クエスト19 おじーちゃん、愛しき家族と優しい『ニセモノ』に感謝を
――気がつくと、いつものログハウスのソファーの上に座り込む形で顔を俯けていた。
「さて、父さん。気分はどうかな?」
声に顔を上げると、対面には小春。そして、儂の主治医たる娘――水無瀬 千春が居り。その二人の姿を目にして、察する。……なるほど。どうやら儂は、知らぬ間に気絶。そして強制ログアウトしていたらしいのぅ。
「……ふむ。まぁ、悪くはないの」
ちらり、壁にかけられた時計を確認。次いで、日付も密かに確かめ、わずかに瞳を細める。
自身のアバターが老人のそれだったことも併せて考えるなら、今、あの時計が指すのは現実の時間のはずで。つまり今は、儂が強制ログアウトとなって丸一日空けた深夜の3時すぎ。
どれだけの間、あの草原で戦わされていたかはわからぬから、いったいどれだけ眠っていたか正確には知れんが……今はもう蓄積されていた疲労は感じない。
「ふむ。小春はともかく千春まで来るとは……けっきょく儂は、どうなったのかの?」
「父さんなら予想つくんじゃない?」
そう顔をしかめて返すのは千春。小春のやつが40過ぎにしては若々しく、子どもっぽいのに対して、彼女は歳相応。そして儂に似た仏頂面がよく似合うだけの貫禄あるアバター姿をしておるが、そんなことはさておき。
彼女の、質問に質問で返す態度はどうかと思うが……つまりは儂の予想通りということか、と嘆息まじりに納得することに。
「ふむ。いや、つい、年甲斐もなくはしゃいでしまったかのぅ」
そう瞳を細めて冗談めかして返す儂に、千春は人を射殺しかねない眼光になり。隣の小春は呆れ混じりの半笑いになって口を開く。
「いや、はしゃいだ、って……そんな軽く言わないでほしいなぁ」
そうため息交じりの小春に『まったくだ』と言わんばかりに顔をしかめて頷く千春。
「父さん。貴方を『処置』して数年、こんな事態は初めてだ」
「あのね、お父さん。こっちはいきなり病院と会社に呼び出しだったの! もうすぐお家だワッショイだった私になんて仕打ち!? しかも美晴からは何度も『おじーちゃん、大丈夫?』ってラヴコールがきて……私は大変疲れました、謝ってください」
ふむ。まぁそれは、すまんかったの。そう素直に頭を下げる儂に、小春は再度のため息で返す。
「……もう。ちょっとまえまで本家のケイ兄まで顔出してたんだよ? それほど大ごとになりかけてたんだよ?」
だから反省してください、と。そう半目で告げる娘に苦笑を返し。なるほど、たしかに、あの多忙を極めておるじゃろう現当主まで見舞いにくる事態となっては反省せざるを得んな。
「……まぁ、お父さんを誘った時点で半分こうなるような気はしてたけど」
あらかじめ専用のシステムを組んでたし。だから、会社の方は大したことなかったんだけど、と。そこまで言って、ちらり。隣の千春を見て、またため息。
「父さん――けっきょくのところ、どこまで覚えてる?」
そう真剣な表情で問う千春。
つまりは、そう。ここからは親子としての会話ではなく、患者と主治医の問診だ、と。そう雰囲気で示す彼女に、
「ふむ、そうさのぅ」
ゆえに、こちらも居住まいを正し。こうして意識を失った――どころか強制ログアウトとなってしまった経緯を語りだした。
すると、
「――はしゃいでた! ログは確認してたけど、予想以上にはっちゃけてた! むしろ大人げないレベルだよお父さん!」
儂が語り終えるや指さして爆笑する娘。
「……うむ。しかし、相手はレベルや装備はおろか人数まで上だったんじゃがなぁ」
対して、そう苦笑しながら返し。しかし、『大人げない』と言われれば、言い返せないのも事実。
