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授業! 仰々? 魚介類!? ~1日目の4~

イカが出てくる回

いかがなものか…


     *


 気がつけば、私はナルくんの腕を振りほどき、走ってその場から逃げ出していた。

 ムードぶち壊しも甚だしい、コメディ丸出しの状況に耐えられなかったのだ。

 「ありがとう」も言えず、教室に飛び込むまで振り返ることも出来なかった。

 駆け出した瞬間に思いっきり踏んだ戸板の下から「ぐえッ」と大きな蛙の鳴くような呻き声が聞こえたけど、間違いなく気のせいだ。


 理科室に駆け込むや、平静を装いつつ、空いている席にテキトウに座り込んだ。

 本当にテキトーに座った……はずなのだが。


「あ、来た来たー」


「さっきは置いてけぼりにしてしまって、ごめんなさい」


「いらっしゃい。分からないことはなんでも聞いてね」


 なぜに、この三人組のいる席に着いてしまったのやら。

 それから、予鈴が鳴るとほぼ同時に、チョコの気配をすっかり消し去ったナルくんが入ってきて、私からはかなり離れた席に着いた。

 腰を下ろす直前、チラリ、とこちらを伺うように流された眼と、視線があった。

 心が、ざわついた。

 ナルくんの眼が、どこか悲しげに見えたのだ。

 さっき逃げ出したせいだろうか。嫌われただろうか。だとしたら、どうしよう。


 今は無理でも、授業が終わったら、ちゃんと助けてくれたお礼を言って、それから謝らないと――チョコ塗れの顔にビビって逃げちゃった、とは流石に言いづらいけど。

 なんていうことを必死に考えている間に…………


「はい、自習じゃねーぞー。残念でしたー」


 と、なんだかムカツク口上を垂れながら、白衣をケチャップで染めたままの先生が入ってきた。

 凄惨な姿だ。額は腫れ上がり、両の鼻孔にはティッシュが詰められている。

 にもかかわらず、眼鏡にはひとすじのヒビも入っていない。主より頑強な眼鏡だ。


「本当は自習にしたかったんだけどなー。面倒くさいから」


 そこは面倒くさがるな教師。


「で、えーと、聞くところによると、転校生がいるみたいだな。面倒だからいちいち探さねえけど、私の方だけ、一応挨拶しとこうか」


 とくに誰の方を見るわけでもなく、先生はそう言った。

 面倒、面倒、と連呼する教師も本当にどうかと思うが、これに関しては目立つのが嫌いな私としてもありがたい。


「本学年の化学を担当している、虻内(あぶない)独太(どくた)です。どーぞよろしく」


 危なーい! その名前はメッチャ危ないと思いまーす。名実ともに変態先生ですよー。とてもよろしく出来ませーん!

 ──と叫びたいのをグッと堪えた。


「さて、今日は解剖やるぞ。各自、目の前に箱があるな」


 たしかに、ある。

 やや細長い、なんの変哲もない箱だ。

 うん、解剖? 化学の授業で? 普通、生物だろうに。


「あ、もう開けていいぞ」


 疑問はあったが、とりあえず私は自分の目の前にある箱を引き寄せ、蓋を取った。

 なかに敷き詰められた氷の布団の上に、それは寝かされていた。


 赤い斑色の体。頭部と見える胴体は長細く、その下にはぎょろりとひん剥かれたまん丸い目玉と、無数の吸盤を備えた十本の足。そのうち二本は長い触手だ。


「はい、今日はイカをさば……解剖してもらうからなー」


 へえー、ヤリイカだねぇこれは。白くなってないってコトは相当新鮮だねぇ、刺身とか最高だろうねぇ。

 いやー美味しそう。

 ──ッてナンでじゃボケ!

 しかも、今「さばく」って言いかけたよね!? 化学の授業を調理実習に化かしかけたよね!?

 は、まさか、化け学なだけに──いや、誰が上手いこと言えと言った!


「あ、稀多さんのイカ、赤い。アタリね」


 隣に座っていた五十川さんが私の箱の中を覗き込んで、感心したように言う。


「え、ホントだすごーい」


「稀多さん、ラッキー」


 どうやら、白化していない個体が入っていたのは、私一人らしい。


「あれ? イカちゃんのは白いんだ。イカちゃんのクセに負けてるー」


 綾さんが言った。どういう勝ち負けなのかサッパリわからない。


「べ、別に悔しくなんかないわよ。問題は、どう美味しく料理するかなんだから」


 いやいや、張り合う必要なんかないからイカちゃん。

 ふと、視線を感じて、辺りを見回す。

 また、ナルくんと眼があった。

 すぐに逸らされたが、その顔は、今度はなにやら深刻そうに見えた。

 え、まさかナルくんも悔しがってる?

