全快! 誘拐? そう来るかーい!! ~1日目の6~
起きたら知らない部屋だった……
定番シチュエーションですね……
*
光を感じて眼を開けても、私はしばらくの間、自分がどこにいるのか分からなかった。
見えたのは白い天井と、蛍光灯。自分がベッドに寝かされているのを感じる。
……いや、ちょっと待て。ホントにここ、どこだ?
病室って感じじゃねえぞ。だれかの部屋だぞ?
待て待て待て、一体全体、なにがどうなってこうなった?
ひょっとして、私、誘拐されました?
ドコゾノ変質者様ニ、オ持チ帰ラレマシタカ?
「おはよ」
「──ひぃッ」
最悪の事態を想像していた私は、突如かけられた声に、悲鳴を上げて飛び起きた。
「よかった。元気そうだね」
ワークチェアに腰かけた部屋の主が、読んでいた本から顔を上げぬまま言った。
私の口から、盛大な安堵の溜息が漏れた。
ナルくんだった。
「じゃぁ、ここ、ナルくんの?」
訊ねながら、室内を見回す。
飾り気がないを通り越して、無味乾燥とした部屋だった。
これ以上は片付けられないだろうというくらいに整理整頓されている。
調度品といえばベッドと勉強机とタンスくらいだ。生活感がない。
机の上に置かれたティーセットが不自然に思えてしまう。
記憶の中のナルくんの部屋から、随分と変わっている。
あの頃は玩具が散乱していて、壁にはいくつもの落書き跡があった。
大きな本棚の中にはたくさんの絵本と漫画がぎっしりと詰め込まれていた。
ナルくんは外遊びの方が好きだったけれど、私が望めば、不器用に片付けられた部屋の真ん中で、おままごとやボードゲームをして遊んだのものだ。
まるでない……あの頃の面影が。
今のナルくんがどういう人なのか知りたかったが、趣味を伺わせるようなものない。
勉強机に据え付けたれた本棚の中には、いくつか書物が並んでいるが、それもすべて教科書や参考書の類だ。
いや、ひとつだけあった。
ナルくんがいま読んでいる本だ。
──ッて『オーメンv.s.エクソシスト』ってなに!? 反応に困るわ!
「道端で倒れてたから、とりあえず運んだんだけど、大丈夫?」
「道端……?」
記憶を巡らせた瞬間、背筋が粟立った。
いきなり、何かに襲われて窒息しそうになったこと。
顔のない化け物。
気味の悪い呪文。
猛烈な悪臭。
気を失う前に遭った、この世のものとは思えない数々の出来事が、脳裏にさまざまと甦ってくる。
怖かった……いや、今も怖い。
身体の震えを必死になって抑える。
正直に話してしまいたい。
ナルくんに助けてほしい。
具体的に、そしてあからさまに欲望(乙女の夢)を言えば、「もう大丈夫だよ、ボクが守るから」って言いながらギュッってしてほしい。
しかし、私の口から出たのは、嘘だった。
「大丈夫。ただの貧血」
我ながら無理のある嘘だと思ったが、ナルくんは「そう」と答えただけだった。
本当のことを言っても、信じてもらえるわけがないだろう。私でさえ、あれはなにかの錯覚か幻覚だったんじゃないのかと思っているくらいだ。
なによりナルくんは言った──僕にかかわらない方がいい、と。
なら夢か現実かも判らないことで迷惑をかけるのは、きっと、よくない。
でも倒れてる私を助けてくれたのがナルくんで、本当によかった。
ナルくんが本を閉じた。机の方に向き直り、ティーポットを傾けて二人分のカップに琥珀色の液体を注ぐ。
湯気が立ちのぼり、ほのかな甘苦い香りが漂ってきた。紅茶だ。
「飲んでってよ。気持ちが落ち着くから」
「あ……ありがとう」
私はベッドの上に座り込んだまま、差し出されたカップを受け取り、口をつけた。
「おいしい。ナルくん、煎れるの上手いのね」
「そう? ありがと」
少し照れたように応えながら、ナルくんも自分のカップに熱いお茶を注いで……
山盛りの砂糖をぶちこんだ。
──どんだけ甘党だー!?
しかも、それ大サジじゃないよレンゲだよ! チャーハン食うやつだよ! 葉っぱじゃないよカエルだよ! ああああ私ナニ言ってンだ!? 言ってないけど!
──と、叫んでしまうのを抑えるために、私はカップの中身を一気に飲み干した。
熱い。喉が焼けつくかと思った。
「わ……私、そろそろ帰らなきゃ」
「そう。じゃあ送ってくよ」
「い、いいよ。大丈夫」
「でも、帰り道、わからないんじゃない?」
「大丈夫だって。ナルくん家の場所なら、憶えてるもん」
本音を言えば、送って欲しかったし、ナルくんの優しさも嬉しかった。
でも駄目だ。
これ以上、ナルくんの隣にいたら……初恋の思い出が、目茶苦茶の木っ端ミルキーウェイになりそう!
なかば逃げるように、部屋を出た。
「……あれ?」
細長い廊下の先に、玄関の扉が見えた。
廊下の途中には、申し訳程度のキッチンと、バスルームへの扉。
「ここって……」
ワンルーム・マンション?
「うん。わけあって独り暮らし中。だから送ってくよ。迷ったらいけないし」
どうりで、部屋の印象が記憶と合わなかったわけだ。
しかし、同じ町で独り暮らし?
それも、まだ高校生で?
聞きたいことは山ほどあったが、私はまず、靴を履いて、玄関の戸を開けた。
そして現れた光景に一瞬、我が目を疑い──
「どひゃー」
ひっくり返った。
ナルくんのアパートの前に走る細い道路。
その向かいに、私の家があったのだ。