クエスト12 おじーちゃん、ブチギレ少女に『PK』を教わる
時間が引き延ばされる。
世界が引き延ばされる。
空気はまるで水のように。音はもはや聞くこともできず。駆けているのに歩みは遅く。奔る矢はもはや視認も容易く。宙を流れる雫が消えゆくさますら知覚できそうな世界で、ひどくゆったりとした動作で腰の『ポーチ』へと手を伸ばし、
――知覚速度を戻す。
と、同時に『ポーチ』へと手を入れ。即座に盾を装備し、危うく突き立つところだった矢を弾いて、
――再度、知覚を加速させる。
これまでは辛うじて手数は足りていた。
しかし、駆けながら、相手に背を向けたまま迫りくる矢を迎撃するにはどうしたって知覚し、把握し、判断する時間が足りず。どうしたって反射的な、半ば自動的な動作で画一的に切り払うしかなかったのだが、それももはや不可能。
ゆえに、世界を知覚する、その体感時間『だけ』を任意で引き延ばした。
AFOは現実のそれと比べ、体感時間にして3倍に加速させられた世界だが、それ以上の加速ができないわけではない。
わかり易いのが『敏捷』の処理で。あれの補正が増えればそれだけアバターの体感時間が引き延ばされ、あたかも素早い動作をとれるようになったとプレイヤーに錯覚させるものだったが、今回、儂のしたことは『アバター全部』ではなく、『知覚できる時間』だけを加速させたもの。言ってしまえば走馬燈のようなものだ。
そして、この行為は別にVRデバイスを介して行っているわけではなく。ちょっとした訓練で誰もが使えるようになる、一種の特技のようなもので。VRデバイス開発の黎明期からこっち、この手の体感時間の引き延ばしに関した脳波の研究は儂の十八番で。任意での知覚の加速は、やろうと思えば即座にできる程度には慣れ親しんだ技能の1つだった。
……もっとも。
志保ちゃんを追って駆け行き。知覚加速で迫りくる矢を把握し。知覚時間を戻して鉈で切り払い。盾で弾き――などとやっていれば、当然、疲れる。それはもう加速度的に、脳への負担が増す。しかもどういうわけか視界の端に表示されたTP――いわゆる体力の残量を示すバーが知覚加速時に余計に削られていってすらいた。
……これは、あれか? 小春のやつ、まさか儂の特技に対してのみピンポイントで通用する仕様にしておらんか?
などといった邪推をしている間もあらばこそ。儂らはどうにかアイギパンの街門の内側へと転がり込むように入れた。
果たして、そうして安全圏とも言える地にたどり着くや儂は地面に盛大に転がり。大の字になって、ぜーはーぜーはーと荒い息継ぎを繰り返すだけの状態になった。
……ふむ。なるほど、これがTPが尽きた状態か。
心なしか目が回っているようでもあり、ちょっと今すぐは立てそうにない。……というか、強制ログアウトされなかったことが奇跡に思えるぐらいには脳の疲労がまずい。
さておき、まぁなんとか助かったか。
街門に常駐する衛兵のNPCに胡乱な者を見る目で見られているが、とりあえずは無視するとして。さすがに連中も表立ってNPCに敵対する愚を侵さないだけの頭はあるらしいとひとまずは自身の安全に安堵し、いまだわずかに鈍痛を覚える脳に辟易しながら半身を起こす。
……そう言えば、逃避行中の攻防で幾つかインフォメーションが流れていた気がするが。とりあえず≪ステータス≫を開いて見れば、何やら以下のようなことに。
『 ミナセ / 戦士見習いLv.4
種族:ドワーフLv.2
職種:戦士Lv.2
性別:女
基礎ステータス補正
筋力:0
器用:1
敏捷:1
魔力:0
丈夫:1
装備:見習い服、見習い冒険者ポーチ、見習いローブ、量産武器(手斧)、量産武器(盾)
スキル設定(3/3)
【強化:筋力Lv.1】【盾術Lv.2】【斧術Lv.3】
控えスキル
【交渉術Lv.4】【収納術Lv.4】【暗視Lv.1】
称号
【時の星霊に愛されし者】 』
…………しょう、ごう?
