反復横跳び
「我々の世界は、滅亡の危機に瀕している」
国王のダンディーな声が、心地よく耳朶をうつ。先程よりもはるかにわかりやすい、というか簡単な説明に、歩は一人うなづいた。
「海のむこうにある暗黒大陸からやってきた、力を是とする種族である魔族。そしてそれを率いるひとりの男――『魔王』 情けないことに、数で勝るわれらは劣勢を強いられている。だが決して、数百年に一度復活する魔王に対抗するための、備えは欠かしていなかった」
「そして、僕が選ばれたということですか」
国王はゆっくりと頷く。魔王討伐ついては世界中の国々が協力するので、心配しなくていいとも彼は言っていた。
「聖剣に選ばれた勇者だけが、魔王を討滅することができるんですよ!」
後ろから声がして振り返ると、オーラがなにかを持ってこっちに歩いてきていた。それガニ股で。
国王がため息をついたのがわかった。誰だってそうするだろう。自分だってそうする。容姿は恵まれているのに、内面が汚すぎる。彼女は両手に、豪奢な彫刻の施された黄金の剣が抱えていた。
「……それが聖剣だ」
「床面擦ってる……」
ごりごりごりごりという音が聞こえる。持ち上げきらなかった鞘が、謁見の間に敷かれた金の縁取りのある赤いカーペットをぐしゃぐしゃにしているのだ。俗物すぎる女の子は、整った顔立ちをゴリラのようにしながら近づいてきた。
「これが……ふんぬっ! まお、うを……討滅……ぐぉああぁっ!!!」
「もういい……止めてくれ……」
「ゴリラだ……ゴリラ巫女だ……」
「止めてくれ……っ!」
オーラに勝るとも劣らない王の秀麗で厳麗な顔立ちを、ここまできれいな泣き顔にできるこの少女のポテンシャルは計り知れない。
結局道半ばでドグシャアと崩れ落ちた巫女に歩は近づいた。それを見て、なにを勘違いしたのかオーラが瞳を輝かせる。
「お優しいんですね勇者様……さあ私を助け起こして――」
「あらよっと」
歩は仰向けに倒れたオーラを無視し、彼女が放り出した聖剣を拾い上げる。
「ってそっちかい!」
持ち上げてみると、聖剣は羽のように軽かった。さっきまでのオーラの様子とは違いすぎて、とまどうくらいに。これも勇者だからだろうか?
国王のほうをみると、なにやら納得したかのように頷いていた。どうやらそういうことらしい。
「剣を……抜、けば……新しい力が……ぁっ!」
「……そうなんですか? 国王?」
「ああ、剣を鞘から解き放てば――世界を脅かす敵を倒すために、天から与えられる力……『ギフト』が手に入る」
「わたしのことば信用ない……!?」
説明を受けた歩はなんの感慨もなく鞘から剣を引き抜くと、黄金の剣身が現れる。
次に歩は剣をシャンデリアの光に当ててから、枯れ枝を扱うかのような気軽さで何度か振ってみた。相変わらず剣は軽く。周囲がいい意味でどよめく。
ひと通り振り終えた歩は納剣すると、それを倒れて息も絶え絶えなオーラの腹の上にそっと置いた。
「お゛っ! や……やぁっ! やば……ぁいからぁ゛っ゛! 逝っ゛……逝っちゃうぅ……っ……お゛っ!」
――どうかそのままじっとしていてくれ。
内心ため息をつきながら歩は王に向かって跪いた。それを見たグラーフの国王は、その頑然たる顔立ちを喜びの色に染める。
「なにかを得たのだな! さすがは聖剣に選ばれた勇者! この国を救ってくれるか!」
うきうきした王の顔とは裏腹に、歩の表情は乾いている。歩は心からの謝罪の意を表すため、王に向かって折り目正しい礼をした。
「このお話、無かった事にさせていただけないでしょうか?」
その言葉に、国王は鳩が豆鉄砲を食ったような表情になる。周囲も、悶絶して少し逝っちゃってる巫女もざわつく。王は、歩にもう一度問いかけてきた。
「何故だ? 魔王討伐を達成した暁には、望む褒美をやろう。もとの世界に帰ることもできる。この世界は、何度も魔王の脅威に晒されてきた。後ろ盾を気にしているのか? それとも、やはりそこの巫女が気に入らんか?」
