セインズ村の未来 その1
セインズ村、3日目の夕方。
ノブナガは1人、ベリンのいる南の山を登る。
その手にはチヨが用意してくれた夕食を詰めた物を持っている。
チヨに用意して貰うのは申し訳ないと思っていたノブナガだったが、ベリンが楽しみにしていた事を伝えると嬉々して作ってくれた。
そんなチヨお手製料理を持って、ノブナガは山を登る。
また結界に迷い込むかと思っていたが、まだ結界が復活していないのか、10分ほどで頂上にたどり着いた。
ログハウスの扉をノックする。
ギィィイ
扉が少し開くと、その隙間からベリンの顔が出てきた。
「来たか」
「お邪魔します。これ、チヨさんに作って頂いた夕食です。良かったら、一緒に食べませんか?」
「……今、開ける」
「ありがとうございます」
扉に内鍵があるのか、一度扉を閉めてまた開けられた。
家の中にお邪魔すると、昨日話をした暖炉の前ではなく、台所に近い机と椅子がある所に案内された。
その上に、チヨの夕食を広げてご飯にする。
「ベリンさんは、軍を引退されてからずっとこちらに住んでいるんですか?」
「いや、3年前からだ。私はセインズ村出身でな。引退してすぐは村で暮らしていた」
「……そうですか」
ノブナガは「なぜ、こちらに?」とは聞かなかった。
昼間の狩猟の時の話を聞いたノブナガには、3年前にセインズ村に何があったのか知っているからだ。
場が無言になりながら、食事を進める。
食事を食べ終わり、片付けに台所に消えるベリン。
その間、ノブナガは用意してもらった紅茶を啜る。
しばらく戻って来ないベリンに首を傾げていると、ようやく戻って来た。
ベリンの手には使い古された太い本が持たれていた。
「君は“魔術師”で合っているな?」
「はい。そうです」
ベリンはノブナガが“魔術師”である事を確認して、椅子に腰がける。
説明がややこしいと思ったノブナガは、もうそれでいいやと頷く。
ドスンッと音を立ててながら、太い本を机に置く。
「君は、属性魔法以外の詠唱を聞いた事があるか?」
「はい。回復魔法と付与魔法を」
「ならば、属性魔法と他の魔法とで詠唱が違うと感じた事はないか?」
「……あります」
ノブナガが初めて魔法を使った時、確かに違和感を覚えた。
呪文のニュアンス?形?が違うと感じていた。
「ほう。その違和感に気付けるか。なら、それぞれの違いは何だ?」
「…………わからないです」
違うと感じるが、理由がわからないノブナガ。
「その理由は、働きかける場所に違いがある」
「働きかける場所、ですか?」
「属性魔法は自然に、付与魔法は物、回復魔法は人に力を働きかける」
ベリンは太い本をペラペラと捲り、あるページを開いてノブナガに見せる。
そこには呪文がびっしり書かれており、そこに矢印線を引いて色々と書かれていた。
文字が薄れていて読み辛かったが、呪文を略しているようだ。
「私は長年、詠唱について研究していた。それがこれだ。属性魔法は初めに属性、次に事象、最後に役割を唱えている」
ベリンは本の上に指を走らせ、ノブナガに説明する。
「では、この順番を変えてみては。と思ったわけだ」
「みたんですか?」
「もちろん、大失敗だ。魔力の流れが歪んで発動せんし、魔力が暴走して爆発してしまった。いやぁ、あれは死ぬかと思った」
ベリンも話してきて気が乗ってきたのか、当時の出来事なんかを交えながら話してくれる。
ノブナガはそれを笑みを零しながら、時に真剣に話を聞いている。
「でだ、私は考えたわけだ。属性は1つしか操れないのか、と」
「ッ!?2つの属性を合わせる、という事ですか!?」
「そうだ。私は研究を重ね、2重属性魔法を完成させた」
「ッ!!」
ページを捲り、あるページを開く。
そこには呪文と魔法陣、術式が書かれていた。
それを食い入るように見る。
つい、[+術式鑑定]も発動させて見るノブナガ。
「これ……俺に見せてもよかったんですか?」
