交差する危機②
「グオァアアァアッ!!!」
轟音を立てて、ヨロイグマの変異体が崩れ落ちる。もう何匹倒したかわからない獣の死体を前に、歩は聖剣を煌めかせた。それが威嚇となり、周囲の変異体を躊躇させる。
明確な敵意を瞳に込めて周りを一瞥すると、わかりやすいくらいに彼らはたじろいだ。でも決してこちらから手は出さない。対象に、超えてはいけないデッドラインを意識させるために。
歩は深呼吸し、一歩踏み出す。だが、猛獣たちは一歩も退くことがなかった。
「死ぬのが怖くないのか!」
斬っても斬っても出てくる。どれだけ力の差があっても、獣たちは瞳を血走らせてこちらに向かってくる。まるで一つの群体であるかのように。自分一人を潰すために、この森全体が襲いかかってきているのではないかという疑念すら思い浮かぶほどに。
まるで生存本能が闘争本能にまるごと置き換わっているかのような刺々しい気配。周りを埋め尽くす赤い敵意に、歩は背筋の凍る思いに襲われる。
「ギャゥウウッ!!!」
包囲網の中から、一匹の赤い狼が飛び出してくる。肩に喰らいつこうとしてきたそれを歩は身をそらして避け、着地した隙を見逃さず剣を持った片手をスナップさせる。黄金の剣閃が狼の胴体を真横に走り抜け、遅れて切断されたそこから血が大地に滲んだ。
今日だけで聖剣の扱いにだいぶ慣れた気がする。初めは力加減も分からずに適当な力で斬りつけていたけれど、今はどれくらいの力を込めれば楽に相手を死に至らしめられるのか、だいたいわかっている。
焼けた屍の山か、血の海に沈む死骸か、どちらがいいのかは歩にはわからない。ただ、目の前の障害を突破することだけに集中する。
どんな手を使ってでも、二人を助ける。硬い決意を胸に、凶声を発し続ける変異体の集団に向かって剣を構え直す。歩が聖剣に強く力を込めると、刀身がまばゆい光を発しはじめる。
歩は腰を低く落とし、ざらざらした息を吐き出す。
力強い光が長大な光の刃になり、強大な力を顕現させる。なぎ払えば間違いなく敵を一掃できる力をにじませる光刃に獣たちがひるむ。
だが、歩がそれを振りぬこうとした時に異変は起こった。
突如として耳に飛び込んできた風切り音、歩は反射的にそれが自分に向けられているのだと理解し、死角からの攻撃への迎撃のために聖剣を当初とは違う軌道で振り抜いた。何かを両断した手応えと爆発音。一拍遅れて切り裂いた攻撃が弾け周囲に火の雨が降り注ぐ。自分取り囲むように形成されたプロレスのリングほどの大きさの炎の檻のなかで、歩は叫ぶ。考えるよりも先に口が動いていた。
「何だ!?」
言いながら背後をみると、陽炎の向こうでこちらを見つめる瞳があった。『それ』をみた歩は、ただならぬその様子に表情を強張らせる。
一言で言うならそれは、『人型の化け物』としか形容しょうがない姿をしていた。有機的な形状の濁った紅色をした装甲を身に纏う怪人が、一対の角が生えた骸骨のような形状の頭部をかしげている。落ちくぼんだ眼窩にはめ込まれた白目から発せられる視線が、歩のそれと交錯する。
人の顔から皮と肉を剥いで角をくっつけたみたいな紅く恐ろしい貌。表情こそないが、そこから発せられる呪いのような敵意はびりびりと肌を通して伝わってくる。
何もわからないけれど味方でないことはひしひしと感じる。獣たちが発する総体としての殺意とは別の、たったひとつの標的を確実に仕留めるために研ぎ澄まされた刃のような殺意。
歩は周囲の獣たちにさり気なく視線を走らす。彼らはあの人型の怪物が現れてから、まるで不可視のテリトリーができたかのように微動だにしない。あの聖書に出てくる悪魔をそのまま実体化させたような化け物は、どうやら彼らにとっても恐ろしいもののようだ。
その不安を表すかのように、風にこすれる草木たちの音に紛れて変異体たちの動揺が滲んだ声が耳に届いてくる。
炎のフィールドから発する熱とは無関係な汗を背中に感じながら、歩は剣を怪物に向けた。相手は自分に意識が向いたことを確認すると、肉が爆ぜるような音を喉から出し、次に、
「――ジャマヲ、スルナ」
口を欠片も動かさず、歯と歯の隙間から、エコーのかかった声を出した。
予想外のことに精神が一瞬揺さぶられる。そして、この空隙を見逃すほど、怪物は甘くなかった。
