眠る天剣 Ⅳ
「本当に生えてきたんですけど」
ソージュが朝食の席で左の腕を示した。肘から先がなかったはずのそれは一晩で拳ひとつ分ほど長くなってきている。
羅青族のヌイは面白くもなさそうに言う。
「そりゃ再生するぞ? 肘からだったら二週間ってとこだろう。指の再生がちょっと手間取るかもな」
「いえ、人間は再生しないんですよ、本当は」
番化させられたソージュは複雑そうだった。
サナミに窘められて羅青族根絶は諦めたらしい。
羅青族の根絶は困難を極めただろう。羅青族は人間に比べれば多くはないが、個体の戦闘力が桁外れだ。ヌイはまだ肉弾戦を好むからそうでもないが、魔法を使われればただの人間にはなす術がない。
ヌイとてカルサ峠でも死に物狂いだったわけではない。死に掛けたサリュウに比べまだ余裕があった。
羅青族が人間に関わるのは血肉目当てだったり、番となるものを物色したりするが、多くは遊び半分だ。その底は知れない。
「感謝しますよ、ヌイ君。私にとってソージュ君は弟子でもあり、弟か息子のようなものです」
サナミに礼を言われたヌイも複雑そうだった。
番化というのは羅青族にとって「俺の子を産んでくれ」――否――「俺の子を産め」というかなり露骨な求愛行動なのだ。相手の肉体を変えてしまうという強引な行為でもある。番となっている間は羅青族としか子供が作れないし、生まれてくる子供は皆羅青族である。
無論、産むのは番の方だ。
サリュウもヌイにはっきり「俺の子を産んでくれ」と言われている。
それを愛していない相手にするのは羅青族にとって精神的な負担であり葛藤でもある。
それをヌイは敢えてしたのである。
「後のことは知らん。あんたに任せると言ったはずだ」
「? はい。任されました」
とにかく一年である。一年乗り越えれば人間に戻れる――この時は誰もがそう思っていた。
「昨日は仕度できませんでしたが、できれば今日中にここを発ちたいと思います」
「ああ、それが無難だとは思うが――」
ここを離れてどこに行くか。それが問題だった。
無難なのはラジア勢力圏内を出ることだが――
「私、是非シンマ君と話しをしたいと思っているのですが、シンマ君がどこにいるのか分からないのですよ」
妙なあだ名をつけられた――という抗議だけではないのだろう。つまるところ救出したいということだ。
シンマが捕らえられたのは有名だが――その後のことは知られていない。処刑されたとも獄死したとも伝えられていないが、ただで解放されるとは思えない。
まだどこかで捕らえられているかも知れないのだ。
「行方を知っているだろう心当たりはひとつしかありませんが――たやすく教えてはくださいませんでしょうね」
サナミの目が物騒な光を宿した。
それはもちろんシンマを捕らえたゴルトのことである。
「手伝っていただけませんか?」
はいっとソージュが申告した。
「仕返しを希望します。殺された隊員の仇をとりましょう」
「異存はねえぜ。俺の仕事を台無しにされたんだからな」
せっかく団をほぼ無傷で撤退させられたというのに、ゴルトの裏切りのせいで無にされたのだ。その落とし前はつけさせてもらわないと気がおさまらない。
「それは俺も気に入らなかったんだ。いいぜ、俺の力を当てにしてんだろう?」
金色に目を光らせてヌイが笑った。
ゴルトの裏切りでわずかにあった挽回の機会は潰された。あそこで持ちこたえることができていたら、少なくとも簡単に王都は陥落しなかっただろう。
何を持って行って誰が運ぶのか決めて、荷造りをした。教会の使わせてもらったものを片付けるのはヌイがやっている。どうもヌイはまだサリュウに無理はさせたくないようだった。
同じく荷造りをしているソージュは結ぶことがまだできないので、荷物の振り分けをしているだけだ。
「重いものはヌイさんでいいですよね?」
「俺にも入れていいぜ。筋肉は落ちているが、もう大丈夫だ」
「はぁい」
ふとソージュが顔を上げてじっとサリュウを見た。
「なんだ?」
「それは僕が聞きたいです。さっきから何度も僕を見てますけど?」
「そうだったか?」
どうやら昨日サナミに聞いた話のせいで無意識にソージュを気にしていたようだ。
「もしかして、サナミさんから僕の出生でも聞きました?」
サリュウは目を剥いた。
ソージュがにっこり笑った。
「あたりですか」
「お前……」
「内緒ですよ? サナミさんも団長も副団長も僕が知らないと思っていますから」
しぃっとソージュが人差し指を唇にあてた。
「いつから……」
「僕が育った教会の助祭さまが、影で事あるごとに『けがらわしいつみのこども』『うまれてきてはいけなかったつみびと』『ちくしょうにもおとるこういのはてにうまれた』と僕のことを罵っていました。何のことか昔は分かりませんでしたけど、大きくなってそういうことかと、腑に落ちました。神官長はそれを知りませんでしたし、助祭さまもあの事件で死んじゃいましたから、僕が自分の出生を知っているということは団長も知りません」
サリュウは言葉をなくした。
ソージュは『汚らわしい罪の子供』『生まれてきてはいけなかった罪人』『畜生にも劣る行為の果てに生まれた』そんな言葉を浴びせられて育っていたのだ。
「僕には隠しておきたいと思っているようなので、僕が知っているということは黙っていてくださいね。なんだか、僕が知ったら傷つくと思い込んでいるらしいんで」
「そうなのか?」
「そうみたいです。なんででしょうね? そんなこと、どうでもいいと思うんですけど」
あっさりとソージュは言った。
