勇者候補の悩み②
アリスはラプラの頭をなでながら、発破をかける。
「しっかりしんさい。見学会も近いのにそんなんでどうする」
「見学会?」
そういえば、最初にちらっと言っていたような。すると、その言葉にラプラは敏感に反応する。彼女はぐしぐしと顔を拭ってから言った。
「うう……一週間後に私が暮らしていた孤児院の子どもたちが冒険者ギルドを見学しに来るんだ。どうしよう、絶対聞かれる……私の仕事ぶりを……!」
「ギルドの皆さんに口裏合わせてもらえばいいんじゃないですか?」
オーラがアリスを見ながら珍しく真面目な提案すると、ラプラは瞳をカッと見開いて反論する。
「それはできない……」
「どうしてですか?」
「きっとあの子達は私がクエストを受けて大型の獲物を取ってくることを期待している」
「いや、じゃあギルド内に居ればいいじゃないですか」
オーラの言葉に、ラプラは重苦しく首を振る。
「もう既に約束してしまったんだ……私が狩ってきたヨロイグマで熊鍋をしようと……!」
「盛りすぎだよ!?」
「だからあんなに追い詰められてたんじゃな……」
どこか自信たっぷりに言うラプラに歩がツッコむと、彼女は顔をうつむかせた。まさに『ずーん』という効果音が似合う暗い表情で、彼女は言った。
「もうダメだ……私が子どもたちの夢を壊してしまう……あまりの情けなさに笑ってしまいそうだ。みんなも笑いたければ笑ってくれて構わない……うぅ……」
「いやそんなこと――」
「ハハハ」
「オーラァ!」
「やめんさいオーラ!」
流石に二人から言われたらショックなのか、オーラは視線を泳がせてから、「しゅん……」と言って肩を落とした。
そんな三人を眺めていたアリスが、ラプラの頭を撫でるのをやめ、形のいい眉をひそめて考え込む。
「どうしたものじゃろうか……困ったのぉ」
「せめて私に力があれば……」
ラプラは虚ろな目で聖剣を見る。たしかにこれを使えば、変異体と呼ばれる強力な個体でも一撃で屠ることができるようになる。でも、それには大きな障害が横たわっていた。
「なぜ私には抜けないんだ……」
「私にもわかりません。こんなこと言い伝えにもありませんし……アユムさんは使えるのに」
「今の私では……どうしよう……っひっく……ぐすっ」
自業自得のケがあるにしてもあまりにかわいそうで、この場にいた全員の視線がラプラに注がれる。
彼女は必死な顔で二人に迫ってきた。
「アユムたちは異世界人なんだろう!? 飲むだけでムキムキボディのマッチョマンになれる薬とか、あがり症を治す薬は持ってないのか!?」
「とんでもないこと言ったよこの子!?」
「もうそれしか解決方法が思いつかないんだ! 頼む! 見学会の間だけでいいんだ! 乗り切れた暁には聖剣でも畑の大根でもなんでも引き抜いてみせるからぁ!」
「聖剣と畑の大根を一緒にするなよ――って土下座しなくていいから! やめい!?」
泣きながら言われるとそれがたとえ土下座しているとはいえ自堕落さがすごい。憐憫など一瞬たりとも抱かせないような、いろいろなものでぐちゃぐちゃになった顔で彼女は二人に掴みかかる。
「あなた達に頼るしか……もうこれしか……もうこれしか方法が……時間がないんだ! せめてあがり症だけでも治せれば!」
「ラプラ! 気持ちはわかるが落ち着きんさい!?」
アリスの静止も聞かず、ラプラはふたりの肩を掴んで揺さぶった。その目と手つきは完全に錯乱している。
「ちょ……ちょっと! う、うわぁ!?」
「そんな都合のいい方法が……」
前後にブンブン振り回される二人。聖剣パワーで強化されている身体能力でも思わず平衡感覚を失ってしまいそうになる。今すぐあがり症を治す方法。そんなもの存在するのだろうか?
