クエスト37 おじーちゃん、笑顔で『おつかれさま』とハイタッチ
「――知覚加速」
そう呟き。瞬時に自身の感じる体感時間を加速させて、準備だけは進めていた〈商人〉のレベル上げの作業を『時間の流れが緩やかになった世界』で完了させ。得られたすべてのSPを『敏捷』に振る。
既に、【盾術】のアーツ――『ヘヴィ・ガード』による敏捷値の低下は解けており。ここに、それまでの〈初級戦士Lv.23〉の『敏捷』補正2から〈商人見習いLv.18〉の補正10へと変化したことで儂の操作以外のAFOのシステム的な理由で体感時間に修正が入り。
これだけで十分に早くなっているようじゃが――しかし、嘉穂ちゃんの説得のため、志保ちゃんから僅かに距離を置いてしまったのが失敗だったのだろう。泣き崩れるエルフ少女へと駆け寄り、迫る電光石火の如き致死の一投から庇うには僅かに速度が足りず。
だが、と加速された世界で瞬時に思考を切り替え。このとき、この瞬間までは儂はおろか製作者のアキサカくんたちですら『ネタ仕様』と笑って、使うことが無いだろうと話していた機能を――『クラブアーマー』の外装すべてを脱ぎ棄てた、インナー部分として『いちおう再現していた』だけの、昔の女児用の水着だけを纏った格好――通称『旧式女児用競泳水着』へと即座に装備を変更。
そうして、あらゆる意味で体の動きを阻害していたものすべてを脱ぎ捨てた状態となり。これまでより『ほんの少しだけ』早く動けるようになった手を、腰に――そこにある、中身があるせいで仕舞えなかった『初級冒険者ポーチ』に触れ。これまでにも何度も苦難を排してくれた、『山間の強き斧』に貰った『量産武器:手斧』を取り出し。振り抜く。
が、それでも。ほんのわずか――それこそ数ミリという距離、そのまま手のなかの鉈を振るうだけでは届かない。
しかし――そんなことは最初から判っていた。
ゆえに、慌てず。ただ、タイミングを見計らって――転職。
再度、〈初級戦士Lv.23〉に就くのとほとんど同時に【斧術】をセットし。そのレベル7で使えるようになった『TPを消費して次の一撃の威力を上げる。また、攻撃が当たった瞬間に手元に戻ってくる』効果を持つ、斧を投擲することで真価を発揮するアーツ――『ブーメラン・アックス』を使用。即座に手斧から手を離す。
果たして、角度と、タイミングは狙い通りに。嘉穂ちゃんの放った、これまでに四人の仲間のHPを削りきった最強にして最速だろう一撃は、呆然自失の体だった少女の顔の数センチ横を閃光とともに駆け抜けていき。
そして、儂の投げた鉈は――耐久値が1発で尽きたのだろう。少女を助けた代価に破砕音を上げてポリゴンの粒子に変わって空気に解けていった。
……ああ、スマン。そして、今までありがとうの。
思い出の品の喪失。それに落ち込んでいる暇もなく。ここまでの一連の動作で称号【時の星霊に愛されし者】によって減り続けていたTPも限界で。それでも、志保ちゃんへと向けられた殺意の投槍は四方八方から飛来しており。その到達タイミングや滑空速度はバラバラで。ただの一つとて通してしまえばエルフの少女は一撃で退場させられてしまうだろうことは必至。
ゆえに、そのすべてを範囲知覚に収め。現状、何より優先すべき身体速度の上昇のために〈商人〉へと転職し直し。
――そして、体感時間の操作を終了。
果たして、この時点で勝敗は決した。
「――――ッ!!」
裂帛の気合を込めて手にするは、『ポーチ』から出したヌンチャク2つ。
対して、向かいくるは『すでに位置も速度も角度すら判明した』銛が数十本で。つまりは、もうこの時点で単なる的当て。
誤差無く、油断無く、無駄も無く。あらかじめ決めていた動作で、速さで、角度でヌンチャクを振るって迫りくる銛を迎撃、迎撃、迎撃。
膝をつくエルフ少女の周囲をくるり、くるくると廻り、廻って。飛んでくる銛を弾き、弾き、弾いて逸らす。