『時』の文字と取得タイミング的に故意に知覚時間を引き延ばしたアレが原因だろうが、これはいったい? ……レベルの表記も無いし、【スキル】のような行動によって強化される要素は無いのかのぅ。
まぁ考えてわかることも無さそうじゃし、他の流れていたインフォメーションのことについて。おそらくは【盾術】と【斧術】のレベルアップを告げていたのだろうが……前者はどれだけのダメージを防げたか、後者はどれだけのダメージを与えられたかでのレベルアップか? いずれにせよ買ってすぐの鉈を1本失いはしたが、さきの兎狩りも含めて完全な徒労にはならずに済んだのは助かったのぅ。
もっとも――決して、連中を許すつもりはないが。
「……ミナセさん、大丈夫ですか?」
こちらを心配げに覗き見る志保ちゃんの顔に涙の跡はない。おそらくは『一定時間ごとにアバターの状態がデフォルトのものに戻る』というAFOの仕様によるものだろうが……それはともかく。
「うむ。もう大丈夫じゃ」
そう答えつつ立ち上がり。……よろめき、志保ちゃんに肩を貸してもらい。まさかここまで脳の働きが弱っているのかと愕然とした思いになりつつ、美晴ちゃんの現在地――プレイヤーの復活地点である『教会』へと案内する。
そして、
「……あ。志保ちゃん、おじーちゃん」
『教会』のまえで。膝を抱えるようにして座っていた美晴ちゃんを目にして、思わず眉間の皺が深まった。
……泣いていたのだろうか。それは窺い知れないが、気落ちしているのはわかる。
それまでが太陽のように元気溌剌といったふうだっただけに現在の物静かな様子が胸に痛い。
「え、あれ? おじーちゃん、どったの? 大丈夫?」
……嗚呼。儂は今日まで何をしていたのか。
「えっと……、私を逃がすのに無理させてしまったみたいで……」
……彼女たちと合流するまで48時間。その間、もしレベル上げに全力を注いでいたら、と。そう後悔すら覚えながら思わず視線を地面へと向けてしまう儂に、
「そっか。ありがとう、おじーちゃん!」
抱きつき、美晴ちゃんは告げる。
「それから……ごめんなさい。わたし、〈斥候〉なのに……撃たれるまで、あいつらに気付かなかった……」
調子にのってた、と。儂にきつく抱きついて告げる少女を、いったいどうして責められよう。顔を見せないように、体の震えを強く抱きつくことで隠そうとする彼女に、いったい儂は何をしてやれると言うのか。
儂は、すまない、と謝るべきなのか。それとも、気にするな、と? もう大丈夫だ、と気休めを口にするべきなのか?
……わからない。
儂は泣いている孫に、いったい何をしてやれる? と、苦渋に歪む顔をこちらも隠すように美晴ちゃんを抱きしめ、
「――ミナセさん。1つ、確認を良いですか?」
正直に言えば、そう声をかけられたことで救われた。
「もし仮に、ですが……ミナセさんお一人なら例え相手のレベルが多少上でも勝てますか?」
こちらをまっすぐ見つめて問う志保ちゃんに、「勝てる」と。……そう根拠も何も無く即答できればどれだけ良かったか。
「……さすがに相手の情報が何もなければ断言はできんよ」
就いている〈職〉、レベル、装備。それらが多少なりわかれば、あるいは……。と、それでも孫たちに良い格好がしたいのか未練がましく言葉を続ける自分に嫌気がさしそうになり、
「連中の就いている〈職〉は十中八九、〈狩人〉です」
そんな儂の内心など知らぬだろう少女は静かに告げる。
「レベルは最低でも5以上。最大で12か13で、装備は冒険者ギルドで買える100G~200Gの弓矢と鎧でしょう」
加えて、セットしていた【スキル】は【潜伏】、【忍び足】、【弓術】が大半で。SP振りも『器用』を中心に多少は割いているでしょうが、それでも極振りというほど多くは割いていないかと思われます、と。志保ちゃんはまるで見て来たかのように理路整然と話し。それに儂と、儂に抱きついて落ち込んでいた美晴ちゃんが顔を向け、二人して目を丸くする。
