『勇気』が『悠希』になれるまで 9
今の僕のことを匠と佳奈に話したあの日から、2人はよく病院に顔を出すようになった。
2人同時に来ることもあれば、1人ずつバラバラに来るときもある。
あまりによく来るのでここまでの交通費とか変なところが心配になったけれど、そもそも事故にあって心配かけてるのが僕自身なのだからそれ以上は何も言えなかった。
ただ2人の顔を見れるようになって、僕はとても嬉しかった。
病室のドアに見慣れた三つ編みの女の子の顔が見える。
「やっほー、また来ちゃった」
三つ編みを揺らしながらその女の子、佳奈がベット近くにイスを持ってきて腰掛ける。それにしたって今日は来るのが早くないだろうか。まだお昼を少し過ぎたぐらいだというのになぜこの子はもう病院にいるのだろうか。
「……もうすぐ実力テストじゃなかったっけ?大丈夫なの?」
僕らの通う中学は9月後半頃に実力テストを行っていた……はずだ。なんせ中学1年の時の記憶を遡ってるので曖昧なのだけれど。実力テストというのは、中間期末とは別に長期休み明けにその名の通りに現状の実力を図るためのテストで、中間期末ほどではないにしろ内申や成績にも影響のあるものだ。長期休み中の宿題の内容がメインだけれど、各教科の先生がちょっとしたサプライズ問題を仕掛けてくるから油断ができないものだった記憶がある。それなのにこんな調子で大丈夫なのかと思う。
そんな僕の心配を余所に、「今日からだよ、午前で学校終わりだからねー」なんて気楽に返してくれるのだから、ちびちびと飲んでいた水が気管に入り、物凄く咽せてしまう。
「ちょ!?大丈夫!?」と背中をさすってくれるけれどあなたのせいですからね?佳奈さんや。
ひとまず深呼吸して落ち着いた僕はとりあえず、「うん、早く帰って勉強しやがれ」と最大限口を悪くして帰るように言ってやった。
「やだなー、勉強はちゃんとしてるし、大丈夫だって……たぶん」最後の方が小声になっていたが、聞き逃さない。
「多分?多分って言った?それで成績下がったらまるで僕が悪いみたいじゃない?」と佳奈の頬を両手で引っ張りながら言う。いくら入院生活で身体が鈍っているとはいえ、それなりにリハビリはしているのだ。多少の力はある……はずだ。たぶん。
「いひゃい、いひゃいってばゆうひ」
言葉になっていない言葉で止めるように言うもののそんなやりとりができることに、どこか嬉しそうな顔をする佳奈。こうやって戯れることができるのが嬉しいことは僕も否定しないけど。それ以上に試験勉強をしろという気持ちが強かった。
ただ、そんなに心配しているわけでもない。この三つ編みはそれなりに頭がいいのだ。学年順位でいうと10位代後半から落ちたことはない。約100人の中でその成績は上位クラスといっても過言じゃない。ちなみに匠は真ん中ぐらいだ。しばらく来ていないのは試験勉強があるからであろう。実に懸命な判断である。
しかし勉強してなくてここにこられても、僕としては気が気じゃない。本当は帰って勉強しろと言いたいのだけれど。
「……とりあえずここでいいから試験勉強して下さい」
何故か敬語で頼み込んでしまった。まるでここにはいて欲しいみたいじゃないか。すると佳奈はちょっと意地悪な顔をして、「ふふっ、最初からここでするつもりだったんだよね」なんて言い始める。……どうやらはめられたのだろうかと、考えても仕方ないので、佳奈が勉強する様子を観察するのだった。
とはいえ、ずっと見ているだけでは飽きてしまうので、僕も少し佳奈に付き合うことにした。
枕元からタブレット端末を取り出し、勉強用のアプリを開く。タブレット端末は悠希のお父さんが買ってくれたもので、ネットでの調べものだったり、勉強用のアプリだったり、暇潰しのゲームだったりといろいろ重宝する。
勉強用のアプリは元々、僕のような長期入院が必要な子どもや、事情があって学校に行けない子どものために作られたもので、学校に行っていない僕でも、来年の入試対策ぐらいは余裕でできそうな代物だった。
「おー、なかなかハイテクなものをお持ちですなぁ勇気さんは」
なんて茶化すように佳奈がマジマジとタブレット端末を見てくる。僕はいいから勉強してろと佳奈に言うものの、あんまりにもしつこいので、
「いいから教科書とノートを見てろっつーの」と手に持つタブレット端末でチョップをするのだった。
夕方、面会可能時間が終わりの時間になる。
「じゃあ勇気、また明日ね」
手を振りながら病室をでようとする佳奈。
「うん、また……ってちゃんと試験勉強しようよ……」
「帰ってからもやるから大丈夫ですー、じゃねっ」
そう言って逃げるように帰ってしまった。
「ちーす。勇気元気かー?」
「えっ!?匠!?」
次の日には匠が遊びに来ていた。
3時頃でもう誰もこないであろうと油断していたので、あろうことかブラジャーをとった後のことだった。
