「横浜中華街殺人事件 7」 Kan 【本格ミステリー】
祐介は、日向刑事を連れて、町工場から山下公園に向かった。どういうわけか、海には風が吹き荒れていた。祐介は、まだ咲いていない薔薇の花壇のあたりをうろうろしながら、事件の説明を開始することにした。そこからは氷川丸が見えている。
「羽黒さん。勿体ぶらずに真相を教えてくださいよ……」
「ええ。分かりました。日向さんの推理通り、犯人は土屋直弥でしょう。まず、考えていただきたいのが、被害者が、青島飯店で黒いコートと帽子を脱がなかった、トイレに入る時にマスクを着用したという二点です。これは暖かい店内では明らかに不自然な点です」
「それは確かに、そうですね」
「そして、映像の中で、彼女はトイレから戻ってきた後、麻婆豆腐を食べていますが、この具材は、死体の胃から発見されなかった。日向さんは、この謎をどう考えますか?」
「それは、やはり彼女が食後に嘔吐したのではないですか?」
羽黒祐介は首を横に振った。
「もし嘔吐したのであれば、餃子の具材だけ胃に残っていたのは不自然です。いいですか、彼女は麻婆豆腐なんて、はじめから食べていなかったのです」
「なんですって……! それはつまり、どういうことですか?」
「トイレに入った女性と、トイレから出てきた女性は、まったくの別人だったんです。すなわち、トイレ内で人と人のすり変えが行われていたのです。つまり、被害者は黒いコートを着て、入店しましたが、赤いジャンパー姿の同じ背格好の女性がいたことを覚えていますか。このふたりがトイレの中で、服装を交換したのです」
「でも、何のためにですか。だって、彼女は事件の被害者なんですよ」
「ええ。この事件の最大の誤解は、トリックを仕掛けたのは犯人だと思っていたことです。しかし、実際にトリックを仕掛けたのは、被害者の方だったんです。どういうことかというと、被害者、内村麻美こそがそもそもの事件の計画者だったのです。
動機を考えてもみてください。一方的に浮気をされて、捨てられた被害者の方にこそ、殺人の動機があるというものです。
内村麻美は、青島飯店で一人二役を行っています。これはアリバイ工作です。青島飯店にいるように見せかけて、喫茶店er02に向かっていたのです。この代役の女性の手紙の断片が彼女のアパートの屑籠の底に残っていたのです。『前金はいただきました。当日は、黒髪のロングヘアで良いでしょうか』これを何故、内村麻美が完全に廃棄しなかったのは疑問ですが、おそらく、何かに焦っていて気づかなかったのでしょう。電子メールだと、記録が残るから、あえて差出人の分からない手紙を出し合っていたのでしょう。
内村麻美が行ったことは、まずマスクを着用せずに黒いコート姿で入店し、防犯カメラにあえて顔を映した後、トイレへ向かいました。そこで、代役の女性と落ち合い、黒いコートと、女性の赤いジャンパーを交換し、マスクを着用して、その女性の振りをして、支払いを行い、出て行ったのです。その後、土屋直弥のいる喫茶店er02に向かったのです。つまり、彼女自身は、二時よりもっと早い時刻に、横浜駅付近の喫茶店er02の付近に移動することができたのです。
ところで、代役の女性は二時頃、青島飯店から出ていますが、内村麻美のためのアリバイ工作であれば、二時を過ぎても、店内で内村麻美を演じていた方がいいはずです。しかし、彼女は二時に出ました。それは、何故でしょうか。これはおそらく、被害者から来るはずの連絡が来なかったから不審に思っての行動でしょう。この女性は、まだ名乗り出ていませんが、お金で雇われた人物であることは、手紙の内容からも分かっています。いずれにしても、この深刻な事態を知り、自分が疑われることを恐れて、現在は身を隠していると思われます。
さて、被害者は、喫茶店er02の付近、僕が見つけたビルの駐車場あたりで土屋の反撃に遭い、彼女は命を落としました。土屋の行為は、過剰防衛とも正当防衛ともとれますが、土屋は何故、そのことを周囲に隠しているのでしょう。それは土屋があまりこのことで自分の過去まで詮索されたくなかったのでしょう。土屋は、内村麻美になんらかの口実で、呼び出されたに違いありません。しかし、それは土屋にとって非常に都合の悪いものだったのでしょう。たとえば、土屋の結婚を破局に追い込むようなそんな秘密だったとか。彼は、それが露見することを恐れているのです。だから、土屋は、被害者と会うにあたり、こんなこともあろうかと絞殺用のワイヤーを用意してきたのでしょう。それがナイフやバットではなかった理由は、刺殺や撲殺よりも、絞殺の方が、血が飛ばないから処理がしやすいと思ったのでしょう。
しかし、土屋は殺害後、死体の処理に困り、そこに駐車していた軽トラックの荷台に死体をあげ、そこにあったビニールシートを上から被せてしまったのです。そうすれば荷物に見えますし、これで一時的に死体を隠したわけです。
ここからが問題です。土屋は、都内に帰らず、喫茶店er02に戻りました。犯人なら一刻も早く、現場から通りざかりたがるものですが、きっと心が落ち着かず、そうしなかったのだと思います。彼はまだ死体から離れ去ることに恐怖を感じていたのでしょう。普通の心理状態ならば、犯人は現場から一刻も早く離れ去ろうとするはずです。しかし、彼はなにか忘れものがないか気になって家を出れない人のような精神状態になっていました。一度、離れるともうそこには戻ってこれないという感じがあったのだと思います。あるいは自首を考えていたのかもしれません。いずれにしても、路上にいると怪しいので、一旦、店内に戻ったのでしょう。
そこで、彼は、自分の指紋が被害者の赤いジャンパーについていることに気づいたのです。彼は、慌てて、死体のジャンパーを回収しに行きましたが、すでに軽トラックはそこにはありませんでした。彼は焦り、そのトラックが中華街付近の町工場のものと聞いて、みなとみらい線で、中華街へと急いで向かったのです。これが三時のことです。そして、軽トラックにたどり着くと、ジャンパーを剥いだ上、ビニールシートに包んで、それを山下公園の付近の茂みまで移動したのです。死体が上着を着ていなかったのはこのためです。そして、軽トラックから死体を動かした理由は、そこに死体を残してしまうと、喫茶店er02付近で犯行が行われたことも分かってしまうからです」
「なんていうことだ。これなら、すべて辻褄が合う!」
と、日向刑事は喜び、叫んだ。
「しかし、それでは、我々はこれから何を調べたら良いのですか?」
「軽トラックに死体が積まれていたことをまず証明すべきです。それはトラックの荷台を調べれば、自ずと分かるでしょう」
と祐介は断言した。




