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作者: 武田花梨
掲載日:2013/10/08

コバルト短編落選作。悪い見本です。

 ここは、お菓子の家だった。

「なに、ここ」

 当たり前のように座っているが、なぜ自分かここにいるのか、まるで覚えがなかった。

 自分のまわりのものを確認する。

 壁もクッキー。窓枠は飴細工。チョコで作られた暖炉の中には、ロールケーキが薪のように置かれていた。

 今度は自分の身なりを見る。

 質のいいサテンで作られた、ロイヤルブルーのドレス。まっすぐな髪は金色交じりの茶色。鏡がないので顔はわからない。

 白い手袋をしていたので、それを取って手で触れてみるが、特に変わった様子はない。

 しかし、その手自身には変わった様子があった。

 手の甲に、鷹のマークと五桁の数字の焼印。

「奴隷みたい」

 口にして、これが奴隷のしるしであることを知っていたのか、と思う。それが記憶違いなのか、真実なのか。

 だとしたら、なぜ奴隷の分際で王室の人間しか着られないロイヤルブルーの服を着ているのか。

 徐々に色々なことを思い出してきた。そう、この色は一般人、まして奴隷には着てはいけない色であるし、上質な布を使えるのも王室の人間だけ。

 自分の住む国は、絶対王室。王室に関わる人間以外は奴隷ばかりであること。

 では、自分はどちらに属していたというのだろうか。

 手の甲の焼印なのか、ドレスなのか。

 私は、どちらを身につけるにふさわしい人間だったのだろう。

 焼印は、国が定めたものだ。奴隷は上流階級のものではない。王室のもの。鷹は国を象徴する鳥。

 その焼印のある王室の人間などいるはずもない。ドレスだけなら、盗んで着ることも可能だ。

 しかし、サイズがぴったりのこのドレスを盗んだとは思えない。奴隷が王室に近づくことなんて不可能だ。自分のような小娘が。まだ十六歳くらいだろうか。

「君は悩んでいるんだ」

 言葉が聞こえたが、人間とは思えないような声色だった。驚いて家の中を見回すが、お菓子で作られた調度品以外、人はおろかモノもない。

「……まぁ、夢だもんね、これ」

 現実と夢が混在することなんてよくある。朝起きて、ああ、妙にリアルな夢だったな、と思うのだ。

「だから聞いて」

 まだ幻聴が、といつまでも現実逃避をしているわけにはいかなかった。声の主が目の前のテーブルに乗ってきたからだ。

 壷。紫色の壷に、木の蓋が乗っかっている。片手で持てるほどの壷が、ぴょーんとテーブルに飛び乗ってきたという光景は、いくら夢といえども突飛のないものに思える。

 その木の蓋がぱかぱか言いながら、言葉を紡ぎだしている。

「……まぁ、夢だもんね、これ。あの世じゃないならよかった。生きていればいいことあるさっ」

 私はひとりうなずく。この言葉に、何か力があるような気がした。

「君はなかなか強靭な精神の持ち主だね。人の話を聞きなさい」

 壷に説教されるが、私は反論する。

「人の話なら聞くけど、壷の話は聞かない」

 返す刀に、壷は黙る。そして、イラっとしたように蓋をぱかぱかさせた。憤慨しているらしい。

「……僕は君のことを知っている。知りたくはないかい? 自分のこと」

 それをもちかけられると、何も反論出来ない。

「なんで、あなたは私のこと知っているの?」

「僕は君自身だからさ」

 それを聞き、私は自分の正体がわかってきた。

「いや、聞かなくてもわかった。そうか……」

 ひとり納得していると、壷は慌てたように底をガタガタとクッキーのテーブルに打ち付ける。

「それでは僕の出番ないんだけど。いや、わかるはずない」

「だって、今あなたが言ったんじゃない。答えを」

「へ?」

 壷のくせに間の抜けた声を出す。

 私はいささか得意げになって、その答えを壷に言ってやる。

