眠る天剣 Ⅲ
田舎の朝は早い。やらなければならないことは山積みで、サリュウも薪を割っていた。立てた薪めがけて薪割りを振り下ろすだけだが、繰り返せば鍛錬にもなる。鍛錬に近道はない。地道に繰り返すしか道はない。
「サリュウ君」
「サナミさん? なにか用か?」
「そのままでいいので聞いてください」
「ああ」
サリュウは薪割りを振り下ろした。
「私になにかあったらソージュ君をお願いします」
新しい薪を立てながらサリュウは返した。
「不吉なこと言うなよ、サナミさん。あいつ、団長が死んで副団長が行方不明なんだぜ、今はサナミさんしか頼れないじゃねえか」
「私もたやすく殺されるつもりはありませんが……万が一ということもあります。あの子は少々複雑な事情を抱えていますし、あの体では……あなたにしか頼めません」
サリュウは薪割りを振り下ろした。
「聞けねえな。あんたはなにが何でも死んじゃいけねえ。あいつのためにも」
「――これはあの子には秘密にしてください。確証があるわけではありませんし、推測も混じっています」
サリュウは汗を拭った。
「あの子が盗賊に襲われた教会の唯一の生き残りだというのは以前お話しましたよね?」
「ああ」
「おかしいと思いませんか? わざわざ教会を襲って皆殺しにするなど――私達はそう考え、あの時教会にいた人間のことを調べました。そして、ソージュ君を預けたのがとある公爵家だと知りました。そこの令嬢が未婚のままに産み落としたのがソージュ君です――そして、その令嬢は亡くなっていました。同じ日にその家の跡継ぎだった子息も亡くなっています」
「――そいつは――まさか――」
「確証はありません。ですが、道ならぬ恋――血の繋がった兄妹の間に子供が生まれていたら――その両親が心中していたら――そんな醜聞の証拠たる子供を生かしておくと思いますか?」
サリュウはいつの間にか手を止めていた。
教会に押し入ったのが単なる盗賊ではなく、刺客だったとしたら――ソージュは血族に命を狙われたということになる。
「私達はそう考え、あの子を保護しました。どんな生まれであっても、本人の罪ではありません。また同じことが起きないよう、あの子自身に身を守れるよう剣を教えました」
ここでサナミは溜息をついた。
「身を守れるどころか、追い抜かされましたが」
ソージュの剣の師匠はサナミだった。剣に興味を示したソージュは周りの人間に教えを乞うたが、傭兵団の多くは我流だったので正式な剣を学んだサナミが手ほどきをした。しかし優秀な弟子は師を越えた。
天賦の才。神に愛されたとしか思えない才能をソージュは示した。
だからこそ惜しい。その天から与えられた才が潰れてしまったのが。
「あの子は私をかばって……あの体に……私に命ある限りはあの子を守ります。ですが、万が一のときは――」
「聞けねえよ! サナミさん、あんたはなにが何でも死ねねえんだ。分かっているだろう、あいつは自分で善悪を判断しねえ。そこの部分をあんた達に依存してやがる。あんた達が殺せといえば赤ん坊だって殺すが、あんた達が救えといえばどんな悪党だって助ける。そういった壊れたやつは、慕われている人間しだいだ。あんた達しだいであいつは英雄にも希代の殺人鬼にもなる。団長が死んで副団長はいまここにいない。あいつを普通でいさせてやれるのはあんただけだ! 俺じゃ代わりになんかなれねえよ!」
ソージュはある意味剣そのもののような人間だ。使い手しだいで凶器にもなるし、人を救うときもある。本来なら自分で判断すべきものを心を許した人間に丸投げしている。善悪はない。したことにも罪悪感を抱くことはない。
そんな危うい人間だ。
団長がコンラートだったから、ヒューリーやサナミがソージュを利用しようとする人間ではなかったから、ソージュはただ剣の天才と褒め称えられるだけでいられた。
ソージュの鞘であり良心。『シエイカ傭兵団』がそれだった。
もしサナミまでもが失われたら――ソージュは狂う。壊れて二度と戻らない――サリュウでは駄目だ。
