電話ボックスの怪
泥が跳ね、あちこちに蜘蛛が巣を作っている古びた電話ボックスは、怪談じみた噂話と非常に相性が良い。特に内部の水銀灯が切れかけて点滅していたり、虫がぶつかって爆ぜたりしていようものなら更に雰囲気満点である。
高城康太の家の近くには、まさにそういった電話ボックスがぽつんと立っていた。元々はそばに建物でもあったのだろうか、ぼうぼうに生い茂った空き地の草の中に電話ボックスが生えている光景は、子供ながらに不気味な印象を刻み付けていた。
そんな不気味な場所は子供時代にはかっこうの遊び場所で、よく肝試しと称して近づいていた。
面白がって学校帰りに電話ボックスに友達を押し込んだり押し込まれたり、受話器をあげてみたりして遊ぶのが、彼の通う小学校のちょっとした流行になっていた。
何故大学生になった康太が突然そんな事をつらつらと思い出しているのかというと、今彼の目の前で件の電話ボックスが鳴っているからなのである。
時刻は20時半を少し回った頃。なんとも雰囲気の出ない中途半端な時間帯である。
夏休みの帰省で地元の友達と成人祝いだと集まっていたのだが、買い出しを頼まれてコンビニに行った先で、まさか小学生の頃の都市伝説を拝むことになるとは思わなかった。
「これが鳴ってるの見たのって初めてだな。…というか公衆電話って鳴るんだな」
友達とふざけてこのボックスの周りで騒いでは近所の住人に煩いと怒られていた記憶はあるが、ベルが鳴るところは見られなかった。
間違い電話か何かだろうか。
当時一緒に遊んでいた友達も今日の集まりに参加している。
これはいい話のネタになりそうだ。
コンビニの袋を足元に置いて、康太は蜘蛛の巣が張った扉を押す。
扉も受話器も埃まみれだったが、軽く酔いが回っていた彼は特に気にすることもなく受話器を取った。
「もしもーし」
『…わっ――ほん…に、たっ…』
「あ、すげえほんとにかかって来てる おーい、聞こえますー?多分番号間違えてますよー」
ノイズ交じりでよく聞こえないが、電話口の声は高かった。どうも子供が何人かで騒いでいるようだ。
いたずら電話か。何年経っても流行る遊びは変わらないようだ。
期待より面白くなかった結果に電話を切ろうとした時、突然電話口の声が鮮明になった。
『――い!まだおれが話してんだろ!』
『おまえばっかじゃん!貸せよこうた!』
「…こうた?」
電話口の子供は自分と同じ名前なのか。
ふと、彼は思い付きで子供に話しかけた。
「おい、お前の名前当ててやろうか」
『は?わかるわけねーじゃん』
「高城康太」
ひっ、と息を飲んだのが受話器越しに聞こえた。
「おっまじ?合ってる?」
『…ちげーよ!ぜんぜんちげーもん!』
「じゃあ一緒にいる奴の名前も当ててやるよ。岩崎裕斗だ」
『な…なんで…』
「学校もクラスも住所もわかるぞ。どれがいい?」
『う…うわああああっ!』
ガチャンとけたたましい音を立てて電話が切れた。
電話が繋がったのは過去の自分だったのだろうか。
たまたま同姓同名の人間にかかっただけかもしれないが、もし自分にかかっていたらと考えた方が面白い。
自分で自分を脅かす経験などそうそうできるものではない。
予想以上のいいネタが手に入った。
「あー面白かった」
康太は上機嫌で電話ボックスを後にした。
「遅えぞ!まさかコンビニ行く道忘れたのか?」
部屋に残っていた面々がどっと笑う。この短時間で大分出来上がっている様だ。
「流石にそれはねえよ。あ、そうだ岩崎、俺今あの公衆電話が鳴ってるとこ初めて見てさあ」
「公衆電話?」
「ほら、小学生の時に遊んでて怒られた電話ボックスの」
岩崎はしばらく考えた後、あれのことか、と頷いたが、同時に怪訝そうな顔をした。
「…あの電話ボックス、半年前くらいに取り壊されたはずだぞ。今は駅前以外に公衆電話は無い」
「は?」
久しぶりに帰ってきた康太をからかっているのだと彼は考えた。
だが、どうも取り壊しは本当にあったことらしい。
喧々囂々と言い合ううちに、なら今からそこへ行って見てみようという話に落ち着いた。
岩崎と康太、そして面白がってついてきた数人で来た道を戻る。
「あそこだろ。ほら、空き地しか残ってない」
岩崎が指さした空き地は、確かに康太が見つけた電話ボックスのあった場所だった。
「嘘だろ?そんなはず…」
そこへ駆け寄った康太の足元で、がさりと大きな音がした。
それは彼が受話器を取る前に足元に置いたコンビニのビニール袋だった。
拾い上げようとして、康太は動きを止め、思わず声を上げる。
「何だこれ?!」
スナック菓子の袋は引き裂かれてボロボロになり、缶は執拗に踏みつけられたかのようにへこみ、中身は全て流れ出ていた。
酔っていたとはいえ、さすがに買ったものを無意識にこんな状態にするほどではなかった。
電話ボックスに入ったことも夢ではない。
明滅する水銀灯も受話器の感触も、電話口の子供の声も、夢というにはあまりにリアルなものだったのだ。
何より、ふと見た自分の手のひらには、何かを掴んだ後の様に砂埃がべったりとついていたのである。
明らかに異常な光景と康太の様子に、その場の全員が押し黙る。
「…酔って、ここで一人で酒盛りでもしてたんじゃね…?」
沈黙に耐えきれなくなったように一人が口を開く。
「いや、この袋の破け方は何ていうか、動物が噛みついたみたいな…」
「――…狐に化かされたみたいだ」
「さすがに馬鹿だろ、いつの時代だよ」
一同は再び沈黙に包まれる。酔いはすっかり醒めていた。
結局、康太が酔っていたか寝ぼけていたのだという事でその場は無理やりに片づけられ、足早に宴会に戻ることになった。
彼は翌日も近くを探し回ったが、ついにそれらしき電話ボックスを見つけることは出来なかった。
代わりに電話ボックスのあった場所から空き地を横切る形で、裏の森まで何かが通って行ったかの様に草が倒れていたが、気が付かなかったふりをしてその場を後にした。
ついでに言うと、康太の幼少期の記憶に公衆電話で自分の名前を当てられた、というものは存在しない。
岩崎を含む友人達に話を聞いても、当時全員が結局は怖かったので、例えベルが鳴っていなくても誰も受話器を取れなかったのだという。
狐であればかわいいものだが、果たして彼は何と会話をしていたのか。
<了>