17 異常事態
走り続けて王都が見えてきた頃、俺の目にも何かがあったことがはっきりわかった。
かなりの人が逃げ出してきている。何があったか聞けばいいのだろうが、立ち止まって話を聞くより帰還を優先した。
「到着次第、解散とする!各自急ぎ家族の安否を確認するように!」
エアリス先生が大声で指示を出す。隊列が延びているので後ろには聞こえていないかもしれない。
王都と言っても壁があるわけでもないので、こっから王都とわかるわけでもない。
地図上でも明確には線引きされていないので、実際には家が点々とあって、増えてくると王都かなという感じになる。
そんなわけで身体強化を全開にして一人離脱することにした。
「悪いな、先に行く」
班メンバーに声をかけて急いで自宅を目指した。イリスのことも気になるが図書館にいるとも限らないし……まずはフロイアとティーテと合流しよう。
◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇
俺は街に入り一目散にフロイアの家を目指す。そこかしこで警官が戦っている。魔物…と、ワイバーンのような魔法的な力を使う獣たち(幻獣と呼ぶらしい)がいっぱいいる。
兵がいない……。その辺で聞こえる悲鳴交じりの声によれば兵隊たちは隣国・ドルゲンローグの国境線に遠征しているらしい。
朝、俺たちが出発するときにはそのような話題はなかったので、突然決まったのか、奇襲のような形なのか、攻め込まれたのか。
なんであろうとすべての兵で出撃するはずがないので、おそらく上級国民を守りつつ敵を排除しているのだと思う。この辺りは街の中心地からはまだ遠い。
議事堂や駐屯地あたりまで行けば兵が守っているのかもしれない。
家が見えてきた。扉が閉まっており襲撃された様子はない。ドアを破ろうかと思ったが思い直し、二階まで飛び上がって窓の鍵をこじ開けて侵入した。
「フロイアさん!無事ですか!?」
姿が見えない。たぶん三階だ。
俺は上に駆け上がろうと部屋から出ると階段からフロイアとティーテが降りてきた。
「アレス、無事だったんだ。良かった!」
ティーテに上から飛び下りて抱きつかれた。
俺はしっかりと抱きとめて……堪能した。いい匂いがする。
「アレス、良かったわ、心配してたのよ」
フロイアはさすがに飛びかかってはこず、落ち着いて階段を下りてくる。飛んできてもいいのに。
「こちらこそ、フロイアさんが無事で良かった。何があったんですか?」
「上に行きましょ、落ち着けるようにアロマを使ったのよ」
ティーテも、と思い引き剥がすとちょっとむくれている。あれ、どうした?
「あー、ティーテも無事で良かったよ。もちろん心配してた」
「はいはい、行きましょ」
ティーテが先に階段を上るとチラチラ気になるな。……ハッ、そんなことを気にしている場合ではない。
「いや、待ってくれ。無事が確かめられたならいいんだ。俺は見習いとはいえ騎士だから……行かなきゃ」
「アレス、ちょっとストイック過ぎない?いま帰ってきたばかりなんだから少し休んだら?」
フロイアが引き留めてくれるが、イリスの事も気になる。それにこの状況ではとても落ち着いていられない。
ティーテも参加していくらか押し問答していると下からドアを叩く音が聞こえた。
「師匠、師匠!いませんか!助けてください!」 ドンドン!
イリスの声だ。
俺はすぐに入ってきた窓から顔を出して声をかける。
「イリス!無事だったか!」
「師匠!良かった!助けてください、お母さんが!」
ちょっと涙声だ。よっぽどのことだろう。
「すぐ行く!身体強化!」
俺は身体強化をかけ直して飛び降りた。
「待って!アタシも!」
ティーテが飛び降りてきたので受け止める。無茶をするやつだ。
ティーテにとってイリスは、母親を助けてくれた恩人の一人である。そのためか、ティーテのイリスへの好感度はカンストを振り切って妹のように可愛がっている。
イリスもそのように可愛がってもらえるのをまんざらでもなく思っているようだ。
俺とティーテが降りたのを見てイリスは俺たちに軽く会釈をし、すぐに振り向いて走り出す。
たぶんイリスの自宅の方向だ。
「家だな、イリス」
俺はイリスを抱えて行き先を尋ねた。抱えて走った方が速い。
「は、はい、そうです。お願いします」
「ティーテ、イリスの家だ。先に行ってる」
さすがに二人も抱えられないのでイリスだけ連れて先に行くことにした。
「わかった、すぐ追いつく!」
街の様子は今朝とすっかり変わっていて家は破壊され、そこかしこで火の手が上がっている。
住民たちは逃げ惑うか意を決して戦うかしているようだ。
意外にも倒れている人はそんなに多くない。魔法が使えて精霊の加護のあるこの世界の人たちは重傷になりにくいのかもしれない。
しばらく走ると家に着いたのでイリスを下ろす。こんなに近かったかな。
歩きでしか行ったことないからか。
「お母さん、大丈夫?助けを呼んできたよ!」
イリスは家に入るやいなや、床に転がっていた母親に駆け寄ってすがりつく。
見たところケガをしているようだ。ケガなら俺より医者や教会の神官じゃないか?
