困惑? 黒幕!? ガスマスク!? ~3日目の2~
急転直下。蒼天霹靂。突拍子無。
その日は三人娘に囲まれることもなく、変態に襲われることもなく、私はノンビリ、かつウハウハな学園生活を送ることが出来た。
なにせ、「ボクに関わらないで」と言った一昨日からは一転、昨日の「ボクが守る」宣言通り、常にナルくんが私のことを気にかけてくれるのだ。
それはもう、教室移動も一緒。
体育のランニングも一緒。
お昼御飯ももちろん一緒。
……トイレにまでついてこようとしたときには、さすがに焦ったけど。
ちなみに、ナルくんのお弁当は、めっちゃ甘そうな菓子パン三つに、ドーナツ五つ、朝に飲んでたのと同じ、コーヒー牛乳1リットル。
見てるだけで胸焼けがした。
「今日は朝からやる気出てるじゃないか、名瀬羽」
休憩時間の合間に廊下ですれちがった真締先生も、笑顔でナルくんを誉めてくれた。
「どうも」
そう答えるナルくんの声は、やっぱりやる気なさげだったけど。
「稀多くんのおかげかな。仲のいい友達がいると違うもんだね。こういう言い方をすると教師失格かもしれないけど、名瀬羽のことを頼むよ、稀多くん」
爽やかにそう言って、先生は私たちの肩を軽く叩き、廊下の奥へ消えていった。
「違う……」
その背を見送ってから、ナルくんがボソリと呟く。
「違う?」
「うん。今、肩を叩かれたときに、なにか呪術でもかけられたかと思ったけど、そんなこともないや」
「呪術……? ナルくん、ひょっとして真締先生が、失踪事件の犯人だと思ってるの?」
「うん。今、ちょっとだけね」
私は、ナルくんが少しだけ、分からなくなった。
今日一日、ずっと一緒でいてくれるのは嬉しいけど、ひょっとしたらナルくんは、私といることで疑心暗鬼に陥っているのではないだろうか。
私を守る、あの約束のために、真締先生すら信じられなくなっている。
いや、多分、私以外の全員を、疑いの眼で見ている。
私と一緒に走っている間も、お弁当を食べている間も、ナルくんは常に周囲を気にし続けていた。
常に、眼を光らせていたのだ。
胸が苦しくなる。
守ってくれるのは、純な乙女(笑うな)として、すごく嬉しい。
けれどそれでは、私の存在が、ナルくんを苦しめることになりはしないだろうか。
「ねぇ、ナルくん。そんなに気合い入れなくっても……ほら、この間、やっつけてくれたし、もう大丈夫だよ」
「あれはただの使いっ走りだよ。操ってる奴がどこかにいる。多分、こだわりが強くて、プライドが高くて、完璧主義者な奴だ。一度、獲物を決めたら、捕まえるまで諦めない。また来るよ……必ず」
私は、何も言えなくなってしまった──多分、怖くなって。
どこかで私を狙っている悪い奴のことよりも、ナルくんの眼が、焦っているようで、そして凶暴な光でギラギラして見えたから。
それから、少しギスギスした空気が流れるままに、最後の授業を終えて、私たちは教室を出た。
そして、他の生徒たちと一緒に、廊下をゾロゾロと歩いている時だった。
「成くん」
「きゃああああぁぁぁッ!」
突然、目の前に現れた人物に、私は特大の悲鳴を上げていた。
「ちょ、マコちゃん、声大きいッ」
周囲がざわつくなか、私はナルくんに手を引かれて、アレヨアレヨという間に、屋上にいた。
しかし、そんなことで落ち着くはずもない。
その人もまた、私たちと一緒に屋上へやってきたからだ。
「あ、だ……し……な……ななな……ッ!」
なにかを言おうと必至に口を動かすが、まったく言葉にならない。
「えーっと……『あれー、舘屋さん、死んだはずですよね、なんでこんなとこにいるんですかー、なななー』っと言いたいのでしょうか?」
私はコクコクと頷く。
それは紛れもなく、全裸で血を吐き、全裸でゴミ箱に突っ込まれ、全裸で剣の串刺しになり、全裸で死んだはずの、ゼンラスキヨー…………じゃない、舘屋水京さんだった。
ちなみに、さすがに今は全裸ではない。
「大丈夫。幽霊でもなければ、双子だったなんて安直な設定もありません」
設定……?
「え……冗談? 死んだのって……嘘だったんですか……?」
「いいえ、死にましたよ」
はぁ!? どどど、どうなってんの?
