乞い慕う
「ソージュ君、いい加減に出てきなさい」
ソージュは掛け布を頭からかぶって出てこない。
「嫌ですぅ。僕はもうサナミさんと顔をあわせられません」
朝、正気に戻ったソージュは昨夜のことを気に病んでいた。
「ソージュ君」
「僕は恥ずかしいイキモノになってしまいました」
声はもう泣いている。
「あっ、あんな、あんな恥ずかしいことっ!」
後は言葉にならず奇声を上げながら身悶えていた。
「恥ずかしくありません。仕方ないことです。さあ起きなさい」
「やですぅぅう!」
巨大芋虫と化したソージュは丸くなる。
サナミは溜息をついた。寝台に上がりそっと囁く。
「気持ちよかったでしょう?」
びくっと丸まった背が震えた。
「私が気持ちよくしてあげただけです。どうして顔をあわせられないのですか?」
「……恥ずかしい……です……」
「恥ずかしいことをしたのは私です。君はなにも悪くない」
いやいやとソージュが頭を振る。
「あんな、あんな……僕は自分が恥ずかしいっ!」
「感じたのが恥ずかしいことですか? そうではありませんよ。誰でもあんなことをされれば感じます。ああいうやり方をする人は他にもいます、恥ずかしいことではありませんよ」
「やですぅ! 思い出させないでください」
「顔を見せてください。起きていかないと、サリュウ君もヌイ君も心配します」
扉が叩かれた。
「ユリウスさん、小僧、どうかしたか? ハウルが心配してるぞ」
綺麗に偽名を使ったヌイが声をかけていた。
サナミは扉をあけた。
「話があります。来て下さい」
「あん?」
サナミの様子と、部屋の中から寝台の上で恨めしそうに涙目で睨むソージュにヌイはなにがあったのか察した。
「ああ、発作か。その様子だと昨晩だな」
ヌイは軽い足取りで部屋の中に入り扉を閉めた。
「なんですか、あれは!」
怒号とともにソージュが枕を投げつけた。
ひょいっとヌイは最小限の動きでかわす。
「発作。あんまりしてねえと、我慢できなくなるぜ。半月ぐらいでなるからな、そうなる前にしてもらえよ」
と悪びれなく言う。
「番の弊害、ですか?」
「弊害って……もともと生殖のための仕組みなんだぜ? やることやらなきゃ孕まんだろう? したくなるようになってんだよ」
老化が遅くなるのも身体能力が上がるのも治癒力が上がるのも、全て羅青族の番としてともに在るために必要なこと。異常な発情もそのためだ。
ソージュが寝台の上で仁王立ちした。
「いやらしい種族ですね!」
「手前! 種族ごと貶めやがったな!」
「スケベです! 好色です! 色魔です!」
「全部同じ意味だ、この野郎!」
低次元の口論にサナミは口を挟んだ。
「あの発作は番である限り起きるものなのですか?」
ぴたっと二人は口喧嘩をやめた。
「いや。孕めばおきねえぞ。子育て中もないな」
「孕みたくないです! 赤ちゃん、どこから生まれてくるんですかー!」
きーとソージュが涙ながらに訴えた。
「お前になんざ、手ぇ出さねえよ! 相手が羅青族でなきゃ孕まん! 安心しろ!」
ふと何かに気づいたようにヌイが付け加えた。
「番の間は男としても人間とは子供作れねえはずだからな。まあ、あんまり前例がないから分からんが。だいたい番を浮気できるような状況にしとく羅青族ってあんましいねえからな」
「独占欲強い種族ですね!」
「それは否定せんけどな」
ソージュの八つ当たり気味の罵りをヌイは否定しなかった。
実際、羅青族は番に対して独占欲が強い。番を囲い込んで閉じ込めてしまう羅青族も多い。
「妊娠期間はどのくらいですか?」
「人間と同じだ」
