新たなる……力?
「ここは……」
暗闇の中でラプラは目を覚ます。ズキズキ痛む額に手を当てたラプラは、過去の記憶を探った。
「確か私は……ウーヌの森の中で倒れて……」
そこからどうしたのだろう? わからない。アユムは? オーラは? 彼らを探して周りを見るが、世界は暗闇に覆われていて気配を感じることさえできない。
ラプラはとてつもなく不安になって、大声で叫ぶ。
「おーい! アユムー! オーラー!」
返事はない――が、彼女が声を上げてからしばらくして、ゆっくりと視界の闇が開けていく。そして闇の先に広がっていた光景をみて、ラプラは顔を恐怖に染めた。
「ひっ!?」
ラプラの目の前には、おびただしい数の死体が転がっていた。人も獣も関係ない文字通り死体の山の上に、ラプラは立っていた。それを認識した瞬間に濃厚な血の匂いが鼻腔を灼く。紅く染まった空の下、ラプラは尻もちをつく。思わず吐きそうになって口を押さえようとしたとき、手が血に染まっていることに気づいた。
「これは夢なのか……?」
そうであってくれ、こんなふざけた光景があってたまるか。そんな思いをにじませながらつぶやく。目覚めろ、目覚めろ、ひたすら念じるが、この世界から抜け出すことができない。全身を血に塗れさせながらも必死に思考していると、突如として世界が蠢き出す。
ラプラの目の前の地面が隆起し始め、死体の山を押しのけてなにかが現れる。
いや――
「これは……」
人間や動物の骸が寄り集まって、『なにか別のもの』が現れようとしている。だんだんと形作られてきた恐ろしいものに、ラプラは息を呑み、精神を凍りつかせた。
それは人の形をとり、ラプラの前に現れる。
多種多様な動物の毛皮で覆われた胴体、そこから伸びる腐り落ちかけた肉が巻き付いた四肢と、白く濁った瞳をギョロつかせる狼の頭。骸でできた獣人があぎとから漏れ出す黒い血が死骸の大地に滴り落ちた。
「くっ……!」
咄嗟に武器を構えようとするが、その時自分は丸腰であったことに気づく。動揺している間に、化け物はこちらにゆっくりと近づき始めた。
――駄目だ。触れられてはいけない。本能で危険を察知したラプラは距離を取ろうと足を動かそうとした。すると、ラプラが踏みしめていた死骸の中から人間の手のひらが飛び出し、彼女の足の片方をがっちり掴む。
踏み出しかけていた足を無理やり地面に縫い留められたラプラは蒼白な顔になりながら必死に体を動かすが、足はびくともしない。
怪物が喉笛を鳴らしながらこちらに近づいてくる。滴り、飛び散る腐肉と獣血の匂いと死の気配に、ラプラは叫びだしそうになるが必死にこらえた。
壊死した喉笛から漏れ出る、泡立った血混じりの唸り声。それを聞いたラプラが、あまりの恐怖に生唾を飲み込む。
「や、やめろ……! やめ――!」
だが、狼の瞳が覗き込んだ瞬間から脳に膨大な情報がなだれ込んでくる。
「――ぁあああっ!!!?」
脳の内側がひび割れ、裂けていくような鋭い痛みにラプラは目を閉じ、頭を抱えて絶叫する。
まるで一コマごとに全く違う姿になる走馬灯を見ているかのような感覚。そして、情報の濁流に連動するような形で、世界も目まぐるしく姿を変えはじめる。耳に届く聞いたことのない悲鳴と誰かがこと切れる声。鼻腔を通る燃える森林や
死体のにおい、空には死せるものの瞳に映る最後の瞬間が代わる代わる映し出される。
死の光景、残滓が屍の山に築かれた世界に充満し、少女を恐怖で大地に縛り付けた。
「こんな……っ! むごい……!」
ラプラのなかに、この光景を生きたモノたちの感情が流れ込んでくる。痛みと怒り、苦しみ、妬み僻みや絶望、無常や無念。すべてを混ぜ合わせた黒い感情が彼女を染め上げ、振り回す。
結果魂の在り処、拠り所を削られた少女の意志はあっという間に闇に堕ちてしまう。
灼熱の戦場にも、人の影が残った焼け跡にもなる世界の中で、ラプラは頭痛に頭を抱えながらもなんとか目を開ける。
瞳は闇に染められ、どこを見ているのかすら定かではない。心臓が破裂してしまいそうなほど激しく呼吸しながら、ラプラは怪物を見据えた。
少女の視線を感じた怪物はゆっくりとラプラに醜悪な手を伸ばし、その頬にそっと触れてから、囁くように言った。
――シニタク……ナイ……!