「君自身、つまり、私はあなたと同じ」

「お、おう……」

 やはり当たりだ。私はニヤリとする。

「私は、壷なのね。人間になりたいと夢を見て、王室の服に焼印なんてわけのわからない立場になる、というアホな夢を見ている。そういうことね」

「違う違う」

 蓋をぱかぱか言わせながら、壷はじれったそうに本体を揺らす。

「壷は入れ物にすぎない。中身が一緒だよ、っていうこと。君は自分が思うより馬鹿なんだねぇ」

「どういう意味よ」

 むっとして壷を睨みつける。睨みつけたところで壷なのだから、あんまり意味はないが。

「言ったろ、僕は君自身。君は自分との対話を求めて、ここに来たんだ」

「来た? 夢じゃないの?」

 こんな所が現実にあるというのだろうか?

「……夢、なんだけど。そう言ったらつまんなくないか?」

 そういう問題か、と壷を見やるが、表情なんてない。無機質な壷でしかないわけで。

 しかし、こんな夢を見るなんて意味がわからない。

「細かいことは抜きにしたとして、あなたの知っていることを教えてよ」

「了解、ウェンディ」

 聞き覚えのない名称。私のことか、と思ったが、しっくりくることはなかった。

「私の名前?」

「そう、一応ね」

 ひっかかりのある言い方だったが、自分の名前がわかってどこか心が落ち着いた。

 私は、誰かにこの名で呼ばれていた。そう認識するだけで、今まで実態のなかった自分が、存在したという確固たる証拠になった気がした。

「君が夢という仮想現実に来た理由はひとつ。自分がどちらの道に進むかで悩んだからだ」

 どちらの道、と聞き、私はロイヤルブルーのドレスと左手の甲の焼印を交互に見る。

「奴隷か、王族か? そんな進路希望ある?」

 けして混ざり合うことのない道ではないか。

「そんなに単純なことじゃないさ。今ここで話しても理解できないだろうけどね」

「どうしてよ」

 蓋と壷がぶつかる音。人間のものとは違う声色に、神経が苛立つ。

「記憶がない、何も知らない状態で決めたほうが、正しい判断を下せる。そう思った君は自らの記憶を一時封印したんだ。今それを説明したら意味がなくなるだろ?」

「私、そんな凄いことができるの? 記憶の操作なんて」

 さすがにそれは無理だろう、と思う。心のどこかで、自分がそんなことが出来ないとわかっていた。

「夢とはそういう場所さ。現実であり、現実でない。不可思議なことがあっても仕方ないさ。君は自分自身と対話したくて、理想の場所を作り上げた。その相手が僕だ」

「じゃあやっぱり壷なの、私」

「……しつこいね、ウェンディは人間。僕はただの入れ物」

「なんで私自身なのに『僕』なんて言うの。本当に私? 私そんなに理屈っぽい?」

「理屈っぽくはない」

「じゃあ屁理屈?」

「……君の好奇心はもういいから、いい加減僕の話を聞きなさい。無駄な時間はないんだ」

 時間、という言葉に私は背筋を伸ばす。

「そうだよ、どうして私はこんなところにいるの? これ食べられるの?」

 また無駄に好奇心をむき出しにする私に、壷は呆れたように静まった。さっきまでがたがたがたがたうるさかったのに。

「おーい」

 私は蓋をぱかぱかして見る。中身は何もない。

「おーい!」

 からっぽの中身に向かって叫んでみた。途端に、壷は飛び上がる。

「あーもううるさい! いいかい、こんなことで遊んでいられるのは今のうち。早くしないと手遅れになる」

「ちゃんと聞きます。大人しくしています。お話続けてください」

 じっとしていられない類の人間らしい。本当の自分と久々に出会えた感覚がして、どこか懐かしかった。

 甘い香りに、時折ビターな香りが混ざる。黒い柱はカカオでできているのだろうか。全部試食してみたい気もするが、壷に怒られるので黙って座っておく。夢だから、食べたところでむなしいだろうが。

