カルテ0 潜行(オペレーション)
ポツ……ポツ……ポツ~――。
点滴筒の中の溶液が小気味よく落ちてリズムを刻む。
他人の部屋特有の匂いが鼻腔を擽る。何気なく横を向くと青崎ドクターと目があった。特に理由はないが気まずくなって俺は目を患者のほうに向けた。
視線の先には男の子が一人ベッドに横たわっている。先ほどから小気味よくリズムを刻んでいる点滴から延びるチューブに繋がれて穏やかに眠っていた。まるでただ昼寝をしているような、今にも起きてきそうな雰囲気があるが、ある一か所だけその光景を異常たらしめている。
頭に繋がれた巨大なヘッドギア。色はメタリックの黒。ところどころ液晶の部品がついており、時折明滅を繰り返している。後頭部から延びている4種類のコードがこの部屋の電話回線や電源と繋がっている。
「患者の名前は鈴木誠司、17歳。都立青倫館高校に通う二年生だ」
俺たちのリーダーである青崎賢治ドクターが発言する。
「知ってますよ、ここに来る際に患者の一通りのプロフィールには目を通しましたから」
この場で初めて黒桐天が口を開いた。
彼女の気の強そうな眼は青崎ドクターに向けられておらず、患者の部屋の本棚に向けられていた。
さきの発言もどちらかと言えば興味なさげだ。
「まあ、そういうな。何事も再確認っていうものは必要だ。」
青崎ドクターがそれをたしなめる。
「続けるぞ、患者はサッカー部に所属。学校生活の態度はまじめそのもので“夢”にかかる直前までは無遅刻無欠席、友人関係も特に問題なくいじめ等も認識していなかったと学校側も家庭側も証言している」
「それじゃあ、“夢”に引きこもる理由らしい理由は見当たりませんねぇ~」
青崎ドクターの言葉を受けて、白井桃子ナースが発言をする。重苦しいこの場の雰囲気に似つかわしくない間の伸びた口調は実に彼女らしい。
「周囲の目に見える原因だけが“夢”に引きこもるきっかけとは限らない。問題は患者にとって“夢”に引きこもるだけの理由があったから現にこうなっている」
青崎ドクターが答える。
「それに本当にいじめがなかったかかどうかも実際にわかりませんしね」
ここで初めて俺、火野橙司がみんなに発言する。
「もちろん、そこらへんの追加調査も黄川田に依頼してある」
青崎ドクターの返答。俺はこの場にいない黄川田さんを思い浮かべた。派手なアロハシャツを着まわして、胡散臭い笑顔を浮かべている、そんな顔が真っ先に浮かぶ。
そして彼に誘われたあのゲームのトラウマも同時に想起してしまった。うん、今は黄川田さんについて考えるのはやめよう。
「とにかく、黄川田さんの報告は“潜って”からも聞けますよね。だったら、さっさと“潜っちゃって”それから“夢”の原因は考えましょうよ」
これは俺の発言。とにかくあのトラウマの事を一刻も早く脳内から飛ばしたいがため口を動かした。
「その通りだ。患者が“夢”に入ってからすでに2週間近くたっている。これ以上事態を長引かせれば患者の身体的負担になりかねん」
「2週間以上、点滴生活は堪えますからね~。最悪胃瘻でも繋げば話が違ってくるんですけど」
青崎ドクターの言葉に、白井さんが冗談交じりに乗っかる。
「いやまずいっしょ? 患者まだ健康な男子高校生ですよ? 」
「その通りだ。悠長なことは言っていられない」
白井さんの不謹慎な冗談に俺がツッコミ、それに同意する青崎ドクター。
「それで、何分後“潜れる”ようになるんですか」
黒桐が青崎ドクターに問う。
「機材のセッティングはすでに白井君に任せてある。大体30分後を目安に黒桐君、火野君には患者の“夢”に“潜って”もらう」
「は~い、セッティング急いでやってまーす」
「……そうですか」
白井さんのいつもの口調にうんざりしたように黒桐はそれっきり口を開かなくなった。
そして誰も口を開かない。重苦しい雰囲気に耐えられなくなった俺は、患者の部屋であるこの場所を改めて見回した。
年頃の男子高校生らしくなく部屋はこぎれいに片付いている。木の材質でできた学習机と椅子、全体的にベージュで統一された落ち着いた調度品。
そして一際目を引くのは患者が横たわっているベッドの横にでかでかとおいてある木製の本棚だろう。
本棚は非常に大きく、俺が小柄な部類とは言えそれでも倍近い高さがあった。
そして肝心の本棚の中身だが、こちらもこの部屋同様きれいに整理されている。
具体的に言うと棚の段ごとに雑誌、漫画、学習参考書、その他文庫本と丁寧に分けられ、左から順に背の高い本が並べられている。
患者は随分と几帳面な性格なのだな、と俺は思った。
「患者は随分と几帳面な性格なようですね」
黒桐がちょうど俺も思ったことを発言した。
同業者でしかも長い腐れ縁である以上、どうしても発想が似てくるのは仕方がないことだが、どことなく居心地が悪い気分だ。
「気を付けろ、そういう患者が作る“夢”は得てしてかなり細部まで作りこまれた世界だ。君達でも攻略に苦労するかもしれない」
青崎ドクターは黒桐と俺に向かい注意を促す。
「問題ありません。どんな世界であろうと勝って攻略する。それが私の仕事ですから」
黒桐はこともなげに返答する。
「そうですよ。どんな世界も攻略する。それが俺たちゲーマーの仕事です。今回も俺の超絶プレイ魅せてあげますよ!」
黒桐に便乗して俺も大分調子の良い返答をする。
「……超絶プレイねぇ」
黒桐は俺に突っかかってくる。彼女が俺に突っかかるのはいつものことなので、スルーしてもよかったが、今回の言葉に明確な嘲笑の色を感じた。当然俺は聞き返すしかなかった。
「どういう意味だよ、黒桐」
ふいに黒桐の目線と交わる。普段は不機嫌か、あるいは挑発的な色をその目に宿しているが今は違う。こう、新しい玩具を見つけた子供のようにニヤニヤとそれでいて加虐心にとんだ目をしていた。
「……いやいや、さしもの天才ゲーマー様でも苦手なゲーム分野があったんだなー、と思ってね」
「は?」
背中にいやな汗が流れる。まさかあの事がばれているのか。いや、でもあの日の出来事を知っているのは俺と……。
「リアル恋愛ゲーム」
黒桐の口からそのワードが出てギクリとする俺。たぶん、周囲にもあからさまに焦っていることが分かったろう。それがいけなかった。
「あー、知ってます。火野君一昨日の合コンで散々な結果だったって話」
白井さんが俺の焦った表情から思い出したのか、黒桐の話に乗ってくる。
「俺も知ってるぞ。なんでも最初は良い雰囲気だったのに火野君が趣味のゲームの話を延々とした為に女子全員に引かれたとか」
……青崎ドクターまで知ってらっしゃいましたか。もう疑うべくもない。そんな人の黒歴史をペラペラペラペラ喋って、なおかつその事実を知っている者。
「き、黄川田~」
俺はこの場にはいない裏切り物の名前を叫んだ。