それを聞いた瞬間、ラプラは急速に自らの意思を取り戻す。そして次の瞬間、死に覆われていた世界を黄金の光が照らし、切り裂いた。
紫の髪をした少女は、見知らぬ天井の下で悲鳴とともに目を覚ます。
汗をぐっしょりかいた体で荒い吐息を吐きながら、少女は顔を左右に動かす。
「こ……こは……?」
嗅いだことのない柔らかい匂いと柔らかい布団に包まれながらも、意識は毛羽立ったまま。瞳から流れ落ちようとする涙を拭ってベッド上半身を起こしたラプラは、心のままに腕を抱いて自分が生きていることを確かめる。
心が恐怖で震え、肺から空気が抜ける。今にもしゃくりあげて泣いてしまいそうになりながらも、ラプラはそれを必死にこらえた。
「あれは……!」
さっきの夢――いや、夢と言う生ぬるいものではないなにかの中での体験。目覚めてすぐに忘れる夢とは違う、脳と魂に刻みつけられた死の傷。彼女は自分が今まで触れていたものの恐ろしさに改めて飲み込まれかける。
「私は……とんでもないものに……」
触れてしまった。言葉を噛み締めながら自らの手の中にあった聖剣を見つめ、ぐっと握りしめる。脳裏に浮かぶのは、オーラが言っていた聖剣の力についての説明。
――勇者は、聖剣から与えられた特別な力を扱うことができるんです!
魔王を倒す、勇者としての役割を果たすために。
なら、この力は……勇者とは――
そこまで考えたところで、近くで扉の開く音が聞こえた。ラプラが音の方向に顔を向けると、そこには表情を驚きに染めたオーラが立っていた。
「あ……」
「ら、ラプラさん……!」
ラプラの声を聞いた彼女の表情に喜びの色がさす。オーラはラプラが次に言葉を発するより早く、どたどたと走って始解から消えていった。
「アユムさーんっ! ラプラさんが! ラプラさんがーぐぇうっ!?」
断末魔の叫びとともになにかが倒れる音がした。次に歩の驚いた声がラプラの耳に届く。自分の暗い気持ちを吹き飛ばすような明るい声色を聞いて、少女の表情が少しだけ晴れた。
だが、彼女にはひとつだけわからないことがあった。部屋の中を見回して、ラプラはつぶやく。
「ここは、一体どこなんだろう?」
■■■■
「な……なんと! ここはアユムの家なのか! じゃあここは……異世界?」
ベッドの上で驚くラプラに向かって歩は頷く。ここは歩が暮らしている家の客人用の空き部屋だ。彼女が来るまではオーラが使っていた。
「ラプラから見るとそうなる。僕にとってはホームだけど」
「私を運んで来てくれたんだな。ありがとうアユム」
「そこまでのことじゃないよ。色々ありすぎて、帰るのが面倒だっただけ。気にしないで」
軽く会話を交わしていると、斜め後ろにいたオーラがずいっとラプラに詰め寄る。
「そんなことより、今はラプラさんの体調が肝心です!」
眉間にシワを寄せ、口をへの字にした彼女は、むむむと言いながら舐め回すようにラプラを見る。
「……オーラ、何か分かるのか?」
「いいえ! 気分です!」
「ありゃあ」
歩はずっこけそうになるのをどうにか耐える。そうしたくなる気持ちはわからなくはない。原因不明の気絶から目覚めたばかりで、まだなにが起こるかわかったものではないからだ。そんな不安を感じ取ったのか、ラプラは優しくほほえみながらオーラに言った。
「私は大丈夫だ。オーラ。聖剣の力のおかげで調子はこれ以上ないほどいい」
「でも……」
「ありがとう。でもほら、ふんす!」
布団から腕を出してダブルバイセップスをとるラプラ。防具を取り外し、普通の少女になった彼女の健康的な腕に力こぶができる。気絶している間にオーラが傷を治していたし、聖剣をずっと持っていたから肉体の調子はいいのかもしれない。
オーラが少しだけ不満そうにしながらも納得し、目を伏せたときだった。三人の耳に、妙な音が響く。
――ぱきん
変化は如実に訪れた。
その変化を目の前にして、オーラが呆然と呟く。
「あの……これ……」
続けて、歩も言った。
「ラプラ……? きみの手首から出てるそれ……なに?」
「……手首?」
歩とオーラの視線がベッド上のラプラの手首に注がれる。彼女は不思議そうに自分の手首を見ると、驚きで小さく飛び上がった。
「ってなんだこれは!?」
ラプラの左手首から小さな白い結晶が放出されていて、それが空中で寄り集まり、大きな結晶を形作っていた。彼女が驚くと同時に、結晶は砕けて手首の中に吸い込まれていく。不安から自分の体をぺたぺた触るラプラを見てから、歩はオーラのほうを振り向く。
「もしかして、これが彼女の勇者としての能力?」
「たぶん……そうなんだと思います。星界図で調べてみない事にはまだわかりませんが……」
巫女は顎に指の第二関節を当てながらつぶやいた。それを受けて、歩は深呼吸する。
――やっぱりまだ落ち着けそうにないな。
ともかく、能力が再使用可能になるまでに調べなければならないことと、やらなければいけないことが山積みだった。




