「首切り雪だるま ①」 沖野唯作 【本格ミステリ】
雪が止んでしまった。
事件の後始末がまだ終わっていないというのに。
どうする? コテージの外を歩けば、雪の上に足跡が残ってしまう。二人が目を覚まして死体を発見したら、不自然な足跡にも当然目を向けるだろう。せっかくの偽装工作が台無しになりかねない。
不運だ。不運としか言いようがない。雪が突然止んだのも、結果的に殺人犯になってしまったのも、何もかも不運が原因なんだ。
殺意はなかった。ちょっと突き飛ばしただけなのに、あんな死に方をするなんて。このままだと捕まるのは時間の問題だ。
スーパーマンでもない限り、足跡を残さずに二つのコテージの間を移動することはできない。かといって現場に証拠を残したまま、部屋に帰るわけにもいかない。
潔く罪を認めようか。そんな安易な考えが頭によぎる。
いや、諦めるのはまだ早い。発想を切り替えるんだ。
この状況はむしろチャンスかもしれない。
もう一つトリックを組み合わせれば、雪の上に残る足跡の意味を変えられるかもしれない。
これだ。この作戦で行こう。あいつには悪いが、罪を被ってもらおう。
心に湧き上がる罪悪感を抑えこみ、コテージの外へと一歩踏み出した。
◇ ◇ ◇
日付は1月1日、元旦。
場所は長野県の山奥。向かいあって建つ二棟のコテージ。完全予約制のこのコテージに宿泊していたのは、同じ大学に通う四人の男女だった。
青山隆二、男。右腕に包帯とギプスを巻いている。年末に自転車で街を走っていたところ、運悪く通行人の傘が前輪に引っかかり、転倒事故を起こしたのだ。片腕しか動かせないため、重い物を運ぶことはできない。
岩城正平、男。殺された江藤沙織の恋人だ。岩城と江藤はペアシューズと称して、同モデル・同サイズの靴を買う習慣があった。今回の小旅行でも、二人は全く同じスノーブーツを履いてきた。ちなみにサイズは25。
薄井桃香、女。青山隆二とは幼なじみだが、恋人関係にはない。普段は物静かな性格だが頭の回転が速く、高校時代には『名探偵』というアダ名をつけられたこともある。四人の中では一番背が低い。
江藤沙織、女。今回の事件の被害者である。天真爛漫という言葉がぴったりな、グループのムードメーカー。その彼女が、1月1日の早朝、死体となって発見された。
四人は男二人・女二人に分かれて、コテージに泊まった。青山と岩城の男組は西棟。薄井と江藤の女組は東棟。二つのコテージは全く同じ構造をしており、一階が共同スペース、二階が個室になっている。よって、宿泊者の片方がコテージの外に出ても、もう片方に気づかれる心配はない。
江藤沙織が死んでいたのは、東棟の玄関ポーチ。首の後ろに刺し傷があり、玄関扉の近くに設置してあった門松の竹に血がついていたことから、これが凶器だと思われた。門松は、縁起をかつぐのが好きな被害者自身が買ってきたものだ。彼女は全く同じサイズの小ぶりな門松を二つ購入し、コテージに着いて早々、西棟・東棟の玄関前に門松を一つずつ置いた。その片方が自身の命を奪うことになるとは思いもしなかっただろう。
死体の第一発見者は、同じ棟に泊まっていた薄井桃花。彼女は死体を見つけると、西棟の青山と岩城に電話をかけ、寝ていた二人をたたき起こした。江藤が死んでいることを伝え、それから窓の外を確認するよう指示した。
言われるがまま、青山と岩城は外を見た。西棟と東棟の間、真っ白な雪の上に一往復分の足跡が刻まれている。昨日は雪が降り続いていたので、この足跡は日中につけられたものではない。深夜に雪が止んだ後で、何者かがコテージの間を往復したのだ。
薄井の指示はそれだけではなかった。西棟の前にある雪だるまの顔を見てほしい、というのだ。
この雪だるまは、四人がコテージに到着した時点ですでに存在していたものだ。たぶん、前のコテージ利用者が作ったのだろう。西棟と東棟の前に一つずつ、同じ大きさの雪だるまが立っていて、体のサイズは直径25センチ、頭のサイズは直径20センチ。西の雪だるまは、顔のパーツに石や木の枝を使った正統派。東の雪だるまは、緑黄色野菜だけで顔を作った奇抜なものだった。少なくとも、昨日までは。
青山と岩城は、コテージ前に置かれた雪だるまを見て奇声を発した。ジャガイモの目・人参の鼻・ネギの口。理由は分からないが、雪だるまの首がすげ替えられている。
以上の確認が済むと、薄井は雪の上を歩いて西棟のコテージにやって来た。一階の共同スペースで、青山・岩城・薄井の三人はテーブルを囲んで座った。
「警察には連絡しておいたよ」薄井が言う。「一時間後には着くみたい」
「沙織は殺されたのか?」被害者の恋人である岩城が、虚ろな表情でつぶやく。「一体誰が……」
「まだ分からない。だから一つ一つ確認していこう」薄井は男二人を交互に見た。「昨夜、東棟のコテージに行った人はいる?」
返事はない。