なにせ、こちらはVR技術がまだ黎明期のころからアバターの開発、調整に関わってきた人間で。微弱な電子情報を収集、解析する独自の知覚方法など普通のプレイヤーには不可能だろうし。そのうえ、ゲームの仕様にない、故意の体感時間の引き延ばしまで使ってもいたのだ。
ゆえに、傍目には十分、大人げないと言われるに足る振る舞いじゃったろう。
「あ、ちなみにだけど。お父さんのやった体感時間加速の『あれ』ね、ゲームの仕様上は問題ないから」
……ふむ。
「あとで【時の星霊に愛されし者】なんて『称号』を得ていたでな。それはなんとなく、そんな気はしていたが……それにしても、すこし、体力の減りが早すぎはせんかのぅ?」
あのPK連中との初戦闘において。加速された世界にあって、見る間に体力が減っていった様から仕様上問題無いことは察していた。
少なくともあれが反則技の類には該当せず、もともと想定されていた、言うなれば個人技に対する仕様に思われたのじゃが……それにしても、と思わなくもない。
「……いや、あのね、お父さん。もともと故意に体感時間を引き延ばせるプレイヤーが現れるのは想定してたの。想定してたけど――あんな長い時間、何回もっていうのは想定外なの、わかる?」
曰く、過去のVRゲームでは、度々、儂のように意志一つで体感時間を加速させられる人間が現れてはゲームが停止したり、使用者の健康を害したりなどの問題に発展したりなどもしたそうで。ゆえに、その辺の対処については小春個人としても自信があるそうだが、儂のように想定を上回る回数と長時間――と言っても主観的には5秒と無いが――自身の体感時間を弄れる人間は『会社』としては完全に想定外だと言う。
それでも儂のことをよく知る小春は、あるいは、と。儂と同じか、それ以上の加速を可能とするプレイヤーの発現をも見越してAFOでもそういった個人技――『プレイヤースキルの一種』ということでゴリ押ししたらしい――に対する処置もあらかじめ施していた。
それが、加速時間にあわせた体力の急激な減少。要は、現実世界のプレイヤーの健康保持のため、ある種のリミッターをかけることで対処とした、と。
しかし、
「普通、この手のスキルは超短時間の発現がせいぜいなの。走馬燈みたいなものなの。だから、お父さんのようにある程度自由自在に引き延ばせたり普通できないの――と、これは釈迦に説法な気もするんだけど」
そう呆れ混じりに小春に言われ、遅まきながら気づかされる。
「ああ、もしかしてAFOの体感時間調整プログラムは――」
「そう、『ミナセアゴー式』。つまりはお父さんとお母さんたちが基礎理論を組んだ『走馬燈体験システム』!」
って、毎回思うけど、この名前どうにかならない!? 縁起悪すぎー、と。唇を突き出すようにしてぼやく娘に、儂は苦笑するしかない。
「いや、それを儂に言われてものぅ」
商法登録だの論文だので必要な『名付け』は、だいたいが儂ではなく春恵がノリで付けたものじゃからのぅ。
しかし……ふむ、なるほど。通りで『馴染む』わけじゃな。
『あれ』が組んだシステムは、たいがいの場合、被験者は儂だったしの。加えて、今回はその娘が手掛けたゲーム。なるほど、これで馴染まないわけがなかったな。
「あ、この顔はなんか違うこと考えてる」
「……む? いや、そんなことはないが――と、そう言えば、美晴ちゃんたちはあれからどうなったのかの?」
話、変えようとしてる? と半目になる小春から視線をわずかに逸らし、儂は気を失うまえの最後の記憶を呼びおこす。
たしか、あの場には理由はわからんまでも確実に美晴ちゃんと志保ちゃんの二人が居た。……もしかしたら、護衛依頼の終了を告げた『山林を駆け抜ける風』の三人も未だ森に居たかも知れんのが、のぅ。双方ともに【交渉術】や【翻訳】をもってなかったはずで、安易に言葉を交わせない――どころか、顔合わせもまだだったはずじゃから安易に接触するような事態にならない、か?