……これが、アバターを介してのプレイヤーの意志などが反映するタイプの攻撃なら、また違ったのじゃろう。が、『一度、プログラミングされて放たれたら変更できない』攻撃など、認識して解析してしまえばどうということもなく。ただ刃先を下から、横から、正面から、叩いて、逸らして、防ぐなどわけもない。
ネックであった儂自身の敏捷値が解決され、『振る速度がそのまま威力に上乗せされる』タイプのヌンチャクという武装だったのもあって迎撃は容易で。……もっとも、未強化状態のままであったら途中で耐久値がヤバかったろうが。地味にアキサカくんのところで魔石を消費して『ヌンチャク+1』にそれぞれ『強化』しておいて良かったのぅ。
さておき。なんにせよ、嘉穂ちゃんによる一斉清掃は防ぎきった。
そして、
「はじめまして、嘉穂ちゃん。儂の名は『ミナセ』。ここには、おまえさんと『友だち』になりにきた」
荒れ狂いそうな呼吸を無理やりに抑え込み。震えそうになる両足に喝を入れ、傍目には余裕そうな態度をなんとか演出してそう告げて……ぼんやりとこちらを見て固まっている嘉穂ちゃんから、さり気なく志保ちゃんを隠す。
そして自然に、ゆっくりと。痙攣しそうになる四肢を気合で誤魔化し、志保ちゃんへの射線を遮りつつ嘉穂ちゃんへと歩み寄る。
「……え? カホの、友だち?」
果たして、ひどく緩やかな動きで刺激しないよう近づく儂に、嘉穂ちゃん。目を丸くし、儂の言葉を受けて初めて儂の姿を認識したとばかりの表情を向け、首を傾げる。
そんな少女を、未だに距離があり過ぎる上に仄かに輝く水晶がそこかしこにあって視覚情報だけで捉えるのは難しく。ゆえに、『範囲知覚』の精度を彼女を中心として絞り、『視て』。あらためて、少しまえまで儂ら全員を単独で教会送りにしかけていた少女の小ささに瞳を細める。
……ふむ。顔の造形こそ、たしかに志保ちゃんによく似てはいるが……しかし、明らかに2つ、3つは歳下じゃろう幼い外見に、黒髪長髪と小麦色の肌。金色の瞳に、猫の獣人だろう黒い猫耳と尻尾を生やす少女のアバターを見て、よくダイチくんは瞬時に嘉穂ちゃんの正体に気づいたものじゃな、と。彼の『主人公』っぷりにあらためて感心しながら、
「儂はな、嘉穂ちゃん。じつは、おまえさんと同じ病院に入院していてな」
……ついでに言えば、おまえさんと同じで現実の『からだ』を失くしておる、と。肩をすくめ、わずかに微笑んで告げれば、今度こそ嘉穂ちゃんは感情をあらわに目を見開いて驚き。
「え? か、カホと同じ、なの……?」
その声に宿る感情は、戸惑いか。混乱か。あるいは、喜びか。
困惑と期待に強張る少女の顔に、それまでずっと流し続けていただろう涙のあとは既に無く。こうしたAFOの仕様に内心で微妙な気持ちになりながら……しかし、当然、そんなことなどおくびにも出さないよう努め、
「じつは、儂も『からだ』をもたない友だちがいなくてな。長い時間をログインできるんじゃが、いっつも一人なんじゃよ」
やれやれ、と。そう冗談めかして言えば、「か、カホも、そう。一人なの……!」と。少女の顔に、瞳に、ついには混乱よりも強い喜色を見つけて、
「ふむ。ならば、嘉穂ちゃんさえ良ければ儂と友だちになってくれんか?」
それで、ずっと一緒に遊んでほしい、と。そう微笑み、少女の頭上にある赤い三角錐をクリックし。それが自然な流れのように『フレンド申請』を出せば、それを受け取ったのだろう嘉穂ちゃんは目を丸くして。
次の瞬間には花咲くような笑顔を浮かべて――また、涙を溢れさせた。
「か、カホは……! み、ミナセ、ちゃん、と、友だち……なりたぃ、けど。や、『やくそく』が……。カホ、守らないと、だから……!」
……ふむ。そう言えば先ほども最後に『約束』という単語を口にしていたが……はて? どういう意味じゃろうな?
