お義兄様は、私が幸せにしますから!
「僕とカリンは、結婚できないんだよ」
幼い頃の一番の記憶は、大好きなお義兄に困った顔をされながらそう言われたことだ。
「私が、ずっと、お義兄様と一緒にいるのおおおっ…!」
その日、私はお義兄様も両親も使用人も困らせるほど泣きじゃくった。
次の日も、次の日も泣いて、泣いて、泣いて。
「どこにいても、カリンが僕の大事な女の子には変わりないよ」
まだ10歳だったお義兄様がそう言って頭を撫でてくれて、ようやく泣くのはやめた。
だって、私が泣いていると、お義兄様が笑ってくれなかったから。
だけど、心はずっと悲しかった。
私が一番お義兄様が好きなのに、どうして結婚できないんだろう。
その思いを秘めたまま、私はやっぱりお義兄様の一番近くにいた。
だって、私よりお義兄様に近い存在なんていないはずだったんだもの。
私の実母は3歳の時に亡くなったらしい。
伯爵家に嫁いだ母亡き後、子どもが私ししかいなかった伯爵家はすぐに後妻を得た。
跡継ぎの男の子が欲しかったらしい。
そこまではよかったのだが、後妻は私の存在を疎ましく思っていたそうだ。
小さい頃すぎて、覚えてもいない。
実父は、私に暴力を振った新しい妻に危機感を覚えて、母の生家であった侯爵家に助けを求めたそうだ。
「侯爵家と血のつながりのある娘を引き取ってくれないか」
義両親は快く引き受けてくれたという。
これらは全部聞き伝えた話で、私の記憶にはあまり残っていない。
おかげで、私としては最初から従兄弟の家であった侯爵家の娘として育った感覚が強い。
それに、6つ年上のイディウスお義兄様に懐いて、生家でのことなんてすぐに忘れていた。
イディウスお義兄様が、私の世界の中心になるのに、時間はかからなかった。
「イディウスお義兄様と結婚したかった…」
「あらまあ、カリン。その夢は果たせないとあなたもわかっているでしょう?」
あれから12年、私は15歳の社交会デビュー目前のレディーとなった。
侯爵家の養女として、しっかりしてきた自負もある。
お義兄様の妹として、恥ずかしくないように生きてきた。
だけれど、この願いだけは手放せずにいた。
私の育ての親であり、尊敬してやまない義母の前では、ついつい不満が零れてしまう。
こんなこと、もう母の前でしか言わなくなったので、ソファーに座っている母の膝に顔を埋めても、頭を撫でられるだけで多めに見てくれている。
だって、しょうがないじゃない。
もうすぐ、お義兄様が結婚してしまうんだから。
私が養女としてこの家に引き取られた時には、もうイディウスお義兄様には婚約者がいた。
お相手は、お義兄様の一つ年下のこの国の第二王女殿下だった。
生家が伯爵令嬢の私なんかでは覆せない決定事項だった。
いつまでもイディウスお義兄様と一緒にいたかった私にとっては、地獄のような宣告だった。
「殿下が降嫁なさったらあなたの義姉になるのですから、親切にして差し上げてね?」
「……その王女殿下が、イディウスお義兄様を蔑ろにしているのに?」
「カリン」
「……申し訳ありません、お義母様」
私の心のこもっていない謝罪に、お義母様はふうと息を吐いた。
それでも叱られなかったところを見るに、お義母様も思うところがあるみたいだ。
第二王女殿下は、最近自分付きの騎士がお気に入りのようで、振る舞いが一線を越えているように感じる。
イディウスお義兄様という素敵で非の打ちどころのない相手がいるのに、なんで冴えない騎士なんかにうつつを抜かしているのだろうか。
しかも、やたら騎士にベタベタベタベタ、としているのが、本当に気持ち悪い。
ああ、こんな気持ちをイディウスお義兄様に知られたら、嫌がられるかもしれない。
清く美しい私でいなくては。
……でも、王女殿下はイディウスお義兄様にはもったいない相手だ。
せめて、もう大国に嫁がれた第一王女殿下とか、第一王子殿下の婚約者である公爵令嬢様とか、私でも敵わないと思える方が、お義兄様の相手だったら私だって納得いったのに。
あんな、血だけしか取り柄のない傲慢節操なし第二王女なんて…。
あああ、イディウスお義兄様が血統も身分も釣り合うばっかりにぃ!!!
