勇者の資格
「ら――ラプラさんっ!?」
「お……ら……」
肉を食い破られるのは、こんなにも辛いことなのか。じたばたともがこうとするが、全身を痛めつけられたせいか苦しんでいる割には指一本動かない。頭と肩口からの出血で意識も朦朧とする。でも痛覚と本能だけは敏感に叫んでいた。抗うことをやめてはいけないと。まるで闇に差し込む一条の光のように。
そしてその直感を裏付けるように、だんだんと身体の感覚が麻痺してきた。これが死のカウントダウンなのか反撃の狼煙なのかはわからないが、乗らない手はない。痛みを忘れ、身体を動かせるようになったことだけはわかっていた。
更に幸運なことに、自分の感情の爆発に合わせるように、突如として耳に轟音が轟く。異様な音に怪物たちが一瞬怯む。――チャンスだった。
右掌を直角になるように動かす。すると腕につけた革鎧の腱辺りに仕込まれた小さなナイフの柄が顔を出した。それを指を使って取り出すと、油断しているヨロイグモの子供の頭に突き立てる。
これにも魔法陣が刻印されていて、触れる直前に起動することで刃が炎を纏い、ただ突き刺すより威力を向上させる。
「ピギィッ!?」
「油断した……なっ!」
そのまま脳天を抉り、絶命させる。ぐでんとしたクモの死体を避け立ち上がろうとしたが、もうすでに体が限界を超えているらしかった。立ち上がることはできず、這いつくばって仲間の方へ進む。変異体たちは死にかけの冒険者より、まだ力を残しているオーラを集中的に狙うと決めていたようだ。たとえ自分たちの仲間がやられようが、当初の目的にブレはなく、機会的な冷徹さでオーラの力を削り取っていった。そして、ラプラが動かない身体を引きずっている間に、子グモたちはオーラの防壁を突破する。
光り輝く透明な防壁が砕け散り、それを通り抜けた攻撃がかすったせいでオーラが背後の樹木にしたたかに打ち付けられ、力なくずり落ちる。
その様子を見て、ラプラは再び獣じみた声を出す。
「うあぁああああっ!!!」
やはり自分ではだめなのか、そんな思いが胸の中を満たす。
――助けなきゃいけない人がいるんだ。私を頼って時空を超えてきてくれた友人を助けられるのは私だけなんだ。だから――!
――動け、動け……! 私が諦めるわけには行かないんだ! 友を助けることを、諦めるわけにはいかないんだ!
本能のままに、言葉を口にしていた。それは裏表の存在しない、真実の言葉。
ラプラは自らの魂を震わせながら、天に届かんばかりの切実さで叫んだ。
「動けぇえええええぇえっ!!!」
次の瞬間、目の前に純白の雷が迸った。
光に包まれたラプラの目の前に現れたのは、歩が手にしていた聖剣だった。まるで彼女を試すかのようにふよふよと浮いているそれを見たラプラは、何故か周囲から音が消えていることに気づく。周りをよく見ると彼女と聖剣以外のすべてが灰色に染まり、同時に動きが消えていた。
「これは一体……時間が止まっているのか?」
口にしてから、身体を実感が満たしていく。目の前で襲われているオーラも、襲いかかろうとしている小グモも、それら全てが色を失い停止していたのだから。
単色に染まった世界で一際存在感を放つのは、目の前に浮遊する聖剣のみ。ラプラはこれが意味するところを、なんとなく感じ取る。
――私の願いを聞いてくれたのか?
そうとしか考えられなかった。生まれてはじめて心の底から力を望んだ。動け、と。それは自己暗示でもあって、同時に身勝手な力の渇望でもあった。それに、この剣が答えてくれたのだとしたら――。
拒む理由はない。ラプラは時間をかけてありったけの力を絞り出し、立ち上がる。そして鞘に収められた聖剣を手に取る。初めて触れたときと同じ、羽のように軽い。そして決定的に違う。
「ありがとうアユム。少しの間、借りさせてもらう……!」
ラプラは瞳を閉じると、確かな確信を持って、剣を鞘から引き抜く。金属同士が擦れ合う心地の良い上品な音が耳に届いた。ためらいはなかった。そして、剣を完全にモノにした瞬間――身体に失われていた活力が溢れ、同時に新たな力がその身に生まれる。
ラプラが目を開けると、世界を覆っていた灰色の膜が晴れ、色鮮やかな世界が戻ってくる。耳に触れる風、木の葉が擦れる音、そして目の前の変異体たちの奏でる殺戮のメロディー。
最初に変化に気づいたのは、オーラだった。息も絶え絶えにこちらを見た彼女は、ラプラが手に持っているものを見て、喜び驚き、瞳を潤ませた。
「それは……っ!」
「ああ――!」
背後から生じた異様な気配に、子グモたちが振り向く。彼らに対し、ラプラは毅然とした態度で告げた。
「私の大切な友人を、これ以上傷つけさせはしない!」
クモたちは本能的に危険を感じ取ったのか、すぐにターゲットを変えてこちらに襲いかかってくる。ラプラは自分を取り囲むクモたちを前に微笑んだ。今のラプラにとって、彼らは敵ではなかった。ラプラは目の前に迫るクモ糸を用いた弾幕全てを右手の剣を使って叩き落とすと、柄を握る手に力を込めた。すると聖剣の刀身に『純白の輝きが宿る』
「覚悟しろ――!」
そして、その状態の聖剣を上段から一気に振り抜いた。
「でぇええぇえぇりゃあああぁあああぁっ!!!」
刀身に満ちた光が大きな流れとなってクモとオーラを包み込み、天に伸びる巨大な光の柱となった。それは穢れた地を浄化する、神の光のようでもあった。
高貴なる白に飲み込まれた世界に、清められた者たちの叫びがこだました。
「キィエエェエエエエッ!!!」
「ぎぃいやぁあああぁああぁあああっ!!!」
「間違えたあああああああっ!!!?」
■■■■
歩は、自らの喉から溢れ出る血液に、濁った声を上げる。
「――ごほっ」
歩の腹には、中ほどからへし折れた赤い剣が突き刺さっていた。苦しげに顔を歪める歩をみて、それを突き刺した張本人が笑った。
歩がなんとか顔を上げると、吐息が触れるほどの距離でこちらを見つめる紅い鬼の顔が視界に入った。相手は満足げな笑いを歯と歯の間から漏らすと、『背中から生やした翼をこれみよがしに羽ばたかせた』
まるで悪魔が生やすような凶悪なディティールのそれが、血なまぐさい風を運んでくる。聖剣の一撃で炭化した怪物の腹はすでに代謝を果たしていて、再生を示す新鮮な色の肉が傷口から覗いている。
「ザンネンダッタ……ナァ!」
「ぐ……うっ……!」
そのまま勢いよく腹を掻っ捌かれた歩は、糸の切れた操り人形を思わせる無機質さで大地に倒れ伏す。身体を濡らす自分の血液と、鼻腔を焼く血の匂い。大切なものが流れ出し続け、いずれは魂すら抜け出してしまいそうな歩に向かって、再び剣が振り上げられる。
「ジャアナ、ユウシャサン」
遠ざかっていく意識、歩の意識は二度と帰れないかもしれない深淵に沈んでいった。




