事件! 鉄拳? 超危険!? ~1日目の3~
キャラが出そろって参ります
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「へぇ。稀多さんて、あの名瀬羽くんと幼馴染みなの」
私を囲むクラスメートの女子の一人がそう言ったのは、一限目の化学の授業のために理科室へと移動している最中だった。
その子は、五十川という名前だ。
どこの学校のどのクラスにも、数人はこういう社交的な子がいる。
五十川さんは眼鏡をかけた、いかにも優等生風な子で、仲良しからは「イカちゃん」と呼ばれているらしい。
あの、という後ろ指を指すかのような含みに、私は少々カチンと来たが、そこは得意のポーカーフェイスで、笑いながら「うん、まあね」と答える。
転校してきて挨拶するや否や、遅刻してきた男子生徒と運命的な再会を果たしたという、まるで三文恋愛ドラマような事態を、あろうことかクラスメートたちのド真ん前で演じたことで、私はすっかり有名人になってしまった。
そして今、五十川さんと、すごい小柄で童顔で中学生にすら見える綾さん、そして美人だけど、どこにでもいそうな感じの伊深さんの三人が、見事なフォーメーションで私を囲んでいる。
三人とも全然タイプが違うように見えて、もの凄い仲良しらしい。歩調までが完全にシンクロしている。
正直に言えば、今すぐにでもこの三人娘によるデルタ包囲網を突破して、ナルくんの隣に侍りたい。
しかし、世渡りならぬ学校渡りで身に染みた深謀遠慮がために、今ひとつマイペースになれないのが私だ。
なんて格好いいことを言ってるが、臆病なだけだな、多分。
しかも肝心のナルくんが誰よりも先に、ひとりスタスタと化学実験室に向かってしまったものだから、校内の地理をよく知らない私では追いかけることも出来ない。
「でもさー、大変な時に引っ越して来ちゃったよね」
「ちょっと綾ッ」
綾さんの発言を伊深さんが小声で嗜める。
「いいじゃない。知っとかなきゃ危ないよ。もう知ってるかもしれないけどさ」
「そりゃ、そうだけど」
「大変なこと?」
私が訊ねた。多分、そんな話、聞いてない。
「今ねー、この町でねー、失踪事件が流行ってんの」
流行ってるって言うの、それ?
「失踪? 誘拐じゃなくて?」
「えーっと、イカちゃん説明したげて」
人に丸投げかよ。残念な子だな、綾。
「はいはい。警察でも事件性があるか掴めてないらしくて、本当のところは、よくわからないんだけど、とにかく人が消えるのよ。それも、若い女性ばっかり。身代金の要求とか、不審者の目撃情報とかも全然ないらしいの」
「しかも、この町だけで、ね」
「え? 市全域とかじゃないの?」
市というのは、戦小町のある捨拭市のことだ。
この町を含む四つの町が市をだいたい四等分していて、戦小町は市の中央から見て北東の一角を占めている。
「そ、ここだけ。気味悪いよね。ウチの婆ちゃんなんか、神隠しじゃあ、戦神様の祟りじゃあ、ってうるさいんだ。戦神様って女好きなのかなぁ?」
「綾、もっと現実的に考えたら? マフィアによる人身売買目的の拉致とか」
生々しいな伊深さん。
「とにかく、学校でも集団下校を薦めてるし、部活とかも遅くまでいられなくなってるの。稀多さんも気をつけて」
とは言っても、原因が不明なのでは、なにをどう気をつければいいのやら。
「うん……そうする。ありがとう」
とりあえず、そう答えた瞬間だった。
「きゃぁぁぁーッ!」
私と三人娘は、揃って悲鳴を上げていた。
ちょうど差しかかっていた部屋の扉が、轟音を上げて吹っ飛んだのだ。
重厚な木製の板が猛スピードで私の眼前をかすめ、廊下の反対側の壁に激突した。
扉だけではなかった。
白衣を着た男の人が付録になっていた。
老け顔の大学生といった顔立ちだ。丸眼鏡のせいで、それがさらに明治時代の貧乏作家のようになっているが、髪は坊主ではなく、うねる癖毛が前後上下左右に散る、完全無欠のワカメヘヤーだ。
理系の先生だろうか。どうやら、吹っ飛んだのはこの人で、扉はそのとばっちりだったらしい。
その人は扉に背を預けて床にへたり込み、腹を押さえて項垂れた。
──ッて、ないないないありえないから!