いや、そんなことわかりきってるか。この状況だから誰もつかまらなかったんだろう。
「はぁ…はぁ…ありがとう、イリス。もう行かないで。お母さんのそばにいて」
「…うん…うん…」
さて、力になれるかわからないが、見てみるか。
けっこうな重傷だな、血がドアから点々と続いているのを見るに、外で襲われてなんとか帰ってきた、というところか。
脇腹をえぐられたようだ。応急処置はしてあるが、血が止まっていない。
「ししょう、おねがいします、たすけで…だずけでくだざい」
助けるすべはある。あるが、俺一人では対応できない。
それに、この状況で一人だけを助けるのが最適解だろうか。
「イリス、まずは落ち着け。こんな時、どうすればいい?知ってるはずだ」
「わが…わかりまぜん。わがりまぜん……!」
意地悪なような気もするが、この子が戦力にならないと動きようがない。
とにかく落ち着いてもらおう。
「俺がイリスに頼った時のこと、思い出せるか?」
「え……?」
ぐしぐしと目をこする。
「ば、万能の治癒神術?…で、でもあれは……」
少し落ち着いてきたかな。
「いや、あれしかない。魔法陣は、わかるか?」
「は、はい。師匠の力添えがあれば」
少し目に力が戻ってきた。もう大丈夫か?
「いいや、きみ一人でやるんだ。イリス」
「えっ、な、なぜですか。師匠。助けてくれないんですか」
イリスが困った顔、悲しい顔をしている。困らせるために言ってるわけじゃないんだ、ごめんよ。
「俺は俺でその間にやることがある。発動はもちろん俺が主体でやらせてもらう。あと、もうすぐ着くはずのティーテが手伝う。
大丈夫だ、一度やったことだし、イリスならできるよ。必ずお母さんを助けよう」
「う、は、はい。わかりました……やってみます!」
イリスは力強くうなづき、母へ向きなおすと声をかけた。
「必ず……助けるからね、お母さん」
イリスが自室のある二階へ行くと、ちょうど玄関のドアが開いた。
「着いたよ、大丈夫?」
「ティーテ、いいところに来た。お母さんを見てやってくれ。これから回復魔法を発動するが、それまで持ちこたえさせてくれ」
「わかった!大丈夫、任せてよ」
ティーテは一目見て大体の事情を把握したようだ。
こういう場合は患者への声掛けも重要になる。その点、ティーテなら俺より適任だ。
「まずは止血だ。あとで治るから少し乱暴な方法を取ってもかまわない」
「全部わかってる。アレスは自分のやるべきことやって!」
なんという頼もしい返事。すべて任せよう。
俺は机を借りてペンを走らせる。本当にそんなことができるのか、うまくいくのか。まったく未知数だ。
だが最悪の場合でもイリスのお母さんだけは助けなければならない。
万能の治癒神術はかなり複雑だが、あの後もよく研究をしていたし、イリスなら早々に仕上げてくるだろう。
それまでに俺も完成させる。銅線はいつも必要になるのでベルトに巻き付けてあるのだ。
しばらくして、イリスが降りてきた。
「師匠、できました、どうですか?」
イリスが作ってきた魔法陣は紙にペンで書いてある。俺がそう指示したからだ。
よし、確認して問題あれば修正しておこう。
「イリス、君はお母さんについてあげてくれ」
「はい!」
さて、俺の方ももう少しで完成だ。
「イリス、こっちもできたぞ。これで問題ない」
「師匠、紙の魔法陣のまま発動するんですか?」
「ああ、俺の考えが正しければできるはずだ」
考えが正しければ、というか、当然作りながらテストはしているので発動できることまではわかっている。
問題は……もうひとつある。
そこでさきほどティーテに探しに行ってもらったのだが、間に合うかな。
「戻ったよ!」 バァーン!
ドアを勢いよく開けて、ちょうどよくティーテが戻ってきた。
うーん、この子めちゃめちゃ有能だな。
「アレス、いったい何の用だ。この状況で、戦いを中断してまで来たんだ。相当なことなんだろうな?」
「私も何か役に立てることはあるか?」
エアリス先生とルミスだ。
まぁルミスはおまけというか、たぶん人探しを手伝ってもらったんだろう。
「エアリス先生、今から負傷者に回復魔法をかけます。ただ、本人が発動に参加しないと効果がないんです。
遠くの人に声を届けるような魔法はないですか?」
エアリス先生の加護精霊は風系統のはず。
おそらく得意なはずだと思って呼んできてもらったんだ。もしダメだったら……他の人は諦めるしかないな。
「ある。……回復魔法、とやらを発動するんだな。信じるぞ」
「今は信じてください。問答は無用です」
回復魔法は使える者が少なく自身にかけることすら珍しい。その上、他者に魔法をかけるという事は基本的にない。
その"ない"ことを信用してくれるというのはありがたいことだ。
「ルミスはこっちを手伝ってくれ」
手伝うというか……言い方は悪いが、バッテリーの役割だ。これは多い方がいい。
「発動に参加する、というのは具体的にどうする?」
エアリス先生はさっそく届ける言葉を考えてくれているようだ。
「光る線に触れたらそこに魔力を通してもらうだけでいいです。ルミスも同じだ。めいっぱい魔力を流してくれ」
「「わかった」」
ちなみに意識のないほどの重傷者は魔法抵抗力も下がっているはずだ。
万能の治癒神術は元々患者の参加を想定していないのでおそらく貫通できる……と期待する。
「よし、ティーテ、イリス、発動するぞ」
俺はまず自分が作った魔法陣を発動する。こちらは銅線で描いてある。
そしてイリスの描いた魔法陣に手を当てる。
「よし、拡大発動!万能の治癒神術!」
万能の治癒神術の魔法陣が光の線となって浮き上がり、どんんどん拡大していく。
これを……周囲の人を取り込みつつ、王都全体まで広げるのだ――!
―――― あとがき ――――――
乱暴な治療……たとえば傷口を焼いて止血してもいい、ということ。