 ようやく口を閉じた私に、壷はどこか偉そうに語りだす。

「君は、自分の住んでいた国がどんなところか、覚えているかい?」

「うん。王族の圧制が厳しいところ。国民のほとんどが、国の奴隷なの。上流階級の人間ですら、ひっそりと、王族の人間に目をつけられないように息を殺して生きている」

 話しながら、故郷の絵が頭に浮かぶ。自然豊かで、山に囲まれた温暖な地域。だが、王族の住む宮殿周辺以外は、奴隷たちが肩を寄せ合って生きている。

 なんの為に、誰の為に生きているかの疑問すら持つことを許されない、名前すらない存在。

 一方王族は、贅の限りを尽くしている。奉納の代わりに人間という動力を得て、対国外のことなど気にも留めず、鎖国内でのみ政権をふるう。大海を知らない王が、わずかにいる上流階級から女を娶る。上流階級とはいえ、実質はいい生活をしている奴隷だ。奴隷の監視役などもしているが、それを王族の人間に監視されて、ちょっとでも気を抜けば王の気まぐれで首をはねられる。いつも怯えている、そういった印象だ。

 そうして上流階級から奪った女に産ませた、才能ある子以外は奴隷、娘は他国からの忠告を黙らせるための「人質」として国外に追いやることもある。

 奴隷にされた子は、親の顔も捨てられた理由もわからないまま一生を終える……。

「あれ?」

 そこで気がついた。私はなぜ、そこまでの詳細を知っているのだろう?

「奴隷だったら、王族のことまではわからない……はず」

 独り言に、壷はぴこんとはねる。

「ウェンディがとんでもなく馬鹿で阿呆でどこか足りない子でなくてよかった。いや、だからこうして自分と向き合うことを選べたのだろうけど」

 物凄く失礼なことを言われたが、何か言うとまた黙られるので頬を膨らませる、だけにしておいた。

「そう、君は知っているのさ。この国の、表も、裏も」

 自分はどちらの人間なのだろう。

 王族? 奴隷?

