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偽りの恋歌

番外編です。ヌイではない、キョウでもない、もう一人の羅青族と、『私』のお話。

 その手をとるわけにはいかなかった。

 私が私であるために。

 それがもたらす快楽と安息を知っていても。

 そこがどんなに居心地のいい場所であっても戻るわけにはいかなかった。

 どんなに煌びやかであってもそこは鳥かごのなか。

 私が私であるためにその手をとることはできなかった。


 もうどこが痛いのかも分からなかった。体中痛みを訴えていて、苦痛の中に漂っているようなものだ。

 私はシィの国の影だった。影で暗殺や破壊工作などの汚れ仕事を請け負うもの。私が選んだ生業ではなかった。

 そうなるよう教育されたものの一人――ただ、それだけだった。

 国のため王族のため働いて――捕らえられたのは運が悪かった。

 影であることは知られていたから、私への拷問は情け容赦がなかった。

 爪を剥がされ、指を潰され、叩かれ、蹴られ、耳を削がれ、片目を抉られた。焼き(ごて)を押し付けられたこともある。

 それでも自分の名前さえ答えない私に、情報を吐かせる事を諦めた敵兵は、ただ自分達の鬱憤晴らしに私を痛めつけるようになった。

 ただ、そんな抵抗は無意味だったようだ。

 ギョクの国にシィの国は滅ぼされた。

 私の抵抗も命も無意味になった。

 おそらくはすぐに始末されるだろう。

「とうとう、この薄気味悪い男ともおさらばだな」

「ああ、まったく気味悪い男だよ。悲鳴以外は何も言わないんだからな」

 拷問を担当していた男達が話していた。

 ああ――そのときが来たのかと、私はそう思った。

「もうその男は用なしか?」

 この場にはひどく不似合いな甘い声がした。

「ああ、あんたか」

「そうだ。もう始末していいと通達があった」

 薄暗くて何も見えないが――声の主が青い髪をしていることを知っていた。

 羅青族。ギョクの国に力を貸した魔族だ。

 何度もここに足を運び、なにが面白いのか私が拷問されている姿を興味深そうに見ていた男だ。

「いらないのなら、俺がもらってもいいか?」

「あんたがか」

 拷問係の声に嫌悪が混じった。無理もない。羅青族は人の血肉を食らう。

 どうやら私の最後は魔族に食われるらしい。

 仕えたシィの国は滅ぼされ、魔族に食われる――碌な一生ではなかった。

「契約は終わった。色をつけてくれるというのでな、これを貰う」

「ああ、そういうことか。いいぜ、持っていけよ」

 拷問係の声を遠くに聞いて――私は意識を失った。もう目覚めないかも知れないと思いながら。


 ここがどこなのか、私は知らない。

 煌びやかな建物である。目を開けたとたん、飛び込んできたのは華やかな色彩だった。天井一面に施された花や鳥の画。驚くと同時に異変にも気づいた。

 あれほどに私を苦しめていた痛みがひいていた。目覚めたこと自体奇跡だが、それ以上に体のどこも痛まない。

 私は柔らかな寝具に寝かされていた。拘束はされていない。もっとも歩行も困難な体だ。その必要もなかったのだろう。

 私はなぜ生きているのだろうか。あの羅青族はなぜ私を食わなかった?

「気がついたか?」

 甘い声がした。あの羅青族のものだ。首だけを動かしてみれば、予想に違わぬ姿があった。

 無地のひらひらした衣装を重ね着するコウの国の民族衣装を纏った、青い髪の美麗な男。

 琥珀の瞳が私の隻眼を覗き込んだ。

「ああ――しっかりしているな。やはりお前はそのほうがいい」

 この男は私になにをした?

「不思議そうな顔をしているな。なぜ食わなかったか、なぜ傷が痛まないか、訊きたいか?」

 それは尋ねたいところだが――訊いたところでこいつは答えるだろうか?

「お前は俺の番だ」

 番? 意味が分からなかった。対、一組になるもの、雄と雌、そんな意味の言葉を言われても分からない。羅青族と私が対であるはずがない。

「わけが分からない――か? すぐに分かる。お前は俺のものだ」

 羅青族は私の頬を撫でた。傷だらけだったはずの頬は、触れられても痛まなかった――傷が消えている。

 この羅青族はいったい私になにをした。

「俺の名はロウ。お前は?」

 私は答えなかった。


 生死の境をさまよった私は三日意識がなかったそうだ。

 羅青族のロウが私になにをしたのかは分からないが、私の体は急速に癒えていった。ロウは私の食事から身の回りのこと――下の世話までした。そのせいではないだろうが、傷がふさがるのはともかく、欠損箇所まで再生していくのは、我ながら不気味だった。