相手が軽く地面を蹴る音が聞こえたと同時に、炎の檻を突き破った怪物が目の前に現れる。一瞬で距離を詰めた怪物は、至近距離で右腕を振るう。上半身のひねりを加えたコンパクトな打撃。熊が殺戮のために無造作に動かす前足とは根本的に違う。顎下を狙った知性を感じる一撃。
歩は自身の強化された身体能力を総動員し後ろに跳躍を行う。ゴツゴツと尖った怪物の肘が歩の下顎をかする。心を鷲掴みにされたような感覚に陥りつつも、歩は2mほど相手から離れた。
顎のラインに走る焼けるような痛みに、歩は顔を歪める。
「くっ……!」
歯を食いしばるだけでも痛みが生まれる。首筋を走る血を袖で拭いながら、歩は怪物を見かえした。
聖剣の力がなかったら、確実に顎を吹き飛ばされていた。確実にそう感じる。心を毛羽立たせる恐怖を追い払うために、いつもより強い調子の声が出た。
「邪魔をするなって――どういうことだ!」
それを聞いた怪物は喉に血が詰まっているかのような音を発する。体を揺らしているところからして、笑っているのだろうか? 甲殻類にも似た赤いザラザラした装甲が擦れて音を出す。怪訝な瞳で眺めていると、怪物は突如として動きを止め、次にその尖った手で、鎧のような表皮に包まれた腹を貫いた。相手は駆け抜ける痛みに呻くと、次に自らの腹から一振りの剣を引き抜いた。
怪人は自分の表皮と同じ禍々しい色の剣についた体液を振り払うと、それを顔の横に構えて姿勢を低くする。まるで牙を剥いて威嚇するかのような姿に、静かに絶句していた歩は気を取り直す。頭の中で鳴り響くサイレンに従い、歩も先程と同じように腰を落として今度は鞘も一緒に構えると、鋭い視線を相手に向けた。
「悪いけど助けなきゃいけない人がいる。君にかまっている時間はないんだ!」
相手はこちらに目的を教えるつもりはないらしい。外側に延焼を続ける炎のリングの中で二人はにらみ合い、やがて誰に言われるでもなく、敵意をお互いに向けて走り出した。
周囲に、甲高い金属音がこだまする。でも、それを聞く人は誰もいない。
■■■■
「う……ん……? あれ……? ――ってら、ラプラさんっ!?」
「あぁ! よかった! オーラ、気がついたんだな!」
小グモを衝撃で弾き飛ばし、その勢いでオーラの糸と自分を拘束している蜘蛛の糸を絡ませ合うことに成功したラプラは、オーラの顔を至近距離で見つめ安堵する。ぐるぐる絡み合っているときは本当に吐きそうになったが、いまはもうそんな気持ち吹き飛んでいた。
上が騒がしくなっていることはわかっている。手短に済ませなければならない。
ラプラは目を白黒させる巫女に向かって、早口で告げる。
「とりあえずラプラ、この糸を解けるか!?」
「え、えぇ……まぁ今なら動いてないですし……」
「じゃあ今すぐこの糸をどうにかしてくれ!」
「は――はいぃっ! 『ラ・ヴェント』!」
超至近距離で言われたせいか、かなり慌てた様子で彼女が奇妙な言葉を呟く。すると、ふたりを拘束していた粘着性のある糸が見えない刃によって切り裂かれ、ラプラとオーラは信じられないほどあっさりと巣からの脱出を果たす。地面に落下したふたりは、潰れたカエルのような声を上げる。
「きゃあっ!」
「んぐぅっ!」
抱き寄せてクッションになろうと思ったけれど、それをするためには高度が足りなかったらしい。横でオーラがいくらか晴れた声を出す。
「痛ったぁ〜い……」
仰向けに地面に落下したラプラは起き上がって地面に膝をつくと、となりでうつ伏せになっているオーラに視線をやる。
「ラプラさん、大丈夫ですかあ?」
「あぁ。オーラもだ――」
が、横を向いたことで視界に現れたオーラとは違う別のものをみて、ラプラは顔を青くした。
その様子をオーラは、焦点の合わない視線でみつめていた。
「あれ……ラプラさん……?」
「み、見るなっ!」
「ぐぎゃうっ!?」
ラプラは巫女の視界が完全に明瞭になる前に手を伸ばし、その目を塞ぐ。次に素早い身のこなしで彼女の背後に回ると、もう片方の手で口も覆う。オーラを無力化したラプラは、彼女の耳元でそっとささやく。
「てきが……敵が上にいるから……!」
「ふぉふぉふぉふぁふぇふふぇ。ふぁふぁふぃふぁふぃふぁ」
「ありがとう……」
なにいってるかわからないけど。
ともかくオーラを沈静化することに成功したラプラは周囲を見渡す。自分たちの今いる場所を改めて確認し、危機感から生唾を飲み込む。
(これは、みせられない……!)