 奴隷から王族になるのは不可能だが、王族から奴隷になることは可能だと思う。ということは、自分は元王族の人間なのだろうか。

「ねぇ、質問いい?」

 真面目な声に、壷は嬉しそうに蓋をぱたぱたと動かした。

「ようやく好奇心がこちらに向いたね」

「この部屋は、私の願望とかそういうもので出来ているの?」

「そうだよ。こんな食物だらけの部屋、虫がわいて終わりだ」

 ちょっと夢が壊された気がした。私は顔を歪める。

「じゃあ、私自身は? 着ているものと、この焼印」

 これも願望だというのなら、どちらかが、どちらとも仮想のものになる。

「君自身は、現実だ。着ているものも刻印も。本体は、どこかで目を瞑って座り込んでいるんじゃないのかな」

 座って眠っているの? 傍から見たら、熟考しているように見えるだろう。

 では、王族しか着られないロイヤルブルーの、自分にぴったりのドレスと、焼印。王族から奴隷に下ったとしたら、このような服は着られるはずもない。

 一旦奴隷になったが、王族に戻れた、とか。

 どちらにせよ、元王族でないと、この状態は説明ができそうになかった。

 なぜ、自分は記憶を消してまで、選択をしなければいけないことがあったのだろうか。

「君ひとりではわからない。だから僕がいるのさ」

「じゃあとっとと次に行きなさいよ」

 唇を尖らせて壷をつつく。不服そうに体を揺らした。

「さっきまで散々話を聞かなかったくせによく言うよ」

 カタカタとクッキーのテーブルの上で本体を回す。

「さて、国の状態がわかったところで、次の質問だ。君は王族と奴隷、どちらか救えるとしたら、どちらを救う?」

「……はい? そんなもの、聞かれなくても奴隷じゃない。酷い圧制をしてきて、今更王族を助けるなんて考える人……」

 そこまで言い、まるで王族とは思えない人間の言葉だと思った。

 しかし、奴隷に落とされたというのなら恨みがあるのも分かる。

「私は、こんなところで終わるわけにはいかないの。この国を愛しているから」

 思わず口をついて出た言葉は、まるで自分のものとは思えなかった。

 壷を見やるが、特に何も言わなかった。

 これを言った人間の顔。それは自分の顔だった。

 まるで、王族のような強い意思と、責任感のあるような目で。

 ではやはり、自分は王族? この歪んだ国を変えたいとでも思ったのだろうか。

 ……認めたくはないが、ここまでのことで自分が賢く、そのような大きなことを考える人間だとは思えなかった。

「ますますわからない……」

 またも頭を抱える。

「じゃあ、君は奴隷側につく、っていうことでいい?」

「待って」

 国を変えたいとしても、王族には家族がいる。だったらそんな風に白黒つける必要があるのだろうか。

「他に解決策はないの?」

「君には、二択しか残されていない。奴隷側につくか、王族側につくか」

 守りたいのはどちらだろう。

 不思議と、王族側になんの感情も持てなかった。家族と思える人がいない。もっとも、一度奴隷に落とされたというのならそう思うのも仕方ない気がするが。

「まっさらな、先入観も、過去の経験も忘れた君が決めたことだ。それが一番正しいと、君が思ったから、こうしてもう一人の自分と対話している」

 私はそう言う壷にゆっくりと目を落とす。そして首を捻る。

「ねえ、このお菓子の家は私の願望でしょう?」

「うん」

「……あなたもそうなの?」

「うん」

「なんで壷なんだか」

 吐き捨てるように言うと、壷は怒ったようにがたがたと本体を振るわせる。

「君が決めたんだろうが! もっと可愛いものがよかったー、とか、どうでもいいことを考えるんじゃない!」

「あら、よくわかったね」

「君自身だからねっ」

 軽口をたたいても、不安と重責から逃れられなかった。

「決めなかったら、どうなるの?」

「逃げ出すことは出来ない。君は必ず、どちらかを選択して現実に戻る。それ以外の選択はないと、現実の君は知っているから」

 悩みに悩んで、結果こんなおかしな世界を構築するまでになったのか。自分がちょっと可愛そうになる。そこに戻らず、ずっとここで壷と遊んでいたい。食べる物には困らなそうだし。いや、仮想現実なら食べ物なんていらないか、などと考えていると、壷はどん、と体を揺らした。

「時間が来たようだ。君はどちらかを選ぶんだ。うしろを見て。扉がふたつあるだろう? 右を選べば、君は王族側の人間に、左を選べば奴隷側の人間ということだ」

 私の真後ろには、真っ黒なチョコレートで出来た扉が二つ。

 私はふらふらと立ち上がり、どちらを選ぶか考えた。

 まっさらな、先入観も過去もすべて忘れた状態で選ぶことを選択した自分。なぜその必要があったのか、現実に戻らねばわからないらしい。

 自分の本能に従うならば、奴隷だ。王族の人間を守るよりも、奴隷の人間を守りたい。

 ならば、通る扉は決まっている。

 私は左側の扉に手をかける。お菓子の感触がないまま、ノブを回す。

 そっと内側に開いた扉の外は、道が見えないほどの茨で覆われていた。

「茨の道?」

「この先の君の人生だね」

 慌てて右側の扉を開く。同じく、茨で道がふさがれていた。

「……どっちを選んでも同じだよ。君に待ち受けるのは困難だけ。まさに茨の道。クイズじゃないんだから、茨がないほうを選べば正解とか、そういう話じゃないと何度言ったら……」