 肌から傷が消えた。耳を取り戻した。手足の指が生えた。永久歯だったはずの抜かれた歯が新しくなった。身体を覆っていた包帯が取れていく。私は私の姿を取り戻しつつある。

 動けるようになるとロウの手を拒み、自分のことは自分でするようにした。

 ロウは相変わらず私を食わない。

 拘束もされなかった。出歩くことも禁じられなかった。

 どうやらここは小島のようだ。

 島にはロウの屋敷――どうやったのか、コウの国の形式の物が建っている――以外はなにもなく、拘束されないのは逃げられる心配がないからだと分かった。

 ロウはコウの国の形式の、鮮やかな配色や細かい細工がお気に入りのようだ。屋敷の中はそういった物であふれている。美しい細工物をどこからか手に入れてきて、しばらく愛でたのち、飽きたのか屋敷のどこかに放っておく。

 私以外の人間がいる気配もない。

 どうやっているのかは謎だが、ロウは湯気のたつ暖かい食事を提供してくれるが、自分で調理しているのではないようだ――羅青族は基本的に生食だ。私のためだけに、どこかから調達しているらしい。

 柔らかな寝床。清潔な衣服。恐ろしく丁寧に整えられた住環境。

 なぜそこまで私にするのか分からない。

 私がロウに下げ渡されてから、もうじき半月になる。

 海の向こう、かすかに見える島の影を見ながら私は物思いにふけっていた。


 その衝動は唐突に起きた。体が熱くなり、私はその場にうずくまった。

「な……なぜ?……」

 それがどういうものか、よく分かっていた。

 影として働いていた時代、必要とあれば体を餌にした。特に優れた容姿を持つわけではないが、醜いわけでもない。それなりに需要があれば男でも女でも相手にした。

 とはいえ、生来そういう欲求が薄いらしく、自分から欲したことはほとんどない。

 なのに、これほど唐突に、これほど強烈な欲望を感じるとは、あり得なかった。

 しかもこれは――

「ほう、もう発作が起きるようになったのか。もう少しかかると思ったんだがな」

「……うぁ……ロウ……」

 この男、いったい私になにをした。

「お前を俺の番にした。羅青族には男しかいない。他の種族を番にして、自分の子供を産ませる。俺はお前を選んだ。番は定期的に抱かれなければ発作を起こす――男が欲しくて堪らないだろう? お前はまだ体が再生しきっていないから、発作を起こすようになるのは、もう少しあとかと思っていたが――案外早かったな」

「……うぅ……くっ……ぎ……」

身体が熱い。心臓が早鐘を打っている。息が切れる。ロウの言うとおりだった。私の体は抱かれることを望んでいる。性質の悪い媚薬に侵されたように頭がぼやける。

 苦しさのあまり私はのた打ち回った。

「あぎ……あ……う……」

 体中どこもかしこも熱かった。奥深く芯を火で炙られているようだ。

 これから解放されるには、ひとつしか手はない――

「自分で慰めても無駄だぞ――犯されなければおさまらない。そういう風になっている」

「ロ……ウ……」

「どうして欲しい?」

 眼を細め、ロウが私を見ている。

 性質が悪い――この男はわかっていて、私に強請らせたいのだ。望めと。犯され堕ちることを自ら望めと。

「……助け……てく……れ」

 私は縋りついてロウの望みどおりの言葉を口にした。

 ぞくっと戦慄が走った。

「抱いてくれ……もう……おかしく……なる……」

「いいだろう」

 ロウは満足そうに言うと、私の顎を掴んで唇を重ねた。口腔を執拗に愛撫するように舌を絡め、服を剥ぎ取る――私は逆らわなかった。


 最後の包帯が解けていた。それはもう巻く必要がない。

 私は抉り取られた左の目を取り戻していた。

 ロウが満足そうに私の髪を撫でた。

「……なぜ、私を選んだ?」

「お前は強い。羅青族(われわれ)は強いものに惹かれる」

「……私は強くない」

 影として標準程度の能力しかなかった。

「強いさ」

 とんっとロウが私の胸を軽く突いた。

「ここが。多くの人間が苦痛に耐えかねて情報を吐くのに、お前は自分の名前すら白状しなかった。どれほど痛めつけられても屈せず――その強さに俺は惹かれた」

 そんな理由だったのか。それでこの男は、痛めつけられる私を嬉しそうに眺めていたのだ。

「名前は?」

 ロウの問いに、私はその答えを口にした。

「ヤオ」


 一度体を許してからロウは遠慮がなくなった。毎日のように求め、一日中繋がったまま過ごされたこともある。番にされた体は体力がありすぎる。

 寝物語に様々な話を聞いた。

 番のこと。羅青族のこと。ロウは包み隠さず話してくれた。

 私はロウに逆らわず、時に甘えてみせた。倣い覚えた技巧を尽くして奉仕することもある。ときおり小さな願い事をしたが、ロウは喜んできいてくれた。

 食事は自分で用意したいといえば、台所をととのえ、食料を運び、保存できるようにしてくれた。

 畑を作りたいといえば、屋敷の庭や島の中のどこでも作らせてくれた。

 井戸を作り、木を切り倒すための斧をくれた。

 気がつけば四年の歳月がすぎていた。


「……ロウ、頼みがある」

「なんだ? なにが欲しい? それとも、またなにか作りたいのか?」

 行為のあと、機嫌のいいロウに私は切り出した。

「そうじゃない。私がシィの国人間だったのは覚えているか?」

「ああ、覚えている」

「私は……王に仕える人間だった。力及ばず捕らえられたが……だが、最近……シィの王族がどうなったのか……気になるんだ。末裔は残っておられるのか、それとも……血筋が途絶えたのか……気になって仕方ない。ロウ、なにか分からないか?」