揺れる脳みそで考えていると、高速振動の中、突如としてオーラが大声を上げた。
「あぁあっ!!!」
その声に驚いた彼女以外の全員が動きを止める。
「オーラ!? どうしたんだ!?」
動揺した表情で聞く歩に、オーラは呆然と振り向く。その口元は、薄く笑っていた。彼女は吐息のように淡く言葉を発する。
「あった……!」
「な、何が……?」
すると彼女はとても嬉しそうな顔になって言った
「あったんですよアユムさん! ラプラさんの問題を解決する方法!」
「マジでぇ!?」
「ほ……ほんとかオーラ!?」
「えぇ! これ以上ないくらいパーフェクトなアンサーを見つけ出しました!」
「オーラ! ようやった!」
彼女はやりすぎなくらい「えっへん!」と胸を張ると、胸にかけた星界図を外して手に持つ。それをみた歩は首を傾げた。
「星界図? それに解決の方法が?」
オーラはそれを見せびらかしながら言った。
「そう! 正確には、催眠術です! さ〜い〜み〜ん〜じゅ〜つ〜!」
「催眠術ぅ!?」
「わたしのウルトラスーパーデラックス催眠術で、ラプラさんのあがり症を治してみせます!」
素っ頓狂な声を上げた歩とは反対に、彼女の声は晴れやかだった。
「そんなことできたのか!」
歩の問いに、彼女は自信満々に応える。
「はい! 王宮の人を実験台にして訓練したので、効果は折り紙付きですよ たぶん! きっと! おそらく!」
「最悪だ!?」
目の前の美女がだんだん巫女という皮すら破いてなにかに変貌していく幻影を見た歩は、恐ろしくて目をそらした。だが、オーラは気づかない。ふたりの会話が途切れると、次にラプラがオーラの空いている手をとって、藁にもすがる表情で言った。
「本当か!? お願いだ! すぐにでもやってくれ!」
「え!? いいの!? それでいいの!?」
「結果を出すためなら、悪魔にだって魂を売ってみせる!」
その理屈だとオーラは悪魔だということになるがいいのだろうか? でも当のふたりはそんなこと気づいてもいないようだった。特にオーラはいろいろなところが伸びたとても美女らしくない表情で、ラプラの感謝を受け取っている。
「うへへぇ〜そこまで言われたらしょうがないなぁ〜」
ツッコむとせっかくの空気を台無しにしてしまう気がして、歩は黙っていることにする。試しにアリスの方を見てみると、彼女は少しだけ苦い顔をしていた。
――そういえば、どうしてオーラはそんなことができるんだろう?
「ものは試し! 一回やってみましょう! いいですかラプラさん!」
「あ、ああ! どんと来い!」
「アリスさん!」
「い、いっぺんだけじゃよ!?」
「いいのかな〜……?」
早速、お試しでラプラにかけることになった。オーラとラプラ以外は施術の最中廊下で待機ということになり、歩とアリスは部屋から退出する。絶対に中は見ないでほしいらしい。
歩はどうしても嫌な予感がしていた。耳をすませば声が聞こえるが、詳細まではわからない。隣で不安そうに佇むアリスに、彼は話しかける。
「今更なんですけど、良かったんですか? あれ?」
自分が言う資格はないと思ったが、世話になっているアリスがどう思っているのかを聞きたかった。すると、彼女は整った顔立ちを悩ましげな表情に変えて言った。
「解決策があれしかない以上しょうがない……と思ったんじゃ。うちも孤児院の子どもたちががっかりするところはみとうない……ラプラもええ子じゃし、うちもできる限りサポートしちゃりたいんじゃ」
「アリスさん……」
本当に得が高すぎて泣けてくる。歩は目尻に浮かんだ涙を気づかれないように拭う。
催眠術の完了を待っていると、二階に続く階段の方から多数の足跡が聞こえてきた。そっちをみると、階段を上がってこちらにやってくる集団があった。刈り上げさんが先頭に立ってこちらに近づいてくる。
彼らの存在を感じ取ったアリスは、さっきとは一転してきりっとした表情になる。
「アリス様。修理の者たちを連れてまいりました。場所はここですか?」
「ありがとの。でもちいとだけ待って欲しいんじゃ」
「はっ!」
すると、刈り上げさんは無言で一歩下がり、後ろにいる屈強な男たちに待つように指令を下す。
それを見た歩は、アリスに向かって深々と頭を下げた。
「すみません。本当なら僕たちがどうにかしないといけないのに。本当にありがとうございます」
「ええよええよ。今回助けてくれたお礼じゃ」
アリスは歩に天使みたいに可愛らしくほほえみかけてきた。