妊娠中と子育て期間中あの発作は起きない。だとすれば、本当に繁殖のためのものなのだろう。子育て期間中に元の種族に戻ってしまうことも――ないかもしれない。羅青族の番に対する執着をみれば。サナミはちょっと遠くを見た。
そこではっと、ソージュが何かに気づいたように奇声をあげた。
「サリュウさん! サリュウさんも、あんなふうになっちゃうんですか! サリュウさんも番になっているんですよね!?」
「あ? なったことねえはずだぞ?」
「なんでですか!」
「発作が起きるほど、俺が我慢できねえよ」
していれば発作は起きない。ヌイは発作が起きるほど間をあけた覚えはない。
「え?」
ひきっとソージュが凍りついた。大きな水色の目が見開かれ――
「えええぇぇえええええ!」
絶叫した。
「それって、つまり、サリュウさんとヌイさんっがっ! サリュウさんとヌイさんって――ええええええええ!」
ヌイが顔をしかめた。
「お前、本気で気づいてなかったのか?」
ソージュが膝から崩れ落ちて両手をついた。
まさかサリュウとヌイが昨晩自分達がしていたようなことをしているとは思いもしなかったソージュである。
青ざめ悲壮な表情で呟いた。
「……僕は……これからサリュウさんとどう接していけば……」
「今までどおりに接しなさい。サリュウ君、傷つきますよ」
ひどく饐えたにおいがする。湿気の多い石造りの地下牢は昼も夜もない。ときおり差し入れられる食事が時間の流れを教えるが――それが一日何回なのかもう覚えていない。少なくともシンマの巨体を維持できるような食事量ではない。
食わねば餓死する。粗末な食事でも飢えに勝てずに機械的に口に運んだ。
じゃらりと手枷に繋がった鎖が音を立てた。手枷と足枷――シンマは捕らえられたときからそれに自由を奪われていた。敵はよほどシンマを警戒しているようだ。
もっとももはや抵抗する気力はない。シンマの精悍な顔からは気概が抜け落ちていた。
(すまねえ、サナミさん……)
体の自由を奪われているシンマの頭の中でぐるぐると何度も同じ思考がういては消える。それは悔恨だけだった。
思えばサナミはゴルトの砦に入ったときからばりばりに警戒していた。あれほど気の立っているサナミは見た事がなかった。徹底的に砦の構造や出入りするものの流れに気を配り、食事さえ一度にとらずわざと時間をずらすよう通達していた。ゴルト側の兵を信用していないような――むしろ監視している態度すらとった。
あの時、考えすぎだとサナミを笑った自分を殴ってやりたい。
サナミには自分達に見えないものが見えていたのだ。
それでもあそこで食い止めなければ王都は落ちる。そう判断してあそこを守ろうとしたのだろう。信用できなくともゴルトの兵力を当てにするしかなかったのだ。
そもそもソージュを始めサリュウや自分を同じ隊に入れたのは、あきらかにこっちが主戦力だという偏りだ。隊長と副隊長を除いた戦力をつぎ込んで、ここで止めるという決意をしていたに違いない。
それがあっさりと――毒を盛られて瓦解した。
最初に食事をした自分達が苦しみだしたのをみて、残りの隊は慌ててサナミがくどいほどに携帯するよう言っていた毒消しを飲んだ。自分達もなんとか飲んだ――そこはやはりサナミの先見の明だろう――しかしゴルトの領兵にそこを襲われ、なす術なく制圧された。
一番毒の回っていた自分達はともかく、同僚は下手に抵抗できたから斬られていた。
ボルグ、アルカード、毒さえ盛られていなければあんなに簡単に殺されていない。
自分達は抵抗もできず捕らえられた。
