死線を踊る Ⅰ
「うおぉおらぁ!」
雄叫びとともに繰り出された槍がまた一人ラジア兵を屠った。
その槍はすでに柄まで鮮血で塗り替えられていた。それを操る長身の男もまたその身を鮮血の赤で彩られている。
悪鬼羅刹がごとく敵を屠る。
「あーはっはっは!」
青い髪をひるがえし狂笑する魔に近い種族の男が放つ魔法が数人のラジア兵を貫く。
魔法自体はシンプル。“力”を凝縮し打ち出すだけ。けれどそれは盾も鎧も貫く。何人もの兵士が蜂の巣にされた。
踊るがごとき足取りで死を量産する。
たった二人――槍使いと魔族。
それが部隊の足を止めさせていた。
量産される死は屍となって二人の前に積み重なる。
「ば、ばけものめ……」
隊を任されていた男は槍使いと正真正銘の魔族――羅青族をまとめて罵った。
そもそもここの戦いは勝てるはずだった。
クラシード王国に迫るための街道は二つあり、そのうちひとつを守るクラシードの部隊は先日落とされた。この街道を確保しても後ろに回られては、部隊は孤立することになる。
ゆえにここに布陣していた部隊はいやおうなく撤退を迫られる。
撤退する敵を追撃する――そういう任務だったはずだ。
たとえここを守るのが名高い『シエイカ傭兵騎士団』であったとしても。
たった二人で部隊を足止めするほどの化け物がいようとは。
「馬鹿な……損害が大きすぎる」
数で押していけば――羅青族はともかく――人間であるはずの槍使いは殺せるはずだ。
無双の使い手とはいえ人間。限界があるはずだが、それまでの損害が大きすぎる。こんなところで兵を無為に減らすわけにはいかないのだ。
「ば、化け物……だ、人間じゃねえ」
「こ、こんなところで死にたくねえ。なんなんだ、あれは!」
「勝ち戦じゃなかったのかよ」
兵の中にも動揺が広がっていった。
「引け! こんなところで無駄な被害を出すわけにはいかん!」
部隊長は決断を下した。
この戦いはすでに別のルートを確保している。戦う必要はない。
ここを突破しても――残る『シエイカ傭兵騎士団』がこの男達並の化け物であったら――全滅するのは自分達のほうだ。
敵が引き始めた。
「敵さんが引き始めたぜ。なんでだ?」
羅青族のヌイが不思議そうに言う。
サリュウは苦笑する。
「……勝ち戦だからさ……勝つのがわかってんのに……こんなとこで死ぬなんざ、真っ平ごめんだろうよ」
恩賞もなにも命あっての物種だ。こんなところでの犬死は割に合わないだろう。
「追撃かけるか?」
「できるかよ……馬鹿野郎」
ふいにサリュウの膝が砕けた。ヌイがとっさにその体を支える。
「サリュウ?」
「は……つき合わせちまったな……恩にきるぜ……ヌイ」
「血が!」
サリュウの身を彩る鮮血は敵のものばかりではなかった。わき腹を大きく負傷している。今の今まで気力だけで持たせてきたのだ――殿を守るために。味方を一人でも多く助けるために。
敵を追い払い、サリュウは自分に弱音を吐くことを許した。
「場所を変える。人間は手当てしなきゃ死ぬんだったな」
ヌイは慌ててサリュウに肩を貸し、その場を離れようとする。
ほとんど運ばれながらサリュウは呟いた。
「……手遅れだ……さすがに……持たねえよ」
ははっと力なくサリュウは笑った。
いくつもの死を見てきた。だから――さすがにこれはどうしようもないと分かっている。
ヌイは人間より魔に近い種族羅青族だ。
魔族と呼ばれる種族で魔法も使うし体も人間より頑丈で治癒力が凄まじいが――他人を治癒させるような力はない。
「ありがとよ……まさか追い払えるとは……思ってなかったぜ」
息が切れる。言葉を紡ぐのもつらい。
狭隘な場所を選んだが、そこまでの成果を残せるとは思っていなかった。
これで『シエイカ傭兵騎士団』は丸ごと後の戦闘に参加できる。
体が下ろされた。
「死ぬのか? お前?」
ヌイが不思議そうに訊く。
「さすがに……くたばるぜ……」
血を失いすぎた。まだ血は流れている。ヌイが手についた血を舐める。
「人間は脆いな……この程度で死ぬのかよ」