理由はもちろん苦しいからである。1ヶ月近くもつけてるものは慣れろよと言われるかもしれないが、何を隠そう案外外してる、もしくは自分で外す時の方が多いのだ。これでは一向に慣れるわけもない。
それを、今までブラジャーに慣れることをサボっていたことを、この日ばかりは本当に外したことを後悔した。
「なんだよそんな驚いた声で。来ちゃ悪かったかよ」
不機嫌そうな声で匠が言う。僕は僕で今しがた外したブラを布団の中に隠しながら話をしているので気が気じゃない。
「いやいや、そんなことないよ?昨日佳奈から実力テストだって聞いたから今日は来ないと思ってたのに来たからビックリしただけで」
「本当は来る予定なかったんだけどな。テスト明けにクラスのやつと遊びにこっちの方来たからついでに顔見に来てみたんだよ」
「僕は遊びに来たついでかよ」
「怒んなって。コンビニでシュークリーム買ってきたからさ、お前これ好きだったろ?」
ちょっと不機嫌になりかけたけど匠が持ってきたそれに僕は目を奪われた。
もともと甘いものは好きだったけれど、悠希の身体になってからさらに好きになった気がする。悠希も甘いのは好きだったっけ。
それで匠が持ってきたコンビニのシュークリームは特に僕が好きで、ひどい時は1週間ぐらい毎日買ったこともあったっけ。食べ過ぎだと佳奈に怒られたこともあった。
「好き!マジで好き!ありがとう匠!」
僕は匠に抱きついて感謝の気持ちを表す。意外と距離があり、ベットにうつ伏せに倒れるところを匠にキャッチされる。
「おま、あぶねえ!少し落ち着け!」
「早く!食べよう!」
「わかったから落ち着けバカ!」
匠が僕を宥め、ようやく僕の手にシュークリームが渡される。僕がシュークリームの袋を開けてる間に匠がコップに水を入れてくれていた。
それよりもシュークリーム。一口食べる。カスタードクリームの甘さが口の中に広がる。シュー生地のしっとり感もコンビニスイーツ独特の感じで僕は好きだ。
夢中で一気に食べてしまった。見ると匠はゆっくりと食べていた。そのまま匠の方を見てると目があった。匠はため息をついて、自分のシュークリームを半分分けてくれた。そんなつもりじゃなかったけれど、ありがたく貰っておくことにした。
匠に貰ったシュークリームを食べながら、ちらちらと匠の視線が妙に胸を見ているような気がするのが気になる。見られてるって女の子側はわかっちゃうんだなぁとか、匠も男の子だから仕方ないねとかいろいろ考えて何も言わなかったのだけれど、この後の惨劇により、二度と思い出したくない大事件となった。
食べ終わった後に喉が渇いた僕はコップに水を入れて飲もうとした。結構遊んだ後だったから疲れていたんだと思う。そのコップを落として、水を着ていたパジャマにこぼしてしまった。その瞬間はやってしまったーとしか思わなかった。取り敢えず着替えようと思って、そこで今の身体のことに気付いて匠に一旦出て行ってもらうように頼もうとしたのだけれど、当の匠はというと顔を真っ赤にして目を逸らしていた。「いや、なにしてんの?」と僕が言うと、
「いや、すまん、けど、おま、下着つけてねーのかよっ」
としどろもどろに言うではないか。ん……下着……?目を下に落とす。
その日はいつかの薄いピンクのパジャマだった。そこに水がかかっている。そして……薄っすらと透けているのは、僕の……
「ひうっ!?」
一気に顔が熱くなる。この時は何を考えていたのかあまり覚えていない。とにかく覚えているのは、恥ずかしいという感情が脳を支配していたということと、枕とかその場にあるものを匠に投げつけ、病室から追い出したことだけだった。
匠を追い出した後は濡れたパジャマを脱ぎ、別のパジャマに着替えた。透けないような濃いめのチェックのブルーのパジャマだ。あとブラもつけた。その日の朝つけていたものを自分の胸につける。つけ方を聞き流していたのは失敗だった。不恰好ながらもつけたけれどすごい違和感がある。でもまた聞くのもちょっと気まずいから今度佳奈にでも聞こうか、なんて考えてるとノックの音。
「勇気ー、もう入っていいかー?」
「う、うん。いいよー」
手櫛で髪もすこし直す。まだ顔が熱い気がする。そうこうするうちに匠が戻ってきて、枕とか拾ってくれて片付けてくれた。元はと言えば僕の不注意からこういう事態なってしまったのに文句ひとつ言わずに片付けをする姿に僕は申し訳がなかった。そんな僕に気付いたのか、匠は、
「あー、俺が悪かったからあんまり気にすんなよ、つーかお互い忘れとこうぜ、な?」
なんて言う。その後の「佳奈には絶対言うなよ!殺されちまう!」と言うのは少々格好悪かったが。
僕も、「うん、わかった」と返した。「でも佳奈には言う」と付け足して。
後日匠は僕のそれを見たことを、僕はあまりにも不注意過ぎることを、2人まとめて佳奈に怒られたことは言うまでもない。