本から目を離して、ベリンを見るノブナガ。
ここに書かれているものは、まだ発表されていないものだ。
ベリンに教えてもらったものもそうだが、この2重属性魔法はすごい魔法だ。
それを他人であるノブナガに、それも無償で教えるなど大丈夫なんだろうか、と考えたのだ。
そんなノブナガの問いに、ふっと笑って答えるベリン。
「私はもう老人だ。自分が持つ物を若者に託さなくてはならない。それに……君なら、この力を正しい事に使える。そう思っている。違ったか?」
なんとも挑発的な口調で、ノブナガに言う。
ベリンはここまでの話でノブナガがどのような反応をするか、ずっと見ていた。
目の前の力に、ノブナガはどんな反応をするのか。
そして、ノブナガは反応を示した。
目の前の力に酔ったのではない。
目の前の力に、興味を示したのだ。
2重属性魔法の理論、魔法陣、術式。
すべてを理解しようと、興味を示したのだ。
力に飢えた目ではなく、純粋な興味の目で。
ノブナガも気付かないうちに、そんな目をしていたのだ。
(俺も随分と変わったみたいだ)
奴隷時代の自分よ、どこ行った?と内心ツッコミながら、ノブナガは立ち上がる。
「ベリンさんが教えてくださった魔法、大切に使わせて頂きます」
ノブナガはベリンに頭を下げた。
必ずその想いに応えると、その想いでノブナガは頭を下げる。
「ふん……ゴホッゴホッゴボッ!!」
照れ臭かったのか、ベリンは鼻を鳴らす。
その後に大きく咳き込み始めた。
結構長い咳きに、大丈夫かと顔を上げるノブナガ。
そこで目にした光景は、到底大丈夫と言えないものだった。
咳き込んだせいか、ベリンは椅子から崩れ落ちて地面を倒れ込む。
倒れ込んでも止まらない咳きと共に、口から吐き出される物はーー血だった。
「ッ!ベリンさん!!」
血など御構い無しに飛び寄るノブナガ。
倒れ込んでいるベリンを抱え上げた。
「大丈夫ですか!?ベリンさん!?」
咳き込みが止まらないベリン。
当然、咳きと共に吐き出される血も止まる事をない。
出血量からしても、相当マズいと考えたノブナガは回復魔法を行使する。
「天空の息吹を帰還せし戦士たちへーー“天回”!!」
ベリンの胸元に手を当てて行使された回復魔法は効果があったのか、ベリンの咳きが落ち着いてくる。
「大丈夫ですか?」
「はぁはぁはぁはぁ……いつもの事だ。なんの心配もない」
「いつもの事、って……」
「それより、私をベッドまで運んでくれないか?今日はもう休む」
「……わかりました」
ノブナガはベリンを抱え、家の奥の寝室のベッドにベリンを横たわらせる。
服には血が付いているので、寝る前に着替えさせた。
あと、ノブナガは台所の方へ行き、水を汲む。
「ベリンさん、水です。ゆっくり飲んでください」
「すまない。……ゴグゴクゴク。君は回復魔法が使えるのか?」
「……はい、まぁ。まだ初級しか使えませんが」
「…………事情は聞かん。君が悪い子でない事は、わかっているからな」
身体を起こし、水の入ったコップを眺めながらベリンは言う。
確かに、初めて会った時からステータスとスキルが噛み合っていないとは思っていたベリン。
しかし、それもさっきの話でノブナガの事を見極めたベリンには聞く気はさらさら無かった。
「それにしても……私も随分と体たらくになったものだ。そのせいで、息子も救えんかった……」
「……やはり、その。ベリンさんも3年前に家族を?」
「あぁ、そうだ。今でもはっきりと覚えている」
ベリンは残った水を一気に仰ぎ、ノブナガに話した。
思い出したくもないであろう、“賢者”の悲劇を。
「私は10年前、この村に帰ってきた。それからは、妻と息子、それに義娘に孫と楽しく暮らしていたんだ。何もない村だが、笑顔が絶えず幸せだった」
ベッドの脇に置いてある机の上の指輪を見ながら、ベリンは懐かしそうに呟く。
今日と昨日で見た事がない笑顔が、その時の幸せを体現させていた。
しかし、その優しい目は暗くなり始める。
