クエスト6 おじーちゃん、御年70越えで『乙女ゲー』を教わる
[ここは、アイギパン転移魔方陣広場です]
視界の端に映る現在地を示すインフォメーションを後目に、『チュートリアル2:依頼をこなそう!』の達成報酬でもらった洒落っ気の一切ない革のローブ――『見習いローブ』のフードを外して口を開く。
「うむ、戻ってきたか」
――儂がこのAFOをやりだしてもうすぐ48時間。
突然の指名依頼によってアイギパンの街から離れはしたが、当然、懐かしいなどと思うほどには昔のことではない。
しかし、そこはそれ。今や眼前の特徴的な魔方陣の刻まれた石畳の広場を見て何も感じないほど、儂もこの世界に対して思い入れが皆無というわけではない。
言うなれば、ここは始まりの地。
あの日と同じように転移の光が広場に煌くここは、文字通りの『転移』するための『魔方陣』のある『広場』。ここアイギパンはもちろん、最初に選択できる3種の街それぞれにも存在する広場は、これらの魔方陣によって繋がれ、任意にそれぞれの街を移動できる場所でもあるという。
ゆえに、プレイヤーのログイン時の発光は無論のこと、各街を行き来することによる転移の光は終始それなりの数を有し、NPCの移動ですら光ってみせるのだからここから煌きが失われることはないのかも知れない。
ゆえに、ここから始めるプレイヤーの原風景は、きっと皆変わらず光と石畳と、そして数多の人のつくる雑踏で。
ゆえに、きっと。彼女たちもまた儂らと同じ景観を、はじまりの風景として覚えていくのだろう。
「あ、おじーちゃん見っけ!」
――儂がAFOへログインしてから約48時間。
つまりは、彼女たちとの合流時間になった、ということだった。
「うひひ、ごきげんよう、おじーちゃん!」
風にたなびく桃色の長髪。物音に対して興味の赴くままに動く犬の耳。彼女の内心をせいいっぱい振ることで伝えてくる犬の尻尾。
以前に見せられた、年相応といっていい愛くるしい容貌はそのままに。髪色こそ変え、犬の耳尾をつけた『獣人』のアバターとなった孫娘――水無瀬 美晴の姿を目にして儂は思わず瞳を細めた。
「ふむ。なにやらえらくご機嫌のようじゃの、美晴ちゃん」
パタパタと駆け寄り、儂に挨拶するや辺りを鼻歌まじりで見回す少女。その、あまりの楽し気な様子に見ているこちらの気分すら上向かせるようだった。
「えー? だって、ゲームやってるんだよ! おかーさんの、VRゲーム!」
見て、と。上を指さす美晴ちゃん。
それに素直に顔を空へと向ける儂に、
「きれいな青! ほんとのほんとに、本物みたい!」
弾むように。歌うように。少女は告げる。
「風の感触も、匂いもある! すごいね! 楽しい!」
両手を空へ、くるりと回って。言葉の通り本当に楽しそうに笑う美晴ちゃん。
そんな彼女を見て、不意に思いだす。……ああ、儂にもこんな時期があったなぁ、と。
それは、もはやセピア色の記憶。儂が初めてVRデバイスに触れ、電子によって彩られた仮想空間にもぐったのは既に半世紀以上もまえだ。
ゆえに、詳細など色あせており。
しかし、それでも最初に五感の完全没入型VRデバイスを介して見た世界に魅せられたからこそ、儂は今、こうしてここに居るのだから……眼前の美晴ちゃんの姿が眩しく映っても仕方ない、か。
――などと瞳を細め、年寄りくさい感傷に浸ってられたのもわずかな間。
「あ、そだそだ! わたし、おじーちゃんに訊きたいことあったんだ!」
果たして、少女は問いかける。
「あのね、おじーちゃん。≪掲示板≫にね――おじーちゃんが『VRMMOで乙女ゲームをし始めた』って書き込みがあったんだけど」
どういうことかの説明を、いい? と、無邪気な笑顔から一転、餌をまえにした猟犬のようなにやけ面で、言った。
「……ふむ。ちなみに、『乙女ゲーム』とは、なんじゃ?」
はて? と首を傾げる儂に、「ふえ?」と同じく首を傾げて返す美晴ちゃん。
「あれ、おじーちゃん、『乙女ゲーム』知らないの? ほら、すこしまえに流行ってた、主人公の女の子になりきって登場する男のNPCと疑似恋愛を楽しむ、っていうタイプのVRゲーム」
あ、もしかして男の人は『乙女ゲーム』とか普通知らない? そう言えば、おじーちゃんは、お爺さんだもんね! ――と、なにやら自身でだけでなにごとかに納得したと見える美晴ちゃん。
そのまま「じゃあ、とりあえずフレンド申請送るねー」と、さっさと話題を変更。……その、思うがまま、マイペースそのままに行動する彼女に、ありし日の娘の笑顔を幻視して苦笑を禁じ得ない。
[みはるん☆さんからフレンド申請が来ました! フレンド登録しますか?]