「あんたがオーラを信じるのと同じように、うちもあんたらを信じとるから」
「まぁそうなんですけどねぇ……不安だなぁ」
まるで世界を救うとは思えないオーラの態度だが、やはりその裏には彼女なりの誠意があるはずなのだ。ふざけた巫女ではあるけれど、彼女の世界を救いたいという気持ちは信頼している。
「勇者候補にかけるってことは本当に自信があるんだとは思うんですけど……」
なにぶんあの性格だ。ラプラが黒ギャル夏休みデビューしてもおかしくはない。そろそろ自分の世界にも戻らないといけない歩としては、妙なことにだけはなってほしくないと祈らざるを得なかった。それに、
(さっきから刈り上げさんが殺気立ってるから早く帰りたい……)
彼を背にしているアリスはわからないだろうが、先程から刈り上げさんがこちらに死ぬほど鋭い視線を向けてきている。彼女がこちらに話しかけたり笑いかけたりすると、その険しさが更に増すおまけ付きで。
「そがいに変なことにゃあならんじゃろう」
「そ……そう思いたいですね!」
「どうしたんか? 具合でも悪いんか?」
顔をそらした歩をみて不思議そうに首を傾げてくるアリスは本当にかわいい。まるで天使みたいなかわいさだ。視界に鬼のような顔つきの刈り上げがいなければもっといい。
「な……泣くほど辛いんか!?」
「もうやだぁ……」
仕事でミスをしたときよりもよっぽどシビアな今の状況に歩が打ちのめされていると、後ろから声が聞こえた。みると、部屋の入り口からひょっこりと顔を出していた。彼女は薄く泣いていた歩に気づくと、顔を優越感たっぷりの笑顔に歪ませる。
「終わりましたどうぞぉ……ってあれあれぇ? アユムさぁん? 私に会えなくてそんなに悲しかったんですかぁ?」
「今はお前の軽口が何よりも救いに思えるよ」
「……ま〜じぃ〜でぇ〜?」
「言って損したよ」
前門のオーラ、後門の刈り上げという地獄のような状況のなか、まずいものでも食ったような表情で言ったオーラにジトッとした目を向けつつも、歩は部屋に入った。
するとそこには、窓から差し込む真昼の太陽光に照らされながら部屋の中に佇む、一人の凛々しい女性がいた。彼女は頭髪と同じ紫色の瞳で鋭く歩とオーラを見据えると、まるで刀の鯉口を切るかのように、静かに口を開いた。
「歩さん、オーラさん、そしてアリス様。ありがとう。私は正気に戻った――!」
「いや催眠状態だけどね!?」
「見てくれこの剣さばきを!」
「無視!?」
その言葉を無視してラプラは手に持っている、歩が部屋においていった聖剣の柄に手をかけて引き抜こうとした。だが――
「ふんぬっ! ぐぬぬっ! ぐおおおおっ!!! ――どうだ!」
「どこが!?」
力いっぱい引き抜こうとする彼女の思いに反して、聖剣は無視を決め込んでいた。思わずツッコむ歩をスルーしつつ、ラプラはかっこよく聖剣を携える。すでに疲れ果てていた歩の耳元で、オーラがこそっとつぶやいた。
「わかりやすく効果を見せるために、とりあえず彼女の理想とする冒険者像をモデルにした催眠をかけてみたんですけど、どうにも聖剣は抜けないみたいです」
「あ、そこらへんは厳格なのね……」
「さぁ! ともに飛び立とう! 栄光の空へ!」
「ラプラの理想ってこんななの!?」
勢いよくアリスを見ると、彼女は気まずそうに視線をそらした。
「ラプラの憧れとった人はその……優秀じゃったんじゃけど性格がその……」
「アクが強すぎる!? もうお腹いっぱいだよ!?」
「あらよっと」
なぜか立ち振る舞いがヅカ系になっているラプラにオーラが手を叩くと、彼女の表情がフッと軽くなる。そして次の瞬間には、もとのちょっとだけへにゃへにゃした顔をしたラプラに戻っていた。
「わ……私はいま何を……! 薄ぼんやりと覚えているが思い出せない……!」
「いやそれ覚えてるって言わない!?」
「ラプラさん! 成功しましたよ!」
それを聞いたラプラは、表情をぱっと明るくさせた。
「ほ……ほんとか!?」
「ええ! 完璧でした! あなたの理想とする冒険者に変身してましたよ! これならあがり症だって吹き飛ばせるはずです!」
「やったー! これで乗り切ることができる!」
喜ぶ二人に対し、歩とアリスは顔を見合わせる。色々不安なことはあるが、いまからやらなければならないことは決まっていた。
「とりあえず、今後の予定とか色々を決めるために話し合いましょう。 ……下で」
「じゃな……」
まだまだ歩の夜は長かった。