「嘉穂ちゃん。きみさえ良ければ、僕らもその『約束』のお手伝いをさせてくれないかな?」
果たして、そう膝を折り、涙を流して苦悩する様子を見せる少女に『主人公』と称される青年は微笑をたたえて告げる。
「ふぇ……? てつ、だぃ……?」
「そう。お手伝い」
呆然と見つめ返す美少女の頭を自然な動作で撫で、優しげな微笑みを浮かべて告げる優男の絵面に、儂は一人内心で苦笑し。
「うむ。儂らでもその『約束』の手伝いはできるのかの?」
そう聞きながら、これ以上は両足の蓄積疲労からくる痙攣を誤魔化すのが無理そうだ、と。できればもう少し彼女の近くまで行きたかったが……もう大丈夫だろう、と判断し。これまで儂の背に隠れるようにして嘉穂ちゃんとの距離を縮め、密かに何度か口を開閉させては声を発せず、ついには意気消沈した様子になって俯いてしまった志保ちゃんの手を引き、まえへ。
「……ぁ」
「……ぅ」
果たして、ようやく手の届く範囲で対面することになった双子の姉妹。
志保ちゃんは儂の背に。嘉穂ちゃんは傍らのダイチくんの背に隠れようとしていたが、それぞれそんな二人の逃げ腰をやんわりと制し。
儂は志保ちゃんの手を握り。ダイチくんは嘉穂ちゃんの両肩に軽く手を乗せて、二人の対面を促し。
それでも暫しの間、二人ともが視線や顔を頑なに逸らし。やがて、どちらからともなくチラチラと確認しあって。
そして、
「……ごめんね、お姉ちゃん」
そう意を決してだろう、ついには顔を上げて志保ちゃんが言えば、「ち、ちがうよ!」と嘉穂ちゃんは慌てたように言い。ようやく顔を見合わせて。
そして、そこからは二人で何度も何度も「ごめんなさい」と言いあって。揃って泣き出して。……それから「大好きだよ」と言い合って。最後には抱きしめあい。
そして――そこまでが空元気の限界じゃった。
両足から力が抜け。視界が揺らぎ。せめて彼女たちには気づかれないように、と着水音に気を配れたのが奇跡と言って良いぐらいにはアバターの動作支配が緩み。
一時的に脳の働きが鈍っているのか、『範囲知覚』が上手く機能しなくなり。何も『視えず』、何も聞こえなくなってしまったなかで、ただ、水に浸かって四肢を投げだし。ただただ、息を吸って、吐いた。
……ああ。これで約束は果たせたじゃろうか?
まだ、近くにいるはずの二人を『視る』ことができないのが残念じゃが……おそろく、もう二人は大丈夫じゃろう、と。そう霞がかった思考のなかで思い、
「…………ふぅ」
つかれた、と。誰にともなく呟いて。
知らず、閉じてしまっていた瞼を開けて。果たして、いつの間にやら寄って来て、こちらを心配そうに覗き込んでいた双子の少女たちに「だいじょうぶじゃ」と笑いかけ。
そして、わずかな距離をおいて突っ立っとったダイチくんに片手をあげ。「おつかれさん」と、そう声をかければ、ようやく彼も儂のしたいことを察してくれたようで。
ぱちん、と。儂らは笑顔で手のひらを打ち合わせ。そうして、ようやく『亡霊猫』に纏わる騒動は解決できた、と。小春や志保ちゃんからの願いは叶えられた、と安堵していた儂は、
『――もしもーし、おじーちゃん。解決したー?』
それゆえに、タイミングよくかかってきた美晴ちゃんからの『フレンドコール』に、清々しい思いで「うむ」と頷き。
「志保ちゃんと嘉穂ちゃん……二人の仲直りが無事にできたぞ」
瞳を細め、思わずこれまでの苦労を思って天上を見上げるのは……もしかしたら、年寄り臭い仕草かのぅ、と。そんな益体も無いことをぼんやりと考えつつ、自然と体が戦闘終了時の処理を行いだしていることに苦笑が浮かぶ。
……いはやは、なんとも薄氷の勝利であったな。
仮に、当初の予定通りに儂一人で彼女と相対していたら? もしクラン『薔薇園の守護騎士』に所属せず、ダイチくんたちと出逢っていなければ? ……そんな仮定に過ぎない自問は、しかしあの日、あのときに志保ちゃんに『亡霊猫』のことを問うたかどうかが分水嶺であり。たったそれだけの違いで、おそらく儂は嘉穂ちゃんと対峙するだけのスペックまで至れず、あとになって彼女が討伐されたと知ることになったのだろう、と。そう思えば現在の、抱きしめ合う双子の姉妹のなんと尊く美しい光景か。
……もっとも、それを言えば、仮に『ドークスより先に儂が狙われていたら?』や『もし、ダイチくんが嘉穂ちゃんだと看破できずに落とされ、儂一人で志保ちゃんを守りながら「亡霊猫」の正体を探りつつ説得しなけばならなかったら?』といった『たられば』の方が、よっぽど有り得そうで。