二人の周りに広がるのは、おびただしい数の動物の骨。数え切れないほどに積み重なった風化した骸がクッションとして機能していたのだ。5m以上の高さがある樹木から落下して打撲で済んでいるのは運もあるだろう。間違いなく幸運だが、この光景をオーラには見せたくなかった。少なくともいきなりは。
動物のものに混じって、明らかに人型の骨もある。討伐依頼が出されてからそれほど時間は経っていない。つまり、
「ずっとこの森の最深部で息を潜めていたのか……」
「……ほぇ?」
「あいやなんでもないですハイ」
言い終えてから、これだと安心できないと思ったラプラは相手を安心させるような優しさをにじませた声で付け加えた。
「心配しなくていい。私に全てを任せて――」
それを聞いたオーラはピクリと体を震わせると、次に蜘蛛に覆われたときのように全身を逆立たせてからガクリと肩を落とした。よほど精神的な披露が溜まっていたのだろう。無理もない。冒険者でもない彼女が受けたショックは想像に余りある。肩で息をし、身体も熱い。オーラの肉体的疲労はかなりのものだと推測できた。
そんな一時の平穏を手にした二人のもとに、今度は脅威が舞い降りる。
「キシャァアアァアッ!!!」
頭上に感じていた敵意が膨れ上がる。弾かれるように上を見ると、こちらに襲いかかってくる小さな鎧蜘蛛の姿が視界に入ってきた。
このままだと間違いなく直撃する。いつもみたいに身体が硬直しかけるが、今のラプラは普段とは違っていた。恐怖よりも驚愕が強く体に現れる。
「どわぁあああぁあっ!!!」
自分の身長の半分くらいある蜘蛛が降ってくるという衝撃の光景をみて、ラプラはオーラをしっかり抱きしめて骨の山の上を転がり落ちる。白い骸を飛び散らせ、埋もれながら着地した蜘蛛から一瞬逃れたラプラは、回転する視界のまま起き上がり、下にいるオーラに声をかけた。
「オーラ! 怪我はないか!?」
だが、ラプラが覆いかぶさるようにして守っていたオーラの瞳には、怪しい光が宿っていた。彼女はなにかに操られたようにくねくねとした面妖な動きを繰り返しながら、やけに甘く丸っこい声でなにか呟いていた。
「いやぁんラプラさぁん。私にはアユムさんという心に決めた人が……でもでもどうしてもって言うならぁん……ぐへへ……!」
「あの〜、オーラー? オーラさーん?」
もしかしたら落下の際に頭を打って意識が混乱しているのかもしれない。そうだとしたら状況は更に悪くなる。彼女の助けがないとなるとここから脱出はかなり厳しい。未だに他力本願な自分が情けないが、自らの実力を知らないほど未熟ではなかった。
そして、その困惑を嗅ぎつけるように二人のそばにある骨の山が爆発する。そちらの方に視線をやると、ツルギグモの子供が自分の顔の横にある蜘蛛の足を振り上げて、骨の山から自由になったところだった。
「キェエエエェエッ!!!」
ラプラが視線を前方に戻すと、オーラはいつのまにかシラフに戻っていた。怪しい光は鳴りを潜め、すがるような顔で彼女は言う。
「に……逃げましょう!」
「ああ!」
二人は起き上がり、叫び声とは逆方向に走り出す。駆け出す瞬間に、ラプラは今の今まで自分たちが拘束されていた蜘蛛の巣を見上げる。
――他のクモはどうしているんだ?