「そう――ですね。すみません、埒もないことをいいました」
教会から牧草地を突っ切り、下へ下へと降りたソージュは村で唯一の雑貨屋を目指していた。人数が増えたので御使いを頼まれたのだ。
ヌイとサリュウはヌイの魔法で一気に教会まで来たので村人に顔は見られてないそうだが、危険は少なければ少ないほどいい、とサナミが言っていたので異論はない。
「あれ?」
村の入り口あたりが騒がしかった。村人が集まっているが、なにやら物々しい。
(まずいかな、これは)
「ちょっと、あんた」
「あれ? おばさん」
何度か顔をあわせたことのある村のおばさんが手招きした。
「なんですか?」
「逃げなよ。教会の人にもそう言って。ラジア兵が来ているんだよ」
「――!」
とうとう来たか、とソージュは思った。
おばさんは持っていた籠をソージュに押し付けた。
「持っていきな。早く逃げるんだよ。片腕の人間を探しているらしいんだ。たった二人だけど、ここに片腕のお尋ね者がいるだろうって言って、教会を探してる。足止めししているけどそうはもたないよ。早く」
ソージュは顔をしかめた。片腕――サリュウやサナミはともかく、自分にはこんな大きな目印がある。
「ありがとう、おばさん。さようなら」
「達者でね」
食べ物が詰め込まれた籠を抱えてソージュは来た道を走り始めた。
逃げなければ。とにかく、このことをサナミに伝えなければいけない。
もっとも戦闘になれば――サリュウもいるしヌイもいる。負けるとは思わないが、より多くの兵士を呼び込む結果になるだろう。
「どうしましょう、サナミさん……」
「サナミさん!」
ソージュが駆け込んできた。
「どうしました、ソージュ君」
「ラジア兵が下の村に! とうとう来ました。僕を探しています」
サリュウとサナミの顔が引き締まった。
「何人ですか?」
「二人だそうです、他は確認できていません」
「ならば確証があるのではなく、確かめる程度の心積もりでしょうね」
『シエイカ傭兵騎士団』の残党を狩るのに、二人などという人数はあり得ない。まして探しているのが天才と名高いソージュならば、一個師団でもぶつけてくるだろう。
「ヌイを探してくる」
「お願いします。たぶん、ここは破棄することになるでしょう」
「悪いな、俺達が呼び込んだみたいだ」
「違うでしょう。『赤槍の英雄』がいると知っていれば、もっと大人数で来ますよ」
失笑ものの名前を出されサリュウは苦笑した。
「その名前、こっちにも流れてきてんだな」
サナミは自分の髪をひとふさ手に取った。
「私、小さいほうではないのですがね」
長身痩躯、豊かな黒髪の美貌の参謀は涼しい顔でのたまった。
ラジア兵がその教会に踏み込んだとき、そこにいたのは一人の男だけだった。
背が高いが細身で、長いローブを着ている。長い黒髪を後ろで束ねて流し、整った知的な容貌に穏やかな笑みを浮かべた。
「当教会になんの御用でしょう?」
ラジア兵は男を神官だと判断し、疑いもしなかった。
「ここに片腕の若い男がいるだろう。出してもらおうか」
「――彼が何か? 戦乱に巻き込まれて体が不自由になった哀れな少年です」
「『シエイカ傭兵団』の一員、小隊長である可能性がある。件の男は左の腕を失っており、同じ負傷をしているものは連行して検めることになっている」
「ですが、傷ついているものを手荒に扱うなどされては――あまりにも」
「本人でなければ四日か五日で帰れる。どこにいる?」
兵士は奥へ踏み込もうとした。
「待ってください、四日か五日? なぜそんなに長く拘束されるのですか? ここで確認するのなら、すぐ解放されるのではないのですか?」
神官らしき男は兵士を引きとめようとした。
「仕方ない、顔を知るものはそんなにいないからな。往復するのにはそれだけの時間がかかる」
どうやら兵士達は自分が捕まえるべき相手の顔も知らないらしい。まず、判断できる人間のいるところまで連れて行こうとしているようだ。