「……きっと結婚前にナイーブになられているだけだわ」
「お義母様は、それでいいのですか?」
私が顔を上げると、なんとも言えない悲痛な表情をしていて、私は自分の言ったことを後悔した。
いいわけがない。
私にとって世界で一番大好きなお義兄様であるように、お義母様にとっても大事な一人息子なのだ。
だけれど、家臣としてはできることは大してない。
「ごめんなさい…」
「いいのよ。…見守りましょう、私たちには今のところそれしかできないわ」
そう言って、お義母様はもう一度私の頭を撫でた。
泣きたい気持ちをグッと堪えて、私はお義母様に抱きついた。
自分の顔を隠すように──。
「はい、お義母様」
だけれど、私たちのこの時の思いは、あっさりと打ち砕かれるのだった。
「は? ……お義父様、今なんておっしゃいましたか?」
「第二王女殿下がご懐妊したそうだ」
頭を鈍器で殴られたような衝撃だった。
「そ、れ…、お相手は、まさかイディウスお義兄様で…」
「そんなわけなかろう。私の息子がそんな馬鹿なことするわけがない」
「じゃあ、だれ…」
自分で言いながら、すぐに人物が思い浮かんだ。
ああ、あの馬鹿王女、本当にろくでなしだったのね。
「その騎士と王女の処分は?」
「追って沙汰が下るだろう」
「そんなことでいいのですか!?お義兄様が、イディウスお義兄様が屈辱を受けたのですよ…!」
「もちろん、向こうの有責で婚約破棄だよ。賠償金も支払わせる」
「それだけですか?王族なら、何をしてもいいんですかっ!」
「カリン!」
お義父様の遮るような声に、私は怒りで肩を震わせるしかできなかった。
「……この執務室以外で、そんなことを言ってはダメだよ。誰に聞かれているか、わからないんだから」
「だって、こんなのあんまりです…。お義兄様は、第二王女が生まれた時から、ずっと婚約してきて、ずっと縛られてきたのに…っ」
「こんなことを言ってはいけないが、結婚する前でよかったよ。それがせめてもの救いさ」
「お義父様…」
「おいで、カリン。イディウスのために、泣いてくれてありがとうね」
お義父様は私を抱きしめて、優しくそう言った。
私にも、自分にも聞かせるような、切ない声色だった。
「当たり前です、私の大事なお義兄様です。ただ、幸せになってほしかっただけなのにっ…」
「ああ、本当にそうだね」
お義父様の胸の中で、あの日と同じくらいに泣いた。
イディウスお義兄様に、「カリンとは結婚できないんだよ」と言われた、あの日みたいに。
「…そうだわ、私としたことが、このままでいいわけがないわ」
「カリン?」
「私がっ、私がお義兄様を世界で一番幸せにしてみせますっ!」
「え、おい、カリン…!?」
私はお義父様の制止を振り切って、腕の中から抜け出すと、レディーとは思えないほどに廊下を走っていった。
「イディウスお義兄様!」
「うわっ、どうしたんだい、カリン!?」
イディウスお義兄様の部屋にノックもなしに入っていくと、お義兄様は驚いたように振り返った。
その顔に、憂いは見えないけれど。
本当は悲しんでいるんですか、お義兄様…?
私はグッと拳を握って、思いのままに言い切った。
「イディウスお義兄様、私と結婚してくださいませっ!」
私の宣言は部屋の中を響いて、その後沈黙が落ちた。
だって、私以上にイディウスお義兄様を想っている人なんていません!
お義兄様の目が、私を映してゆらゆらしているようにも見える。
ずっと、イディウスお義兄様には、一線を引かれてきた。
だから、妹として、一番近くにいた。
でも、もうそうしなくていいなら、私からその線を越える。
馬鹿王女とは違う、私はちゃんと自分の越していい時を来るかもわからないまま、ずっと待っていたんだから!
