長老の為の一日
■長老が来る日の朝
朝が来た、今日は長老が、我が家へやってくる特別な日になる。
そのために、葉矢水から教えてもらった、犬の飼い方のサイトを見て、
必要なリストを制作した、これで万全の体制で長老を迎えることが出来るはずだが……
どうしよう、長老の手術台を出してしまって、今はお金が無い。
バイト代が入るのはもう少し先だし、お母さんからお小遣いを前借りするしかないかな。
しかし、お母さんは、犬飼うのに反対だったし、貸してくれるのかな……
「う~ん」と唸っていると、クロが来た。
クロ
「おっ、主起きていたか」
「今日、長老を家に引き取ろうと思うんだけど、僕のお金が無い」
クロ
「うむ」
「それでお母さんに借りようと思うんだけど、貸してくれると思う?」
クロ
「それは分らんな、しかし考える事で、答えの出るものなのか?」
「そうだな、考えても仕方ないな、よし、聞いてみよう。
……でも、ダメだったら時は、どうしよう?」
クロ
「ダメならダメだった時に考えればいいだろう」
「そうだね、そうする」
台所に行くと、お母さんが食事の支度をしていた。
「お母さん、申し訳ないのですが、ちょっと来月の、お小遣いを前借りしたいんだけど」
お母さん
「私は犬を飼うこと自体反対なのだけどね……」
どうしよう…… 困った、困ったぞ。
悩んでいると、あきれ顔でお母さんが話し出した。
お母さん
「はぁ~、しょうが無いわね、あなたが全ての面倒を見るのよ」
「はい、分っております、心得ております」
お母さん
「調子が良いんだから」
と、言ってお金を貸してくれた。それもかなり多めに。
「こんなに?」
お母さん
「足りなくなると困るでしょ、少し多めに持って行きなさい
ただしバイト代が入ったら、返して貰うわよ」
「ありがとう」
さて、朝食も身支度も済んだし、出かけよう。
クロ
「長老を迎えに出かけるのか?」
「いや、まずは長老を迎える準備をするよ
近くのホームセンターへ行ってくる」
クロ
「あまり無駄遣いするなよ」
「分ってるよ」
クロ
「おもちゃとか、そういった物は要らないからな」
「そ、そうだね、う、うん分ってるよ」
クロ
「分って無さそうだな……」
「大丈夫だって、それでは行ってきます」
クロ
「いいか必要最低限だぞ」
「わかりました」
■ホームセンターへ
僕は近所のホームセンターへやって来た。
自転車で15分といった所にある、そこそこの広さがある店、
ここで大抵の物は手に入る、さて買い物を始めよう。
首輪、リード、キャリーバッグ、犬用ベット、ブランケット……
必要な、買い物リストを揃えていく。
ふと犬小屋の展示が目に入る。
「うーんどうしよう、犬小屋か」
様々な形と種類があった、値段の差もかなりある。
ちなみに、必要な物のリストには無い、理由は、
室内で飼う事になるのか、外かまだ分らないから……
「どうしようかな。よし、買わない、今回は見送ろう」
まずは必要最低限の物を買う、足りなければ買い足そう。
たぶんクロに釘を刺されなければ、買ってしまっていたかもしれない。
あと、買わない理由がもう一つあった。
犬小屋は大きければ良いという訳ではないらしい、
犬のサイズに合わせて適切なサイズを選ぶ必要があると、
教えてもらったサイトに載っていた。
という訳で、無駄遣いを押さえた、すごいぞ僕、偉いぞ僕。
買い物を終えた僕は、いったん荷物を家に置いて、
動物病院へ向かおうとしたらクロがやって来た。
クロ
「思ったよりは、少ない買い物だな」
「そうでしょ」
クロ
「本当に必要最低限だな」
「えらいでしょ」
クロ
「予想外だ」
「それは酷いな、ちゃんとやれば出来るよ」
クロ
「ちょっと前の主は、無駄遣いするタイプだったからな、成長したな」
「うぐっ、そうですね、その通りです」
さて、実はもう一つしなければいけない事があったりする。
長老に家に来てもらう事を、説得しなければならない。
急に決まったので長老には、まだ話していないのだ。
「じゃあ、動物病院に行ってくるよ」
クロ
「長老の説得だが、強気で行け、弱気だと主が言いくるめられて、追い返されるぞ」
「わかった、では行ってきます」
さあ、長老を迎えに行こう。
■動物病院へ
「すいません、先生はおられますか?」
獣医
「おう、来たか」
「長老じゃなかった、犬を引き取りに来ました」
獣医
「犬の名前は、長老と付けたのか、変わった名前だな」
「はぁ、まあ、そうですね(僕が付けた訳じゃないけど)」
獣医
「体調は大分良くなっている、
ただし、まだ餌は6分目くらいにしてやってくれ
後は、少し散歩をさせてやってくれ、動いた方が体に良い」
「解りました」
獣医
「あと、この紙を渡そう」
その紙には、犬のリハビリテーションの仕方が分りやすく書いてあった。
獣医
「必要なリハビリを抜粋して置いた、
時間のあるときに、試してみてくれ、
でも犬が嫌がる様な、強い動かし方はしないでくれよ」
「色々とありがとうございます」
獣医
「老犬だから大変だと思うぞ」
「精一杯お世話をします」
獣医
「良い心がけだ、それなら大丈夫そうだな」
「では連れて帰りますね」
さて、ここから一仕事しなければ、長老への説得、大丈夫だろうか?