何があったか知らないけど、扉ごと吹っ飛ぶとかない! マンガかっつーの!
「だ、大丈夫ですかッ!?」
でも、とりあえず大事故には変わりない。その人の安否も気がかりだから、私は大声でそう訊いた。状況が恐すぎて、足は一歩も動いてないけど。
と思いきや、私たちはもう一度、悲鳴を上げていた。
「ゲバボォッ!」
男の白衣の胸元が真っ赤に染まった。
血ぃ吐いたし!
やべえ! これはヤベエぞ!
「いってぇ。あ、ケチャップ吐いたし。もったいね」
あ、なんだケチャップか。
私はひと安心した。
──ッていやいや、おかしい! コップ一杯分くらい吐いたのに、ケチャップしか見当たんねえぞ!? ケチャップ以外食ってないレベルだぞ!?
「おいー。やるならもうちょっと優しく殴れよなー。俺だって優しく触ったろー?」
いやらしく間延びした口調で、その人は扉の消えた部屋の奥になにやら文句を垂れる。
私がつられてその方に顔をやると、ちょうど、部屋の中から女生徒が一人、出てきた。
──恐ッ!
というのが第一印象だった。
優しさを求めるだけ無駄だ、と本気で思った。
瞳孔の窄まりきった、狼の眼のような三白眼からは、冷徹と残忍さがだだ漏れになっている。
目つきだけでさえ危険極まりないのに、しかもその瞳の色は右が鳶色で、左が血のように赤い。虹彩異色症だ。なお恐い。全世界の異色症のみなさんゴメンナサイだけど、この目つきとこの色の組み合わせは本当に恐い!
背丈は私と同じくらいか、若干低い。
髪型はベリーショート。狐色の肌はサロン製ではなく、本物の日焼けだ。
腕も足も細いが、ただ痩せているのではなく、ギンッギンに引き締まっているのが素人目にも分かる。
にもかかわらず、次の瞬間、私の眼はその胸に釘付けになった。
これは同性でも、見惚れてしまう。
ボッインボインだ。
憧憬が二割、嫉妬が八割くらいの割合で見惚れてしまう。
スイカでも隠してますかってデカさだ。
なぜにそれだけアスリートの体系をしながら、そこだけ引き締まってない!?
軽く──いやいや、重く妬みますよ、嫉みますよ、ムキー。
──ッて、ちょっと待て。今、白衣の人が言った「優しく触った」ってまさか──
「だいたいよー。人間のメスの胸なんて、オスに触らせてなんぼだろーがー」
やっぱりか! 最低だコイツ! そりゃぶっ飛ばされるわ!
私でも殴るわ! 多分。
その場にいた女子全員が頭に来たであろうその瞬間、スイカ女の脚が高々と上がった。膝上にまで切り詰められたスカートの裾が惜しげもなくひるがえる。
わぁ、朝から二回もパンチラ。
しかもコイツも水玉だ。流行ってンのか。
踵が空を切って落ち、鈍い音が廊下に響いた。
男は身体を二つに折り曲げ、顔面を両足の間に埋めて沈黙した。
身体柔らけえなオイ。長座体前屈満点だよ。
あ、顔の下からドロッとした赤い液が。今度こそ血だよね。
しかし、それでも怒りが収まらないのか、スイカ女はなおも、男の頭を何度も何度も踏みつける。
何度も、何度も、何度も何度も何度も…………恐ッ!
「カコウさん、そろそろやめたげなよ。流石に死んじゃうよ」
その時、部屋の奥から男子生徒が一人、大きな板チョコを頬張りながらフラフラと廊下に出てきた。
おいおい、学校で堂々と菓子食ってるし。
しかも凄い量だし。口の周りチョコ塗れだし。
それじゃ、その美貌も台無し。
──ッてナルくんだし!
やめてえ、乙女心を壊さないでえ!