「だが、それも3年前までだ。戦闘系の天紋を集めに来た奴らによってっ、すべて奪われた!!」
急に叫んだベリンはまた咳き込み始める。
吐血はしなかったが、またノブナガが“天回”をかける。
「あの日、村に帝国の騎士と……黒い翼を生やした少女がやって来た」
「黒い翼……」
「そいつらは、村人の天紋を調べ、戦闘系の天紋を持つ者を連れて行った。私の息子も義娘も、連れて行かれた……」
台所からまた水を汲み、ベリンに渡す。
一口水を飲み、また語り始める。
「しかし、騎士は引退した私も連れて行こうとした。息子たちを連れて行こうとした時点で、相当頭にきていた私は怒りを抑える事はできなかった。騎士に反撃した」
「騎士は強かったんですか?」
「いや。こんな身体の私でも、騎士に劣る事はなかった。だが……例外がいた」
「黒い翼の少女、ですか?」
ノブナガの問いに「あぁ」と頷くベリン。
「奴の力は異常だった。魔法を直撃させても傷1つ付ける事ができなかった。そして、私が捕まろうという時に助けてくれたのが、息子だった」
コップをギュッと握りしめるベリン。
怒りを押し殺しているんだと、ノブナガはわかった。
「息子に助けられ、私だけがこの山に来た。君が壊した結界は騎士を追い払う為のものだった」
「……息子さんはどうなったんですか?」
「…………死んだそうだ。私を庇ったせいで」
場に流れる重たい空気。
初めて会った時のあの叫びは、そういう事だったのかと思い返すノブナガ。
「今でも思う。私がもっと強ければ、息子たちを守れたのではないかと」
「自分を責めても仕方ないですよ。過去を恨んでも、過去は変えられません」
「……君の言う通りだ。しかし、この怒りを押し殺すには、自分でも責めないと収まらない!!」
またベリンは叫ぶ。
ベリンの持つコップにヒビが入り始める。
これ以上はマズいと思ったノブナガが、コップを取り上げてから立ち上がる。
「今日はもう帰ります。あと、これを使ってください」
ノブナガはポケットから出すフリをして“ストレージ”から“ヒーリング・リング”(“天回”を付与した腕輪。ノブナガ命名)を取り出して、ベリンに差し出した。
「これは?」
「少しずつですが、回復する事が出来るアーティファクトです。HPが減少した時に起動するので、付けっ放しでもMPが消費する事はありません」
「そうか。すまない、助かる」
「では、帰ります。お邪魔しました」
「あぁ、さっきの本を持って行け」
「いいんですか?」
「説明も途中だったからな。それを読んで勉強してくれ」
「ありがとうございます。旅立つ時は、ちゃんと返します。失礼しました」
寝室を出る時に一礼してから、部屋を出るノブナガ。
それを見届けたベリンは、一息吐いてベッドに寝転がる。
ベリンはノブナガの事を考えていた。
魔法を真剣に学び、力にしようとする少年。
そのような少年がまだいる。
この国は、まだ腐り切ってはいない。
(この国も、まだ捨てたものではないな)
そう思いながら、ベリンは眠りについた。
**********************
ノブナガは寝室を後にすると、ヒビが入ったコップを“錬成”で元に戻し、地面の血も拭き取ってからベリンの本を持って家を出た。
「やっほー、ノブちゃん。ベリンさんとの話は終わった?」
「はい。ザンもベリンさんに用事が?」
家を出た直後、家の屋根から声が振り返ったノブナガの視界にはザンが居た。
それに特に驚いた様子もなく返事をする。
「うんん。わたしはノブちゃんも迎えに来たの」
「そうなんですか。ベリンさんとのお話も終わりましたし、帰りましょう」
「そうだね」
屋根から飛び降りて、ノブナガの隣に着地するザン。
ザンと2人で夜の山を歩く。
「それで?勧誘はどうだったの?」
「勧誘はしてませんよ。ただ魔法について教えてもらっただけです」
「え?じゃあ、勧誘はやめちゃうの?」
