いた巫女に向かって、歩は続ける。
「明日、ラプラと一緒について来て欲しいところがあるんだ」