まさか、自分達のような傭兵ではなく、長年クラシードに仕えてきた貴族が、あんな大事なところであっさり裏切るとは思わなかった。裏切りを心配されていたのは自分達のほうだ。正規軍の騎士団からは散々信用できないと罵られ、ゴルトの兵からも疑惑の目を向けられ、散々冷遇された。
それが自分達からラジアに尻尾を振って門を開け放ったのだ。
(くたばれ、豚野郎)
シンマは他の隊員と引き離され、ラジアに引き渡された。
どことも知れない場所に輸送され、地下牢にぶち込まれた。
仲間がどうなったのか、後は分からない。
ただ、クラシードは陥落した。
勝ち誇った看守がクラシードの滅亡を語ったからだ。
(すまねえ、サリュウ、ヌイ……お前達が犠牲になってくれたってのに……)
殿は任せろと、青い髪の友と二人でいった親友。
同等の戦力を配したはずのもうひとつの隊の敗北。退路を断たれる前にとの撤退。退却戦は難しい。それなのにいつものように槍を手に、俺が一番適任だと残った。
適当にあしらったら逃げ出すよ、と青い髪の魔族はサリュウと肩を組んだ。魔法の力があればそれも可能かと――後で追いつくと黒髪の親友は笑った。
後にサリュウとヌイ、二人で軍隊を撤退させたと知った。
それでも黒髪と青い髪の友は戻ってこなかった。
だから――追い払う代償に命を落としたとしか思えなかった。
二人の弔い合戦――そんな風に気負っていた。
情けなくて涙もでない。
床を踏む音が響いた。軍靴ともうひとつ。カラコロと変わった足音だ。
牢の扉が開いて、何度か見た顔と新顔がひとつ。
頭の働きが鈍くなったシンマでも思わず注視したのは――その若い男が青い髪をしていたからだ。
長身だが細身の羅青族。浅黒い肌に琥珀の瞳。青い髪を長く伸ばして後で束ね、過剰なまでに布を使ったひらひらした衣装を纏っている。下は白一色だが、上に羽織っているのは赤地に花鳥風月様々な色彩を躍らせた派手な衣装だった。
男が着るには派手すぎる衣装だが――滴るような色香を放つ妖艶な美貌の男には不思議と似合っていた。
紅をひいたような赤い唇が笑みの形を作る。
「これか? 俺に見せたいというのは?」
「ああ、『大剣のシンマ』『シエイカ傭兵騎士団』でも指折りの猛者だ」
何度か顔を見せたどこかの隊長らしい三十代ぐらいのいかつい男が言う。
「ふぅん」
琥珀の瞳がシンマの茶色の瞳を射た。
面白くもなさそうに男は布を取り出して、シンマの首筋を軽く拭いた。その後、そこに噛みつく。
「っつう!」
血が滲むほどに歯を立てて、その血を舐めた男は口を離した。
「まずい。もう少しいい物を食わせておけよ」
弱ったシンマの血の味が気に入らなかったようだ。顔をしかめて布で口を拭く。
「違うだろう――試しに血を舐めたが、羅青の魔力の欠片さえない。そもそも傷が治っていないことでも分かるだろう? こいつは番でもお前の言う『二世代目』でさえない、ただの人間だ」
「馬鹿な!」
隊長らしい男が否定しようとした。
羅青族はシンマの衣服を肌蹴させ、古傷のひとつを示す。
「なにがだ? 確かに見てくれは悪くはないが、古傷も残っている。こいつはただの一度さえも変えられた事はない」
「だが――こいつらは――『シエイカ傭兵騎士団』の強さは我々と伍すると――」
「こいつらが強いのだとしたら、それは人間としての修練の積み重ねと飽かずに高みを目指した執念の賜物だ――お前達が諦めた、な」
くすくすと男が笑う。
隊長――セオリスとかいったか――は歯を食い縛る。
「おい」
セオリスはもう一人に声をかけた。
セオリスよりいくぶん若い男も何度か顔を見た。ニグルとか呼ばれていたか――が布で包まれていた長物を取り出し、布を解いていく。
それを見てシンマは目を見張った。