化け物と呼ばれてはいても所詮人間だ。普通より少しばかり頑丈な程度、羅青族と一緒にされても困る。混濁しかかる意識でサリュウは苦笑した。
「ああ……羅青族は血を好むんだったな……」
羅青族は人とよく似た姿をしているが、中身が違う。膨大な魔力を持ち、頑丈で長生き、そして人の血と肉と精気も糧とする。人と同じものも食うが、人間の血肉や精気はご馳走なのだそうだ。
それゆえにときおり傭兵として戦場に現れる。それを貪っても許されるからだ。
そんなものを友と呼べるのは、自分も人間としてどこかがおかしいのだろう。
「持ってけよ……つき合ってくれた礼だ」
「サリュウ?」
「血でも肉でも……くれてやる……どうせ……助からねえなら……お前にくれてやったほうがましだ」
ふいにヌイの表情から笑みが消える。
「いいのか?」
「ああ……いいぜ。丸ごとやるよ」
屍をありがたがる知り合いもいない。朽ちるものなら有効利用したほうがまし。
「じゃあ、貰うぜ。文句いうなよ」
「言えねえな」
どうせ死ぬ。
サリュウは天を仰いだ。
(団長は……無事かな……サナミさん、皆を頼む……俺は……ここまでだ……)
逃がした隊はどこかで立て直され参謀のサナミのもとクラシードのため戦うのだろう。ならば命を捨てた甲斐はある。
晴れ渡った空が冗談のように青かった。
どこが痛いのかももう分からない。ただ力が――命が流れていく。頭がぼうっとしてきた。もうなにも考えられない。
ヌイが自分の手に噛み付いて血を口に含んだ。
出血で朦朧とするサリュウの顎を掴んで口をあけさせ、強引に口移しで血を流し込んだ。
クラシードとラジアの戦いは、ラジアがこじつけとしか思えない理由で宣戦布告し、攻め込んだ。これにクラシードは抵抗した。
この戦いで有名になったのが『シエイカ傭兵団』である。元々はクラシード王国内で傭兵として働いていた彼らはラジアとの戦争が始まると丸ごと王国に雇われ『シエイカ傭兵騎士団』と名を改めることとなるが――彼らは強かった。正当な騎士団圧倒する強さである。
団長、副団長、参謀、そして数人の小隊長の名が知れ渡ったが――その彼らをもってしても戦争は不利であり、クラシード貴族の裏切りもあり、やがてクラシードは敗北する。
『シエイカ傭兵騎士団』は団長が国王とともに討ち死にし、副団長以下数名は行方不明。多くの団員は戦火に倒れた。
その戦いぶりは吟遊詩人に歌われることとなる。
一階が酒場で二階から宿となっている店に旅人がたどり着いた。
フードを深くかぶった姿は珍しいものではない。二人連れでともに背が高い。扉をくぐってきたときには人目を集めたが――そのうちの一人のフードから落ちる髪が青いことに気づいた客は慌てて視線をそらした。
青い髪に琥珀色の瞳。浅黒い肌は魔に近い種族――魔族のうちの羅青と呼ばれる一族の特徴だ。
端正な顔に楽しげに笑みを浮かべる男は二階に部屋を取り、食事と酒を頼んで席を取った。もう一人はおとなしく同じテーブルに席を取る。その顔はフードに半ば隠れていたが、肌の色は人間のそれである。俯いた拍子に零れ落ちた髪は黒。通った鼻筋に形のいい顎。容姿はよさそうだが人間の男のようだ。
食事を待つ間に二人連れは吟遊詩人の歌に耳を傾けた。
歌は『シエイカ傭兵騎士団』のものだった。ただの傭兵団が戦争で国に雇われ華々しく活躍していく。しかし、ラジア国軍に正規軍が押され、敗北せずに撤退を余儀なくされる。
そして主だった人物の中でとうとう犠牲者が出る。
そのとき頼んだ食事と酒が運ばれてきて二人は食事を始めた。
小隊長槍で知られるサリュウは友である羅青族とともに仲間の撤退する時間を稼ぐために二人で残って足止めをし――敵を敗走させるがその姿はその後どこにもなかった。
ただ戦場に愛用の槍が血で赤く染まり残されていた。
そして、悲劇は加速する。
防衛の拠点とした城の領主が裏切ったのである。裏切り者の領主に毒を盛られ、参謀たるサナミと若き天才剣士ソージュは行方知れずとなる。毒で苦しむサナミを庇って落ち延びるさいソージュは左手を失う。小隊長のシンマは捕らえられる。
