汚部屋を掃除する
絵馬ちゃんを見送ったあと、僕らは昼食を食べに行くことに。
そのあと、佐田さんの所で労働奉仕があるそうだ。
無論、師匠命令で強制参加。
僕は絵馬ちゃんの事が、ちょっと気になった。笑顔では帰っていったけど。
日本では、学校での”イジメ”が問題になっていると、この間の講義で知った。
自殺者まで出てるとか。
絵馬ちゃんは、イジメられてた。先輩は絵馬ちゃんにアドバイスしてたけど、
それだけで、いいんだろうか?
「先輩あの絵真ちゃんの事なんですけど、”イジメ”にあってたんですよね。
僕ら、サンタクロースが 絵真ちゃんのイジメを解決すべきかな・・って」
僕は、人がいないかどうか周りを確かめてから、オズオズとクラウス先輩に聞いた。
「この間の講義。ちゃんと覚えてるか?
イジメの問題は、学校や家庭、複雑な問題がからみあって、現場の教師でさえ
苦労してるんだ。門外漢の俺ら出来る事は、あそこまでだ。」
先輩はため息をつき、思案顔で歩いていく。
先輩も心配してるけど、これ以上は僕らは出来ないんだ。
なにせ、偽造パスポートを持った、日本語話せる外国人二人組だ。
住所氏名を名乗るのは、出来るだけ避けたいくらいだ
「何やってんだ、早くいくぞ。」
先輩の言葉に僕はうなづき。無言で歩く。お腹が空いた。
時間っていうのは、こういう時はゆっくりすぎていくんだ。
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佐田さんの所は、一見、古いけれど広い普通の民家 に見えた。
事務所で、先輩はにこやかに挨拶してる。
僕もお辞儀をして、事務所の隅に縮こまってるように座ってた。
「やあ、今日の大掃除に来てくれて ありがとう。年末は忙しくて、
結局、年明けになっちゃったよ」
「お安い御用だ。掃除はこぶし寮のほうからか?」
「お願いするよ。今年、体調を崩す入所者続出でね。出来る範囲でやるしかないけど。
そうそう、スタッフ用にお握りを用意してあるから、食べて下さい。」
そのお握りが、僕と先輩の昼食。
「ニコ君もお握りどうぞ。あれ?今日はなんか元気なさそうだね。
元気のないときこそ、頑張って食べないと」
佐田さんのニコニコ顔で、僕は少しホっとした。炊き出しでは一緒だったけど、
事務所に入るのは僕は初めてで、緊張してたんだ。
「ニコ、又、熱でも出て来たんじゃないか?そういえば歩くのも遅かったな」
先輩が僕のおでこに手をあてる。
「大丈夫、お腹すきすぎて。これ食べたら元気でます」
僕は急いで、佐田さんからお握りをもらい、二人から笑われた。
「ニコ、どんだけお腹空いてんだ」
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寮の大掃除といっても、個人の狭い部屋が20室ほどと。
後はホールと洗面所や浴室などの共用施設。
部屋は、今は空室が2部屋ほど、残りの18部屋のうち、5部屋は住人が外出中。
ここは、ホームレスの人が自立するための一時的な宿泊施設だそうだ。
まずは、空室と寮の共用部分から掃除をはじめた。
「ニコ君、こっちの部屋の片づけを手伝って」
僕は、佐田さんから声をかけられ、そっちの補助にまわる。
さてと、片づけだ。
部屋にはいると、仰天。すごいこの部屋。ゴミが散乱して足の踏み場がない。
びっくりする僕に佐田さんは、少し寂しそうな笑顔で、
「ここの住人さんだった片瀬さん。この部屋に1年はいたかな。
本来ならこの寮は 自分で部屋を借りるまでのツナギの宿泊施設なんだけどね。
片桐さんは、年配の女性で糖尿病を患ってたんだ。
もう最後は目も見えなくなくて、思うように体も動かなかったようなんだ。
介護施設への転院を手続き中、二日前に急に亡くなってしまった。
朝は、ここは、起床時間は決まってるんだけど、片瀬さん、起きてこなくてね。
イヤな予感がしたんで、部屋にはいってみたら、彼女は心肺停止状態。
こちらの管理体制の不備だ」
家族も友人もいない中、一人で死んでいく。
それは、僕にはすごい衝撃だった。
二日前というと、東京はまだ正月気分で浮かれてる時期だろうに。
僕は、涙が出て止まらなかった。
「ニコ君は、優しいんだね。彼女の事は僕のせいだ。
僕がもっと早く施設への入所を勧めていれば、もっと生きる事ができたかもしれない。
この施設は、ボランティアと寄付で 切り盛りしてるけど、自転車操業で正直、いつ破綻しても
おかしくない状態なんだ。だから今の体制ではここでは、介護は無理。
かといって、介護のための人を雇うほどの経済的余裕もない。
入所者への福祉関連の手続きも煩雑で、時間がかかり、その分、入所者への配慮が
足りなかったかもしれない。」
佐田さんは、スマートな男性だけど、今はそれが細く頼りなげに見える。
年末の公園の大規模な炊き出しは 彼の指揮だったけど、その時はもっと逞しくみえた。
僕が、泣いたせいかな・・涙が勝手に出たんだ。
僕はこぶしで涙をあわてて拭って、ごまかそうとした。
佐田さんは、僕の様子を見て、ごまかされてくれた。
二人で部屋の片づけをつづけた。
食品の残り(賞味期限2年前とか)や、紙くずは、即、ゴミ袋。
生活用品でも、二つもテーブルがあったり、壊れた掃除機や敗れたビニール傘。
片瀬さんには、身寄りもないということで、こういうのは遠慮なく処分していった。
そのほか、缶類、古新聞が山のように積んであった。
”缶や古新聞は、リサイクル業者に売るつもりだったんじゃないかな”という
佐田さんが説明してくれた。これらは、佐田さんのほうで売って、運営資金に
の足しにするそうだ。おそらく500円にもならないだろうという話。
介護施設って、確か、体が不自由になったり病気で介護が必要な人が
入る事のできる施設だったよな。そこより ツナギの宿泊施設の”こぶし寮”
がいい、っていうのは、どうしてだろう?
施設にはいれば、十分な世話もしてくれ、なにより、
ゴミの中でくらさなくて済む。
佐田さんに聞くと、
「う~ん。普通はそう考えるんだけどね。片瀬さんは違ったんだ。食べ残しなどの
ゴミもあるけど、彼女の思い出の品や、”いつか使える”と思ってるものも多いそうで、
一度、部屋の掃除を提案したんだけど、すごい調子で断られたよ。
ね、この絵見て。彼女の子供が初めて描いた母親の絵で、本人大切にしてたんだよ
だから、そんなんだから、うっかり掃除も出来なかった」
確か僕は、15歳の時、自分の部屋を勝手に掃除した母親に、怒った事があったっけ。
もっとも、その10倍、父親に怒られて、それから人に掃除しようがない綺麗な部屋
にすることにした。ささやかな反抗だ。父はもういないけど。
僕のために父が作ってくれた筆箱は、もうガラクタかもしれないけど、今も大切にしてる。
つまりは、そういう事。何が大事で何がゴミかは、本人でないと決められない。
夕食も一緒に という佐田さんの誘いを断り、僕と先輩はサンタランドに帰って来た。
忙しかったせいで、ちらかってる自分の部屋を、徹底的に掃除した。
夜、遅くにバタバタしたんで、管理人のおじさんに、こっぴどく叱られた。