「ふぇ~……。志保ちゃん、わかるの?」
「うん。まぁ、あくまで推測だけど……それより、みはるんにも確認。今回のPKたちの名前、確認できた?」
果たして、少女は頷きを一つ。常の、傍目には感情の色が読めない表情で美晴ちゃんにも問いを投げる。
「……ごめん、志保ちゃん。頭の上の『シンボル』? だっけ? あれが赤いのは見れたんだけど、名前の確認は……」
AFOの仕様上、プレイヤーやNPCの頭上には三角錐が浮かんでおり。これが緑であればNPC。青ければプレイヤー、とAFOのホームページには載っていたが――そうか、連中のは赤い表示なのか。
「ちなみに、ミナセさんは?」
再度の確認には儂も首を左右に振って返すしかない。が、しかし、こうして志保ちゃんが確認してくるのだから、おそらく――
「そも、知らぬ相手の名前を確認などできるのか?」
「はい。おおよそシンボルのあるものは全部、クリックすれば名前が見れたかと」
なるほど。シンボルをクリック――視線のフォーカスを合わせて叩くように強く思考――することで名前を調べられるのか。
……そう言えば、フレンド申請のときなどはシンボルをクリックしていたな。そうか、あれで連中の名前が知れたのか。
あるいはNPCのシンボルもクリックすることで名前などを調べられたのか? ……まぁ、試したことも無かったし、知らずに試す理由もないか。
「あ、でもでも! 今、思い出したけど、わたし、連中のなかの一人に見覚えあった!」
たしか学校で、志保ちゃんが見せてくれたスレの奴! と、勢いよく志保ちゃんへと向き直り告げる美晴ちゃん。その顔には、やはり涙の跡などないが……その仕様が今ほどありがたいと思えることもない。
「たしか名前は載って無かったけど――あった! この『【生理的に】開始5分でロリドワーフにナンパ整形男、振られる【無理】』ってスレで晒されてた整形男のSS!」
「……うわ。さすがみはるん、驚きの記憶力」
そのスレ見せたの、かなり前のことなのによく覚えてたね、と。呆れ混じりで美晴ちゃんが表示した画像データをいっしょに覗きこむ志保ちゃん。そして、美晴ちゃんが口にしたスレッドのタイトルに儂も聞き覚えがあったのだが――
「ぬ? こやつ、もしかして儂がAFOにログインしてすぐに声をかけて来おったやつか?」
彼女たちが見ていた画像データ。そこに映っていた男の顔を見て思わず声をあげた。
「あー、やっぱり! わたしが教えたおじーちゃんのアバター姿を聞いて志保ちゃんが『もしかして』って見せてくれたんだよね!」
「……私としては、『まさか』という心境で紹介したものだったのですが」
ふむ。そういうことであれば、
「そやつの名前ならわかるぞ」
たしか、『クロード』と名乗っておった。そう告げる儂に、志保ちゃんはわずかに目を見開いて驚きをあらわにし。「え、嘘……。だって、これ、ミナセさん的には50時間以上まえの」と小声で何やら呟き、「――あ。ミナセさん、みはるんのお爺さまでした、そうでした」と大した間も空けず納得したとばかりに何度も頷く。
そして、
「……うふふふ。つまり、赤点野郎の名前、わかっちゃった、ってことですねぇ」
にたーり、と。それはそれは少女がするには邪悪過ぎる笑みを浮かべる志保ちゃん。その、今までの表情の変化に乏しかった彼女からは信じられないほどの、あまりにもあんまりな豹変ぶりに儂が密かに引いていると、
「ミナセさんはブラリ――もとい、『ブラックリスト』って知ってます?」
笑顔で。しかしまったく楽しそうでも嬉しそうでもない、笑みの形をした憤怒の形相のような顔をこちらに向け、志保ちゃん。それに「……うむ」と儂は頷いて返し、ほんのりと少女から距離をとりつつ記憶を探り、
「たしか『ブラックリスト』とは、≪メニュー≫を開いて『設定』の項目から『ブラックリスト』の項を選び、そこに任意の名前を入力することで『登録した名前のプレイヤーと相互不干渉になれるシステム』……だったかの?」
