「そして彼女はいなくなった 逮捕」 奥田光治 【本格推理】
三月上旬、もうすぐ大学の年度末試験を迎えようかとしていたこの日、部屋で大学に行く支度をしていると、いきなりインターホンが鳴った。のぞき穴から外を見ると、そこには見慣れない三十前後と思しきスーツの男が立っていて、一向に帰る気配を見せない。誰かは知らなかったが、新聞の勧誘か訪問販売の類だったらすぐに追い出そうと心に決めて、俺はいかにも不機嫌そうな風にドアを開けた。
「どちらさん?」
そんな俺に対して、相手の男は丁寧に頭を下げると、静かだがよく通る声で話しかけてきた。
「失礼、伊山鶴夫さん、ですか?」
「はぁ、そうですけど」
いきなり俺の名前を聞かれて戸惑っていると、男はポケットから何かを取り出して俺に見せた。それが警察手帳だとわかる前に、男は型通りの自己紹介をする。
「警視庁刑事部捜査一課第十三係警部補の榊原恵一という者です。朝早くにすいませんね」
そう名乗られて、俺の顔色が変わらなかったと信じたかった。俺の頭には、バレンタインに殺した彼女の姿が嫌でも浮かんでくる。が、ここでばれるわけにはいかない。俺は努めて平静を装いながら、その榊原という刑事に聞き返した。
「警察の人が俺に何か用ですか? 近くで何かあったんですか?」
そう、単に近くで何か事件があってその聞き込みに来ただけでも知れないではないか。だが、そんな俺の願望を榊原刑事はすぐに打ち砕く。
「いえ、そうではなくてですね……利根山一菜さんという人をご存知ですか?」
さりげなくそう聞かれて、俺の心臓は大きく跳ね上がった。それは、まぎれもなくあの日俺が殺した彼女の本名だった。
「さ、さぁ……どなたですか?」
「早応大学社会学部の学生さんでしてね。実は家族から失踪届が出ていて、こうして我々警察も調べているわけなんですがね」
そう言われて俺は思わず混乱した。日本の警察はそんなに暇ではない。失踪届など毎日のようにたくさん出ていて、よほどの大事件の兆候でもない限り警察がそれをいちいち調べるなどという事はないはずだ。それに、この男の名乗った捜査一課は殺人などの凶悪事件担当だったはずで(そのくらいは俺もドラマで知っている)、そもそも単なる失踪人探しに出てくる部署ではないはずである。
何かのハッタリかと、俺はその刑事を見やった。一見すると凡庸などこにでもいるようなサラリーマンのような格好をしているが、穏やかそうに見えるその眼の奥から何か鋭いものが発せられているように感じる。一筋縄ではいきそうにない男なのは確かだった。どう考えてもハッタリではない。
「ところで伊山さん。こんな事を言うのは何なんですが……あなたは高校時代に一度補導された事がありますよね?」
突然そんな事を聞かれて、俺はわけがわからなくなった。
「な、何なんですか、突然?」
「どうなんですか?」
「……ありますよ。でも、それが何か?」
確かに、高校時代に一度だけ深夜徘徊で補導された事はあったが、その時はたっぷり叱られて終わったはずである。
「いえ、単なる雑談です。ただ、その時あなたは指紋を採られていますよね? 実は、そのデータがまだ警視庁には残っていましてね。まぁ、よくある話ですよ」
指紋、という言葉が出て俺はドキリとする。何か……何か重大な事が起ころうとしているような……
「話は変わりますがね。実は先日、行方不明になっていた利根山一菜さんの行方についての新事実が判明しましてね。まぁ、残念ながらと言いますか……彼女が既に殺害されているかもしれないという話になったのですよ。で、色々あった末に、この近くにあるリサイクルセンターが怪しいという事になりましてね。……工場側の許可を得て、昨日、周囲に気付かれないように極秘に調べたんですが、そしたら驚いた事に床のコンクリートの中からスーツケースに入った女性の死体が見つかったのですよ。歯の治療痕から身元は利根山一菜さんで間違いなく、死因はこめかみの辺りを強打した事による脳出血と推定されています」
そこまで聞いて、俺は意識がスゥ……と遠くへ行く感覚を覚えた。
「しかも、ご丁寧に凶器と思しきサンタの置物まで見つかりましてね。犯人は指紋を拭いたつもりだったんでしょうが……よほど慌てていたんでしょうね。お粗末な事に所々拭き残りがありましたよ。で、我々としては当然それを前歴者のデータベースで照合したわけなんですがね……」
その瞬間、榊原刑事は鋭い視線を俺に向け、今までにない厳しい声で告げた。
「……もう、皆まで言う必要はないだろう。伊山鶴夫! 利根山一菜殺害及び死体遺棄容疑で逮捕状と家宅捜索令状が出ている! 一緒に来てもらおうか!」
その直後、俺の手には手錠がかけられ、どこに潜んでいたのかいかつい顔の刑事たちが次々と俺の部屋に踏み込んできた。これでもう単位の心配をする必要はなくなった……などと場違いな事を考えながら、俺の頭の中にはこんな言葉が浮かんだり消えたりしていた。
……なぜ……どうしてばれてしまったんだ……絶対にばれるはずがなかったのに……