「わたしも西棟に行った覚えはない。あの足跡は犯人が残したものとみて、間違いなさそうだね」
「外部犯かもしれない」青山が意見を挟む。
「それはないよ。外部の犯人が西棟と東棟の間に足跡を残したのなら、コテージから立ち去った足跡も残ってるはずでしょ?」
「なるほどね」納得する青山。「つまり、犯人は俺達の中にいると」
「白状しろよ」岩城が声を荒げる。「誰が沙織を殺したんだ!」
「落ち着いて、岩城君」薄井がなだめる。「一つ一つ事実を積み重ねていけば、必ず犯人にたどり着ける。まずは情報を整理しよう」
事実その1:二つのコテージの間には、犯人の足跡が残されていた。
「私達の靴と足跡を照合してみよう。そうすれば、犯人が誰の靴を履いたのか特定できる」
結果、足跡と一致したのは、岩城と江藤のペアシューズだった。残念ながら、どちらの靴を使ったのかは分からない。スノーブーツは二組とも濡れていたからだ。
「西棟にいた犯人が岩城君の靴を履いてコテージを往復したとも考えられるし、東棟にいたわたしが江藤さんの靴を使ったとしても同じ状況が出来上がる。靴から犯人を特定するのは無理そうだね」
「俺の足のサイズ、25.5なんだけど」青山が尋ねる。「その靴のサイズは?」
「25だ」スノーブーツの持ち主である岩城が答えた。
「無理すれば履けなくもないか」青山が残念そうに言う。
「ちなみにわたしは24.5」薄井が付け加える。「普通に履ける大きさだね」
事実その2:東棟と西棟の前に立つ、二つの雪だるまの首がすげ替えられていた。
「昨日見た時は、西が正統派で、東が野菜派だったよな」青山の言葉に、残りの二人がうなずく。「それが朝起きたら、西が野菜派で、東が正統派になってたと」
「犯人は雪だるまの顔を両手に抱えて、コテージの間を往復したんだな」少し元気を取り戻した様子で、岩城が言った。「足跡はその時についたものだろう」
薄井も同意する。
「さっき確認したんだけど、雪だるまの周囲の雪が踏み荒らされてたの。西棟も東棟もね。犯人が雪だるまの顔を入れ替えのは間違いないよ」
事実その3:凶器は門松。
「犯人は門松を振り上げて、江藤の首に刺したってこと?」青山は安心したように息を吐いた。「じゃあ俺は犯人じゃないよ。右腕を怪我してるから、門松を持ち上げられない」
青山が右腕のギプスを二人に見せつける。しかし、薄井はその主張を退けた。
「持ち上げたとは限らないよ。門松を凶器に使うなんて、どう考えても不効率だし。たぶん、殺人の意図はなかったんだと思うな」
『あくまで推測だけど』と前置きしたうえで、薄井が自説を披露した。何らかの理由で犯人は江藤沙織と喧嘩になり、腹を立てた犯人が被害者に手を出した。その拍子にバランスを崩した被害者は、背中側から門松へと倒れこみ、うなじに竹が突き刺さった。被害者の重みで竹は折れ、江藤沙織はそのまま床に倒れて絶命した。死体を発見した時、江藤沙織の体は仰向きになっていたという事実もこの推測を裏づけている。
「俺達も現場を見ていいか」青山が提案する。「薄井が嘘をついてる可能性もあるからな」
三人は東棟の玄関ポーチに移動した。薄井の証言に嘘はなかった。江藤沙織の死体が仰向きの状態で倒れており、その近くには例の門松。先に血のついた竹がへし曲がり、松や藁にも血痕が付着している。おそらく、被害者の首から竹が抜ける時に飛び散ったものだろう。
「沙織……なんでだよ……沙織!」
恋人の死体の前で、岩城は泣きじゃくっている。一方、青山は東棟の雪だるまを観察していた。石と木の枝で作られた雪だるまの顔。昨日まで西棟の前にあったものだ。
二人の男性から離れた場所で、薄井はぽつりとつぶやいた。
「庇があって、ほんとに良かった」玄関ポーチを雨や雪から守る覆いを、薄井は見上げる。「おかげで現場が荒らされずに済んだ」
玄関ポーチを眺める薄井。彼女の言う通り、玄関前は極めて綺麗な状態で保存されていた。扉にも床にも壁にも濡れた形跡はなく、死体と門松を除けば、血痕も一切見受けられない。
三人は西棟に戻った。テーブルに着くと、薄井が言った。
「最後の確認。昨日、コテージの鍵は閉めた?」
「もちろん。窓も玄関扉も全部施錠したよ」と、青山。
「わたしも東棟の鍵は全て閉めた。けど、朝起きたら玄関の鍵が開いてたんだ」
「西棟も開いてたな」岩城が引き継ぐ。「片方だけ開いてたのなら、犯人が絞りこめるんだけどな。西棟だけ空いてたら、犯人は東棟の薄井。東棟だけ空いてたら、犯人は西棟の俺か青山」
「これも決め手にはならないね」薄井が断じる。
「まったくだ」薄笑いを浮かべて、青山は体を前に乗り出した。「けど、俺は犯人分かっちゃったけどね」
「ほんとか?」岩城が即座に反応する。「教えてくれ、誰が沙織を殺したんだ?」
「ああ、江藤を殺したのはな」青山は小柄な女性に指を突きつけた。「薄井桃香、お前だ!」