「長老、迎えにきたよ、家で向かい入れる準備ができたよ」
長老
「余計な事を…… 迷惑がかかるじゃろ」
「もう、色々と長老の物を買っちゃった。 それにこんな狭いところで過ごすのは嫌でしょ」
長老
「たしかに」
「僕が引き取らないと、外にでられないよ」
長老
「分った分った、強引なヤツじゃな……
しょうが無い、少なくとも傷が癒えるまでは厄介になるよ」
「それじゃダメだよ、死ぬまで面倒見させてよ」
長老
「やれやれ物好きじゃな、解った、好きにせい」
「やったぁ、これからよろしくお願いします」
長老
「こちらこそ、宜しくな」
長老もなんとか納得してくれた、説得の仕方はちょっと強引だったけど。
さて、長老の気が変わらないうちに、帰りましょ。
「ところで長老、ここから家まで10分程なんだけど、
歩いて行く? キャリーバックに入って運んでいく?」
長老
「そこまで近いんなら、歩いていこうかの」
「分ったよ、体が辛くなったらすぐに言ってね」
長老
「うむ」
「では先生、お世話になりました」
獣医
「また、何かあったら来なさい」
「はい、お願いします」
獣医
「しかしあの犬、素直に付いて行ったな、俺が散歩させるときは嫌がって、
ゲージから出すのも一苦労だったのに……」
■ここが自宅です
まだ長老の足取りは、少し拙く、
ゆっくりとゆっくりと、自宅へと歩みを進める。
「長老、家族構成を教えて置くね、お父さん、お母さん、僕、あと黒猫のクロ
ちなみに犬が来るのは初めてなので、少しだけ大人しくして貰うと助かります」
長老
「年寄りじゃし、手術後じゃし、そんなに暴れたりはせんよ」
「ですよね、もう少しで付きますよ、あそこが家です」
長老
「なかなか立派な家じゃな」
「ええ、のんびりして下さい」
家に入るとお母さんが待っていた。
「ただいま~」
お母さん
「その犬なの、おとなしそうだけど」
「うん、実は先週に手術をしていて、まだ弱っているんだ」
お母さん
「大丈夫なの?」
「平気だよ、獣医さんにも散歩をするよう言われてるから。
そうだ、ちょっと手を出してみて」
お母さんが、おそるおそる手を出す。
「(小声で)長老、お願いします」
ペロペロと手をなめた
お母さん
「あら、かわいいわね」
「クロとそんなには変わらないよ」
お母さん
「そうね、そう考えると大丈夫よね」
なかなかの好感触、これなら大丈夫そうだ。
お母さん
「ちょっと、晩のお買い物へ行ってくるから、後はよろしくね」
「はい、わかりました」
お母さんは、出かけていった。
「さて、長老はどこを住処にしたいですか?
とりあえず、玄関入ってすぐの所、他には僕の部屋を考えています」
長老
「おぬしの部屋は2階か?」
「そうですね」
長老
「階段はちと苦手じゃな、それに人間の部屋は、ちと暑いんで、玄関で良いぞ」
「わかりました」
犬用のベットとブランケット、トイレなどを設置する。
「散歩は朝と夜で良いですか?」
長老
「一日1回でも我慢できるぞ」
「我慢しなくて良いです、とりあえず朝と夜の2回にしましょう、
あと、足りない物、他に必要な物があったら言って下さい」
長老
「これで十分じゃよ、このベットも快適じゃな」
よかった、気に入ってもらえたらしい。
「では、散歩まで少し休んでいて下さい」
長老
「うむ、休ませて貰うよ」
■初散歩
時間が経ち、夕方になった
「長老、夕飯前に散歩でも行きませんか」
長老
「いいぞ、何処の道を行くのか考えておるのか?」
「いえ、なにも……」
二人で話していると、クロがやって来た。
クロ
「ところで主、最初に長老に会わせようとした、理由を覚えているか?」
「いいや、何だっけ?」
クロ
「やっぱり忘れていたか、『動物の話が出来る人間に心当たりがあるか?』という話だったろ」
「そうだった、そういった話を知りませんか?」
長老
「喋れるヤツに出会った事はないが、そういうヤツが出てくる昔話だったら知っておる」
「どんな話なんですか?」
長老
「近くに、その昔話の舞台となった神社があるので、行ってみるか?」
「はい、行ってみたいです」
長老
「では、向かうかの」
クロ
「少し面白そうだ、俺も付き合おう」
こうして僕たちは、神社へと出かける。
近くらしいので、毎日の散歩のコースに取り入れても良いかもしれない。
でも、近くに神社なんてあったかな? 記憶には無いな。
長老
「ところで、お前さんに言っておきたいことがある」
「なんです?」
長老
「せっかく助けて貰って悪いんじゃが、儂はそう長くは生きられんかもしれん」
「そんなこと言わないで下さいよ」
長老
「大丈夫、変な心配はするな、残された命は精一杯生きるよ
ただ何となくじゃが、死期が近いのは自分でも分る」
「……」
長老
「前の御主人がな、すでに亡くなっておるんじゃが、迎えに来る夢を、よく見る様になった」
「……」
長老
「そんな顔をするでない、犬という生き物は、主人の笑顔が、自分の幸せなのだから」
「そうですね、わかりました、楽しく行きましょう」
死ぬ、という事実を出されると、驚いてしまう、泣きそうになってしまう。
僕は『楽しく行きましょう』と言って笑顔を作ったが、果してうまく笑えただろうか?