 これって実は、なにかのクジ引き?


 しかしその予想は外れ、私はなんの景品もいただけないまま、先生の指示に従いながら、メスで黙々とイカを解剖していった。

 外套(がいとう)と呼ばれる胴体から内蔵を引き抜いたり、破裂させないように気をつけながら墨袋と内蔵と切り離したり、外套の中からぶっとい神経を引き抜いたりして…………

 気がつくと、なんやかんやで私たちの目の前には、スーパーに並んでそうな姿のイカ切り身が横たわっていた。


「美味しそう……」


 私のイカを見ながら、五十川さんが妙に水気を含んだ声でそう言ったが、もういちいち反応するのも面倒なので聞こえないふりをしておいた。

 結局、この授業のどこが化学なのかは、最後まで分からず終いだった。


「終わったら、男子はしっかり手を洗って帰るように。手がイカ臭いと品性を疑われるからなー。女子は別にいいぞー、エロいからなー」


 教育委員会の皆さん、ここにセクハラ教師がいます。はやく私たちを助けてください。

 もちろん、そんなやつの言うことを面白がってでさえ聞くやつはいない。女子もみんな、理科室に備え付けの手洗い場でしっかり手を洗浄した。

 クラスメートたちがぞろぞろと教室を後にしてゆく。

 その最後尾に、ナルくんはいた。

 そして、そうなると踏んでいた私は、最後尾から二番目についた。


「さっきは、ありがとう。それから……ごめん」


 一歩下がってナルくんに並びながら、私は言った。


「ああ。いいよ、気にしないで」


 相変わらず気怠げ、かつ眠気全開な表情でナルくんは答える。

 その眼は、私を見てはおらず、ずっと斜め下に落とされている。

 背を丸めているせいで、もともと高くもない身長が、さらに低く見える。

 私の方が、目線が高いくらいだ。

 やはり、その表情や態度が、どうしても私が慣れ親しんでいたナルくんと繋がらない。

 身体の調子でも悪いのだろうか。見ているだけで心配になってしまう。

 昔も、そうではあった。だが、それは良い意味でのことだ。

 過ぎるほどによく走り、よく笑う。

 天真爛漫、明朗快活、天衣無縫、純真無垢──とりあえず素敵そうな四字熟語を並べてみたが、ざっくばらんに言えば本当にそんな感じだったのだ。

 ときどき、そのまま背中に翼を生やして、どこかへ飛んでいってしまうのではないか、そんな不安を抱かせるような子だった。

 しかし、いまのナルくんは、これだ。

 死んだ魚のような眼。そこにかかる前髪。猫背。

 いかにも陰気くさそうで、ジメッとしていて、放っておくと身体からキノコが生えてきて、胞子を飛ばしそうだ。


「ナルくんってさぁ……なんか、変わったよね、昔と」


 ナルくんの視線が一瞬、私の方に泳ぎ、また廊下へと戻る。


「マコちゃんだって、そうだよ」


「そう、かな?」


「前は、そんなに人の顔色をうかがったりしなかったよね」


 やっぱり気づかれていたか。

 それを表に出さないことも含めて、完璧に身についた処世術だと思っていたが、昔の私を知っているナルくんの眼は誤魔化せなかったようだ。


「うん、まぁ……色々あってね」


 ない。転校を繰り返してきただけだ。

 しかし、それで充分だった。

 何度かの転校を繰り返し、自分が一所ひとところに留まれないと分かったとき、私はクラスメートたちと仲良くなろうとするのを止めたのだ。

 話しかけられれば応えるが、こっちから話しかけることはない。誘われれば寄るが、こっちから寄せてもらおうとはしない。

 好かれようとも、あえて嫌われようともせずに、ただ淡々と人との付き合いをこなすようになった。

 友達なんていらなかった。

 いればまた、別れがつらくなるから。


「みんな色々あるよ。色々あって、変わっちゃうんだ」


 そう言うナルくんの眼は、とても遠いものに見えた──地面を見ているというのに、まるで、地球の裏側に突き抜けそうな。


「ナルくん?」


「マコちゃん。あんまりボクに、関わらない方がいいよ」


「そんな、どうして──」


「いま、キミが言ったことだよ。ボクはもう、マコちゃんの知ってるボクじゃない」


「え? どういう……」


 私が言い切らないうちに、ナルくんが走った。

 脇目もふらずに、という言い方が相応しい、猛然たるダッシュ。

 待って──私がそう言おうとした時には、前を行くクラスメートたちの合間を風のようにすり抜け、消え去ってしまった。


「……どうして」


 私は茫然としたまま、しばらくそこから動くことも出来なかった。

 そして、そのすぐあとに起こった出来事が、私をさらに混乱させた。

 ナルくんが、姿を消したのだ。


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