この敗北がきっかけでクラシードは亡国の道をたどることになる。
最後には団長は国王とともに討ち死にするが――副団長と数名の小隊長は幼い王族を守って姿をくらます。
歌はいつか亡国の姫君を旗印に『シエイカ傭兵騎士団』が起つことを誓って終わる。
ラジアの支配下に置かれた地域で歌われるにはかなり危険な内容だったが、客には受けたようで金銭が投げられていた。
「大丈夫なのかい?」
羅青族が主人に聞いた。
「今のところはお咎めはないよ。なんといっても、ラジア野郎には恨み骨髄ってやつが多くてね」
「はっ、本当かね? 姫君を旗印に起つってやつ?」
「さあねえ。だけど、そうでも思わなきゃ、やってられないよ」
羅青族の連れの男が席を立った。
「おい」
「すまん、先に部屋に行っている」
「飯は?」
「食い終わった」
そうは言っているがシチューしか口をつけていなかった。
「もっと食っとけよ」
「胃が受けつけねえよ」
「二階の一番端の部屋だ」
部屋を聞いて男は階段を上がっていった。
宿の主人が声をひそめた。
「もしかして兄さん達、クラシードの敗残兵かい?」
「そう、見えるかい?」
羅青族の男がひやりとする笑みを浮かべた。
「だとしてもおかしくねえさ。兄さん達ずいぶん体格いいし、武人っぽい。ああ、ラジア野郎に垂れ込む気はないよ。こっちは恨み骨髄なんでね」
「嫌われたねえ、ラジア野郎も」
クラシードの各地でラジア人が好き勝手やっていることは風の頼りに聞いていた。
「これは噂なんだがな――裏切り野郎のゴルトんところの近くにメイリーサって小さな村があるんだがよ。ここに『シエイカ傭兵騎士団』がまだ傭兵団だった頃に馴染みだった教会があるんだが、体を壊した男と片腕の子供が転がり込んでるって噂だぜ」
羅青族が目を剥いた。
「親父さん」
しぃっと主人は唇に指を当てた。
「俺ぁ、昔『シエイカ傭兵団』に命を助けられたことがあるんだよ。そんときはまだ羅青族はいなかったが――気のいい槍使いの兄ちゃんや、豪快な兄ちゃん達が目の前で盗賊をなぎ倒してくれたぜ。あんときのことは忘れられねえよ」
「大丈夫か?」
「……いや……聞いてはいたんだが……」
明かりもつけずサリュウは座り込んでいた。
どこにでもあるような宿。二つの寝台に小さなテーブル。調度類も必要最低限で――昔はよくこんな宿に泊まった。仲間と――
仲間の話は思った以上に衝撃だった。
「二ヶ月、お前は眠っていたんだ。どうしようもないことだ」
ぎりっとサリュウは歯軋りした。
二ヶ月――命と引き換えにした時間。なかった命を拾ったことを思えば仕方のないことかも知れないが――自分のしたことがまったくの無駄だったと思い知らされた。
団長のコンラートは死に、仲間の行方は知れない。
守りたかったものはもうない。
「……こういう時、人間はどうするんだ?」
「放っておいてくれ。まだ自分の中で整理できていない」
下手をしたら関係のない人間に詰め寄ってしまいそうだ。
なぜ、こんなことになったのかと――
かまうなと言ったつもりだったが、寝台に押し倒された。
「おい」
「人間流は分からん。だからしたいようにする」
服を剥ぎ取りにかかったヌイにサリュウは抵抗した。
「放せ、馬鹿野郎!」
押し戻そうとする腕を逆につかまれる。もとから腕力はあちらが上だが、苦もなくひねられるのは筋力が衰えているせいだ。
「お前は俺の番だ。放っておけないな」
「俺は納得してねえ!」
「丸ごとやるって言ったのはお前だ。文句は言うなって言ったぞ」
「男に突っ込まれるとは、思わなんだわ!」
この男は、人を救うためとはいえ本人の意思無視で番にしてくれたのだ。
出来心です。作者の新作書きたい病です。
本来R18かなーと思いますが、性描写を省いて表でやってくださいという悲痛なお願いがありましたので、一部表現を削除したものをこっちに載せます。
完全版はいずれお月様にて。