『勇気』が『悠希』になれるまで 10
その日は少しそわそわしていた。
何を隠そう、リハビリが次の段階へと進むのだ。
身体の様子はいたって良好。ベットから動けないことを除いては。これも毎日のベット上での簡単な運動のおかげだろう。上半身を動かしてのストレッチは起きられるようになってから毎日やっていたのだ。
そんな訳で歩くためのリハビリがいよいよ始まるのである。実は今までも診察ついでにマッサージのような、動いていない関節を動かすリハビリは行われていたのだけれど、実際に自分で歩くリハビリは今日からである。
ただ歩くだけ。そう、ただ歩くだけなのに。なぜこんなにも高揚しているのだろうか。ちょっとした興奮状態になりながらも、車椅子に乗せられ、リハビリ用の病室に連れてこられた。
リハビリ室に入り、担当の先生の話を聞く。横には悠希のお母さんがいる。
「それじゃあまずは立つところから頑張ってみようか」
そんな言葉に、僕はがっかりした気がする。今まで自由に動けなかった分、歩けるお墨付きをもらったと思っていたのだから。
車椅子を2つある手すりの間に設置され、車椅子が動かないように固定される。足を乗せている部分も動かされ、地につかない足がぷらぷらとしている。「じゃあ手すりに捕まって立ってみようか」とリハビリの先生が言う。なんか立てないと言われたような気がして、ムッとする。やってやるよと言わんばかりに手すりにつかまり、身体を持ち上げ……持ち上げ……あれ?
結論から言うと、立てなかった。今ならアルプスの少女のお友達の気持ちもわかる。ずっと使ってなかった筋肉を使うというのは非常に難しいのだ。
後からで調べたところによると、「1日安静していたことによる筋力低下を回復させるためには1週間を要し、1週間の安静が続くと失われた筋力を戻すのに1か月かかると言われています」なんてことが書いてあった。事故が8月頃だったから、ここまで2ヶ月ほど経ったことになる。……高校なんて行けるのかもわからなくなってきた。絶望的な気分になり、歩くどころか立つこともできない現状と、楽観視していた自分の馬鹿さ加減に嫌気がさしたのだった。
とはいえいいこともあった。今までは経過観察のため絶対安静のため病室から出ることができなかったのだけれど、付き添いがあれば、車椅子で院内を散策してもいいと言われたのだ。さすがにずっとベットの上にいるのは飽き飽きしていたところだ。それだけでも大きな進歩と言えるのではないだろうか。自分が何か成し遂げたわけではないし、誰かに付き添ってもらわなくてはいけないのが難点ではあるが。ただ欠点もあり、誰彼構わず付き添いになれるわけではない。基本的には悠希のお母さんなのだけど、もう1人付添人になれる人がいる。
「やっほー、勇気ちゃん元気してるー?」
「……紗枝さんは暇なんですか?それとも馬鹿なんですか?なんでまたナース服なんですか?」
「ちょ、こんな美人のおねーさんが看病してあげてるのに酷くない?!」
この人は潮見紗枝さん。ナース服を着ているので、ここの看護師さんかと思いきや、脳外科の女医さんである。もっとも経過観察という名目で僕で遊んでいるので、女医らしいところを見たことはないが、実際に僕が悠希の身体になるための手術を行った執刀医の1人でもある。だからといって僕の専属看護師みたいな真似をしているのはどうなんだろうかと思うが、僕に行われた手術がすごく珍しいことと、彼女がこの病院の院長の娘だということもあり、かなり自由にしているようだった。ここまで自由にしていて大丈夫なのかどうかは僕の知るところではない。
「あんまりひどいこと言ってると、ブラの付け方聞きにきたこととか匠くんあたりにでもいっちゃおーかなー」
「な……それだけは勘弁して下さい……」
むごすぎやしないだろうかこの仕打ちは。顔面が蒼白しそうだけれど、恥ずかしさもあり紅潮しているような気もする。要するにどんな顔になっているのか自分でもわからなかった。
はぁ、と溜め息を1つつくと、紗枝さんが僕の横に座る。
「まぁ初日なんだし落ち込まない落ち込まない。順調にいけば夏頃には歩けるようになるよ」
松葉杖付きだけどね、とまた微妙に落ち込ませる情報を織り交ぜつつ慰めてくれる紗枝さん。
看護師のコスプレをしているけど僕の担当医である彼女の言葉は信頼ができる。……僕の胸から手を離してくれればもっと信頼できるけれども。小慣れた手つきで僕の胸を鷲掴みにする紗枝さん。過剰に反応すると付け上がるのでなるべく我慢するものの、ちょっとだけ声も出てしまう。
「……んっ……とりあえず離れてもらえませんかねぇ」
この人のセクハラは毎日のように行われるのであまり気にならなくなってきた。……代わりに何か大切なものを失った気もするけど。
最初は医療行為なのかどうか判断がつかなかったけれど、今なら言える。これはセクハラです。
「ん?いやー、最近反応が淡白でつまらんねぇ。じゃあここをこうしてこうすると……」
「ひゃぅ?!」
もはや何をされたかもわからなかった。確実にわかるのは執拗に胸を揉みしだかれたということと、自分があげた可愛らしい悲鳴に、顔を紅潮させていることだった。
やっとのこと解放されると、わりと真面目な顔つきで紗枝さんが言う。
「うんうん。大分身体にもなれてきたんじゃないかな。後は身体の回復と心のケアってとこかなー」
「……いつもそうやって真面目ならいいのに」
乱れた衣服を直しながら僕が言うと、
「いやいや、おねーさんはいつだって真面目だよー。女の子同士のスキンシップにもだいぶ慣れたでしょ?」
「セクハラ行為はスキンシップなんでしょうかねぇ」
「スキンシップスキンシップ。女子校とかだと多いんじゃないかねぇ。私は知らないけど」
確かにマンガなんかだと女の子同士で胸を揉み合うシーンもあったような気がしなくもない。自分がされる側になるとは思いもよらなかったけれど。
「まぁ、半分はおねーさんの趣味だけどねっ」
「真面目に働け偽ナース!」
珍しく僕が怒声を荒げている今日この頃だった。