「まぁ、そんな食玩のお菓子の方よりも些細なことは、路傍の隅にでも置いといて……」
置いとくな! どっちも大事だよ! グ○コに謝れ! 一粒三〇〇メーターを噛み締めながら謝れ!
「成くん。今日はきみに話がある」
「なんです?」
そのときになって、私は舘屋さんが、ナルくんを名前で呼んでいるのに気づいた。
なに、この馴れ馴れしさ?
あんた、ナルくんのなんなのさ!?
「きみ、自分が何をやっているか、分かっているのかい?」
「はい。改めるつもりはありません」
「そうか。なら、この話はいいことにしよう」
なんだ、この会話?
昨日、委員長と話してるときもこんな感じだったな。
「じゃ、本題に入るけれど……」
本題じゃなかったのかよ!
「きみ、どういうつもりだい?」
最初の質問と、どこが違うの!?
「何がです?」
ほら、ナルくんもわかってないジャン!
「ふざけないでくれ。オレの気持ちはわかっているはずだ。それなのに、きみって奴は、昨日からこのお嬢さんと、ベッタリピッタリ二個一の御神酒徳利で……ッ!」
え? ナニ言い出すの、この人?
オレの気持ち……?
──はッ!
わぁ、頼む! その先の台詞は、予想を裏切ってくれ!
「このオレの全身全霊の愛より、そのチンチクリンな娘の方がいいというのか!?」
裏切れっつってんだよぉー!!
くそー! エロコンビといい、こいつといい、この学校、こんなんばっかりか!?
チンチクリンで悪かったな! このエセ紳士!
「水京さん。前にも言ったはずです。ボクは、あなたの恋人にはなれません」
「キスはさせてくれたじゃないか!」
えええぇぇぇーッ!?
「ペットボトルのお茶をハンブンコしただけでしょう」
間接キッスかよ! 中学生かっつーの!?
「ダメか!?」
「ダメです」
「なぜだ! 男だからか!? 男で何が悪い!?」
多分、悪くない!
あんたの態度が悪い!
「先輩として、友人として、あなたのことは尊敬していますよ、水京さん。これ以上、ボクを幻滅させないでください」
尊敬しなくていい!
幻滅も、し果てた!
これ以上、何もない!
「行こう。マコちゃん」
「うん!」
ナルくんに促されるまま、私は決然として舘屋さんに背を向けた。
あー、もうッ。最初に逢ったときは、ちょっと頭が変なだけの格好いい素敵なおにーさんだと思ってたけど……今や、顔だけの男だよホントッ!
しかし、昇降口に向かう私たちの足は、不敵な笑いによって止められた。
「ふ……ふふふ……」
「水京さん……?」
「困るよ、成くん。きみに、そう頑なに拒まれると……」
バチン、舘屋さんの弾いた指が、有り得ないくらいに大きな音を立てる。
その瞬間、私たちの周囲の地面から、黒いものが一斉に突き出してきた。
「……いっそう燃えてくる。奪いたくなるじゃぁないか……きみを……」
身勝手極まりないその口上にツッコむ余裕は、私にはなかった。
「あ……あああ……」
いつかの恐怖が、全身を駆け巡っていた。
あの、人の形を崩したようなドロドロの異形。
それが、今度は群れをなして現れたのだ。
「水京さん……あなた……!」
「言ったはずだよ。オレには、新たな秩序の創造主がついている」
水京さんが笑みが、さらに邪悪なものとなる。
「約束してくださったよ。任務遂行のあかつきには、きみは俺の好きにしていい、とね」
そこに、私を変態都倉から助けてくれたときの爽やかさは、微塵もない。
異性愛者も同性愛者も関係ない。
この人の愛は……歪みすぎている!
「マコちゃん、ごめん。ひょっとしたら、防ぎきれないかも……」
「え? なんで!?」
「昨日……マコちゃん家で、お肉とか野菜とか色々食べたでしょ? そのせいで今、ボク……ちょっと本気出せない。今朝から甘いもの食べまくってみたけど、まだダメ」
ええええーアレでダメになるのぉぉぉー!
「そ、それなら無理して食べなくてよかったのに……ッ!」
「ごめん。一緒にご飯食べるの久しぶりで。楽しくて、つい……」
ああーん、キュンキュンするうー!
でもヤバいー!
おとーさん、おかーさん、これで私とナルくんになにかあったら恨んじゃうぞー!
「マコちゃん、昨日買った水鉄砲は?」
え? マジ? まさか、こんな状況で使うものだったの!?
