「窓際の川井さんⅡ」 若松ユウ 【学園ドラマ×謎】
俺の名前は、雪丘ユキオ。
県内にある市立高校に通っている、ごく平凡な男子高校生だ。
そして今は、冬真っ盛り。
世間じゃ年齢ひと桁のガキどもが、やれクリスマスだサンタだプレゼントだと、一年で最も騒いでいる時期だな。
そんな時期に俺は、ひょんなキッカケでクラスメイトの川井タマキと知り合いになった。
それで昨日の夕方、間近に迫った期末試験に備え、勉強を見てもらう約束を取り付けた。
まぁ、そこらへんの細かい経緯は端折るとして、とにかく、放課後の物理準備室でワンツーマンレッスンを受けることになったんだと頭に入れてくれ。
「何度も出てくる、この『キャクツス』って何だ?」
「カクタス。サボテンのことよ」
「『サボテン』って英語じゃねぇのか」
「雪丘くんは、シュークリームくださいって言って、靴墨を渡されるタイプね」
長文読解は、この調子だし、
「この『サムライ』は……」
「それはハベリよ。話してる相手が帝だから、ここでは謙譲語で使われてるの」
「けんじょう、ご?」
「古典以前に、日本語の問題ね」
古文も、望み薄で、
「なんで解の公式を覚えて無いのよ。高校受験の範囲なのに」
「俺的には、解の公式より、恋の方程式のほうに興味があるからな」
「茶化すなら、お一人でどうぞ」
「冗談だってば。で、問六の答えは?」
「問五の応用よ。求める部分が違うだけで、解法は同じ」
「ほぉほぉ。じゃあ、こういうことか?」
「……解けた?」
「なんでか知らねぇけど、エックスが七分の一万四千と九になった」
「割り切るにしても九が邪魔ね。答えは五だけど」
「じゃあ、この一万四千九は、いったい……」
「馬鹿にするわけじゃないけど、七の段は言える?」
「ななのだん!」
「そういう意味じゃないわ」
数学も、過度な期待はできない感じだ。
川井に何度も溜め息をつかれながら、俺は俺なりに無い頭脳をフル回転させ、ひたすらシャープペンシルをノートに走らせた。
そうこうしているうちに、いつの間にか窓の外は夕焼け色になっていた。
鍵を閉めて教室を出た後、俺たちは靴を履き替えて正門を出た。テスト前でクラブ活動停止中だから、近くに同級生の姿は見えない。
この間にも、俺は少しでも川井の謎を解くべく、他愛もない話をする体で質問を投げかけた。
「いやぁ、助かったぜ。家だと、小生意気なチビたちに邪魔されて、ろくに勉強できないからさ」
「あら、お兄さんなのね」
「まぁな。でも、上にも姉貴が一人いるから、あんまりデカイ顔も出来ねぇし、その更に上に鬼ババアがいるから」
「ひどい言い方ね」
「会えば分かるさ。パンチパーマで、いつも虎柄の服を着てて、ガラガラのだみ声なんだ。川井は?」
「うちは、普通だと思うわ。このまま三十年経ったら、きっとこうなるだろうなって風貌よ」
「じゃあ、そこそこ美人の部類なんじゃねぇの? きょうだいの方は?」
「一人っ子よ。きょうだいが多いと楽しそうね」
「そうかぁ? うるせぇだけだし、居間は絶え間ない争奪戦だぞ? このあとの夕飯なんか、炊飯器バーン、ちゃんこ鍋ドーンで、早いもの勝ちで好きに取れってな具合だから、料理を味わう余裕すらねぇ。クリスマスも、いつもと変わらねぇし」
「小さい子がいるんでしょ? ケーキを食べたり、プレゼントをもらったりしないの?」
「母ちゃんが『我が家は先祖代々仏教徒だから、サンタクロースは来ない』って言うんだ。ひどいだろ?」
「日本の場合、別にクリスチャン限定のイベントというわけでも無いんじゃないかしら」
「だろ? でも、文句をつけるとお正月のお年玉を無しにしようとするから、みんな渋々納得してるのさ。あぁ、俺も一人っ子が良かった」
もう少し踏み込んだ話もしたかったが、帰る方向が逆なので、これ以上の情報は得られなかった。
まぁ、一人っ子だと分かっただけでも良しとするか。明日もあることだし、焦ることないさ。
そう自分に言い聞かせながら家に帰り、雪丘家恒例の食卓戦を終え、チビと一緒に風呂に入った。
なぜ風呂場のおもちゃは黄色いアヒルなのかという弟の質問に、茹でて食うためだと適当に答えてから風呂場を出ると、妹が俺のスマホを持ってやってきた。
「にーに、お電話あったよ」
「おう、サンキュー。誰からだ?」
「カワイイおねーさん」
「川井か。なんて言ってた?」
「上がったら折り紙してって」
上がったら折り返し連絡くださいってところか。てか、風呂に入ってることを伝えるなよ、こっ恥かしい。
そう心の中で呟きながら、腰に巻いてるバスタオルを外して中を覗こうとする妹を追い払い、着信履歴からかけ直した。
はて。ノートか教科書でも、間違えて持って帰ってしまっただろうか?