『うまく笑えたか』なんて考えたのは後にも先にも、この時だけだったかもしれない。
■前の御主人
神社という所へ向かっている途中、長老が足を止めた
長老
「ちなみに、そこに駐車場があるじゃろ、アレが昔は我が家じゃった」
「前のご主人は、どんな方だったんです?」
長老
「爺さんじゃった、儂が子供の頃から、爺さんじゃったよ」
クロ
「他に家族は居なかったのか」
長老
「一人じゃったな、特に仕事はしておらず、妻はもうお亡くなりになっておって、
子供たちはすでに独立してもうおらんかった」
クロ
「人間でいう、老後というヤツだな」
長老
「そうじゃな」
「よければ、どうして野良犬になったか、理由を話してもらえます?」
長老
「うむ、『我が主人は既にこの世には居ない、亡くなってしもうた』
そこまでは、知っておるな?」
「はい」
長老
「ある日の事じゃ、病院へ運ばれたのが最後、帰ってはこなかった。
主人の子供達が集まり、葬式というものが開かれた。
儂は、ここで初めて主人の死体と出会い、主人の死を知った」
長老
「その後、儂を誰が引き取るかという話になり、引き取り手が決まったのじゃが、
どうやら遠くへ行くことになるらしい、そこで逃げ出して野良になったという訳じゃ」
「なぜ、逃げ出したんです」
長老
「前の主人が戻ってくる訳もないが、なぜか此処を離れたくは無かった。
なんとなく…… 特に理由は無いんじゃよ」
「……なるほど」
長老
「おっと、話している間に神社についたぞ、ここがそうじゃ」
■小さな神社
長老が神社といった場所は、神社と言うには小さすぎる場所だった。
すこし大きめの空き地に、木々がうっそうと茂っていて、
その奥にちょっとした祠が、ポツンと立っているだけだった。
長老
「さて、儂が前の主人から聞いた昔話をしよう」
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むかしむかし、働かないで遊んでいるだけの、駄目太郎という人物がおったそうじゃ
神様は働かない駄目太郎に、罰として動物の下で働く様に命じた
駄目太郎は、動物の言う事を聞ける様に、動物の言葉が解る様になった
駄目太郎は改心して、働き、神様にお供え物を捧げた
すると枷としての罪が消え、動物の言葉は聞こえなくなった
真面目に働いた駄目太郎は、その後は財産を蓄えて、幸せにくらしたそうじゃ
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「動物の言葉が解らなくなるなんて、もったいない」
長老
「おお、そうきたか」
クロ
「まあ、主ならそう考えるよな」
「動物の言葉が解かるなんて、素晴らしいことじゃないですか」
長老
「この話だと、動物の下で、働かされることになるんじゃが」
「僕は、動物の下では働いてないので、この話とは違いますね」
クロ
「ほら、本人に自覚が無い、バイト始めただろ?」
「確かに、動物の為には働くけど、動物の下では働いてないよ」
長老
「うーむ、結果としては、動物の為に働く羽目になってはおらんか?」
「僕が勝手に働いているだけですよ」
クロ
「……この話はもう辞めよう、今の状況と昔話と比較しても意味がない」
長老
「うむ、まあ、そうかもしれんな」
クロ
「気になる点が、ひとつあるのは、
『神様にお供え物を捧げた、すると枷としての罪が消え、動物の言葉は聞こえなくなった』
という点だが、試しにお供え物をする気は……」
「まったくありません」
クロ
「だろうな」
長老
「まあ、所詮は昔話じゃ、あまり気にする程の事でもないかのう」
「そうですね、帰りますか」
長老
「そうじゃな、久しぶりの暖かい寝床もあることだしのう」
こうして一日が過ぎていった。