前者は、本当に偶然にもアキサカくんたちがデザインし、作ってくれた『シールドセット』という『見るからに硬そう』な装備のおかげで。後者に至っては――
『……ごめんね、おじーちゃん。わたし、また……役立たずだった、ね』
『フレンドコール』ごしの、美晴ちゃんのそんな言葉に――この台詞を泣きながら言っているだろう孫に。
「それは違うぞ」
即座に、否定。
『…………。慰めは――』
「それも違うの」
ため息を一つ。半ば自動的に『ジョブチェンジ』で〈治療師〉に就き。『スキル設定』に【回復魔法】をセットして、HPを回復させながら――
[ただいまの行動経験値により【回復魔法】のレベルが上がりました]
[ただいまの行動経験値により【感知】を得ました]
[取得可能なスキルの上限を突破しました。【感知】の取得を諦めるか、いずれかのスキルを経験値に還元するか選択してください]
――そんな予想外のタイミングで視界の隅に流れていくインフォメーションを横目に、告げる。
「あのな、美晴ちゃん。あのとき、まだ敵対するものが嘉穂ちゃんだと確定していない段階で、美晴ちゃんはアドリブで嘉穂ちゃんの名前を出して呼びかけたようじゃが……儂らもそうじゃが、嘉穂ちゃんもそれに驚いたのじゃろうな」
それで一瞬とは言え攻撃の手が止まった。加えて、その前後での美晴ちゃん自身の奮闘や気迫もあって――結果、ダイチくんが間に合った、と。そのおかげで、志保ちゃん嘉穂ちゃん姉妹の仲直りが適った、と。
そう静かに、淡々と。ただ事実として語りつつ、片手間で【診察】を経験値に還元。
視界隅に再び流れた[ただいまの経験値還元により〈治療師〉のレベルが上がりました]というインフォメーションに苦笑し。戦闘中に【盾術】や【槌術】に【看破】などといった【スキル】のレベルアップもあり、何気に嘉穂ちゃんとの一戦だけでずいぶんと成長させられたのぅ、と感慨深く思いながら。
「……今回の戦略目標は『亡霊猫』の――嘉穂ちゃんの説得じゃったからな。美晴ちゃんはもとより、先に散ったカネガサキさんやローズ。それに最後まで壁となって引き付けてくれたドークスと、その誰が欠けてもこの『勝利』はなかった」
ゆえに、役立たずはいなかった、と。そう断言し、なんとなくセットしたままじゃった【看破】で視てみたダイチくんのHPが残り4割を切っているのを目にして、再び苦笑。……いちおう、〈治療師〉はなるべく『魔力』にSPを使って最大MPと回復力を上げてはいるが、さすがに彼のHPを全快させるまでは無理じゃろうのぅ。
『……うん。そう、だね』
瞳を閉じて抱きしめあう双子。その傍らで、そんな少女たちを微笑ましげに見つめて佇む青年の方へと歩み寄り、「『ヒール』」と。【回復魔法】を取得したことで使えるようになった魔法を発動し、戦後処理もせずに呆けているリーダーを叩き起こす。
『うん。みんなで頑張って、志保ちゃんと嘉穂ちゃんが仲直りで勝利。うん、じゃあ良いのかな?』
「うむ。というか、今さっき気づいたが、何気にダイチくんも死にかけておったようじゃぞ?」
そーなのー? と、返ってきた声は、すでにいつもの声音で。どうにか落ち込んでいたのを慰められたようだ、と密かに安堵。
そして、目を丸くし、こちらを見て。自分がぼんやりしていたことに気づいて苦笑するダイチくんに再度『ヒール』を飛ばし。そうしてMPが尽きるまえに一度だけ儂自身にも回復魔法を使って、〈治療師〉から〈戦士〉へと転職。
辺りに散乱している、HP全損によってばらまかれてしまった美晴ちゃんほか数名が持っていたのだろうアイテムをダイチくんと二人、黙々と拾い集めつつ、いちおうは未だにモンスターがいつ沸いてもおかしくないエリアということで警戒し。それでも、まぁ嘉穂ちゃんほどの脅威はもう無いだろう、と弛緩する心のままに『スキル設定』に【収納術】を加えるかどうかを迷い――そして、自身の≪ステータス≫が微妙に変化していることに気づいて、密かに表情を引きつらせ。
ちらり、志保ちゃんを『視て』。……まぁ、報告はあとで良いか、と。今は『それ』を見なかったことにする。
そして、
『うーん……あらためて嘉穂ちゃんを紹介してほしくはあるけど、わたし、デスペナでしばらく【虚弱】ってるし。お昼も近いから、いったんログアウトするね?』
じゃあ、おじーちゃん。志保ちゃんによろしくー、と。その言葉を最後に『フレンドコール』を美晴ちゃんは切り。かくして、儂はあらためて安堵の吐息を密かに吐き出すのであった。
※2019年6月16日すこし加筆修正。
二章はもうちょっと続きます