繋がるまでのコール音がするあいだ、俺は帰ってすぐ机の上に放り投げ、そのままにしてあるスクールバックの中身を考えていた。
「もしもし、川井でございます」
「あっ、どうも。雪丘です。さっき、タマキさんから電話があって」
「はいはい。少々お待ちください」
ティリティリリ、ティリリリー。ティリリリー。ティリリリー……
電子音で、音楽の時間に習ったはずの誰それの何とかのためにという曲が流れてきた。
俺はそいつを聞きながら、顎と肩でスマホを挟んでスウェットを穿いていると、保留音が切れ、川井の声が聞こえた。
さっきの声も微かに聞こえるから、近くで立ち聞きしてるのかもしれない。
「カラスの行水なのね。ちゃんと温まった? なんとかは風邪ひかないというけれど」
「大きなお世話だ。にしても、川井の母ちゃんは、ずいぶん若々しい声してるんだな」
「馬鹿ね。さっき電話に出たのは、お手伝いさん。両親は今、海外」
「なぬっ! 親が外国で、お手伝いさんがいる、だと?」
「そんなに驚かなくても良いでしょ。今の時代、よくある話よ」
「いや、驚いて当然だって。あのな。まだまだパスポートを持ってない家庭は多いし、お手伝いさんを雇う余裕もねぇんだよ。まぁ、いいや。それより、何の用だったんだ?」
「帰ってすぐ、佐藤先生から電話があって」
「佐藤先生?」
「佐藤トシオ先生。物理の時間にお世話になってるでしょ?」
「砂糖と塩。調味料みたいな名前だな。なんで、そいつが川井に?」
「天文部の顧問でもあるから。それで、明日から年度末の空調設備総点検があるから、しばらく実習棟が使えないらしいの」
「マジかよ、困るじゃねぇか。どうすんだ?」
「確認だけど、雪丘くんの家は、駄目なのよね?」
「俺の家で集中できるなら、自分でなんとかしてるはずだろう?」
「反語で返さないで。まぁ、いろいろ考えたんだけど、それなら私の家はどうかと思って」
「えっ、川井の家で?」
「そう。無理にとは言わないから、断ってくれて結構だけど」
「いやいや、行く行く。どこに住んでるかは知らねぇけど、とにかく行く」
「決まりね。放課後、私服に着替えてから、雨水駅に来て。筆記用具だけ忘れずに」
「分かった」
「それでは、また明日」
「おう。またな」
電話を切ると、俺の後ろに姉ちゃんが立っていた。途中から話を聞いていたのか、いやらしい顔でニヤついてやがる。
かなしいかな、平屋の雪丘家にプライバシー保護という概念は無いのだ。
姉ちゃんは俺と目が合うやいなや、スウェットのポケットにくしゃくしゃの何かを突っ込んだ。
取り出して広げてみると、それは五千円札だった。
「ウフフ。おうちデートを楽しんでらっしゃい。お母さんには、あたしから適当に言っておくから」
「いや、ただの勉強会だから」
「なに言ってんの。向こうから誘ってきたんでしょ? 脈アリじゃない。そうだ! もち米を水に漬けとかなきゃ」
「赤飯を炊こうとするな。ホントに、そういうんじゃないんだってば!」
結局、誤解は解けず、臨時収入は交通費と手土産代として使うことにした。
う~ん。ここへきて、思わぬ展開になってきたぜ。
謎のクールビューティーだとばかり思っていたが、川井には、まだまだ驚くべき事実が隠されてそうだ。
おかげで、テスト前だっていうのに、ぜんぜん落ち着かねぇ。こんな調子で、大丈夫だろうか。
(了)