「死なん。こいつの本体は股間の方だ」
うえええ、女子にあるまじき暴言!
この人、オッカナイっていうかオカシイ! 男勝りとかいうレベルじゃないよ、女捨ててるよ!
「死ぬって。委員長が困るよ」
ナルくんがそう言った瞬間、カコウさんの動きが止まった。
「ちッ」
舌打ちを漏らし、不承不承といったふうに足を降ろした。
「ふん。名瀬羽……放課後な」
「うん」
え? なにそれ果たし状?
この二人、どういう関係? ……え?
「逃げるな」
「はいはい」
二つの意味で胆の冷える会話だった。
喧嘩を売られたように見えるナルくんの方は、とくに身構える風情もなく、相変わらず寝惚けたような取り澄ましたような表情を崩さぬまま、チョコを頬張っている。
ということは……ええッ!?
最後に白衣の人の頭を爪先で蹴り飛ばし、ツバと一緒に「次は殺す」と吐き捨てて、スイカ女改め、カコウさんは私たちに背を向け、廊下の彼方へと歩き去っていった。
「恐い……」
「あの人、ちょー恐いよね」
いつのまにか私の背後に避難していた五十川さんと綾さんが言った。
うん、その意見には私も心から同意する。
でも……転校初日の新人を盾にすんな?
「でも、悪いのはコイツじゃない?」
伊深さんが前に出て、いまだピクリとも動かない白衣の人を足先で軽く蹴る。
「女の敵、サイテー」
「これで教師っていうんだから、この国、終わってるね」
うん、それらの意見にも心の奥底から賛同しよう。
「ていうか次、こいつの授業じゃない。やってられないわ」
ええ、そうなの? 理系っぽいとか思ったら、ホントにそうだったとは。
どうしよ、授業寸前で先生轟沈しちゃったよ。
「でもこれで自習になったね。ラッキー」
「できれば永久に自習でいてほしいんだけれど」
「行きましょ。起きられたら面倒だわ」
三人は揃って、すぐそばにある教室の扉をくぐってゆく。
そこが理科室だった。人が血を流して倒れているというのに、助けるどころか心配する素振りすら見せない。教師の扱いが路傍のゴミ同然だ。
いや、ゴミは拾わなきゃいけないから、ゴミ未満だ。
ま、この白衣の痴漢自体、ゴミみたいな人間だというのは、さっきの短時間でよく解ったけどね。
しかし、流石に怪我人を放置してゆくことには罪悪感を覚える。
かといって、ここで手助けをして、クラスメートたちから睨まれるのも避けたい。
うおお、良心の呵責だ。善悪の板挟みだ。
葛藤だ。懊悩だ。オーノー。
「いけない」
突然、私の身体が後ろにグイッと引かれた。
寸分の遅れで風圧が鼻先を掠め、轟音が廊下に響き渡った。
さっきまで痴漢教師が背にしていた戸板が倒れてきたのだ。
重厚そうな板の下に白衣の端が見える。完全な下敷きだ。
だが、背骨が折れたのでは、などと他人の心配をしている場合ではなかった。
背筋に冷たいものが走る。私自身、あやうく頭に降ってきた戸板に押し潰されるところだったのだ。
今の一瞬、誰かが私を後ろに引いてくれなかったら……
……誰が後ろに?
途端に、私は自分の身体に何かが巻きついているのを感じた。
これは…………腕?
「あうなはっら」
なんて言ってるか分からないその気怠げな声は、耳のすぐ後ろからした。
チョコレートの甘い匂いが、鼻を突く。
思わず、振り返る。
そして状況を認識したその瞬間、私の脳は爆発し、顔は火を噴き、鼻は血を噴いた――というのは嘘だが、とにかくそれくらいの勢いで頭がオーバーヒートした。
紛れもない、ナルくんだった。
眠たそうなその顔が、文字通り目と鼻の先にある。
倒れる戸板から私を守るため、強引に抱き寄せたのだ。
そして今、この体勢は……そう、「後ろからのハグ」以外の何ものでもない!
だが…………
「その先生のことなら気にしないで」
チョコ塗れの口でチョコ頬張りながら喋らないでー!!