凡人小説家の吉日
「今日も、……ないか」
早朝の電車の中、人はまばらだった。エンターキーの音が電車内に響いた。
「おれの数少ない趣味なのに……」
毎日毎日、仕事に追われる男の趣味は、小説を書くことだった。マイナーなんだから仕方がない。とはいえ、こうもリアクションがないとは。男はおもむろにキーボードに手をやり『小説投稿サイト 人気』と打って検索をかけた。やはり男の利用しているサイトが出る。読者が少ない訳でもないようだ。
「よう!調子はどうだい?」
ふいに肩を叩かれ、はっと横を見るとそこには同僚の姿があった。
「おみくじが凶。長時間残業、上司に叱られる。毎日が地獄だよ」
「このごろ、ほぼ毎日言ってる気がするが、お気の毒に」
同僚は、わざと顔を歪めてみせた。いい奴なのはわかっているが、時々しゃくに触る。
ちょうど退社の時間になった頃、携帯が鳴った。見ると、仕事や家庭のことではなくサイトから一通の返信が入っていた。何かの間違いではないかと、目をこすってもう一度、確認する。
『楽しませていただきました。これからもがんばってください。』
何度、見ても返ってこなかったものが、そこにあった。
「おーい」
やや憔悴した顔の同僚が、男のデスクまでやってきた。
「ボスからの悪い知らせだ。今日も残業して欲しいそうだ」
「わかったよ」
「今日は、長い残業になりそうだな。全く、最悪だな」
「そうでもなかったわ」
「おや?めずらしい」
「今日は良い日だ。本当に」
「いったいどういう風の吹き回しだい?教えろよ」
「それは秘密」
人の良い同僚はやや困惑した顔を見せたが、すぐに笑みを浮かべた。
「そうか。なんだかよく分からないけど、よかったな」
「ああ」
男は微笑み、再び仕事にとりかかった。