しかし、儂がいきなり強制ログアウトで放ってきてしまったAFOのアバターは、現在、気絶状態のはずで。ゆえに、下手をすれば情に篤いところのある『山林を駆け抜ける風』の三人と美晴ちゃんたちが相互不理解から敵対するなんてことも――と、そう最悪の事態を想定して眉根を寄せる儂に、
「あー……AFOのお父さんのとこには運営直轄のNPCが向かったから大丈夫だと思うよ?」
曰く、儂が倒れた段階で『山林を駆け抜ける風』のうちの一人――狼青年のギーシャンが教会まで駆けて行き。そこの神官に通訳と介抱を頼んだのだとか。
彼らとしても美晴ちゃんと志保ちゃんの行動が儂に味方するものだと傍目にも判り。彼女たちが気絶した儂をかばいながらクロードと儂が沸かせるだけ沸かせて放置することになったモンスターを相手取る段になり、その場に残ったジングソーとリュンシーの二人は少女たちに加勢。事の成り行きが不明瞭なため警戒する美晴ちゃんたちをNPC神官が来るまで守ってくれたと言う。
……ふむ。これは次回、彼らに会ったときには謝罪とお礼をしっかりせねばならんな、と。そう独り言ちる儂に、小春はその呼ばれて駆けつけた神官の正体こそが運営の派遣した直轄のNPCで。理由がどうであれ、強制ログアウトになって意識不明となったのが儂という世間的にはそれなりに影響力のある者だったため、最悪の場合はゲームの運営に支障をきたしかねない相手として、後で余人を交えず話せるように儂のアバターを確保した、と言う。
「ぶっちゃけ、お父さんに何かあったらウチの会社、軽く潰れちゃうから。むしろチー姉に潰されるから!」
そんな大袈裟に過ぎる小春の訴えに対して静かに頷く千春。そして、
「父さん。貴方のVRデバイスは私たちが組んだ『脳の疲労を和らげ、解消する効果を高める』ことに特化した特注のもの。それこそ平時であれば不眠不休で年単位の活動ができるだろう代物を使いながら、聞けば強制ログアウトの寸前にも休眠を挟んだという」
その時点ですでに無理をしていた。そのときにはもう限界に近かった、という自覚はありますか? と、瞳を細めて問う主治医に神妙な顔をつくって頷く儂。……もっとも、その自覚があったとして、あの場面は引けなかったんじゃがなぁ、とは言葉にはせず。さりとて、どうやら千春には伝わってしまったようで、
「次、過労なんかで強制ログアウトしてきたら――父さんのVRデバイスからゲームをアンインストールして、小春に『すごいこと』をします」
「……お父さん、AFOは1日1回で良いからログアウトして。それで最低1時間は休息をとってください」
お願いします、と。千春の言葉に怯え、頭を下げる小春の姿に苦笑して頷き。
室内の、なんとも言えない空気を払拭するために「そう言えば」と今思い出したとばかりの雰囲気をつくって口を開く。
「そもそも……なんでログアウトしたはずの二人があそこに?」
あのときは、その辺りに対する疑問など抱ける余裕も無く。……思えば、そんな状態まで追い込まれること自体、じつに久しぶりのことじゃが。ともあれ、『なぜ、美晴ちゃんと志保ちゃんがあの場に?』という疑問は、たしかに感じてはいた。
「ん? あれ? お父さんと約束したんじゃないの?」
そう首を傾げて返す小春に詳しく聞くと、どうやら二人は現実世界で19時すこしまえには一度ログアウトしたそうで。その後、現実世界の21時に、今度は『就寝時ログイン』をしたんだと言う。
「ちなみに『就寝時ログイン』とは! 一昔まえに流行った睡眠導入型の五感完全没入VRシステムの亜種で、要は普通なら『疑似睡眠状態でログイン、ログアウト時には覚醒』のところを『ログアウト時はそのまま夢のなか』、みたいな?」
最近のVRデバイスはけっこう『通常ログイン』と『就寝時ログイン』は標準かな? そう説明する小春の言葉に「なるほど」と頷き、でも何故そんなログイン方法をとってまで再度AFOにログインしようと思ったのか。そこがわからない、と首を傾げる儂に、
「え? そんなの、お父さんの手伝いのためでしょ?」
小春は、むしろ何がわからないのかわからないとばかりの顔で言った。
「……ふむ、なるほど。つまりは、美晴ちゃんはもとより、志保ちゃんにも儂が一人になった後も戦闘を続行するとバレておったか」
納得した、と。こういうときの小春の言葉は基本、間違わないことを知っているがゆえに疑問を挟むことなく頷いた。
そして、
「ああ、そだそだ。お父さん。あのさ、ログを確認した私と情報分析担当の子みんなして不思議に思ったことなんだけど――」
小春は言葉の通り、さも不思議そうに。それでもそれが大したことでもなさそうな軽い調子で、
「お父さんて、もしかしてログアウトした後でもアバターを動かせたりできるの?」