ついぞ使用したことはなく。また、ログインするまえに仕様に関して一通り眺めただけの知識だったので自信は無いが、と。内心でだけ追記しつつ恐る恐る彼女を窺う。
「はい。つまり、登録した名前のプレイヤーに見えなくなり、触れられなくし、感知すらされなくなるようにするシステムです。同時に、登録したプレイヤーも対象を見えなくなり、触れられなくなり、感知できないようになるシステムで、この『ブラックリスト』があるからこそβ版ではPK行為は自殺行為扱いでした」
なにせ、β版ではキャラデリ不可でしたし、と。何故だか今にも歌いだしそうなテンションで説明してくれる少女の笑顔――のような何かから視線をそっと逸らす。
「あー、なるほどー。名前バレからの全員ブラリでPK連中は強制オフラインモード、と」
PKしなきゃ補給できないのに相手が居なくなったら終わりだよねー、と。関心するように頷きながら告げる美晴ちゃんの言葉で、儂もなんとなく志保ちゃんの言う『β版ではPK行為は自殺行為』の意味を悟る。
……ふむ。よくわからんが、つまりは『ブラックリスト』に『クロード』と入力すれば、少なくとも奴からはもう干渉されなくなる、と。それで二度と奴に襲われることがなくなるというのなら、それはアリか。
しかし――
「……ねぇ、志保ちゃん? まさか今回もブラリで終わり、って言うの?」
だけど、と。それで終わりにするのは、と。おそらくは美晴ちゃんも儂と同じ思いなのだろう。どうしても『借りを返したい』と思ってしまう儂ら二人に対し、志保ちゃんは、
「まさか」
スッ、と。彼女は今まで浮かべていた笑みのような何かを消し、一転して人形のような無表情を浮かべて言った。
「ねぇ、みはるん? 正規版AFOのキャラデリって、キャラクリしてから現実世界で24時間経たないとできない、って知ってた?」
あ、『キャラデリ』っていうのは『キャラクター・デリート』の略で、つまりは使用キャラの作り直しのことです。と、儂にもわかり易く説明してくれる志保ちゃんは……じつは儂らのなかで一番怒っている? というか、密かにキレているんじゃないかのぅ。
「え、えーと……? つまり、連中はキャラデリ待ち、ってこと?」
「たぶん。でも十中八九、今日の深夜0時以降はキャラデリすると思う」
志保ちゃん曰く。そもそもPK行為は、AFOにおいてとても長時間のプレイに向かない仕様なんだとか。
第一に、シンボルが赤いプレイヤーは街に入れない。
第二に、それゆえに買い物ができない。ゆえに、装備を整えたり、アイテムの補充も満足にできず、プレイヤーを狩らねばあらゆる物資が枯渇する。
第三に、プレイヤーがプレイヤーを狩っても、本来、経験値が得られない仕様のなか、赤いシンボルの彼らだけはプレイヤーに狩られると経験値を与え。そして赤いシンボルの彼らを狩ってもシンボルが赤くならないという。言わば、彼らはプレイヤーの形をした討伐対象――モンスターの扱いなのだ、と。
ゆえに、彼らはプレイヤーを見つければ狩り。見つかれば狩られる存在。
ゆえに、長期的なプレイにはとても向かない。
「そもそも、『広場』以外の場所でログアウトすればアバターを『気絶』の状態異常で放置することになるAFOで、街に入れないとか馬鹿なの? 死ぬの? っていうか、どうせキャラデリするまでの暇つぶしとか、晒された整形男の八つ当たりとかが理由でしょ?」
これだから赤点野郎――もとい、PK行為なんて低俗なことを喜々としてやってる腐れ外道は、と。無表情で淡々と、まさしく吐き捨てるように告げる志保ちゃん。
そして、くるり。こちらに顔だけを向けて、
「ところで、話は変わりますが――ミナセさんのお知り合いに高レベルの〈狩人〉は居ませんか?」
その問いかけに答えるより何よりさきに背中に浮かんだ大量の冷や汗。……すまない、志保ちゃん。なんかもう立ち振る舞いがホラー映画じみていて普通に怖いんじゃが、なんとかならんかのぅ?