往復で四日か五日かかる場所。そこにしかいないらしい。
「おいっ!」
兵士達は物陰に隠れていた人陰を見つけた。
びくっとその人物は飛び上がって逃げようとする。
「待て! こいつ!」
兵士の一人がその人物の腕を捕らえた。
「痛い!」
振り返ったのは少女のように繊細な顔だった。
背は高くないが小さくもない。茶色の柔らかそうな髪。長い睫に縁取られた水色の瞳。線が細く、少女のように綺麗な顔とあいまって、華奢な印象だ。
ただ、左の腕が肘から先がない。
兵士は顔をみあわせた。
「違うんじゃないか?」
「いくら巷で言われているのと外見が違うって言われても、これはないよな」
「ああ、剣の天才ってのは確かなんだろう?」
兵士達は完全に人違いだと思った。こんな女のような少年があの『シエイカ傭兵騎士団』の中でも一騎当千と言われた小隊長などとは笑い話もいいところだ。
「なにをなさるんですか! 手荒なことはやめてください!」
男が少年を奪い返して抱きくるんだ。
「どうやら人違いをしておられるようす。どうか見逃してくださいませんか?」
兵士は顔を見合わせたが、指示が徹底しているようだった。
「そういうわけにはいかない」
「決まりだからな、悪く思うなよ」
「そこをなんとかなりませんか?」
男は哀願したが、兵士は譲らなかった。
「残念だが、これ以上抵抗するようなら、貴様にもきてもらうぞ」
「そう――ですか。残念です――あなた方にとっても――片付けてください」
男――サナミがそういうと、ローブに隠されたバスタードを手に取った少年――ソージュは満面の笑みで答えた。
「はぁい」
ソージュは振り向きざま近くにいたほうの兵士の首を刎ね、もう一人の胸――心臓を貫いた。
開けっ放しの扉にヌイとサリュウが駆け込んできたのはそのときだった。
兵士から剣を引き抜いたソージュが二人を認めて屈託なく笑った。
「片付けるの、手伝ってもらえます?」
木を隠すには森の中。人を隠すには人の中。死体を隠すには墓場。
予備の棺桶に兵士の死体を突っ込んで、墓地に埋めてしまえば誰も見つけられないだろう。墓地に死体が埋まっているのは当たり前。
サリュウとヌイは墓地で穴を掘っていた。側には出来たての死体が入っている棺桶がおいてあるが、誰も不審に思わないだろう。
「おい」
「なんだ?」
「なんなんだよ、あれは?」
穴を掘りながらヌイが聞いてきた。
「ソージュのことか?」
ソージュは教会のほうで血の跡を消しているはずだ。
「あれはお前が以前俺の魔法を弾くのに使ったあれじゃないのか?」
「気斬の応用だな。刃に気をのせる――奥義なんだが、もちろんソージュも使えるぞ。あいつは十四のとき修得したそうだ」
刃に気という形で心をのせる。刃で斬るのではなく、心で斬る。剣技の奥義だ。
以前サリュウはそれで本来盾も鎧も貫くヌイの魔法を弾いたことがある。それ以来ヌイに一目置かれていたのだが――
「あいつは巷で天才なんぞと呼ばれてはいるが――俺に言わせりゃ、それじゃ足りねえよ。あいつは化け物だ」
「お前が言うかよ」
「言うぞ。俺はあいつに勝てない。今あいつは片腕だし、俺には半羅青の底上げがあるから分からんが――五分の状態じゃ勝った事がない。悔しいことにな」
槍と剣では間合いが違う。槍のほうがはるかに有利なのだが、それでも勝てない。
世間ではサリュウを『赤槍のサリュウ』などと化け物のように言うが、自分などソージュに比べればまだ普通だ。
「お前――人間だった頃に俺と同等だったよな」
「深く考えるな。嫌になるぞ」
あれは別格。天賦の才をもった特別な人間。そう考えなければ折り合いがつけられない。
「お帰りなさい。ご苦労様でした」
死体を埋めてきた二人をサナミが出迎えた。
「明日ここを出ましょう。帰ってこない兵士を探しに来るのは数日後でしょうが、猶予はそれほどありません。お疲れでしょうが、荷物をまとめていただけますか」
「ああ、早いほうがいい」
サリュウは荷物をまとめるため奥に向かった。