そう、問うた。
「…………は?」
対して、目を丸くするのは千春。『ログアウト』――つまりは電子仮想空間における現身との同期を切ってなお、動かしたりなどできない。それこそ『あたま』と『からだ』を切り離してなお、『からだ』を動かすようなものだ。
ゆえに、考えるまでもなく、そんなことは不可能であり。普通ならゲームかVRデバイスの不具合をまずは疑い――それでも『父親』なら、あるいは? とでも思っているのが一目瞭然の顔になってこちらを見つめてくる二人の娘をまえに、
「……そうか。なるほど、やはりあのときの『アレ』は、強制ログアウトの感覚じゃったか」
頷きを一つ。思いだすのは、あのとき――停止した世界でアバターから引きはがされる感覚を覚えた、おそらくは一瞬にも満たない刹那のこと。
あれは、おそらくは幻聴で。十中八九、気のせいで。
だけど、あの現世と仮想との狭間で。
儂は亡き妻に背を押された。ひどく久しぶりに春恵の声を聞いた気がした。
ゆえに、
「小春」
いつの間にか、俯けていた顔を上げて。儂の顔を見て目を剥いた娘に、告げる。
「ありがとう、の」
――果たして、それは何年ぶりのことか。
アバターの指先一つ。表情一つ。無意識化ですら脳波レベルで調節できる儂が、本当に久しぶりに流した涙。
それを隠すことなく、目を丸くする娘二人に心からの笑みを浮かべて見せ、
「小春。おまえさんの手掛けたゲームは……面白いのぅ」
「ぇ、あ。え……!?」
驚愕し、口を開閉するだけで言葉を紡げない様子の小春に、笑いかける。
「あの子たちとまた『あの世界』で遊びたい――そう思わせてくれて、ありがとうの」
心からの笑み。心からのお礼。
そのひどく愚直でまっすぐな儂のそれに、
「……うん。うん!」
小春は、本当に嬉しそうな顔で、笑う。
笑いながら、その頬を流れる涙はどんどんと増えていく。
「わ、私……お父さんに、生きがい、つくりたくて。私……、だから……!」
ついには、声をあげて泣き出した娘に苦笑して。
それから視線を、小春から千春へ。常の不機嫌そうなしかめ面でなく、久しぶりに見た驚愕の色を前面にだした娘の顔にも笑みを向け、
「千春も、ありがとうの」
――思えば、この子にもずっと心配をかけていたのだろう。
儂を生かそうと誰よりも努力したのはこの子で。ほかの誰より苦労を強いているのも彼女。
……ああ、そうだ。千春は、誰よりも優しい子じゃったな。
儂に似てあまり感情を面に出さず、仏頂面ばかりをしていた長女。それゆえに他人には冷たく、厳しいばかりの娘に思われていたが――
「思えば、今日までの儂は……はやく終わらせたかったのじゃろうな」
――あの日。母親を喪って誰よりも泣いていたのを儂は知っている。
あの日から、儂を喪うことを誰よりも怯えていたのを知っている。
「っ! わ、私は……! 私たちは――」
――思えば、彼女が医療の道に進んだのもそのせいで。
あのとき、儂が『終わり』を迎えなかったのも彼女が努力し続けたがため。
ゆえに、今の儂があるのは娘が願い、頑張ってきた思いの結実。
ゆえに、今があることを誇るべきだったのだ、儂は。
「わ、私は、ただ……父さんに、もっと。……ずっと。生きて、いて、ほしくて……」
……おそらく、千春は気づいていた。
儂があの日からずっと、密かに『終わり』を望んでいたことに。終われなかったことを残念に思っていたことに。
あるいは、小春や……ここには居ない息子にも。きっと、気づかれていた。
「ああ、わかっておる」
こうして、ただ、笑ってみせただけで困惑する娘。涙する娘をまえに、気づく。
思い出す。
「そうじゃな。おまえたちには……ずいぶんと心配をかけたな」
――我が子が孫を紹介してくれた。
虚構の世界で、何度も。
ただの電子情報でしかない世界で、何度も。
小春や千春たちは孫の顔を幾度となく見せにきた。
それで、『感情』を見失いそうな日々のなかで、何度『心臓』を動かされたことか。
「あの子らにも後で礼を言うとして、じゃ。千春、そして小春」
立ち上がり、涙する娘たちの頭に手を置きながら。
ああ、こんな贋作の――単なる虚像でしかない手のひらでも。まだ、儂にも子どもに安心を与えられるのだと思い、嬉しくなる。
「ありがとう。愛しとるよ、千春。愛しとるよ、小春」
――ああ、ようやく見つけた。
この、優しいニセモノの世界で。いと麗しきホンモノの想いを。
生きる理由を、儂はようやく見つけた。
ゆえに、
「ありがとう」
愛しき家族と優しい『世界』に、儂は心からの感謝をしめすのだった。
-fin-
ここまでお読みくださった皆様に最上級の感謝を。ありがとうございました。




