眠る天剣 Ⅰ
小高い丘に作られた柵の上、少年は腰掛けて遠くを見ていた。
ふわふわした茶色の髪。長い睫に縁取られた大きな瞳は薄い水色。繊細な顔立ちはどこか少女じみている。
どこまでも続く牧草地は青々としていて風が吹きぬけていく。牧畜を生業としているこのあたりはどこまでものどかだ。
「ソージュ君、どうしました?」
かけられた穏やかな声に満面の笑みで振り返る。
「サナミさん、敵兵の姿ありません。まだ安全です」
その中身のない左の袖が風に揺れた。
長身で細身、長い黒髪を後ろで束ねた神職者だと言っても誰も疑わないだろう穏やかな微笑みを浮かべた人は少年をたしなめた。
「見張りはしなくてもかまいませんよ。それよりも、あなたもまだ体調がよくないのですから、無理はいけません。さあ、中に入りましょう」
「はぁい」
柵を飛び降りて――ソージュは少しばかりバランスを崩したたらを踏んだ。まだこの体に慣れていない。
「ソージュ君……」
サナミは痛ましげにその左の腕を見る。肘から先――サナミを庇ったソージュはそれを失った。
「大丈夫です。このくらい」
柵に立てかけてあった剣――バスタードを取ろうとして突風が吹いた。
(あれ? これって、ヌイさん?)
どこかで覚えのある風にソージュは振り返った。
突然現れたような二つの長身の人影。
「いきなり魔法使うな!」
「運んでやったんだ、文句いうなよ!」
あたりを吹き飛ばしそうな風をはらんだ二人組み。
なびくのは空の青の髪、浅黒い肌に琥珀の瞳。
漆黒の髪に黒瞳。藍の衣装を来ているのは――
「ヌイさん! サリュウさん!」
失われたと思っていた友人に、ソージュは走り出した。
「ソージュ」
サリュウが手を広げて、ソージュはそこに飛び込――もうとしてヌイに顔をつかまれて阻止された。
「なにをするんですか?」
「お前こそ、なにをしようとした?」
「サリュウさんの胸に飛び込もうと――」
「駄目だ! サリュウに抱きつくなんて、俺が許さん!」
「なにしてんだよ! お前は!」
横からサリュウがソージュを奪還した。
「ソージュの抱きつき癖なんて前からだろうが。虐めるなよ」
サリュウの腕の中でソージュがべえっと舌を出した。
「小僧……」
ヌイの額に青筋がういた。
十八のソージュは小柄ではないが、周りの隊員が大男ばかりなので相対的に小さく見える。本人の子供っぽい言動もあって、隊の中では『みんなの弟分』的なスタンスなのだ。実際には八歳から隊に所属しているソージュはけっこうな古株だが。
「よかったぁ。死んじゃったかと思ってましたよ。また会えて嬉しいです」
「ソージュ、お前……」
抱きつくソージュの左の腕は肘から先がなかった。
「あ、これですか?」
ソージュが残った腕を上げる。中身のない袖が垂れ下がる。
「失くしちゃいました。でもですね、死んじゃった人もいるんで、腕一本ですんだのなら儲けものだと思います」
「大丈夫か?」
「僕の得物はバスタードなんで、利き腕じゃないんでなんとかなります」
「……そういう意味じゃないんだがな……」
元々ソージュが使っていたのは片手でも両手でも使えるバスタードという剣だ。臨機応変にそれを使い分けていた。
「サリュウ君、ヌイ君、よく無事で……」
私服でも聖職者にしか見えないような穏やかな笑みを浮かべた参謀が駆け寄ってきた。
「サナミさん、ヌイさんの心が狭いです」
「すいません、大事なときにいなくて」
「いいえ。二人だけで殿を守ってくれたのです。ただではすまなかったのでしょう? それなりの理由があったのだと分かります。ずいぶん痩せられましたね」
参謀の目は鋭かった。すっかり肉が落ちていることを見逃さなかった。
「見るなよ」
なにかが気に触ったのか、ヌイがサリュウとサナミの間に割り込んだ。
「いいかげんにしろ!」
サリュウは槍の柄でヌイの後頭部を叩いた。
「いてえな!」
すぐに治るものでも痛いものは痛いらしい。
「それに――」
サナミが目を伏せた。
「あの時、あなた方がいたとしても毒を盛られていたでしょう。むしろ、いなかったことこそ幸運です」
ぎりっとサナミが歯を食い縛る。
むざむざと謀られ多くの兵を失った無念を思い出したのか、怒りを押し殺せないようだった。
「遅効性の毒をもられたんですよ。毒見役がいたんで即効性のやつが使えなかったんでしょうね。毒見役が苦しみだしたんで、効きだす前に毒消し飲みましたけど、少し効きました。そこを襲われました。僕はサナミさんを連れ出すのがやっとで、後でシンマさんが捕まったのを知りました」
はいっとソージュが報告した。
「砦をなんとか抜け出したんですけど、気を失っちゃって」
「ソージュ君は片腕を失う大怪我をしましたからね――毒と怪我で苦しんでいた私達を領民の方が治療し匿ってくれました」
ふっとサナミが苦笑した。
「あの時は敗残兵として狩られるかと思いましたよ。なにも聞かずに治療してくれて、ここまで運んでくれました。昔、助けられた礼だと言われました」
サナミ達も昔に助けた人達に救われていたようだった。
「あなた方も色々あったのだと思います。ここではなんですから、中に入りましょう」
サナミに誘われ、家屋の中に向かったが――今までのことをなんと報告するべきかサリュウは悩んだ。
ヌイさんの心が狭いです。
隻腕の天才剣士ソージュ君。実はど天然の甘えん坊。十八歳。
参謀サナミは美中年。三十五歳。
前回なぜ二人が笑い転げたのかご理解いただけたでしょうか?