ぐるぐる回れ!! 栄螺堂
山形にはいつ入るんじゃ!!
憧れの栄螺堂編。
高橋克彦の『星の塔』(ハードカバー版・実業之日本社)は自分が持っている本の中でも最高に美しい本だと思っています。その中にはみちのくを舞台にした幻想的なミステリーの短編が収録されています。そしてトリを飾るのが栄螺堂をモチーフにした「星の塔」です。栄螺堂によく似た塔は時間を司るものとして登場します。
そうか、福島には(場所はよくわかってなかった)栄螺堂っていう不思議な建物があるんだー…と、当時小娘だった私はいたく心を惹かれたのでした。
さて、インターを降りるとそこは会津若松市。ナビはあと二十分程度で目的地に着くことを知らせてくれました。
いや、ちょっと待って!! 長年憧れた栄螺堂まであと二十分そこらで着いちゃうの? そんなまだ心の準備が……とかよくわからんことが頭の中をぐるぐると駆け巡るけれど、すでに一般道。信号もあるし歩行者だっているから、気を散らしていては事故の元。そうじゃなくても、初めて走る道だから油断大敵だわ。てか、ナビの言うとおりに進むと、飯森山へ向かうんだけど栄螺堂って飯盛山にあるの?
ほんと、よく調べもせずに来てしまった私でした。
飯盛山といえば、戊辰戦争の悲劇・白虎隊自決の舞台です(それくらいは知っていた)。ほんとにそこにあるの? ナビくんは嘘をついているんじゃないの? すごく半信半疑のまま道を進むと飯盛山や白虎隊の看板が目につき始めたかと思ったら。
≪目的地に到着しました≫
え!? えー!!
ナビくんのいう飯森山の下の駐車場を素通りしてしまったのでした。
「ああああああああああ!!!!」
ナビ、万能にアラズ!! 現地をグーグルアースで見ておくべきだった、おれ!!
悲鳴をあげたまま交差点を通過、どこかでUターンすべきと対向車が少ないことをいいことに交差点を過ぎてから車を反対車線へ戻そうとしたとき、誘導員の格好をしたおじさんが「コイコイ」と誘導棒を私に振りました。「こっちゃ来い、こっちゃ来い」とおじさんに誘われるまま、観光バス用と思えるほど広い駐車場に入りました。
こ、これは観光地によくある「キャッチ」というものでは、と慌てた私は停車するなり窓を開け、駆け寄ってきたおじさんに聞きました。
「ここは駐車場ですか? 料金はいくらですか?」
おばちゃんは手っ取り早いのだ(お金に関して)。すると、そんなやり取りに馴れているのか、おじさんの答えはいたってシンプルでした。
「無料ですよ。うち隣で土産物屋やってるから、帰るときにちょっとでも買ってって」
まーね。只より高い物はない。でも、それくらいならと私も快諾。飯盛山入り口のすぐ向かいのよい場所へ停めさせてもらいました。
さあ、目的地です(ここのどこにあるのか分からんが!)。
「やったー!! 思ったより早く着けた」って伸びをしましたが、もう五時間運転していましたから……冷静になって、自分。知らない土地での解放感でしょうか。すでに頭が変になってました。
そして目の前の飯盛山。参道ぽくなっている坂の下から山頂を見あげると……はるか上まで石段が続いています。ええ、眩暈がするほど。坂道に沿うように「歩く歩道」が作られています、有料です。
私は体を使う方を選びました。登りましたよ、上まで。十月とはいえ、秋晴れの好天。必死に上っているうちに汗だく、上にたどり着いたら足がガクガク。喉はヒリヒリ。しかし、いらぬ金は使わなかった!
そんなわけで山頂へ来ましたが、栄螺堂はありません。あれ? なんで??
ひとまず、団体に紛れてボランティアの方のお話をお聞きます。戊辰戦争の白虎隊の悲劇を。
なんだか涙なしには聞けません。そう、飯森山は「お墓」なんです。うちの中学の娘と年の違わない少年たちが戦って死んでいったなんて。ああ、なんてお茶らけた気分で来てしまったんだ自分。厳かな気持ちで慰霊碑を参拝しました。
が、肝心の栄螺堂はどこなんだ!!
と、慰霊碑のある山頂から一段下の土産物屋さんの間に狭い通路のようなものがあって、そこの入り口に栄螺堂の看板が。
なんでこんな狭いところを通って? まじか……だまされてんじゃね? と懐疑的になりつつもとにかく行かねば、来た甲斐がない。
土産物屋さんの軒下のような狭い通路を通り、階段を降りるとそこには、なんと!!
飯盛山の崖下に、栄螺堂があったのでした。
「最近テレビに出たから、来る人が増えた」と土産物屋さんのがお客さんと話しているのが聞こえました。ええ、存じ上げていますよ『ブラ〇モリ』ですね……でも、自分それよりはるかに前から知っていましたから! と、聞かれもしない返答を胸の中で言い放ち、栄螺堂の境内にあった金属のマニ車っぽいのをぎい゛い゛っと一回転させて、受付でお金を払ったのでした。
栄螺堂の立地はとてもヘン……というか、なんでこんな狭いところに建てたんだ、というのが正直な感想でした。まるで某ゲームの隠れ里のマップにあるようなそんな場所なんですよ(分かりづらい)。崖を背にしてよじれたような姿で建っていました。
知ってはいたけれど、実物を前にすると迫力が違います。そして、まるで神社の拝殿にでもはいるような感じで、団体さんのあとについて入っていったのでした。
中はスロープで、すこしきついかなと思えるようならせん状です。壁や天井、芯になっている柱には所せましと千社札が貼られています。このへんのルールは自由だったんでしょうか。もしかすると今はダメなのかもしれないけど。年季の入ったお札が何枚も何枚も貼られています。
上をゆく人、下へ下りる人の足音が絶えずギシギシとして、確かに木造なんだなと実感しました。
ぐるぐる回って頂上へ。屋根の天井そのままの形を見て今度は下り。床には滑らないように、細い横木が打ちつけられています。窓には細かい金網。ガラスじゃないんですね。古い書画や小さな仏様のような彫像を見ながら、またぐるぐると下りて、出口は入り口とは反対のところ。
なんだか不思議な気持ちでした。江戸の人たちもここを回ったんだというのと、戊辰戦争の白虎隊が戦ったり自決したりしたときにも、これはあったんだという感慨。ここにずっとあったんだと。
物語のインスピレーションなんかは湧かなかったけれど、長年の憧れにふれたことでとても満足しました。おそらく家族と一緒なら、私以外は喜ばないだろうというのも確信しつつ。
そして、白虎隊の記念館は見ずに来ました。無理、じぶん無理です。
泣くに決まっている。もっと勉強して、きちんと知ってから見たいと思ったのでした。
車に戻る前に、約束通りにお世話になったお土産物屋さんで二人の父へのお酒と友人たちへの和蠟燭を買いました。
車に乗って、目的地は再び「米沢駅」にセット。駐車場のおじさんにお礼かたがた道をたずねると、新しくできた自動車専用道路を教えてもらいました(なんと開通して一か月もたっていなかった)。
米沢までは一時間くらい。
なんだ、近いじゃん。
距離感はもうとっくに普段の物差しがぶっ壊れ、旅のハイテンションのまま再びドライバーに戻る私なのでした。
お昼は道の駅で、天ざるそば。1200円とは思えないほどのボリューム。げふっっ。