「手前ら! それをどこで手に入れやがった!」
どこにそんな活力が残っていたのかは分からない。ただ、汚れてはいたが、見慣れた槍を目にして瞬間的に頭が沸騰した。手枷足枷から伸びた鎖の限界まで引っ張りそれを奪おうと手を伸ばす。
それは――友の――サリュウの愛用していた槍だった。
「見覚えがあるようだな」
「なんだ、それは?」
「サリュウ、とやらの槍らしい」
「ふぅん、たいそうな剛槍だな」
唸りながらそれに手を伸ばすシンマを見て、羅青族は笑った。
「生き返ったな。そっちの方が面白い」
「この槍を手にしていた男は羅青族と一緒にいたと報告されている。その男が番である可能性は?」
「さて、どうだろうな? 好みは人それぞれだからな。どんな男だ?」
「調べさせてみたが――巷では赤毛の筋肉隆々の大男だと言われていたが、昔の風体を知っているものは、黒髪の優男だという。こちらが正しいのだろうな。二十代半ばで、槍の名手だ。軍隊ひとつを羅青族と二人で追い払った」
羅青族は声を立てて笑った。
「ああ――可能性がないわけじゃないな。羅青族は強いものが好きだからな。しかし人間というものは面白い。どうすれば脆弱なお前達が『二世代目』と同等の戦闘力を得られるのだ? どれだけの執念と努力があればそれが可能になる?」
羅青族の加勢があったとはいえ、件の男は軍隊を追い払い、目の前の男は『二世代目』と伍する力を持つという。
「面白い、が――生憎番は間に合っている」
残念だ、と謡うようにいい、羅青族は踵を返して帰っていった。カラコロと木製の変わった履物が音を立てた。
長椅子の上でくつろいだように杯から酒を舐めているキョウにセオリスは念を押した。
「本当に羅青族の気配はなかったんだな?」
「くどい。本当は分かっているだろう? 傷が治っていなかったのだからな。お前は認めたくないだけだ、自分が諦めた頂に到達できたものがいたことを」
ぎりりとセオリスは歯を食い縛る。
「違う、俺が心配しているのは、クラシードが番の特性に気づいていたかということだ」
「そしてお前のように『二世代目』を作っていなかったかどうか、か? さてな、俺達はあまり国とかにこだわらない。地方によって面白いものがあるからふらふらしているが、権力とか政権とか、そういうものに関わるのは面倒だ」
くいっとキョウは酒をあおった。
「もっとも、俺のように『二世代目』を作らせるのを容認するようなものがそういるはずがないのだがな」
キョウが空いた杯を卓に置く。セオリスが酒瓶を手に取り酌をした。その手をキョウが掴む。
「おい」
「酒はもういい。別のものをよこせ」
セオリスは酒瓶を卓においた。
「何が望みだ?」
「分かっているだろう――まだ持つだろうが、そろそろ時期だ」
セオリスの顔が強張った。
それを見てキョウは目を細めた。いかついセオリスの首に腕を回す。軍服の襟を開けてのぞく首筋を舐めた。
「俺は優しいだろう? 五年、こうしてお前の好き勝手にさせている。『二世代目』を作ることも、容認してやっている。他の羅青族ならこうはいかないぞ――もっとも、血ではなく別のものを使うなら許さん。お前が作った『二世代目』とやら、一人残らず殺す」
「痛っ! 噛むな……」
噛んだ跡を舐め、キョウはそっと囁いた。
「お前は俺の番だ……男でも女でも、他の誰にもお前を好きにさせるな」
お見苦しいものをお見せしました。美青年×おっさん受けです。コアな趣味だと思いますが、最初からの予定です。伏線ハリハリ。
ヌイ以外の羅青族出現……なんか色気虫……しかし、実はヌイも同じ程度に色気がある。作者がそこら辺強調してないだけです。