「誰がどんな事情で僕を産んだとしても、僕がそういうものだってことは変わらないでしょう? 悩むだけ無駄です。なんで親とか肉親とか、あったこともない人のために僕が傷ついたり悩んだりしなきゃいけないんですか? 馬鹿馬鹿しいですよ」
恐るべき無関心だった。
「だからサリュウさんも気にしないでください。僕の両親の家だった公爵家もこの戦争で潰れたみたいですし。もう何もできませんよ。サナミさん、考えすぎなんです」
ソージュが屈託なく笑った。
旅立つときには村のほうに挨拶はしない。いつの間にか姿を消す。行く先のことは決して教えない。そういう約束ができていたそうだ。
何も知らなければ何を聞かれても答えようがないからだ。
戸締りをして一行は教会を後にした。
目指すはゴルトである。
だが、ソージュの腕の再生やサナミの体調を慮り無理をしない旅程を心がけることになった。
吟遊詩人の語る歌に、その旅人達は顔を背けていた。
うぐぐっと何かをこらえるように顔を伏せる。
「なんなんですか、この拷問」
比較的小柄な一人が呻くように言う。
「耐えろ。不審に思われる」
歌は『シエイカ傭兵騎士団』の天才剣士のものだった。
輝く金の髪をなびかせて、爽やかな笑顔をふりまく逞しい無双の剣士――女性客がうっとりと聞き入る。
「だ、誰のことですか? 別人ですよね。そういう名前の別人がいるんですよね? お、お腹がっ」
同じ名前を持つ少年は悶絶した。
「『赤槍のサリュウ』なんか、赤毛の筋肉だるまだぞ」
「僕、そんな人知りませーん。僕が知っている人は黒髪の色男です~。きっとそういう名前の別の人ですよね~」
そんな人間がいるわけがない。もはや別物だった。
『シエイカ傭兵団』の頃を知っている人間でもそういう名前の別人の話かと思うだろう。
フードを深くかぶったサナミはさりげなく酒場の隅々まで目をやった。
自分達のほかに歌を聞いて笑い出しているような者はいない。歌の英雄の姿形に文句をつける客もない。ならば――誰も『シエイカ傭兵騎士団』を知るものはいない。
まずは一安心だ。
「手のぐあいはどうです?」
「あ、はい。もう指の形までできてます」
滲んだ涙を拭ってソージュはそっと左の手を袖から出した。爪こそまだないが、関節までしっかり再現された指――左の腕。隻腕という特徴がなくなりつつあった。
にぎっとソージュは指を動かす。にぎにぎと手を開いたり握り締めたりを繰り返す。
「これでもう直接顔を知る人でないと僕だと分かりませんよね?」
「そうだな、ジュジュ」
一人顔を隠す必要性すらないヌイがにやにや笑った。
「そうですね、誰かさん」
べえっとソージュが舌を出す。
「ここらへんは元の活動範囲からずれていますから、私達の顔を知る者も少ないでしょう。しかし、あの方の周りはそうはいきませんよ。気を引き締めましょう」
『シエイカ傭兵団』を知っていた者ならあの外見の表現に一言物申す。
ここら辺ならうっかり名前で呼んでしまっても、同名の別人だとしか思われないだろう。しかし油断は禁物だ。賞金をかけられているということは知れ渡っているのだから。
「本当に二週間でしたね。これなら明日からでも両手で剣が握れそうです」
「ああ、もうそんなになるか」
ふいにヌイが笑みを消した。
「小僧のことはあんたに任せたよな?」
「? ええ、任されました」
「なんのことだ?」
「……お前は知らなくていい」
宿では可能な限り二人部屋を二つ取るようにしている。四人部屋もあるのだが――主に大人の事情で。ヌイとサリュウ、サナミとソージュの組に別れて泊まる。サリュウがときおり不服そうだが。
その日もサナミとソージュは同室だった。
サナミはふと夜中に目を覚ました。
こちらに背を向けているソージュは起きているようだが――荒い息づかいとときおり漏れる押し殺した声から何をしているのか分かったので、サナミはあえて寝ているふりをした。
(もうそういうことをしていても不思議じゃない歳ですからね)
むしろ若い盛りなのでおかしくはない。
そう思って知らぬふりをしていたのだが――さすがにおかしいと気づいた。
「ソージュ君?」
びくっとその肩が震えた。
「どうしました?」
あえて寝台の側までよった。
「サナミ……さん……」
潤んだ瞳に赤みのさした頬。羞恥で震えるさまは保護欲を誘った。
「おかしいんです……さっきから……全然おさまらなくて……」
ソージュの異常にサナミは心当たりがあった。
ヌイのいう『番を逃がさないための仕組み』。
(そういう、ことですか)
異常な性衝動。おさまらない欲情。それがヌイの言うものなら――自分に任された役目とはそういうことだろう。
「大丈夫ですよ、ソージュ君。すぐに楽にしてあげます」
「サナミさぁん……」
寝顔はまだ幼さを残していた。そこには淫蕩ですらあった名残もない。
達すると同時にソージュは意識を飛ばしてしまったのだ。
柔らかな髪をなで、サナミは溜息をついた。
まさか自分の弟か息子のように思っていたソージュとこういうことをする日がこようとは思いもしなかった。
『シエイカ傭兵団』は男所帯で、中には幼い頃のソージュをそういう目で見ていたものがいないわけではない。幼い頃のソージュは本当に女の子のように可愛い顔をしていたのだ。
今でもそうだが。
そういう輩は副団長や自分が言い聞かせていた。どうにもならない輩は叩き出したが。
そうして守ってきたソージュを自分が手折るとは。
罪悪感と愛しさの狭間でサナミは溜息をつく。
番のデメリットですぇ。サリュウはまだ経験していません。なぜならば……それは次回。