狡猾な罠
「くっ……!」
「アハァ……ッ!」
歩は上段から斬りかかってきた怪物の剣を受け止める。触れ合った刃がチリチリと火花を上げる様を至近距離から見つめつつ、それとは無関係な汗を流す。
二人同時に剣を跳ね上げ、がら空きになった腹部に同じように蹴りを打ち込む。背中まで突き抜ける衝撃に、お互いよろめいて距離ができる。
片方の手に持った鞘を楔代わりに地面に突き刺した歩は、滲んだ汗を拭いながら前を見た。
前方には、蹴られた場所を確かめるように腹を撫でる赤鬼の姿。
――やっぱりこいつ、強い……!
ここに至るまで数度剣を交えて、更にその思いは強くなる。こいつは今まで戦ってきた変異体とはレベルが違う。聖剣を持った自分と同じくらい強い、いや――
「ハッハァ!」
「ぐぅっ!?」
すぐに体勢を立て直しこちらに突撃してくる怪物の一撃を、今度は両手で剣を持って受け止める。その上から押し込むように何度も剣を打ち込んでくる怪物に、歩も負けじと応戦する。
黄金の剣と血のように紅い禍々しい剣がぶつかり合い、火花を弾けさせる。そして一瞬の隙を突いて、歩が怪物の腹をなで斬りにする。だが、怪物はひるまず肩に剣を振り下ろしてきた。判断する時間は一瞬しかない。歩は避けることを選択する。間一髪、地面を蹴って倒れ込むように跳躍する。だが左の肩口から脇腹にかけてを鋭い痛みが走り、歩は勢いそのまま転がった。
歩は傷口を隠すように手で覆いながら、目の前をにらみつけた。剣を振り抜いた怪物は、ゆらりと立ち上がると挑発的に剣を掲げてくる。
自分が先程相手につけた傷は、既に塞がっていた。それをみた歩は自分の中にあった嫌な予感が的中したことに内心舌打ちすると、無言のまま背負ったリュックを地面に降ろし、両手で聖剣を構えた。
歩が力を込めると、相手の攻撃を切り裂いたときと同じように光の長大な刃が顕現する。頭上を切り裂く黄金の光、人間一人なら跡形もなく消滅させてしまえそうな攻撃を前にしても、怪物はたじろがない。
むしろそれに対抗するかのように、むき出しになった歯と歯の間からなにやら呪詛のような言葉を発する。
すると、彼が持っていた剣が仄かな輝きに包まれ、周囲に燃え広がった炎を吸収していく。何かを唱えてから数秒後、炎を吸収した怪物の剣は歩の持っている聖剣に負けないくらいの大きさの、炎熱を発する光剣と化していた。
明らかに獣が持つべきではないたぐいの力。何かしらの技術によって成り立った光刃をみて、歩は必然的にある疑問を抱く。
今まで出てきた怪物は、変異体と言われるたぐいのものだった。特定条件下において凶暴化し、攻撃的な変化を遂げた野生動物たち。でもこいつは違う。人語を解し、喋ってみせる知性を持つ。そのうえこんな――傍から見たら『魔法』としか言いようのないものを操るなんて。
アリスは森に潜む脅威について、変異体以外は毒をもつ生物や険しい地形くらいしか言ってはいなかった。彼女が言い忘れるとも思えない。それに、こいつの全身を覆う血液を凝り固めたような禍々しい装甲。見覚えがありすぎる。が、思考をまとめている余裕などなかった。遊びに付き合っている暇はない。調べる必要があるなら残骸を持って帰ればいい。優先順位はわかりきっている。
再生して足止めしてくるなら、それができないくらい派手に消し飛ばしてしまえばいい。剣術や身体能力が拮抗しているなら、それが関係しない火力のある方が勝つ。準備が完了したことを肌で感じとった歩は、一気に手に持った剣を横薙ぎに振るう。
「でやぁあああぁっ!!!」
天高くそびえる光の刃が怪物に迫る――が、怪物もただやられはしなかった。わかりきっていたことだが、相手も自身が生み出した炎の刃を振るい、歩の力を打ち砕こうと自身のそれを歩の剣にぶつける。両者がそれぞれの力で伸ばした刃が衝突し、強風を伴った衝撃が生まれる。指向性の光の奔流と爆炎の嵐が拮抗する。