流れるインフォメーションと眼前に浮かぶ『YES ・ NO』の選択肢ウィンドウ。
……ふむ。たしか、以前に読んだ『初心者ガイド』にはフレンド登録をすると、以後は登録した相手と互いに『フレンドチャット』というツールで連絡をとりあったり、メッセージを送りあったり、ログイン状態を確認することができるようになる、とあったのぅ。
ゆえに、まあ断る理由もとくにないでな。素直に『YES』とコマンド。
「ついでにパーティ申請も、ちょちょいっとな」
再びの[みはるん☆さんからパーティに誘われました! 受諾しますか?]というインフォメーションと現れる『YES ・ NO』の選択肢の流れに、今度はとくに何を思うでもなく『YES』。
……ふむ。
なんとなく、≪メニュー≫とコマンドし、AFOをやりだしてから三日目にして初めての『フレンドリスト』と『パーティ』の項目をチラリ。そこに載った『みはるん☆』の表示をまえに、なんとなく眼尻を細めた。
「よーし、あとは志保ちゃんを探して――っと、見っけた!」
言うや、ばたばたばたー! と駆け出す美晴ちゃん。それを目で追い、彼女の向かうさきに一人の少女のアバターを認め、なるほど、あれが以前に言っておった友人か、と思いながら儂も二人のもとへと足を向ける。
果たして、喜色満面で「ごっきげんよー、志保ちゃーん!」と言って抱きついた相手は、一見して人形のような少女だった。
白人を思わせる白い肌に肩につくかどうかの長さで整えられた金の髪。そして宝石のように澄んだ碧眼と感情の色を希薄にしたような無表情。それでいて「ふふ。ごきげんよう、みはるん」と頬ずりする美晴ちゃんに対してわずかに口もとを綻ばせるさまは、彼女が『エルフ』であることもあわせて正しく妖精のようで。また、纏う衣装こそ安っぽい革で造られた野暮ったいものでありながら二人のように目を引く美少女が抱き合うさまは背景に花畑でも背負っているようだった。
……ふむ。そう言えば、美晴ちゃんのアバターもそうじゃが、この『志保ちゃん』もアバターの外見をあまり弄っておらんのかの?
儂などは元の面影すら残ることなく変えられたものじゃが……見たところ、彼女のアバターは『エルフ』の特徴たる横に伸びた長い耳こそあれ、ほかにこれと言って不自然に作られたような箇所はうかがえない。
近づくとわかるが、現在の小柄にすぎる儂のアバターと彼女たちの背格好に大差はないようで。『ドワーフ』の儂より頭一つぶんほど背こそ高く見えるが、二人の幼さの残る容貌はさきに聞いていた12歳という実年齢を彷彿とさせるもので、なるほど、美晴ちゃんの以前言っていた通り小春のデザインしたこのアバターと並ぶことに違和感を覚えない。
「うん、これで志保ちゃんともパーティ組めたし――あ、志保ちゃん、この子が学校で言ってたわたしのおじーちゃん!」
かわいいでしょ、と。美晴ちゃんは近づいてきた儂の肩に手を置き、彼女へと突き出す。
「……ふむ。こんななりで思うことはあるじゃろうが、いかにも、儂はこの子の祖父じゃ。が、まあ今は同じゲームをやるものどうし、気軽に接してくれると助かるでな」
よろしくの、と。頭を軽く下げながら言いつつ、さきの小春ちゃんのやったように『フレンド申請』なるものを試してみようと密かに≪メニュー≫とコマンド。なんとか『フレンド申請』の項目を見つけ、フォーカスを眼前の少女――その頭上に表示された青色の三角錐へと向けながら『フレンド申請を送りますか? YES ・ NO』の『YES』を選択。
視界の端に[スィフォンさんへ送ったフレンド申請が受理されました!]というインフォメーションが流れる間をもって、
「はじめまして、みはるん――……水無瀬さんのクラスメイトの鍵原 志保です」
終始、どこかぼんやりとした雰囲気をまとった『エルフ』の少女――志保ちゃんは、やけに平坦な声で言った。
「あ、私のことはプレイヤーネームでも、みはるんと同じで『シホ』でも、どちらでも構いませんので」
チラリ、美晴ちゃんを見てのそのセリフは、おそらくは何度言っても彼女がプレイヤーネームである『スィフォン』と呼ぶようにはならないだろうという諦め混じりのそれだろう。……我が孫ながらスマンな、志保ちゃん。