「勧誘するにせよ、俺にベリンさんを説得する事は出来ませんから」
「えぇー、なんでよ〜?前世の記憶でも使ってバシッと説得すればいいじゃん」
そこで、ふとノブナガが足を止める。
隣を歩いていたノブナガが急に立ち止まった事で、ザンも少し進んだ所で足を止める。
「どしたの?」
「ザンは……俺の前世について知っているんですか?」
「うん。知ってるよ。契約した時に、少しだけど記憶を覗く事が出来るから」
ノブナガは誰にも前世の事を話した事がない。
にも関わらず、ザンは契約する時の精神世界でノブナガの事を「ノブナガ・ヒグラ」と呼んだ。
その時から聞く機会がなかったが、今はそれを聞ける。
「それじゃあ、前世で俺がどんな人間だったか知っているんですか?」
「え?それはわからないけど……」
「……そうですか」
食い入るような問いに、ザンは少しビックリしながらも答える。
その答えに、明らかにガッカリするノブナガ。
そんなノブナガに首を傾げつつ、もしかしてと思って問いかけるザン。
「もしかして、ノブちゃん。前世の記憶が……」
「……はい。名前やどうでもいい事は覚えているんですが……前世でどのような人生を歩んでいたのか、まったく思い出せなくて」
「あー、そうなんだ。記憶が欠落してるんだ。それじゃあ、わたしもわからないなぁ。元々本人の記憶を覗くから、本人が憶えてない事は覗けないよ」
ノブナガは前世というものがあるのはわかっている。
しかし、ポ○モンやコ○ンなどのネタは思い出せるのに、肝心な記憶が思い出せないのだ。
自分がどこで生まれ、何をして来て、どうやって死んだのかも思い出せない。
思い出せない事が、少し不安だったりするのだ。
「ノブちゃんは前世の記憶を思い出したいの?」
「まぁ、思い出せるのであれば、ですけど」
「つまり、そんなに必要とは思ってないの?」
「そうですね」
帰りが遅くなるので、ノブナガたちは歩き始める。
魔物なんかに襲われないように、“気配探知”を使うのを忘れないノブナガ。
「どうして?」
「どうして、と言われましても……そうですね。今生きてるのは、今だからじゃないですか?」
「なんで、疑問形?」
「ちょ、ちょっと言葉にするのが難しくてですね……」
困ったような笑みを浮かべながら、後頭部を掻くノブナガ。
少し言葉にするのに難儀しているようだ。
「えっと、ですね。前世は前世の俺で、現世は今の俺……だからだと思います」
「?どういう事?」
「つまりですね。今生きているのは現世の俺なわけですよ。これはわかりますか?」
「うん。わたしの目の前にいるのが今のノブちゃん、って事だよね?」
「そうです。結局、前世って前の人生で、今生きている人生じゃないんです。だから、どうでもいいって事です」
「あぁ、なるほどねぇ」
今の人生と前の人生は違う。
世界すら違うのに、前世の記憶なんて必要にすらならない。
つまり、どうでもいいのだ。
「ノブちゃんって結構ドライだよねぇ」
「ドライ、ですか?」
「そ。人には親切で優しいのに、自分の事や敵の事になると急に冷たいんだもん」
「俺は自分に冷たいですか?」
「うん。冷たいよ」
ザンの指摘に首を傾げるノブナガ。
あんまり自分に対してドライだと思った事がないようだ。
「ノブちゃんは命の危険に疎いし」
「別に、自分の命を軽く見ているとは思っていないんですけど……」
「今はね。でも、エリちゃんが居なくなった途端、ノブちゃんの中でそれは無くなる。違う?」
「……」
ザンの問いにノブナガは答えられなかった。
確かに、ノブナガが生きようと思った理由はエリーナにある。
だが、もしそれが無くなれば?
想像したくもない事を想像したノブナガ。
「まぁ、すぐにどうにかする必要はないよ?大切な者ってすぐに見つけられるものじゃないしね」
「そうですね。少し自分を見つめ直してみます」
「うん。それじゃ、早く帰ろっか」
「はい」
結局、ノブナガは何も言えず山を降りる事になった。