 ロウは少し考えているようだった。

「末の姫が残っていたとか、聞いた覚えがあるように気がするが、どうだったかな? 四年前のことだ、少し時間がかかるが――調べられないこともない」

「頼む。それがずっと気がかりだった……それがわかれば……私はやっと終わらせられる……」

「なにを?」

「シィの国の影だった私を……王の血筋が残っていたとしても、途絶えていたにしろ、もう行く末を諦められる」

 ロウが私の顎を持ち上げた。

「それは必要か?」

「必要だ。けじめをつけるために」

「よかろう……俺を愛しているか?」

 ロウは最近よくそう訊く。どこかで覚えてきたらしい。だから私はロウの望む答えを口にする。

「愛している。当然だろう? 私はロウの番だ」

 ロウは機嫌よく私に口づけた。


 ロウが島を出てすぐ私は計画を実行に移した。

 ロウへの頼みは、ロウを長く留守にさせるための口実だ。

 私はこっそり船を作り、水と保存食を用意した。かすかに見える島影が、人の住む島であることはすでにロウから聞きだしている。

 私は島を逃げ出した。

 すべてはこの日のためだった。

 四年かけて、ロウから逃げるための準備をした。

 シィの王族の血筋など、とっくに諦めている。

 よくも寵愛が四年も続いたものだ。

 必要ならば己の体も利用する。謀るのも躊躇いはない――私はもともとそういうものだ。

 首尾よく島にたどり着いた私は、持ち出したロウが飽きて放っておいた細工物をいくつか売り払い、いくばくかの金銭を得た。それで島に来る船に乗せて貰いさらに遠くへ逃げた。

 遠くへ、遠くへ。私は逃げ続けた。

 ロウは趣味がよかったらしく細工物は高値で売れたし、影として働いていたとき倣い覚えた薬師としての知識が役に立った。薬を作っては売り払い、旅の薬師として、私は流れて行った。

 もとより戻れるところなどない。

 国も主も失った。

 私にあるのはこの身だけ。

 遠くへ、遠くへ。ただ逃げ続け――とうとう大陸に行くという船に乗った。


 航海は順調だったが――そこでとうとうロウに見つかった。

 甲板が騒がしくなり、そちらの方角を見てみれば――船に向かって一直線に飛んでくる人影。

 青い髪をなびかせて、何枚もの無地の衣装を重ね着した美麗な男――ロウ。

 声はまだ届かない。だが――こちらに向かって手を伸ばしている。

 私を見つけたのか、それともこの船に用があるのか、それはわからない。

 ただ甲板を船乗りや乗客が右往左往し、騒いでいる。魔物の襲来だと。

 船はロウに追いつかれそうだった。風に乗り、必死の形相で手を伸ばし、何かを叫んでいるロウ――声は届かない。それでも追いつかれるのは時間の問題だ。

 羅青族は風を操る魔法を得意とする。船の足を止めるなど、簡単なことだろう。

 私は弓を手にした。ロウに狙いを定める。

 愛しているか、と何度もロウに訊かれた。

 私はそのたびロウの願う言葉を口にした。

 今の私は――

「愛してなどいない。私はお前を愛してなどいない!」

 私の放った矢は、ロウの肩口に突き刺さった。

 ロウはその場にうずくまる。

 船はその間に逃げた。


 私は弓を落とし、跪いた。

 なぜ、矢が刺さったのかわからない。

 羅青族は風を操るのを得意とする。

 船足を止め、矢をそらすことなど、ロウにはたやすいはずだ。

 矢は当たり、船は逃げ延びた。このまま大陸までいけるだろう。

 船乗りや客が賞賛の声をかける。

 私はそれに答えず――泣いていた。

 嘘ばかりついてきた。偽りだらけだった。だから――最後だけ、本当のことを言うわけにはいかなかった。


 船は大陸に着き、私は船を下りた。

 ここで生きていかなければならない。

 全てを失った。それでも命はある。だから生き続けなければならない。


 その手をとるわけにはいかなかった。

 私が私であるために。

 それがもたらす快楽と安息を知っていても。

 そこがどんなに居心地のいい場所であっても戻るわけにはいかなかった。

 どんなに煌びやかであってもそこは鳥かごのなか。

 私が私であるためにその手をとることはできなかった。

案外難産でした。

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