「なん、で……わたし……が……ぶふぉおっ……!」
泡を吹いて倒れた巫女をぞんざいに指指し、料理を下げるような気軽さで国王は巫女を退場させようとする。だが顔からいろんなものを垂れ流す超絶美少女は色々な意味で近寄りがたく、触れがたかったのか、誰一人近づこうとはしなかった。
歩としてはそれもあるけれど、どうしてもネックになっている問題があったのだ。
歩は自然に、だが決して動じることはないと相手に伝わる毅然とした口調で、王に向かって告げた。
「僕の体に、なにも力が生まれてこなかったからです。オーラさんの説明とか、貴方の口ぶりだと、通常は剣を引き抜いた瞬間から体になにか変化があるはずです。でもそれがなかった。僕は魔王との戦いでは役に立たないでしょう」
「だが後から覚醒するかもしれないのでは――?」
それもあるかもしれない。でも、そうだとしても頼みを聞くことは無理だった。
「そうなのかもしれません。でも僕は自分の世界を離れたくないのです。それが叶わないのなら、殺してくれて構いません」
「それは――」
「自らの世界で生きられないのなら、僕は生きていても意味が無いのです。そして、使う意志なき力は無いものも同じ」
歩は決定的な拒絶の言葉を口にする。広がる動揺、周囲からの疑惑の視線。だが歩はあえてそれに身を晒すように、両手を広げる。警戒の空気を纏った衛兵に体を向けて、無抵抗であることをアピールする。
次に、顔だけを王に向けて、まっすぐその瞳をみた。黒い瞳に、岩のように硬い、確固たる意志を宿して。二人の視線が交錯し、王の灰色の瞳が揺れた。同時に、その鍛え上げられた頑強な肉体が、一瞬息を止める音がする。
自分の意志が伝わったことを感じ取り、歩は体の力を抜いた。国王は心底疲労の色が滲んだため息をついた。
「わかった。こちらとしても、力なきものに無理強いをする資格はない。ましてやそなたはこちらが勝手に招いた客人。――すまなかった。我々の世界に、それを扱えるものがおらぬ故……」
それは本当に申し訳なかった。だが、こちらにも止むに止まれぬ事情がある。譲ることはできない。
歩は、腕時計を確認してから、改めて国王に向き直る。
「すみません。今すぐ元の世界に戻りたいのですが……」
「それに関しては、そこにいる巫女に頼めばよかろう。生憎、目も当てられない惨状であるが……」
文字通り潰れたカエルのようになり、時折「お゛っ……お゛っ゛……!」と豚のような鳴き声を上げている美少女に、この場にいる彼女以外の全員がうんざりした視線を向ける。
文字通り使い物にならなくなった少女を無視し、歩は立ち上がった。
「彼女が回復するまで、ここでゆっくりするがよい。城内に部屋を用意させよう」
「いえ――申し出はありがたいのですが、もう失礼させていただくことにします」
すると、王は怪訝な表情をした。
「巫女がいなければ帰れないであろう?」
「いいえ。僕にはそれは関係ないのです」
歩は、自分がもといた世界のことを強く思い浮かべる。すると、彼の指先に光が宿った。歩は指先の光を使って目の前に大きな円を描く。人一人通れるくらいの大きな円が空中に生まれ。円の内側にひとりでに魔法陣が構成され始めた。まばゆい光を発しながら行われる道の工程に、気絶しているオーラと、当事者である歩以外の全員が目を剥き、王が驚愕の表情で呟いた。
「お主は、一体……!」
「すみません。それには答えられません」
歩は完全な魔法陣が目の前に現れたことを確認すると、王の方を向いて折り目正しい礼をし、魔法陣を潜って元の世界へと帰還した。
歩はもとの世界の自宅玄関に帰還する。土間の前に力なく崩れ落ち呆然としていると、いつのまにか自分の目から涙がこぼれていることに気がついた。