帰り道の間なにかを考えているようだったヌイが立ち止まる。
「サナミさん、ちょっと」
「なんですか?」
「あんた、男色の経験があるだろう?」
「! なにをいきなり……」
サナミが視線をそらした。
「騎士団を辞めたのもそのせいか?」
サナミのような容姿のものが男だらけの場所にいれば色々と軋轢があっただろうことは分かる。羅青族には珍しくないが、人間ではそういう容姿のものが珍重されるらしい。名門に生まれた人間が、騎士になっていながら辞して傭兵団に入るなどとはよほどのことがないとあり得ない。
サナミが諦めたように溜息をつく。
「だとしたら、なんです?」
「あんたに任せる。俺は真っ平ごめんだからな」
「? なんの話ですか?」
「小僧のことだ」
そう言い捨てるとヌイは足早に教会に駆け込んだ。
「お帰りなさい」
ソージュが屈託なく笑って出迎える。
「サナミさんとなんの話だったんだ?」
サリュウが聞いてもヌイは答えず思いつめた顔でソージュの前に立つ。
「どうしました?」
「口あけろ」
「え?」
ヌイは自分の指を引っ掻いて血を出すとソージュの口にねじ込んだ。
「! ――」
「ヌイ! なにしてんだ!」
「いいか! これは便宜上仕方なくだ! 俺の番はサリュウだけだ! 後は知らん!」
血をソージュに含ませた後、ヌイは逃げるように部屋を出て行った。
しばらくぽかんとした表情をしていたソージュは口の中に残る血の味に昨日の話を思い出した。
「血! のんじゃいました! うわっ! これって、半羅青化! 僕、子供産めるようになっちゃうんですか! 赤ちゃん、どこから産まれてくるんですか! コウノトリが運んでくるわけでもキャベツ畑で拾ってくるわけでもないですよねっっ!」
ソージュがパニックを起こした。
「落ち着け! そういう体になっても、やることやらなきゃ孕まん!」
「やることってなんですかー!」
「聞くな!」
「聞かないですませられません! 僕、なにされるんですか!」
「させん! 俺が絶対にそんなことはさせん! 相手が羅青族でなきゃ孕むことはないぞ!」
「あはははっ、こ、殺しましょう! 羅青族皆殺しにしましょう! 僕らの安全のために!」
「血迷うな! 落ち着けソージュ!」
今にもバスタード片手にヌイのところに押しかけようとするソージュをサリュウは羽交い絞めにした。
「大丈夫ですよぉ。苦しめません。一撃で仕留めます。首落とせばなにが起きたか分からないうちに絶命できます。ヌイさんは友達ですから、痛いなんて感じないうちに――」
「落ち着け! 待てってば!」
半羅青の力をもってしても振りほどかれそうだった。
「なんの騒ぎですか?」
外から帰ってきたサナミが目を丸くした。
「サナミさぁん、ヌイさんが変態です!」
部屋に戻るとヌイが寝台の上で顔を覆って煩悶していた。唸りながら何度ものたうつ様は深く苦悩しているようだった。
「ヌイ」
「サリュウ!」
ヌイがサリュウにしがみついた。
「俺の番はお前だけだ! 俺が欲しいのはお前だけなんだ! あんな、あんな、違うっ! 俺はお前がいながら他に番なんかいらないっ!」
よく分からないが、ソージュにしたことは羅青族にとって心理的なストレスになることだったらしい。
「分かっている。お前はソージュに腕を取り戻させてやりたかったんだろう?」
ヌイなりになにか思うところがあったのだろう。番という名称と役目はあれだが、半羅青化は人間からしてみたら不老に近いうえに強靭で不死に近い再生力をもつことになる。
「サリュウ、サリュウ」
何度も名を呼ぶヌイに、今日だけは好きにさせてやろうとサリュウは思った。
不本意だが今のヌイを落ち着かせられるのは自分だけらしい。
サナミさん、それは死亡フラグ。ソージュがぽきりと折りましたけど。
だまし討ち(笑)けが人だからこれぐらいのハンデはありだよね。
ソージュ君、血迷いました。うん、どこから産まれてくるんだろうね……(遠い目)
少なくともキャベツ畑ではない。