その疑問の答えはすぐに出た。
頭上に張った巣からは親グモ以外のクモの姿は消えており、自分たちをここにつれてきた親グモはどこまでも冷徹な狩人の瞳でじっとこちらを見つめていた。相手の意図を感じ取った瞬間、ラプラの背中に怖気が走る。
これは狩りだ。親が子供に狩りを教えているのだ。凶悪な生物の跋扈するようになったこの森の中で生き残るための術を、あの変異体は自分の子供に教えようとしている。
そしてラプラの耳に多数の生物の移動音が聞こえてくる。身体を走る怖気。
自分より前を走っていたオーラが上ずった声を出した。
「ら、ラプラさんっ!」
「ど……どうし――うわっと!」
立ち止まっていた彼女にぶつからないよう急停止したラプラは、恐ろしげな様子で指を指したまま固まっているオーラの指の先を見て、同じように固まる。
前方に現れたのは、いま後ろにいるのとは別の変異体のヨロイグモ。加えてさっきから聞こえてくるこの音、どうなっているか考えずともわかる。
「ラプラさん、もしかしてこれって」
「囲まれてる」
周囲から聞こえる、まるで剣を突き立てながら進んでいるかのようなザクザクという音。それは目の前の変異体が移動の際に出す音と全く同じだった。
自然と二人はお互いに背中を預け合う。背後に感じるオーラの呼吸に緊張が増していくのがわかった。
さっきから続く危機的な状況。でも今までとは違っていくらか事態は改善している――かもしれない。
第一に、自分の体が、頭が動くこと。ラプラは自分の手を何度も握るのと同時に、土を踏みしめる足の感触も確かめる。頭も驚くほど冴えていて、冷静な視界で周囲の物事を観察できている。まあ怖くないといえば嘘になるが、これまでみたいな極端な恐怖とは違う、生き残るための前向きな恐怖を感じていた。これがろうそくの最後の輝きなのか、殻を破った自分の力なのかはわからない。でも前者でないことを祈った。
次に、ラプラがいることだ。彼女が万全の状態でいてくれるなら、こちらにも勝機――というより生き残る機会がある。
ふと思い浮かんだ作戦を話そうとしたとき、それよりも先にオーラがこちらに向かって口を開いた。
「ラプラさん、私が炎の魔法を上空に打ち上げてそれを救難信号代わりにします。それで、アユムさんを呼びます」
「狼煙の代わりということだな」
「はい、アユムさんならきっと気づくはずです。アユムさんが来るまで、逃げながら持ちこたえましょう」
緊張感の滲んだ本気の声で告げられた作戦は、ラプラのものとほぼ同じだった。自分が全員倒すと言えたら、どれだけ気持ちが楽か。
彼はきっとこの森の中を自分たちを探して駆けずり回っているはずだ。おそらく信じられないくらいのスピードで。
ラプラはオーラの言葉にしっかりと頷いた。こちらのやることは変わらないが、それ故に覚悟も決めやすい。
包囲網を徐々に狭めてくる蜘蛛の化け物たちを前にして、ラプラは恐怖を勇気で覆い隠すように背中のフックから弓を取り外し、腰の矢筒から矢をつがえる。
絶対に生き残らなければならない。
骨の山の上からこちらに飛びかかろうと機会を伺っている小グモに向かって、ラプラは啖呵を切った。
「さぁ来い! 私は逃げも隠れもしないぞ!」
「そこは逃げましょうよ!?」
「あっ!? そうだった!」
とりあえずの牽制として適当に目の前の敵に向かって矢を一本放つと、オーラの手を取って走り出し、近くの茂みに飛び込む。背後にクモたちの足音が続く。狩りの時間の始まりだった。