柄から伝わる確かな手応え。手のひらの中に生まれた抵抗。それを受けて直感が働く――いける。
耳に多数の変異体のうめき声が聞こえた。観客のごとく、あるいは死肉を待ちわびるハイエナのように事態を見守っていた凶獣たちの悲鳴を耳にした次の瞬間、歩は全力を込めて腕を振り抜く。すると、全てをかき消すような爆発が光刃の衝突部から発生し、周囲一帯を衝撃と土煙で包み込んだ。
そして、その煙幕を突き破るように吹き飛んだのは怪物の方だった。相手は中程からへし折れた剣を持ったまま低い放物線を描き、近くの樹木に背中から激突する。
歩はそれを追うようにして飛び出す。木に背中を預けている怪物に向かって跳躍し、ためらうことなくその腹を突き刺す。
「これで――!」
「グァウッ!?」
「終わりだぁあああぁっ!」
肉を切り裂いたと同時に手に力を込め、再び光の刃を発言させる。背後の樹木を貫通した聖なる光が怪物の腹部を炭化させ、苦悶の声を上げさせる。そのまま振り抜き、真っ二つにしようとするが、腕を怪物に掴まれて動かなくさせられる。
「ヤラセハ……シナイ……!」
その口からは、今までのふざけたものとは違う色が混ざっている。真剣で、切実とさえ言っていいほどだった。歩は理解できなくて口を開く。
「どうしてそこまでして僕の邪魔を――!」
「グ……グアァアアァアッ!」
焼き切られている最中の怪物がたまらず叫び声を上げる。会話など最初からするつもりがなかった歩は、痛みに呻いている今がチャンスだと信じ、両腕に力を込め続ける。苦痛のあまり全身を痙攣させはじめた敵の姿に、人間を斬っているような気持ち悪さを覚えながら、歩は剣に上方向の力を込めた。
背後の樹木を切り裂きながら、ゆっくりと怪物の身体が浮き上がる。このまま順調に行けば、遠心力を加えた斬撃で文字通り怪物を真っ二つにできるはずだ。
そして歩が怪物を力任せに切り裂こうとした、その時――
――動けぇえええええぇえっ!!!
頭の中にラプラの声が響く。それを聞いた歩は、弾かれるように顔を上げる。
「……っ! ラプラ!? どこに居るんだ!?」
歩が言った次の瞬間、返答の代わりに聖剣から今までとは別種の――雷のような――輝きがほとばしり、歩を吹き飛ばした。
■■■■
「『ラ・フレーモ!』」
背負ったオーラが上空に火球を打ち上げる。まばゆい光を発しながら青い空を切り裂いていく火の玉を見て、走りながらラプラは子供の頃に見た流れ星を思い出した。
「アユムさん、気づいてくれるでしょうか?」
「信じるしかないさ! それよりも今は逃げることだけを考えよう!」
ラプラはオーラをおんぶし、ブーツに刻印された魔法陣を起動。それによって風のようなスピードで森林内を駆けていた。後方から忍び寄るツルギグモの子どもたちの迎撃を巫女に任せることで、一定の安全は獲得していた。
「ああもう! 本来なら詠唱破棄が基本なのにぃ! 巫女生活一六年の中で一番の不覚ですよぉ!」
「随分とレベルが高い……」
その言葉が本当なら彼女の技術的な習熟度は、まさにこの世界における帝国の上級魔術士クラスと言ってもいいだろう。聞いているだけでも気が遠くなりそうだ。異世界からやってきた剣と不思議を携えた異邦人ふたり、彼らはラプラの常識をあらゆる角度から破壊していった。
そしてこの油断と恐怖と甘えが作り出した今この状況の中でも、オーラは希望を失っていない。それはきっと、自分の実力と状況、全てを計算に入れてのことなのだろう。全く底知れない人だ。
背後から迫るカサカサした足音に気を取られそうになる。でも今は前だけを剥いていなければならない。今の自分は姫を守る騎士ではなく、彼女を安全なところにまで送り届ける騎馬だ。
背後から聞こえる足音とは別の風切り音。オーラが何やら慌てた様子で呪文を唱え、直後にやわい衝撃を体が覚える。やたらと硬い何かが壁に衝突したような音だったが、一体何なんだろう?