「ごめん……家に置いてきた……」
「くそッ」
悪態を吐くや否や、ナルくんはズボンの両ポケットから、小さな水鉄砲を取り出し、二挺拳銃で構えた。
ごめん……なんか、色々ごめんッ!
でも……学校に持ってくるワケないでしょ普通に考えて!
そう言おうとした途端、ナルくんの鉄砲が火を噴いた。
……じゃない、水を噴いた。
器用に私を避けて、八方を塞いだドロドロマン(今、命名)すべてを一瞬で撃ち抜く。
いや、さすがに抜けはしないけど……とにかく、撃った。
途端に、ドロドロマンたちが一斉に苦しみ悶え始めた。
えええ、それどんな水鉄砲!?
硫酸でも入ってンの!?
「耳塞いで!」
素直に私は両手で耳を覆った。
……あまり意味はなかった。
「あかつきの堕天使、蝿の王、暗黒の皇太子、すべて地獄の盟主、大いなる厄災、旧き支配者達……」
ナルくんの口から、超絶怪しげ、かつ危険極まりなさそうな言葉が、滔々と流れ出す。
今度は大声で!
間近で!
そして、もちろん、あのゲ☆声で!
ぎゃぁぁぁあ、分かってたけど、実際に目の当たりにしたくなかったぁぁぁ!
やめてぇぇぇ、味方なのに凄いダメージィィイ!
いやぁぁあ、いっそ殺してぇぇえ!
色々叫びたくても、出来ない。
そんなことしたら、出る。 悲鳴と一緒に、色々出る!
ズバリ言うと、吐いてしまう!
さすがに、それだけは嫌! 死んでも嫌!
断じて断る!
「……時の流れを超え、死を超え、暗澹と静寂、渾沌、禍々しき因縁を司る、大いなる闇の申し子ら、そして我、反神の聖痕を持つ者が、汝らに命ずる。我と、我に与しし、すべての破滅の使徒の名のもとに…………滅べ!」
その最後の言葉が叫ばれるや、八体のドロドロマンが溶けた。
ジュワッ、とまるで火にかけたバターのように、一斉に。
「やった! ナルくん!」
感極まって、私は思わず叫んでいた。
「──ぅおえぇぇッ!」
そして、激しく嘔吐いた。
忘れていた。溶解したドロドロマンが、あの途方もない、異次元の──そして、可憐な乙女を一息で気絶させる──悪臭を撒き散らすということに。
しかも、今回は八倍!
わぁ、悪臭の大収穫祭やぁー。いらんわ!!
たまらず、私は息を止めた。
ここ数日で何度かくらって耐性が少しついたのか、なんとか臭いで気絶するのは免れた。
……早くも、酸欠で気を失いそうだけど。
「マコちゃん!」
ナルくんが何かを私の頭に被せてきた。
これは……ガスマスク?
あ、息が出来る出来る。
ありがとうナルくん。シュコー。
──ッて、こんなもん一体、どこに隠してた!?
「お優しいことだ。でも、彼女の心配をしている余裕はないよ、成くん」
バチン──もう一度、水京さんが指を弾く。
すると、新たなドロドロマンたちが、私たちの周囲に姿を現した。
「こんなにたくさんの死霊を、一度に……ッ!」
あ、へぇ。これが死霊なんだ。どういうものかは、よく分からんけど。
さらば、『命名ドロドロマン』。
「これも、あのお方に教わったのさ。もともと、俺とは相性のいい術だったようでね。おかげで、師も驚かれるほどの上達ぶりだよ」
──ッていうか、なんで、この二人はこの臭気の中で普通に喋れるの!?
そのときだった。
「そのわりには、無駄な遊びが過ぎるな、舘屋」
その声に、私とナルくんは驚いて振り返り、昇降口の上に眼をやった。
「やはり、俺の邪魔をしていたのは、お前だったか。名瀬羽」
そこに立っていたのは、舘屋さんに負けず劣らずの悪い笑みを浮かべた──
「先生ッ!?」
真締蒼太先生だった。
「隙あり」
「え──うわッ!」
突然、ナルくんが私の隣から消えた。
真締先生の思わぬ出現に気を取られた瞬間、舘屋さんがタックルしてきたのだ。
そのまま、二人は死霊の包囲の外へと飛び出し、ナルくんの背が昇降口の鉄の扉に押しつけられる。
「ナル────ッ!」
私の叫びは、途中から声になっていなかった。
死霊たちが、一斉に私を包み込んできた。
そして、視界をドロドロに覆われる寸前、私が見たのは──
「キスあり」
ナルくんの唇が、舘屋さんに奪われる光景だった。