「これはまた、大胆な申し出だね」
お義兄様は目を丸くしたあと、肩を揺らしてくすくす笑い出した。
「私は本気ですっ!ずっとお義兄様のお嫁さんになりたかったんです!」
「まあまあ、落ち着いて。もう父上から話は聞いたかな?」
「お義兄様に、あの人は似合いません!もったいないです!」
「こらこら、不敬で捕まっちゃうよ」
イディウスお義兄様は笑い涙を浮かべながら、私の方に近づいてきた。
大きくなってからは手も繋いでくれなくなったし、パーソナルスペースにも入れてくれなくなったのに、そこを超えてきている気がした。
お義兄様…?
「そっか、カリンが僕と結婚してくれるの?」
「はいっ!お義兄様を絶対誰よりも幸せにしてみせます!」
「カリン…」
「一生、生涯をかけて、イディウスお義兄様を愛し抜きます!私にはその自信があります、だって、ずっと、これまでずっとお義兄様を好きな気持ちがなくならないんですっ!これからだって、なくなったりしません!」
「ふふっ、…カリンは本当に僕が好きだねぇ」
「好きです」
「いつだって、そうやって真っ直ぐに気持ちを伝えてくれる」
「……お義兄様の結婚の日取りが決まってからは、言ってません」
「そうだね。カリンは、ちゃんとわかっている子だものね」
イディウスお義兄様は、躊躇いがちに手を伸ばすと、私の左頬に自分の手の甲をそっと触れさせた。
こんなに距離が近いのは、子どもの頃、イディウスお義兄様のあとをずっと付き纏っていた頃以来かもしれない。
「…カリンが、僕を幸せにしてくれるの?」
「はいっ!めいいっぱい!」
「そっか」
「ですから、お義兄様。ひとまず、逃避行旅行に行きましょう!」
「えっ?」
イディウスお義兄様の手が止まったけれど、気にせず続けた。
こういうのは、勢いが大事なのよ!
「このあと、婚約破棄を巡って面倒になるのは明らかです!どうせあーだーこーだ言われるのが目に見えています。それでは、イディウスお義兄様の休まる場所がありません!」
「え、っと、カリン…?」
「だから、この国から逃げましょう!ずっと、あの馬鹿王女に付き合ってきたのです。ですが、今国にいる必要はなくなりました。しばらく国から離れて、ゆっくりするのがいいです、絶対に!」
そこまで言い切ると、イディウスお義兄様がパチパチと何度も瞬きしていることに気がついた。
せっかくなんだもの、慰安旅行ということにして、外国を練り歩くわ!
お義兄様だって、楽しいことをしているうちに、気が晴れるかもしれないし。
「…ふふふっ、ふふ、結婚してくれるのかと思ったら、旅行に行くの?」
「だって、お義兄様に国にいてほしくないです…。余計なことを言われるだけです」
「そうだね、それはまあ全然気にしないけど」
「私が気にします」
「そうだね、カリンは僕が好きだものね」
そう言いながら、お義兄様の手の甲が再び私の頬を撫でた。
優しくて、あったかくて、骨張っていて。
小さい時に繋いでもらった時よりずっと大きくなった手が、熱い気がして──。
「カリン、顔赤いよ?」
「イディウスお義兄様が、触るから…」
「え?だって、カリンは僕と結婚してくれるんでしょう?」
優しい瞳が少しだけ意地悪く細められるのを見て、私の好きなイディウスお義兄様だ、と思った。
「じゃあ、せっかくのお誘いだし、行こうか、旅行」
「えっ、いいのですか?」
「うん。まあ、名目は、新婚旅行かな」
「え」
ぽかんとしていると、イディウスお義兄様は私の額にキスをした。
「ふふふ、僕にとって大事な女の子は、カリンだけだよ」
「……イディウスお義兄様」
「ずっと一緒にいてくれるなんて、こんなに嬉しい申し出はないからね」
イディウスお義兄様の確かめるような、甘く、少しだけ苦しそうな声に、私は息をするのも忘れて、コクコクと頷いた。
「ふふ、よかった」
「私が絶対にイディウスお義兄様を幸せにします!覚悟しておいてくださいね、お義兄様!」
子どもの頃みたいに堂々と宣言すると、イディウスお義兄様はまた笑うのだった。
久しぶりに声を出して笑っているイディウスお義兄様を見て、結婚できないと言われたあの悲しい気持ちが報われていく気がした。
「イディウスお義兄様、大好きです!」
了
お読みくださりありがとうございました!!
229日目。