「今のは一体――」
だが、全てを言い終わる前に何が起こったのか察する。自分から見て右斜め前にある樹木が弾け飛び、こちらに向かって倒れてくる。それを風をまとった足で軽々飛び越える最中、破砕した部分を見た。なにやら白い粘着性の物体がこびりついている。
それが何なのかは、自分たちを追いかけている狩人のことを考えると察しがつく。
「蜘蛛って口から糸を弾丸にして飛ばせるんですねぇえええっ!!!」
「変異体だからな……っ!」
後ろからどんどんやって来る衝撃を考えるに、オーラが魔法で敵の攻撃を弾いているのだろう。視界の端で上がる土煙をみると、当たれば自分たちの身体に穴が開くほどの威力だと考えられる。絶対に当たるわけにはいかない――が、ラプラの耳に、またも今までとは違う音が聞こえてくる。それはこの爆発音の隙間を縫うようにして、密かに近づいていた。通常なら気づけないであろうかすかな変化。気づけたのは冒険者としての本能か。
「オーラごめん! 少し揺れる!」
「ほへぇ!?」
危険を感じ取り急停止する。風の魔法で衝撃を軽くしているとはいえ、文字通り超人的なスピード(なので町中での使用は厳重注意の対象となる)で進んでいたので、それなりに身体は前後に揺れた。
急停止したラプラの目の前を純白の一閃が通り抜ける。それは鋭い音を立てて周囲の木々を貫通する。間一髪で生命の危機を回避したラプラは、青い顔をして目の前の境界線を見つめた。だが、停止を見からったように止まっていたはずの蜘蛛の糸が再び動き出し、貫通した木々を切り裂きながらこちらに向かって来る。
動き出すまでの間に少しタイムラグがあったのが幸いし、斜め後ろに飛んでそれを回避する。――が、
飛び上がった直後、耳に枝を折る音が聞こえる。それを聞いたラプラは素早く顔を横に向けるが、既に遅かった。振り子運動の容量で子グモにぶつかられ、背後のオーラが空中に投げ出される。視界に一瞬星が散るほどの凄まじい衝撃に、ラプラも吹き飛ばされる。
「ら、ラプラさっ!?」
「これは……っ!」
彼女がどうなったのかは、今の自分では確認できない。
かなりの勢いで吹き飛ばされながら、ラプラは歯を食いしばった。魔法を使っていることを逆手に取られたのだ
ラプラのブーツに刻印されている魔法は、使用者の足に風を纏わせることで走行スピードとジャンプ力を強化するものだ。その走り心地、飛び心地はまさに『浮遊しているかのよう』。人を一人背負っているぶん、ラプラは靴に魔力を多く込めていた。それも仇になった。
滞空時間や走行スピードは、ほぼ一人でブーツを使用したときと変わらない。落ちるスピードは、『ゆっくり』だ。
彼らはずっと待っていた。当たらないとわかっている攻撃で相手を油断させつつ、最高のタイミングで罠を発動する。ぞっとするほどの残忍さ。まるで読めなかった。
だが後悔する間もなく、空に浮いていたラプラの左足に向かって目下の茂みから粘着性のクモ糸が射出され、絡みつく。完全に空中での動きを支配されてしまった。そのまま縦横無尽に空中を振り回される。
荒れた海に投げ出されたかのような荒々しい挙動。魔法を切ってはいけない。この魔法のおかげで、空中における移動速度にはある程度の制限がかかる。今の状態で魔法を切り、自由落下を開始すれば――考えるだけでおぞましい。だから、耐えるしかなかった。
周囲に生い茂る木々にガンガンぶつかる。流星群が起きるくらい、視界に星が散り続ける。ラプラは振り回されながらも身体を丸めて身を固くし、耐え続ける。そして、全身を余すところなく打ち付けたところで、蜘蛛からの操作は終わりを告げた。
身体に伝わる衝撃、風魔法のおかげで落ちる勢いはそこまででもない。青あざだらけになった肉体を痙攣させながら薄目を開けると、次に目の前に広がる光景を見て苦痛に満ちた表情を浮かべる。
「おー……らっ……!」
ラプラの目の前には、五匹の小グモを前にして防壁を展開するオーラの姿。彼女は樹木を背にし、クモたちが射出する硬質な糸と砲弾に耐えている。その額からは自分と同じく血液が流れていた。彼女の必死な姿に意識を奪われていると、ラプラの上に黒い影が覆いかぶさってくる。
「く……」
「キィイエエアアアァアッ!!!」
六匹居た小グモのうち一匹がラプラの上半身にのしかかってきた。その一匹だけは、と他の子供と違ってラプラに執着していた。もしかしたら巣で弾き飛ばした個体かもしれない。抵抗する間もなく小グモは肩にその牙を突き立てた。肉が裂ける感覚。鈍痛を突き破って現れる鋭い感覚。ラプラは意識もしないうちに吠えていた。
「く……ぁああああっ!!!」
少女の悲鳴とともに風が吹く。それは彼女の声が森を揺らしているかのようだった。




