『勇気』が『悠希』になれるまで 1
あの時の、今の『私』の姿になったときはどうしていただろうか。
そう、あの事件があって、僕が最初に目覚めた時、身体が動かなかったことはよく覚えている。すぐにでも起き上がって、確認したいことが山ほどあったのに、腕の1つも上がらないことが凄くもどかしかった。
一命を取り留めた手術の後遺症のようなもので、1ヶ月ぐらいは起き上がることもままならなかったのだ。
最初に目にしたのは、幼馴染の悠希のお母さんだった。僕が目を覚ましたのを見て泣き出していたっけ。
なんとなく頭は落ち着いていて、僕よりも悠希についてて下さいなんて思ったのだけれど、上手く声が出ず、悠希のお母さんの奥にある鏡に映った僕の顔が、僕のよく知る幼馴染の顔をしていることに驚き、また意識を手放すのだった。
僕、西ケ谷勇気はごくごく平凡な中学2年生男子だった。本が好きで、運動が少し苦手な、何処にでもいる中学生男子だった。
兄弟姉妹はいなく一人っ子だったが、両親と仲が良く、幸せな人生を送っていたと言える。
何よりも幼馴染となる友人が3人もいる。毎日のように、彼らと遊んでいるだけで幸せだった。
河北匠は、運動の苦手な僕をサッカーに誘ってくれる。運動は苦手だったけれど、匠と一緒だとそれも楽しかった。
南海佳奈は、僕ら幼馴染の世話焼きをしてくれる。同い年なんだけど、みんなのお姉さん的ポジションに収まっていた。
そして、東山悠希は兄弟のように毎日一緒にいた。
悠希の両親は共働きで忙しく、よく家に泊まりに来ていた。そこに匠や佳奈が混ざることもよくあり、家はまるで僕ら幼馴染の集会所のようだった。
家同士が近く、女の子を1人で残しておくのもよくないからと、僕の両親も快く悠希のことを受け入れていた。
僕たちはいつも一緒だった。いつだったか佳奈が、「おじーちゃんとかおばーちゃんになっても、ずーっとなかよしでいようねっ」と言って4人で指切りげんまんをしたことがあったっけ。
いつもいつも一緒だったのに、どうして今は3人なんだろう。
その日も、悠希の両親からの希望で1日悠希が遊びに来ていた。たまたま僕の両親が揃って休みだったので、どこか遠出でもしようかという話になり、悠希の希望で動物園に行くことになった。
匠と佳奈も誘ってみたのだけれど、それぞれの家の用事があるということで、僕たち家族と悠希の4人で行くこととなった。
父さんの運転で、隣町の動物園に行った。
それが、悠希との最後の思い出だった。
動物園からの帰り道、象が大きかったとか、ライオンがかっこよかったとか、悠希と2人で興奮しながら話し、母さんがあらあらと微笑ましく僕たちを見てくれて、父さんが運転しながら相槌をうってくれて、とっても楽しい思い出になるはずだった。
何が起きたのかは正直なところ覚えていない。だからこれは、後から聞いた話になるのだけれど、前方からトラックが僕たちの車に突っ込んできての大事故。原因はトラックの運転手の飲酒運転。
とっさに父さんがハンドルを切ったらしいのだけれど、道路脇の溝に落ちてしまい、車の前方部分が潰れてしまい父さんと母さんは即死だったみたいだ。
僕は、瞬間的に悠希を抱きしめていたようだった。
それが幸か不幸か、悠希の体は奇跡的に無事だった。……頭を強打したために脳がダメになってしまったようだけれど。
病院に運び込まれれた時には悠希は脳死状態だっそうだ。
対して僕の体は、悠希の体を守った代わりに車の部品や窓のガラス片などで内臓や筋肉がボロボロになってしまっていたという。はっきり言えば死ぬ直前だった。
その時病院に居合わせた脳外科の先生が脳移植を悠希の両親に提案した。
血液型だとか厳しい条件があるはずなのだけれど、僕と悠希はそういうものが一致していたらしい。この時点で十分奇跡だ。
その奇跡をさしひいても、もちろん失敗する可能性はあった。ただ何もしないのであれば、この事故の被害者は全員死亡だった。
娘の身体だけでも無事に生きて欲しいと思ったのだろう、悠希の両親はその手術を承諾した。
何時間にも及ぶ長時間の手術の上、奇跡的に『僕』は生き残った。意識は西ケ谷勇気として。身体は東山悠希として。
意識が現実に戻る前に、夢を見ていた……と思う。
思う、というのは夢のような体験だったのだけれど、どこか夢ではないなにかのようにも思ったから。
見渡す限り真っ白い、不思議な空間の中で、悠希が座っていた。
僕は悠希のそばまで行き、隣に腰を下ろす。
「……ここは、どこ?」
悠希が知ってるわけないような気がしたのだけれど、尋ねられずにはいられなかった。
「私もわかんない。はざまのくうかん、みたいなことを言っていたのだけれど」
ますます意味がわからない。
「……誰が言ってたの?」その質問に、「さぁ?知らない」とあっけなく返される。
いよいよ困り果ててしまった僕に、悠希は言った。
「落ち着くまではここにいていいんだって。本当はすぐに天国に行かないといけないんだけど、特例なんだって」
「……天国って、悠希は死んじゃったの?だったらここにいる僕も死んじゃったの?父さんと母さんは?」
捲し立てるように質問をぶつけてしまう。少し間が空いてから、「……私だってよくわかんないよ……」と言われ「……ごめん」と返すのがやっとだった。
しばらくお互いに無言の状態が続いたのだけど、不意に悠希がでも、と言い出した。
「1つだけわかってることがあるんだ」
「1つだけ?」
「うん、1つだけ」
たしなめるように悠希は僕に向かってこういった。
「私の体は勇気にあげるから、精一杯生きてね。私は勇気の体と一緒に死んじゃったけど、私の体があるから、勇気は生きてね」
理解ができなかった。いや、理解したくなかった。
僕の体が悠希の体になることが?悠希が死んでしまうことが?今のこの状況が?
とにかく訳がわからなかった。
「そろそろ時間かな、女の子になって大変だと思うけど、佳奈が色々教えてくれる。匠が助けてくれる。だから大丈夫だよ。じゃあ、またね」
そう言い残して、真っ白な空間は、さらに白さを増して、僕を現実に引き戻すのだった。