「た、試しに見てみただけじゃない! 誰だって文字通り茨の道を見たらそっちには行きたくなくなるでしょう」

 顔を火照らせながら。右側の扉を閉め、改めて左側の扉の向こうを見る。かすかに光がさしていた。

「私が考えた仮想現実なんだよね。なんだか、ロマンチストというか……」

「子供じみているよね」

「うるさい。あなた本当に私? 私そんな性格悪い?」

 むっとした様子で、壷はぽこん、と大きく蓋を浮かせ、元の場所に落とした。

「どうだろうね。人間誰しもそういう部分は少なからずあるってことさ」

 どうにも胡散臭い。起きたら何もなかった、ならいいのだが。

「じゃあ、行くよ」

 外に一歩出て、躊躇する。ためらいながら壷に声をかけると、小さく揺れた。

「急いだ方がいい」

「うん。よくわからないけど、ありがと、もう一人の私」

 別れの言葉を告げ、扉を閉めようとした時、壷も言葉を紡ぐ。

「また会おう」

 また何? と聞こうとしたが、不可抗力で扉はそのまま閉められた。すると、お菓子の家はそのまま姿を消した。残ったのは、後戻りできない茨の道。

 私は、手で顔を覆いながらその道を進む。

 ドレスは切り裂かれ、腕からは鮮血がほとばしる。奴隷の刻印がどんどんと血塗られていく。夢だから、痛くはなかった。

 あの光の向こう。そこに、希望はあるのだろうか。

 仮想現実に逃げ出す前の状況よりも、少しはましな光が。


  *


 酷い耳鳴りか、と思う程の喧騒の中、私は目が覚めた。

 ほら、やっぱりあれは夢だったんじゃないの。どこか安心して、目を開く。

 椅子に腰掛けていた私は、腕に壷を抱えていた。驚いて、思わず手放しそうになる。

「ついてきたの?」

 尋ねるが、答えなどない。壷は壷らしく、大人しく無機質。

 部屋を見回す。趣味が悪いほどの贅沢な調度品が並び、大きな窓からは光がふんだんに取り込まれていた。

 どう考えても、奴隷の住む部屋ではない。やはり自分は王族だったのだろうか。でも、奴隷側につくと決めた。

 いや、あれは夢だから……と苦笑いをしていると、窓ガラスが割れた。

 耳を劈く破壊音に、壷を落としそうになる。

 喧騒が、一段と大きくなる。壷を手にしたまま立ち上がり、窓に寄る。

 思い出した。奴隷が反旗を翻してここを襲撃しているのだ。王室を囲んで、何千という奴隷が叫んでいた。上の方を見上げて。

 自らの置かれた状況を把握してきた。

「王は……父は?」

 私は無意識に、そう呟いた。上を見ていたということは……。オープンテラスまで壷を抱えたまま階段を駆け上った。


 最上階部分にあるオープンテラス。

 そこにも、石が投げ込まれていた。簡素な作りの大きな石の追撃砲。四、五人でゴムを伸ばし、石を飛ばす。それがいくつもあった。

 王を守る護衛はいない。護衛も、厳密には奴隷だからだ。奴隷の反乱があれば、王族を守る義務などない。

 石の砲台だって、こっそり作るには無理がある量だ。上流階級もこの騒動に噛んでいるのかもしれない。いや、率先している可能性もある。

 国民の総意。王の崩御を目的として。

 オープンテラスに立ち、群衆を眺める王。ただ一人、独裁者は終わりの時を悟ったかのように罵声を浴び続けていた。体に石が当たったようで、あちこちから出血している。

 王室を囲む、数千もの群集。声がこだまし、何万、何十万といるような錯覚すら覚える。

 体の底から震えた。人からの敵意を、全身で浴びることがこれほど恐ろしいとは。膝から崩れそうになる自分を奮い立たせ、群集に目をやる。

 埃舞うその群集の中央、えげつないほどに気品を漂わせるひとりの少女が、一段高いところにいた。

 そこには、見世物のように貼り付けにされた、三人の男女。兄二人と母。遠目でも死んでいると分かった。一歩引き、口を押さえる。

 王族のままでいることを選んだら、こうなるということか。

 私の存在を確認すると、少女は笑う。

「私は、こんなところで終わるわけにはいかないの。この国を愛しているから」

 この言葉を言った、私と同じ顔の少女。

「私は他国に嫁がされるの。馬鹿な兄に王の座を取られたら今と同じ。私はこちらの道を選ぶ。正しい方向へ導きたいの」

 そう言って、本物の、ウェンディは私との入れ替わりを持ちかけた。

 いくら顔が似ているからといっても、それは不可能だと思った。同じ人間などいないのだから。

 だが、この王室ではウェンディを個人の人間として見る人間はいない。奴隷たちは、姫の機嫌を損ねたらいつでも首をはねられてしまう。まともに顔を見て会話してくれる人間などいなかった。