「ふむ。では美晴ちゃんと同じで『志保ちゃん』と。そちらも儂のことは好きに呼んでもらってかまわんでな」
「はい。では、『ミナセさん』と」
あらためて、よろしく、と握手を交わす儂と志保ちゃん。
そんな儂らに「かーたーいー!」と騒ぎながら抱き着く美晴ちゃん。
「二人とも、ここはゲームのなかだよ!? だから、もっとこう、フランクに行こうよ、クラスメイトとバカ言いあうみたいなノリで行こうよ!」
そう尻尾をわっさ、わっさと振りながら笑顔全開で言う美晴ちゃん。
「……あの、みはるん。私、学校でも、こうだったと思うんだけど」
対して、志保ちゃんは表情こそ変わらずぼんやりとしたものながら困ったような雰囲気をまとって返す。
「それに、みはるんのお爺さま相手にフランクになんて――……無理。そんな、恐れ多い」
「えー? おじーちゃん、こんなにかわいいのにー?」
……ふむ。
儂の頭を撫でくり回す元気いっぱいの美晴ちゃんと感情の起伏の少なそうな志保ちゃん。その、なんとも凸凹なコンビをまえに瞳を細め、
「無理にとは言わんが、できるなら志保ちゃんにも儂のことは美晴ちゃん同様、『クラスメイトとゲームをいっしょにやっている』体で接してくれると儂も助かるんだがの」
どうか、仲良くあってほしい。そう孫とその友人との仲を想って告げる。
「……ですが」
「ほれ、今の儂のアバターは『こんな』じゃろ? 加えて、美晴ちゃんは『おじーちゃん』呼びじゃしな。ここは儂を助けると思って同年代の友人として扱ってほしいんじゃ」
ちなみに『こんな』なのは小春――美晴ちゃんの母親が即興でデザインしたものを美晴ちゃんが気にいったようだったからでな。小春は美晴ちゃんをそのまま大きくしたような性格でのぅ、と。遠い目をして話す儂に「ああ……」と同じように遠くを見て納得の声をあげる志保ちゃん。
「……すまん。苦労をかけると思うが、その……悪い子ではないでな」
「はい、まあ……わかります」
二人ともわたし見てどうしたのー? と、不思議そうな顔を傾げてみせる犬耳少女に苦笑しあう儂と志保ちゃん。
そして、
「あ、そうだ。ねーねー、おじーちゃんがAFOで『何人もの男性NPCを侍らせて逆ハー作って姫プレイしてる』って書き込みがあったのって、けっきょくどういうこと?」
また美晴ちゃんがよくわからないことを言い出した。
「ふむ……? 『逆ハー』? 『姫プレイ』?」
そう言えば、さきにも『書き込み』がどうのと言っていたの。
「『逆ハー』は『ハーレムの逆』で『複数の男性を侍らせてるさま』を指し、『姫プレイ』は特に愛らしい外見の女性アバターを使って男性プレイヤーの『お近づきになりたい』という欲求を煽り、まるでお姫さまのようにゲーム内でちやほやされたり、敵から守ってもらったり、アイテムを貢がせたりするプレイのことです」
果たして首を傾げる儂に、志保ちゃん。儂がわからなかった俗語だか造語だかの解説をしながら、そのじつ、彼女も美晴ちゃんに負けず劣らずの興味津々とばかりの瞳を向け、儂の言葉を待っているようじゃった。
「なんかスレにけっこうな数の目撃情報が書き込まれてたよ?」
曰く、四人の男性冒険者風NPCに荷物持ちをさせ、自分は手ぶらで森へ入っていくのを見た、とか。
曰く、モンスター相手に自分は何もせず、ただただ守られるように複数の男性NPCの背に隠れていた、とか。
曰く、屈強な男性NPCに背負われ、同じく複数の男性NPCを伴って街を歩き回っていた、などなど。要するに『山間の強き斧』の四人とのあれこれが≪掲示板≫に書き込まれていた、ということらしい。
……なるほど、それで美晴ちゃんに出合い頭に『乙女ゲーム』云々と言われたのか。
得心がいった。と同時に、誤情報にこうして踊らされる人間が彼女たち以外にも多くいるのだろうことが知れた。
……二人の反応からして、件の『逆ハー』や『姫プレイ』というのは、おそらくはゴシップやスキャンダルのネタ的な扱いなのだろうと予想。そのうえで、二人とのこれからを考えるのなら、
「とりあえず、冒険者ギルドへと向かおうかの」
そう告げ、歩き出しながら。さて、どこから話したものかのぅ、と頭を悩ませるのだった。
ようやく合流。
そして、ようやく次回からVRMMOものよろしくレベル上げの話?