歩は自分の手をみつめてから周囲を見回し、朝となにも変わっていないことに安心すると、しばらくの間玄関ですすり泣いた。
「……もう、帰る場所を見失いたくないんだ……!」
その声は意識して出たものだっただろうか。
■■■■
「……なんで貴方は一人で世界渡りができるんですか!?」
所変わらず、グラーフ王国王宮、謁見の間。オーラに詰め寄られながら、歩は手に持っていたペットボトルのお茶を飲み下す。
「……なんでまた呼び出してるんだ」
「へっへーん、こっちが質問してるんですー! 答えてくれないと教えませーん!」
なんの戦いをしてるんだろう。馬鹿らしくなった歩は再び魔法陣を描き、元の世界に戻ろうとする。が、それを急いでオーラが邪魔してきた。歩の腕を取って動けなくした彼女は、慌てた様子で言う。
「あっ! ごめんなさい戻らないで貴方を呼び出すのにかなり手間がかかってるんですこのままじゃ私の巫女としての信用に関わるんです」
「ものすごい早口だ……」
胡乱な視線で彼女を見ていると、前方の国王が視界の隅に入る。彼も救国の巫女に似たような視線を向けていた。改めて自分のいるところを見回すと、謁見の間には最初歩が召喚されたときと同じメンバーが揃っていて、彼ら全員がオーラに似たような視線を送っている。
「なんでそんなに簡単に元の世界に戻っちゃうんですかぁ! せっかく帰還を餌にあんなことやこんなことを要求しようと思ってたのにぃ!」
「お前が信用出来ないからだよ! 何するつもりだったんだ!」
「そりゃあんなことやこんなことですよ! そのための鎖とか縄とか猿ぐつわとか! たくさん用意してきたのにぃ!」
「帰る! もう超帰る!」
二人で騒いでいると、国王のわざとらしい咳が広間に響いた。流石にまずいと思ったのかオーラはピタリと動きを止めると、欲望に落ち窪んだ暗い瞳をこちらに向けながら離れた。
会って二回目なのにこんなことを言うのもなんだが、神に愛された容姿をドブに捨てることだけは超一流らしい。
国王は使命感に満ちた瞳で二人を眺めながら、玉座に座ったまま口を開いた。
「話を戻すとして、何故お主は世界を渡ることができたのだ?」
こうなっては仕方がない。歩はため息をついてから言った。
「僕が生まれつき持っていた力です。望む世界に移動する力、簡単に言うと、ですが」
「なにそれチートじゃな――むぐぐ!」
「黙っててくれないか……っていうかなんでそんなに現代っぽいんだ!」
なんとなくオーラの扱い方を覚えたくないけど覚えた歩は、彼女の口を自分の手で塞ぎながら叫んだ。
騒ぐ二人を尻目に、国王は顎に手を当てて感嘆の息を漏らしていた。
「驚いた……まさか生まれつきそれほどの力を持つ者が存在しているとは」
「そこまで便利ではありません。移動には制限もあります」
周りにいた人たちも、口々に自分の能力について隣と話したり、活用法を呟いたりしている。気味悪がっているものもいた。まあ、予想通りだ。唯一違うのはこの女、オーラだ。さっきから妙に鼻息が荒い。体を密着させてきている。こいつ……!
「オーラ。離れてくれないか」
「いふぁ……ふぁふぁふぁふぁふぁ」
「いや何となく分かるけど……」
開放してやると彼女はわざとらしくしなを作って床にへたり込み、これまたわざとらしく、潤んだ瞳で上目遣いしてきた。
「勇者様って……意外とテクニシャンなんですね……それに強引……っ!」
「僕の名前はヨシザキアユムだ。変なことを言わないでくれないか」
なにを食ったらこんな性格になるんだ。親の顔が見てみたい。養豚場の豚を見るような目で彼女を見ていたら、何故かオーラは頬を紅潮させ、恥ずかしそうに視線を逸す。
「とりあえず帰ります。もう呼ばないでください」
そう言って魔法陣を起動させて帰る。振り返ると捕食されそうな気がしたので、頑張ってうしろを見ないようにしながら。
その時の歩は、この出会いが自分の生活を破壊するだなんて思ってもいなかった。