 本物のウェンディは、奴隷たちのリーダーとなり、反乱を起こした。

 きれいごとだった。国を愛しているから我慢出来ない。奴隷になって、父王に自分の気持ちを訴えたい。そういう意味だと思った。

 彼女が選んだ道は、賭けだった。

 今の彼女を見れば、こうなることを仕組んだとわかるほど、輝いていた。近づく勝利に高揚しつつも、冷静に父王を見つめていた。どう動くのかを楽しむかのように。

「王族に生まれるだけが、王になる道ではないから」

 ぽつりと呟いたその言葉の意味がよくわからなかったが、今となっては革命を起こすための回り道だったとわかる。

 そして私は、どちらを選ぶか。

 奴隷。

 元の位置に戻るだけ。

 しかし、居場所などあるのだろうか。

 名前のない、何万といる奴隷だ。入れ替わっても気がつく程親しくしている人間などいない。妙な仲間意識を持たせないため、同じ人間を長期間とどめることはしない。

 かといって、ここに留まったところで待つのは死。一時の家族の変わり果てた姿を直視出来ない。家族のいなかった私に、一瞬でもその場所があった。会話などほとんどなかったけれど、私のせいで殺されてしまった。

 軽い気持ちで入れ替わりに応じたせいだ。奴隷の生活から抜け出せると安易に喜んだ自分を恨む。

 室内に戻り、壷を置く。中のものを改めた。

腐った食物が、わずかに入っていた。甘い食べ物だ。しかし食べるつもりでここに入れたわけではない。

 奴隷にとって、甘い食べ物など滅多に手に入らない。私はひとかけ残し、記念にこの壷にしまったのだ。王室にきても、それを大事に抱えていた。

 貧しく、何も楽しみがなかった時代。生きていれば、きっといいことがあると励ましあった奴隷の人間。それが、私に対して悪意、憎悪、鬱憤を惜しげもなく向けてくる。

 「私はいいから」この食べ物をくれた年長の奴隷は、程なくして息を引き取った。顔も名前も知らない者同士が集まり、丁寧に荼毘にふした。相手を知らなくても、思いやりあって生きてきた。

 生きてさえいれば。

 戻れない、この頃には。クッキーやチョコのような、伝え聞いた食べ物。それが王室にはいくらでもある。自分だけが贅沢をしようとした。

 顔をあげ、群集の中のウェンディを見る。

 私の姿を認めると、手をあげた。群集が静まる。

 恐るべき統率。彼女が、奴隷に落ちてまで頂点に立ちたかった、立つべき人間だと自負している理由もわかる気がした。

「あなたはどうするの?」

 澄んだ声は、広場に響いた。

 他の奴隷にしてみれば、それは王に問うている形になっただろう。しかし、目は私に向けられている。

 ウェンディは、焼印のある左手の甲をこちらに見せてきた。

 どちらを選ぶ?

 王族で死を待ちたいのなら、手袋をしたまま。奴隷に戻りたいなら、手袋を外して。

 結論がどうなるかわからない。私は、お菓子の家での決断に習い、手袋を外した。そして、手の甲を群集に見せる。

 広場がざわつく。王も、私の行動を見た。だが、驚いてはいなかった。王は、群集の中心にいる、粗末な服を汚して髪も乱れている少女を、自分の娘だとわかっていたのかもしれない。

「あなたは、私と共に。そうでしょ?」

 私を見上げるウェンディは自信に満ち溢れていた。

「命拾いしたようね。まずは、父であるそこの愚王を、その手にかけなさい」

 そのひとことで、私の道が決まったようなものだ。国がどうかわるかわからない。だが、私が逆らうことは許されない。一生、ウェンディの奴隷なのだ。

 娘からの処刑宣告に、王は咆哮をあげ自らの喉に剣を突き立てた。

 大騒ぎの群集。歓喜の声。

 私はそれを、どこか他人事のように聞いていた。命があるだけ、私の選択も少しはましだったのだろうか。

 生きていれば、いつかいいことがあると信じて。



  了


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― 新着の感想 ―
[良い点] 読みやすかったです。 [一言] 主人公は、マリーアントワネットがモデルのような気が個人的にしました。実際に彼女も繊細で複雑な境遇にいたらしいですが、「時代」に翻弄される中で「個人」は、どの…
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